20. 地神竜エザフォスの祠①
二対の角の地竜が駆ける。その頼もしい背中の上、ルカは風を感じて目を細めていた。
ルカの頭の上には、エクリクシス。彼は流れる景色を楽しそうに眺めている。そんな彼に倣って、ルカも景色を楽しんでいた。
広がるは金の砂漠。青空に映える赤は、竜の姿に戻っているイグニアだ。それから、少し後ろを駆けてくる姉たちを乗せた地竜。
そして、そのずっと後方に目を凝らせば――薄っすら見えるのは巨大な金属の塊。金属の塊は見なかったことにしよう、と思いながら、ルカは景色を楽しみつつフィオナと精霊魔術談義を繰り広げ、砂漠を進む。
フィオナとの興味深い語らいも一区切りついた頃合いのこと。
ルカはしばらくのんびりと眺めていた景色――砂の海から岩石砂漠へと姿を変えた景色から、ゆっくり目を離し、フィオナの方へ振り向いた。ルカは、この人も顔が整ってるなぁと思いながら、「そういえば」と切り出した。フィオナの赤の強い茶色の目が柔らかく微笑んでルカを見る。
「フィオナさんって『神樹の巫の末妹』なんですよね?」
「ああ、よく覚えていらっしゃいましたね。そうです、神樹様に使える巫の、末席を頂いています」
「神樹の巫って、皆さん血が繋がっているんですか?」
もしそうだとしたら、目の前のエルフの少女はリアダン女王陛下の血縁ということになる。少し緊張した面持ちのルカに、フィオナはクスクスと笑んでから、ゆるりと首を横に振った。
「いいえ。神樹の巫は通例として、その席に身を置くものを兄弟姉妹として扱っているのです。だから、その末席に座る私は、末妹なのですよ」
「へぇ……」
そうなんだ、と思いながらルカは頷いて、それから、彼女の今までの立ち振舞を思い返して改めて納得した。
「ずっと末妹って言葉が引っかかってて……フィオナさん、妹タイプというよりは、お姉さんタイプの性格っぽいな、と思ってたので」
通例なんですね、とルカは今度は言葉にしながらウンウン頷く。そうしてから、彼はフィオナの物悲しそうな表情に気が付いた。
「あ、すみません。失礼なこと言ってしまいましたか」
「いえ、そうではありません。ただ……」
フィオナがため息を風に混ぜる。逡巡の後、彼女は目を伏せたまま小さく口を開いた。
「私、ルカさんの言うとおり、お姉さんなのです。下に弟が二人、いました」
「いました……って事は……」
一気に申し訳無さが募って、ルカは慌てて頭を下げようとした。そんな彼の肩に手を置いて、フィオナはほんの少し苦味の隠れた微笑みを浮かべた。
「死んでしまったわけではないのです――いえ、もっと正しく言えば、弟たちは生きていると、彼らの守護樹が教えてくれているのです」
エルフと共に生まれ、その生を導き、そして共に死ぬ。そんな守護樹が教えてくれていると言うことは、フィオナの弟たちの守護樹は枯れずに成長を続けているのだろう。
ほっと小さく息をつくルカの横で、フィオナは砂漠の向こう側に弟たちの姿を探すように遠くを見ながら独り言のように呟き始めた。
「ほんの小さな赤ん坊だったのに……街へ出た乳母と共に、攫われて、いなくなってしまった」
なびく髪を押さえて、瞳をはるか向こうに彷徨わせるフィオナを、ルカは静かに見つめている。心なしか、地竜の足の運びがゆっくりになったようだった。
地竜が赤茶の岩を蹴る音と、風の音。そこに混じる、何もかもを感情の底に沈めた、フィオナの穏やかな声。
「クマシデと、ハシバミの……双子の男の子たち」
静かに呟いたフィオナは、ふっと目をルカに戻した。そして、彼女は少女らしい口元に、少女にはできないだろう角の取れた笑みを浮かべる。
「弟たちの守護樹は、クマシデとハシバミなんです。二人の守護樹は健やかにその背を伸ばしています。だったら、二人はどこかで無事に暮らしている」
「――きっと、そうですね」
ルカが笑みを返してそう言うと、フィオナは、まろい笑みを浮かべたままコクリと頷く。そして、再び目を砂漠の向こうへと向けた。赤茶の瞳がキラキラと輝いている。
「無事に暮らしているなら、きっと……いつか、私たちの守護樹の葉が触れ合うように、再びまみえることができると――私はそう信じています」
きっと会えますよ、と月並みな言葉しか返せないのを申し訳なく思うルカに、フィオナは「ありがとうございます」と穏やかに声を返してくれた。一瞬満ちた静寂を破ったのは、鼻をすする音だった。
フィオナは泣いていない。ルカだって泣いていない。
では誰が? とルカが首を傾げるのと同時に、下から声が響いた。
「お゛、俺ぇ゛……ぞう゛い゛うの、弱いってぇ……言ってるじゃーん!」
――いやいや、言われたこと無いですけど。
そう思いながら、ルカはこちらを振り返りながら走っている二対の角の地竜へと顔を向けた。
「マジ悲しいじゃんそんなの……! グス、弟君たちと、会え゛る゛どい゛い゛ね゛ぇ……!」
濁点まみれで叫びながら、地竜は走る速度を上げた。風に舞って塩辛い粒が飛んでくる。うおぉぉぉん、と吠え声をあげる地竜に負けないように声を張ったフィオナが彼を宥めつ礼を言っている。
それでも泣き止まず吠え声をあげる地竜を二人して宥めていたら、気が付けば目的地に到着していた。ルカの目の前に、雄大な赤茶の岩山が腰をおろして寛いでいる。
やがて足を止めて腹ばいになった地竜の背の上からサッと降りて、目の前にそびえる岩山……と言うよりは、岩の壁、と言った方が正しいかもしれない。とにかく、ルカはそれを見上げた。
見上げて、見上げて――反った腰が痛みを覚え始めた頃には、アルヴァたちも到着したようだった。
「ここが、『地神竜さまの寝床』か……」
姉の声に、ルカは岩の壁から目を離し、ぐっと反っていた背中を元に戻した。軋んだ背骨に、あてて、と呻きが漏れる。
ルカはできる限り手を伸ばして、痛む背中を擦った。そうしながら目を向けた先では、アルヴァにほとんど抱えられるようにしたカレンが目を強く閉じている。何してんだあの人、とルカが眉を寄せたところで、アルヴァたちを乗せてきた地竜が、未だに目を――まつげバサバサの目をウルウルさせている二対の角の地竜を小突いた。そして寄り添うようにして二頭は岩の壁の前に立ち、壁の真下、どうやら細かい粒子になっているらしい赤茶へとその身を沈めていく。
一対角の地竜が、砂面にちょこんと口だけ出して、「もういーよー」と口ずさむ。それから、地竜たちはすっかり赤い砂の中へと姿を消した。
ああそう言うこと、とルカはカレンに目を向ける。と同時に、カレンが恐る恐ると言った様子でゆっくりと目を開けた。カレンはホッと息を吐いてすぐ、自分がアルヴァに抱えられるようにして立っていることに気づいたらしい。顔を真っ赤にして「もう大丈夫です!」とひっくり返った声をあげていた。
頬を押さえてブツブツ言っているカレンは放っておいて、とルカは姉を見た。彼女は顎を擦りながら赤茶の岩の壁を見上げて、それからショルダーバッグから蓄魔紙を取り出した。
文字通り魔力を蓄えられる。それが蓄魔紙だ。
アルヴァが持つ、この手のひらほどの厚紙には表面に波紋が浮かんでいる。つまりは魔力が蓄積されているということだ。ここに魔力を込めた人間は、今頃はエレミアの自室で婚約者と腹を割って話しているはずだ。
「――……そう言えば、これをどうすれば岩の壁が開くのか、聞き忘れたな」
ふむ、と小さく唸りながら、アルヴァの琥珀がルカを見る。
――ほんと、変なところで抜けてるよな、姉上は。
そんな風に思いながら、ルカは彼女に近付いた。そしてその手から、人差し指と中指で角をほんの少し挟むようにして、蓄魔紙を受け取った。そうしないと、そこらで売っている蓄魔紙は余計な魔力まで吸ってしまうことがあるからだ。
だが、その必要も無かったらしい。
触れてわかる、最高品質の蓄魔紙だ。まじまじ眺めながら、ルカは岩の壁へと歩き出した。
「多分、余計なことする必要もないと思いますよ」
その言葉は、後ろについて来ているであろう姉に向けた言葉だった。彼女は何が起きてもいいように、といつでもルカを引き寄せられる位置にいる。
「そうなのか?」
「ええ」
魔力に敏感なルカにはわかる。ここら一帯――具体的に言うと、この岩山全体を覆うように、結界が張られている。この結界は何かを入れないために張られたのではなくて、言わば錠前として、砂に潜れない人間のために用意されているものだ。そして、ルカは、今この手に、その錠前を開く鍵を持っている。
恐らく、あと一歩。あと一歩進めば、きっと入り口がパカリと姿を現す。
「――ほら」
ルカが一歩踏み出して足を止める。と同時に、目の前の壁が大きく欠伸をするように口を開いて、その姿で動きを止めた。
「ね、何もしなくても開いたでしょう」
ルカたちの目の前に口を開いた洞窟の奥、ゆったりした服を身に纏う背の高い男女が駆けてくる。おぉーい、と言う朗らかでのんびりした声に応えるように、一行は洞窟へと足を踏み込んだ。




