砂漠に咲いた黄薔薇を手折れ⑦
「なぁんだ、もう終わってんじゃん。あーしが来なくても大丈夫だったじゃんね」
その言葉の後に続くように、大きなシルエットの後ろから、少し小さなシルエットがひょこっと顔と思しき影を出す。
「んもぉー。マフディ様が何度もそう言ってたじゃないですかー」
「なにそれ知らんし」
「言ってたよぉー。聞いてなかったの、トゥルバ様じゃーん」
自分が剣の柄に手をかけているのが恥ずかしくなるくらい、のーんびりとした声。かといって気を抜くわけにはいかない。声の色に騙されることもあるのだから、とアルヴァは真剣な表情を顔に乗せながら、声の主の姿を砂の滝の隙間から探す。
やがて砂のベールの向こうに姿を現したのは、三頭の竜だった。
その竜たちが持つ鱗は、すべらかな鱗を持つ火竜や雷竜とは真逆。質感を表すとするなら、まさしく岩のよう。金色の砂の海の向こうにゆらゆら揺れる、岩石砂漠の赤茶をその身に纏う竜二頭。恐らく成体の竜だ。それぞれ羊に似た丸い一対の角を持っていて、片方はそれに加えて額のあたり、前にちょこんと伸びる角を生やしていた。
そんな二頭の前、どっこいしょ、とでも言うような感じで砂漠の砂から体を引っこ抜いたのは、彼らより大きな竜だった。くるんと巻いた一対の角に、砂漠の黄土色に似た、岩のような鱗。目元はフサフサと長いまつげが彩っている。おそらく、砂が目に入らないようになのだろう。
地竜だ、とアルヴァは柄に触れていた手を離し、安堵の息を吐いた。
と、そんな彼女に声がかかる。
「ねぇ」
一番大きな体の地竜が、アルヴァを見て首を傾げている。
そしてその地竜は、ぬし、と砂漠を踏みしめてアルヴァの方へ歩いて来ていた。恐らく後ろ足で立ち上がれば、今は砂漠に倒れ伏している機械兵の胸くらいまでは身の丈がありそうな巨体だ。その大きな顔がアルヴァにぐっと近寄ると、彼女の傍にささっと寄ってきたイグニアが、ガウ、と吠える。その声に敵意などはなく、人の言葉に翻訳するなら「こんにちはー!」が適切だろう。
砂色の鱗の地竜はその少し眠そうにも見える黒い目をチラリとイグニアに向けて、小さな吠え声を返した。それから、その目は再びアルヴァに向く。目を細めてじっとアルヴァを見ていた地竜が、ぱか、と小さく口を開いた。
「あ、やっぱそうじゃん。キミら、あれっしょ。エザフォス様の祠、起動しに来たンっしょ?」
アルヴァがその言葉に答える前に、彼女の前で地竜が砂に沈んでいく。目を丸くしていたら、地竜は砂から半分顔を出した状態で言葉を続けた。
「じゃ、あーし先行って準備してっかンね」
じゃねー、と言いながら砂の海に深く潜っていった地竜。そのマイペースさに少々驚きながら、アルヴァは先ほどの地竜――声からして女だろう地竜の言葉を反芻して考える。
エザフォス様の祠、っていうのは『地神竜様の祠』のことで間違いないだろう。と言うことは、彼女は地竜の長か。
そんな風に考えているアルヴァに、この場に残った地竜二匹が声をかけた。
「まじごめんねー、トゥルバ様ってば超マイペースなんだよー」
「どうせ俺らも『寝床』に戻るし、乗せてくよ」
八人だから四人ずつかぁ、とあたりを見回す一対の角の方の地竜がのんびり言ったのを、ラフが訂正する。
「あ、いえ……僕らは城に帰ります」
彼は地竜に五人のことを――アルヴァたち一行のことをよろしく、と頼んでから、メグと共に馬車へと乗り込んだ。それから、窓から乗り出してアルヴァたちに何度も何度も礼を言いながら、砂の海をエレミアの都へと戻っていった。
――彼らならきっと大丈夫だろう。いい夫婦になる。
そう思いながら彼らに大きく手を振って、馬車が見えなくなるまで見送ってから、アルヴァは地竜を見上げた。二対の角の地竜が砂に腹を下ろし、顎も砂漠につけて、アルヴァと目を合わせてくれた。地竜は他の属性竜より首が短い。互いに無理せず目を合わせるには、腹ばいが一番なのだ。
「じゃ、乗せてくから俺らによじ登ってー」
彼の言葉に、アルヴァは後ろを振り向いて弟たちに目を移す。
地竜の朗らかでのんびりした声に、身を固くしているのはカレンだけのようだった。大きな青い目がみるみる涙の膜に覆われていく。アルヴァの視線がどこに向いているのか気が付いたルカが、自分の後ろで小さくなっているカレンを振り返って、わかりやすく呆れた顔を作った。それから彼は、カレンの後ろに回ると彼女の背中を押して、アルヴァの前に押し出した。
「カレンのことは姉上に預けます」
それが一番いいでしょ、と言い切ったルカは、アルヴァにほとんど押し付けるようにカレンを押しやってから、二対の角の地竜の背中へとよじ登り始める。そして地竜の背に腰を落ち着けたルカは、下を覗いてフィオナに声をかけたようだった。どうも、精霊魔術について詳しく聞きたいらしい。
地竜の背に器用に登っていくフィオナと彼女に手を差し伸べる弟をしばらく見つめて、アルヴァは、自分の腕の中でカタカタ震えているカレンを見下ろした。可哀想なほど怯えているカレンを落ち着かせるように背を擦ってやりながら、アルヴァの金の目が向くのはケネスの方。
「じゃあ、私とケネスとカレンは、そちらのお姉さんに頼もうか」
ケネスが頷いたのを確認してから、アルヴァは一対の角の方の地竜に顔を向け、よろしくお願いします、と笑みを浮かべた。
地竜の背はごつごつとした岩場のよう。そんな地竜は火竜と比べてがっしりしているので、体を跨いで乗るよりは、横乗りするほうが安定する。
アルヴァは座りやすそうな場所に抱き上げていたカレンを下ろしてやり、その横に腰かけてしっかり彼女の手を握ってやることを忘れない。
アルヴァはカレンの顔をのぞき込む。彼女の丸い頬は真っ青だ。
繋いでいないほうの手で頬を擦ってやりながら、アルヴァはケネスを見上げた。
「ケネス、君は向こう側に」
「――で、手を繋げって?」
「うん。安心するだろう? 手を繋いでると」
ケネスはしばらく半目でアルヴァを見つめてから、降参したようにため息を吐いた。そして、言われた通りにカレンの横に腰を下ろし、大きな手でカレンの小さな手を包む。それから彼は逆側の手で、立てた膝に頬杖をついた。
「いいかい、カレン。自分が何に乗せてもらっているとか、一旦忘れよう」
「……はひぃ……」
ひぃひぃ泣きそうに息をするカレンを、向かい側、立ち上がった二対の角の地竜の背に腰かけているルカが見下ろしている。並走すればカレンの目には嫌でも地竜が入ってしまうので、アルヴァは弟に「先に行け」と目で言う。ルカはそれを正しく理解して、地竜に出発をお願いしてくれたようだった。弟とフィオナを乗せた地竜が、砂を蹴って進み始めた。地竜が退いたことによって、アルヴァたちの――カレンの目の前に広がるのは、真上に差し掛かり始めた太陽に照らされる、見事な金の海のみだ。
彼女の瞳の青に、砂漠が広がっているのを確認して、アルヴァは彼女の頭を撫でた。
「君は、広がる景色だけを見ていればいい。ほら、金の海。泳ぎたくなるくらい綺麗に輝く砂漠が広がっているだろう」
流れる景色だけ、見てるんだよ。アルヴァがそう締めると、カレンはおずおずと首を縦に振った。
それに頷き返し、アルヴァは地竜に「出発してくれて大丈夫」と声をかける。地竜も話を聞いていて、自分が竜が苦手な人間を乗せている、と言うのがわかったらしい。彼女はゆっくりゆっくり走り出してくれた。
カレンの手が、きつくアルヴァの手を握る。逆のケネスの手もそうやって握っているのだろう。ケネスがほんの一瞬眉に力を入れたのを、アルヴァは見逃さなかった。
地竜が駆けだして数分後。頬にすっかり色を戻して流れる美しい景色に目を奪われるカレンに、アルヴァはホッと微笑んだ。しばらく彼女の様子を見つめていたアルヴァだったが、ふっと顔をあげて進行方向に目を向ける。
彼女の黄色味の強い琥珀には、駆ける地竜の頭の向こう、色を濃くし始めた赤茶と、大きな岩山――『地神竜さまの寝床』が映っていた。




