砂漠に咲いた黄薔薇を手折れ⑥
「――申し訳ない。彼は、私を待ってくれていたんです」
アルヴァの言葉が小さく空気を揺らす。
ともすれば、それは誤解を深める言葉だ。事実、びく、とメグの頬に力が入る。アルヴァは逸れそうになる彼女の瞳を逃さず捕らえた。じっと見つめながら、メグの心をなだめるように、そのすべらかな頬を右手の親指で、スリ、と撫でる。そうしながらアルヴァが次に語ったのは、女王陛下から拝命した『祠巡り』について。
メグの瞳をまっすぐ見つめながら、アルヴァは静かに言葉を紡ぐ。彼女が全てを説明しきったころには、メグの目から不安と――その奥底に澱として溜まっていた嫉妬の花が消えていた。
「彼は、優しい人だ。私たちがいつ来ても『地神竜さまの寝床』に案内できるようにと、そのためにエレミアの都の入り口から砂漠を眺めていたのでしょう」
アルヴァは「そうだろう?」と、どうやら二人の周りをうろうろしているらしいラフに声をかけるが、目はメグから離さない。
「何年間も彼と文通をしてきた私が保証しましょう。ラフは、婚約者がありながら他所の女性に気を取られるような男ではありません」
どうか信じて。そう呟いたアルヴァの声に、メグがポッと淡く頬を染める。
と、その時だった。
「だめですよアルヴァさん! あ、貴女がそんな顔でメグに迫ったら――」
ぐす、と鼻をすする音に、アルヴァはメグから目をそらして自分の横を見た。金の瞳を瞬かせる彼女の前、そこにいたラフは、今にも泣きそうになっていた。オニキスの瞳に涙の膜を張りながら、ラフはアルヴァとメグの間に体を滑り込ませた。自然、アルヴァの手がメグの頬から離れる。
「――メグが貴女を好きになっちゃいます! そんなの駄目です、だって、貴女が相手じゃ勝ち目がなくなるじゃないですかっ!」
僕だってメグが好きなのに!
涙目で叫ぶラフの向こう、メグが目をこぼれんばかりに大きくしている。そのあと、彼女の顔が赤くなった。その様子に、アルヴァは柔らかく微笑んだ。
後ろのメグがどんな顔をしているのかなど、つゆ知らずなラフが、ゆるゆると顔を横に振る。
「も、もしそんなことになったら……!」
ラフは私が女だってちゃんとわかってるはずなのに。そう思いながら、アルヴァは綺麗な顔に苦笑を浮かべる。なぜなら、彼女の目の前のラフは、アルヴァとメグが婚礼を挙げるのを想像しているらしかったからだ。ぐっと目を閉じ、眉間には深い深い皺が寄っている。さながら、苦い薬を濃すぎるコーヒーで飲み下すような顔だった。
「もしそんなことになったら、僕、ぼく……たとえアルヴァさんが相手でも……笑って祝福なんて、できないです……!」
ついには目元を擦り始めたラフの肩を、アルヴァは優しく擦った。
「ラフ、ラフ。落ち着いて、それから、後ろを見てみろ」
犬のような従順さでラフは言われるがまま振り返って、そして、ぴしっと動きを止めた。見つめあったまま動かず口も開かないラフとメグの向こうで、風馬たちが呆れたように嘶いて首を振る。その横にいる馭者の困ったような顔を見て、アルヴァは、また何が襲ってくるともわからないものな、と思いながら、彼の気持ちを代弁するように口を開いた。
「二人とも、城に帰ってゆっくり話し合った方がいい」
アルヴァの言葉に、ラフが彼女の方を見た。アルヴァは、彼の子犬が縋るような目に苦笑して、それから優しく笑った。
「特にラフ。今のように素の自分でいたほうが絶対に良い。どんなにうまく取り繕っていたって、違和感は消せないものだ」
小さな不安は違和感を糧に大きくなっていくんだよ、とそう言ったアルヴァの横から、ルカがひょこりと顔を出した。彼の濃い琥珀が映すのは、未だ赤いままのご令嬢、メグだ。
「あの、一つ誤解を解いておきますが……都の入り口であなたが見た――女性」
女性、と言う言葉を吐くときに、ルカはたいそう眉を寄せていた。それをつい笑ってしまったアルヴァのわき腹にルカの拳が当たる。すう、と深呼吸をしたルカが、アルヴァのわき腹に捻じ込む拳はそのままに、小さく口を開いた。
「あれ僕です」
「は、はい?」
「だから、あれ僕です。王室魔導士に見つかると厄介なので、女装をしてたんです。だから、本当に、ラフさんは他の女性に色目を使ったりして無いですから」
それだけはわかっておいてください、と早口で一息で言い切ったルカは、すっと顔をひっこめた。
「そう、だった……のですね」
メグが驚きに見開いた目をぱちぱち瞬いて、それからクスリと笑いを漏らす。
「勝手に勘違いして、勝手に怒って……わたくし、とんでもなく愚かでした」
それから真剣な表情を顔に乗せたメグは深く頭を下げて言葉を続けた。
「挙句、意図などしていないとはいえ、王室魔導士を……巨大な機械兵を連れてきてしまって……もうしわけありません」
「気にしないでください」
静かに笑って首を振るアルヴァに、顔をあげたメグが再び頬を染める。そして、彼女の視線を遮るようにラフが大慌てで割り込む、と少し前をなぞるような行動をしていた時のこと。
ぐぐっと地面が持ち上がるように揺れる。
まさかまだ伏兵が、と腰の物に手をかけるアルヴァの耳がとらえたのは、持ち上がって滝のように流れ落ちる砂に混ざった、のん気な声だった。
「なぁんだ、もう終わってんじゃん。あーしが来なくても大丈夫だったじゃんね」
声の主は、どうやら砂のベールのその向こうにいるらしい。
日の光が映し出すシルエットは、とても――とてもとても、大きなものだった。




