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  手紙と翼竜⑤

 飛び立った二つの影を見上げ、ルカは気合を入れるように短く息を吐く。

 踵を返し、村の入り口の方へ向かって駆け出そうとした彼を、カレンの震える声が引き止める。


「ま、待ってくださ……置いてかないで!」


 ほとんど悲鳴のような声に、そういえば、とカレンがいた事を思い出す。姉たちとの会話で、すっかり彼女がいることを忘れてしまったのだ。ルカは、手早くカレンを引き起こすとスッと公衆浴場の方向を指差した。

 ガタガタ震えているカレンの目がルカの指を追う。


「あそこで隠れてれば安全です」


 それだけ伝えてルカは走り出したが、着いてくる足音に眉を寄せながら足を止めた。


「何で着いてくるんですか」

「な、な、何が起きているのかわからないのに、勝手のわからない所に置いて行かれたら、困りますっ!」


 眉を寄せるルカの正面に立ったカレンは、一息入れてから、思い出したようにこう付け加えた。


「そ、それにっ! 私はまだ学生の身ですが騎士を目指して鍛えてるんです、何かあったなら少しは役に立てます!」


 胡乱げにカレンを見たルカだったが、遠く響いた鋭い吠え声に、急かされるように前を向き、走り出した。ちらりと振り返ると、カレンはよたよたと頼りない様子でルカを追ってきている。舌打ちをしたくなるのを我慢して、ルカが目指すのは村の井戸。慣れた道を駆けていく。

 やがて井戸に着いたルカは、体当りするように井戸にしがみつき、共用の桶を蹴って水口の下に置いた。急いでハンドルを数度押すと、水は勢い良く桶に飛び込み始める。必死でハンドルを押すルカの様子に、カレンが息を整えながら尋ねる。


「『フォンテーヌ』って、何ですか……というより何で水を汲んで」

「万一火事が起きた時のため、ですよ」


 そんな桶一杯の水じゃ意味がないでしょう! というカレンの声は無視。

 ルカは彼女に目もくれず、ズボンが汚れるのも厭わずに膝をついて水の溜まった桶を覗き込んだ。そして、そっと水に手を差し入れ、両手で静かに水をすくい上げた。

 そのまま口づけるように顔を寄せ、ルカは、手から滴る一滴が水面で跳ねるよりも小さな声で囁く。


「フォンテーヌ」


 ゆっくりと手からこぼれる水が、夜なのに輝いているようだった。

 ルカの声に呼応するように、水面が輝き始める。

 鏡面のようにルカを、その後ろから覗き込むカレンを映していた水面(みなも)は、ゆらゆらと揺れると、その()()()()に美しい木立を映し出した。

 カレンが息を呑む。それすら気にすることなく、ルカは慣れた様子で水面に手を添えた。


「フォンテーヌ、力を貸してほしいんだ。お願いできる?」


 ルカの優しい声に、静かに水面が揺れる。と、同時に向こう側に、女性が映りこんだ。


 毛先にウェーブのかったボブスタイルの青い髪。

 人間であれば耳のある位置から生えているのは、魚の物に似たヒレ。

 垂れた目元は麗しく、澄んだ泉のような青眼と濃紺の瞳孔は柔らかい眼差しでルカを見つめている。

 ――美しい女性だった。

 女性はルカと手を合わせるようにして向こう側から水面に触れると、にっこりと微笑んだ。


『任せて頂戴な』


 清らかな湧き水のごとく柔らかい声が水面から響いたかと思えば、あたりは青い光に包まれ始めた。


 桶の中の水が浮き上がって、球を作り上げる。ルカは、その球の下に手を添えながらゆっくりと立ち上がった。桶が、カランと渇いた音を立てる。

 

 まるで、淡く輝く星を抱いているように見えるルカは、静かな表情で水の球を見つめている。

 下を向くまつげが青い光を受けてキラキラと輝いている。

 まるで何か神聖な儀式を執り行う神官のような厳格さと、今にも光と共に消えてしまいそうな儚さ。その二つを、今この瞬間、ルカは同時にはらんでいるように見える。

 カレンは息を忘れてその光景に見入っているようだった。

 光の収束と共に、水の球が形を変え始める。先ほどの竜が火の中で人に姿を変えたように。

 水を遊ばせるようにしながら身にまとって、その小さな人影は、淡く輝きながら姿を現した。

 

 毛先にウェーブのかったボブスタイルの青い髪。

 人なら耳のある場所には魚に似たヒレ。水面からのぞき込んだ時には見えなかったが、腰の位置にもヒレが生えていた。 

 身にまとうのはシルクのような輝きの青いマーメイドドレスで、膝のあたりから下に向かって、緑に色を変えながらふんわりと広がっていた。

 ――等身が低くなっても、その女性は美しかった。 

 柔らかく垂れた、今は閉じられている瞳は、きっと澄んだ泉のような青眼と濃紺の瞳孔。

 ふるり、とまつげが震え、その人影――水の精霊(ウンディーネ)のフォンテーヌは目を開けるとルカの鼻にキスをして、にっこり微笑んだ。


 その後、彼女はルカの手の上からふわりと浮いて、指をくるりと回した。井戸からこぽりと小さく音がする。そして、ルカの頭ほどの水の球が浮かんできて、ふよふよとフォンテーヌのそばに漂い始めた。彼女はクッションにそうするように水の球の上にうつぶせて、心配そうな顔をして小首を傾げた。


「それで、切羽詰まってるんでしょう? 何が起きたのかしら?」


 表情の割にはのんびりした口調でフォンテーヌに尋ねられ、ルカは現状を要約して伝える。フォンテーヌは納得したように頷いた。


「それであたしなのねぇ」

「そう。頼めるかな」


 カレンに対して猫を被っていた時よりも柔らかい声でルカが言う。呼吸すら忘れて一人呆けていたカレンが、ひゅっと息を吸い込んで、そしてむせた。 


「な、なん、げほっ何が起きたん、ですかっ。これと火事となんの関係が……」


 ルカがカレンに目を向けた。フォンテーヌもそれを追うように瞳を動かし、あら、という顔をした。


「ルカの彼女かしら」

「違います!」


 間髪を容れずに否定されたことを気にもせず、ルカはカレンに尋ねた。


「あなた、精霊魔術のことあまり知りませんね?」


 ぎくん、と表情を硬くしたカレンが目を逸らす。


「騎士養成科でも座学でさわり程度は学ぶはずなんですけどね」

「まっ……まだ、習ってないだけです!」


 どうだかな、と思いながら、ルカは駆けだした。

 ルカの顔の横を、水の球をクッションにしたまま飛びながらついてくるフォンテーヌが、くすりと笑った。


「珍しいわぁ。ルカが他人に冷たいなんて」

「――僕も不思議なんだけど、手加減がうまく利かないんだよね……」


 普段より数段柔らかい口調――ルカは精霊にだけは年齢に見合った言葉を遣うよう心掛けている――で、そう言いながら、彼は首を傾げる。


「ちょっと! 置いてかないでって言ってるじゃないですかぁ!」


 カレンの泣きそうな声にほんの少し走る速度を緩めてやりながら、ルカは大声で先ほどの質問に関して答えてやった。

 

 ――何が起きたか。


「フォンテーヌを、常若の国(ティル・ナ・ノーグ)から現世こちら召喚んだんです」


 ――火事となんの関係が。


「僕は精霊魔術師ですよ。精霊魔術を使()()()()()()()()召喚んだに決まってるでしょう」


 精霊魔術とは何か。

 アングレニス王国の西、魔法大国であるヘクセルヴァルト公国では自身の魔力を変換して火や水などを操るが、アングレニス王国の精霊魔術はそう言った魔法とは全く違うものだ。

 古くは神話、竜の聖女アングレカムの生きた時代から用いられている魔術で、これは精霊や妖精の力を借りて行う。

 異界に住む精霊たち、あるいは現世に住む妖精たちに呼びかけ、周囲に漂う様々な属性の魔力(エーテル)を用いて自然を操る力を貸していただくのが精霊魔術の基本で、高位の術者は精霊を現世に顕現させることもできるという。


 基本属性とされるのは火、水、風、土の四大属性だが、それはあくまでも人間でも扱いやすい属性であり、人間に友好的な精霊や妖精がその四種を司っているというだけで、あらゆる現象にはそれを司る精霊と妖精が存在する。

 魔法は主に術者の素質やセンスが必要となるが、アングレニス王国精霊魔術において最も重要なのは自然を、精霊を敬う心。

 その心さえあれば、誰でもその恩恵にあずかることができるのだ。

 

「つ、使ってもらう? えっ? 魔法って自分の力を行使するものじゃ……」

「ああもう、後はご自分で勉強してください!」


 面倒になったルカは、緩めていたスピードを上げて、村の広場方面に向かって全力でかけ始めた。


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