19. 砂漠に咲いた黄薔薇を手折れ①
まずいな、とアルヴァは何より先にそう思った。
目の前の二人を注視する。
ショッキングピンクの髪の女は、失意に満ちた顔でふらつくメグの、その横に立っている。やろうと思えば、簡単にメグの細い首に凶器を突き付けられる位置だ。
相手を冷静に観察しながら、アルヴァは弟を庇うようにじりっと体を動かす。人に対して刃物をかざすことに慣れていないルカを矢面に立たせておくわけにはいかない。と、そんな彼女の前で女が口を開いた。
「ね? 私の言った通り、追いかけてよかったでしょ?」
するり、と女の腕がメグの肩を抱く。剣を握ったアルヴァの右手に力が入る。女の灰褐色の目がアルヴァに向いて、くっと細くなった。
「あんたの想像通りだったじゃない。ほら、そこの旦那候補。女を侍らせてる」
メグの肩に添えられていた女の手が、するすると上っていく。
「ああ、なんて……ひど、い……」
しゃくりあげるメグは、首筋に添えられた手にも気づかない。今にも崩れ落ちそうな表情で、アルヴァの後ろを見つめている。
「カフェで隣合っただけの私に相談するほど追い詰められちゃうなんて。ホント、可哀想よね。可哀想な、お嬢様」
ピンク髪の女は微塵もそう思っていないだろう愉しそうな声で囁きながら、アルヴァを見ている。動けないアルヴァの前で、女は長い指でするりとメグの細首を撫でる。それから、昏い光を宿して瞳がちらりと動いた。
その目が見たのはアルヴァの右手。女がアルヴァの右手に目を落としたのは一瞬だった。彼女はアルヴァの顔に視線を戻し、笑みを浮かべている。
攻撃の意を見せたら、どうなるかわかってるわよね?
言外にそう伝えているのがわかる目だった。アルヴァは口の中の苦味を飲み下して喉をコクリと動かした。
「マリッジブルー真っただ中の可哀想なお姫様。愛する王子さまはあんたを放って朝早くに出て行っちゃってさ、ふふ、本当にかぁわいそうだわぁ」
剣呑さを孕んだその瞳とは対象的なのはアニエスの声。声だけは、女を煮込んで鍋底にこびりついた媚に、砂糖を振りかけたように甘い。
「メグ、これには訳が――」
さり、と砂を踏む音とともに聞こえてきたのはラフの固い声。メグがぎゅっと目を閉じて首を振る。
「ああ、アニエスさん――私、もうここに居たくありません」
ショッキングピンクの髪の女――アニエスは、ツインテールを揺らして首を傾ける。その口元には、嫌らしい笑みが浮かんでいる。メグの首にかけられている彼女の指がピクリと動いたのをアルヴァは見逃さなかった。
――どうする。
飛びかかるには遠い。
――剣を投げるか。
いや駄目だ、あれだけ密着されていてはメグさんに当たってしまう。
相手の気を逸らすには――。そんな風にアルヴァが必死に考えている前で、アニエスの顔に浮かぶのは歪な笑顔。
「あらそう、それは残念――」
刹那、アニエスの腕がメグの首にまわった。
「――可哀想なお嬢様、ごぉめんなさいねぇ? 帰せないわ、あんたまだまだ使えるのよ」
アニエスの粘っこくて甘い声に、メグのくぐもった呻きが交じる。アルヴァの後ろ、ラフの喉を裂かんばかりの声が彼の愛しい婚約者を呼ぶ。
「貴っ様、メグを離せっ!」
ラフの怒りに満ちた声をかき消すように、金属の嫌な音が砂漠に響いた。
金属の擦れる音とともに砂が舞い上がる。どうして砂が舞ったのか理由はわからないが、アルヴァは好都合だと思った。柔らかい地面を強く蹴る。これに乗じてメグを救えれば、と駆け出したのはアルヴァだけではなかったようだ。ケネスのいる方から、感覚短く砂を踏む音が聞こえる。
ケネスの性格から言って、彼はアニエスに向かっていくはず。そう考えて、アルヴァはそちらを確認せずにアニエスの動きだけをつぶさに監視する。彼女は二の腕と前腕でメグの細首を締めながらアルヴァを――アルヴァだけを見ていた。
駆け寄るケネスなど眼中にない様子だ。アルヴァは嫌な予感がして、ケネスがいるであろう方向へ視線を向けた。
丁度、その時だった。
――ケネスが大きな鉄の腕に殴り飛ばされたのは。
ケネスは間一髪で、鉄の腕と自分の体の間に剣を捻じ込んで防御していたらしい。響いた音は、柔らかい肉を叩く音でも骨を砕く音でもなく、金属が金属を受け止める音だった。砂を転がる音に、ぶぉん、と言う不思議な音が重なって遠ざかっていく。
アルヴァはケネスを追いかけたい気持ちを抑え、アニエスに目を戻す。そして、ぴたりと動きを止めた。
――いや、止める以外の選択をとれなかった。
原因はアニエスが左手に持つ鈍く黒光りする小さな何か。
猟銃を短く小さくしたような形のソレの引き金に、指がかかっているのだ。しかもそれは、メグのこめかみにゴリっと擦りつけられていた。
後ろで弟が動いた気配に、アルヴァは手を出して牽制する。ルカはぴたっと動きを止めてくれた。
恐らく、エクリクシスに頼んでアニエスの裏をとるつもりだったのだろう。賢いルカのことだから、その先まで見据えて、できると確信したから動いたのだ。
しかし、相手が悪い。
対峙しているのが、アニエスでなければ、ルカならなんとかできるかもしれなかった。
この女、かなりの手練だ。アルヴァは静かに身構える。
ルカには感じ取れなくてアルヴァに感じ取れる理由は簡単。
戦闘経験の有無だ。
模擬戦でも実践でもいい。相手を正面に置き、目を見て、動きを見て、どこにどう力を入れているかを見る。そうすると何となく相手の力量が読めてくる。
たとえ、楽しそうに笑っていたとしても、その目の奥を覗けば見つけることができる。こちらに向けられる鋭い切っ先を。
「イイ子ねぇ、動いたらどうなるかわかってるなんて。そうよ、引き金引いたら、このご令嬢の憎ったらしいほど整った顔が吹っ飛ぶの。この砂埃の中、私の手元がよく見えたわね。あんた、随分目がいいみたいじゃない」
もしかして、と言いながらアニエスは笑っている。
「ヨセフが言ってたの、あんたのこと? 兜も被ってるし――」
アニエスは、ふぅん、と鼻を鳴らしてアルヴァの頭から足の先までねっとりと見つめて、舌なめずりをした。
「なかなかいい体してるじゃない。あんた、持ち帰ろうかしら」
そう言ったアニエスの頬がにたりと裂ける。
「ここにいるであろう、竜騎士と一緒に。まさかさっき吹っ飛んだのが、そうだなんて言わないでよね?」
そんなアホを追いかけてひぃひぃ言ってると思うと、泣きたくなるから。
語尾にハートでもつきそうなほど甘い声でそう囁いてから、アニエスは楽しそうに大きく口を開いた。
「私って本当に冴えてるわ。ヨセフのバカも、堅物ジョルジュも出し抜いた!」
くすくす笑う彼女には隙が一つもない。手を出しあぐねるアルヴァを煽るようにアニエスは銃口をメグの頭に擦り付けている。
「あの竜騎士、アルヴァって言ったかしら」
唐突に呼ばれた名に、アルヴァの肩が思わず動く。
「交友関係を追ってみたら、なんとびっくり、エレミア領主ご子息と頻繁に手紙をやり取りしてるじゃない。それに、弟……ルカって言ったかしらね」
つらつらと言葉を連ねるのは余裕の証だろうか。アニエスの口は止まらない。
「イグナール城での目撃情報があったのよ。その弟含んだ五人組が、エレミア領主子息――そこの坊っちゃんと接触したって!」
だったら、そこを狙ってみるのもいいじゃない?
アニエスの高揚した声とともに、上から風が吹く。濃い黄色の砂埃が吹き飛んで視界が開ける。
アルヴァは息を呑んだ。
アニエスの後ろ、ゆっくりと着地したのは、右手に藻掻くケネスを掴んだ、大きく無骨なデザインの――人間とはかけ離れた姿の、機械兵だった。




