マリッジブルー・イン・エレミア後編⑥
馬車が離れたところで止まった気配を後ろに感じる。走る馬車からバランスをとって着地した騎士見習い二人の後ろ、少し砂に足を取られながら、しかしルカも転ぶことはなかった。すらり、と剣を抜き放った二人に倣うように、ルカは固く巻いた包帯の下で火竜牙のナイフをぐっと握り締めて前方を睨んだ。
火神竜の祠で結界を一段階組んだ後、シレクス村から旅立った早朝の森でルカたちを襲撃してきた機械兵。それと全く同じ顔が五つ、ルカたちの前方に並んでいる。
「――アレが五つかよ」
森での戦闘を思い出したらしいケネスの横顔に苦い笑みが浮かぶ。
「なんとかなるさ」
兜をかぶった姉は、機械兵たちの方へと顔を向け、気楽な言葉を口にする。彼女がそういう言葉を口にするのは本当に何とかなる場合のみだということを、ルカもケネスもエクリクシスもよく知っている。
「ぃよし! じゃあ景気付けだ!」
そう言ったのは、ルカの肩の上に立つエクリクシス。彼はパンと手叩きアルヴァとケネスに手を伸ばした。にっと笑う彼の両手に浮かんだ炎が、彼らの剣に纏わりついて浸み込んでいった。
「フォンテーヌほどじゃないけどな、魔力による硬度増加と――あとは、聞くところによりゃアレは鉄でできてるそうじゃないか」
二人の剣が淡く赤に輝いている。ルカの肩の上、エクリクシスは目を細くして笑う。
「鉄って言えば、俺は真っ赤に蕩けているのを見ることが多いからな。お前たち二人には、俺の熱を少ーしだけな、貸してやった」
上手に使えよ、と言う彼の言葉を合図にしたように、風の結界が一気に収縮を始めた。迫る風の渦が目の前の機械兵たちを飲み込んで嫌な音を響かせる。機械兵を飲み込んでボロボロにした風の壁がルカたちにも迫る。肌を剥がされ膝をつく機械兵たちに、アルヴァとケネスは少しだけ身を固くしたがルカの心は平静だった。力を抜いて前を睨むルカの目前で、彼の予想通り、風はすがすがしい薫風へと姿を変えて通り過ぎ、馬車の周囲で再び牙を剥く猛風へと戻って砂を巻き上げた。
「……すごい使い手だな、フィオナ」
アルヴァの声にルカは頷きながら言葉を返す。
「僕もそう思います」
やはり彼女から学べることは多そうだ、と考えながらルカはぎしぎしと軋みながら立ち上がる機械兵を注視する。
一瞬の静止の後、彼らはルカたちにとびかかってきた。
「姉上は右を、ケネスは左を!」
ルカが指示を飛ばすと、二人はその通りに動いてくれた。金属と金属がぶつかり合う音が砂漠に響く。残った三体の機械兵が迫りくるのを睨んで、ルカは獰猛な笑みを浮かべる。
中三つは僕とエクリクシスで沈める……!
ルカの肩からふわりと空に浮かび上がり、エクリクシスは陶然とした笑みを浮かべて静かに口を開く。
「何もわかってないなー。あのエルフっこよりも――俺たちのルカの方が何倍も使うよ」
その囁きに気づくことなく、ルカはナイフを振り上げる。包帯の下から赤い光が漏れ出している。
「エクリクシス!」
あいよ! と言う威勢のいい声とともに、ルカに魔力が流れ込んで来た。
体の芯から燃えているように熱い。ルカはその熱を丁寧に火竜牙のナイフに纏わせる。すぐに燃え上がった刀身はさながら炎の鞭のようだった。彼は迫りくる機械兵をその鞭で薙ぎ払った。
機械兵は避けるそぶりも見せずに突っ込んでくる。
普通の炎が相手なら、それでよかったかもしれない。ルカはニィっと笑みを深くする。
魔力で出来た炎と機械兵が衝突した、その瞬間。
機械兵たちは後方に吹き飛んで行った。
けたりとエクリクシスが機嫌よく笑う。
「ああ、ルカに使われることの楽しいこと楽しいこと」
ひとしきり笑って、彼はにんまり形を変えている赤の瞳で、吹き飛ぶ機械兵たちを見送ってゆったり尻尾を振った。
「――残念だったなぁ、お前たち。精霊魔術の炎を、普通の炎と一緒にしちゃあ駄目だぞー」
そのとおり。精霊魔術の炎は熱も、形も、硬さでさえも、自由自在。
ルカは吹き飛ぶ機械兵の一体を炎の鞭で絡めとり、空中に固定する。
耳障りなノイズを発しながら、剥き出しのガラスの目がルカを見ている。ルカはかざすように左手を差し出してその姿に狙いを定めた。
差し出した左手の前。ぼっ、ぼっ、といくつも火が灯り、やがて交じり合って巨大な炎球となったそれを、ルカは機械兵へと向けて放つ。炎に喰いつかれた機械兵は、叫びすらあげずにその身を溶かし、物ひとつ言わぬ鉄塊へと姿を変えて、赤を灯らせながら砂漠へと滴った。
「残り、二体……!」
ルカは砂漠を蹴る。遥か後方へと弾き飛ばした機械兵のうち一体が彼を目掛けて飛んでくる。
足元に炎が灯っているのを逆手にとろう。ルカはそう思いながら機械兵の足元に手をかざした。勢いよく噴き出す炎が大きくぶれる。コントロールを失った機械兵は砂に突っ込んだ。
ルカは駆け寄って、その首元目掛け火竜牙のナイフを振り下ろそうとした。しかし、その前に機械兵が跳ね起きる。ぎし、と軋みを響かせながら着地した機械兵は、そのまま砂を蹴ってルカに突進してきた。
間一髪でそれを避けたルカの頬から汗が飛ぶ。転びそうになったルカの背を、エクリクシスが支えて立たせてくれる。ルカはそれに礼を言って、何とか体勢を整えると、迫りくる機械兵にナイフを突き出した。
火竜の牙で出来たナイフと、鉄。どちらが勝つかと言えば――。
「どうした、鉄塊くん?」
エクリクシスが甘く囁く。
ルカは左手で右手を支えて体重をかける。
ずぶずぶ、ぶしゅう、と鉄の溶ける音と、オイルが漏れ出て火が付く音が聞こえる。
その火すらも、今やルカの支配下だった。
火の精霊は睦言を囁くように、言葉を続けた。
「ルカのが熱くて、身が蕩けちゃったかい?」
くつくつ笑うエクリクシスの目は、ルカのナイフが深々と機械兵に刺さるのを楽しそうに見つめていた。




