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  マリッジブルー・イン・エレミア後編⑤

 もうまっすぐ走っていただいて大丈夫ですよ、とフィオナが馭者台の方へと柔らかい声をかける。馬車の周囲をぐるりと囲む砂を孕んだ猛風に、あっけにとられていたらしい馭者がワンテンポ遅れて返事をした。

 乾いた音が何度か響くが、その全てを風の壁が弾いている。銃弾が馬車に届くことはなかった。

 すごいことだ、とルカは窓の外の風の結界と涼しい顔のフィオナを見比べる。

 これだけの規模の結界、精霊魔術師が組もうとすれば何人も必要になる。それを、あの一瞬で、たった一人で組み上げたのが上位精霊だ。維持するのにだって膨大な魔力を繊細に動かす必要がある。上位精霊から魔力を受け取り、苦も無くそれを行っているのがフィオナだ。

 これを精霊魔術師(ルカ)仮契約の精霊(リュヒュトヒェン)が行おうとすればどうなるか。

 ルカは廃人になり、リュヒュトヒェンは暴走して何もかもを破壊するだろう。

 これが本契約と仮契約の差か。ルカは次元の違いにため息を吐く。しかし、じゃあ本契約をしたいのか、と言うとルカにそのつもりはなかった。自分がエルフ(長命)だったらまだしも、人間の短い生に長くを生きる精霊を縛りたくはない。


「す……ごいですね!」

 ラフの輝く声に、ルカは顔をあげた。彼は窓の外とフィオナとを交互に見ながら破顔している。

「私がすごいのではありません。ティミアン様が組んでくださった結界を、私はただ維持しているだけなのです」

「でも、すごいです! あんなに砂が舞って……! ほら、追いかけてきている人も――」

 無邪気な表情でアルヴァの上にかぶさるようにしながら窓に身を乗り出したラフの、高そうなシャツをケネスが力一杯引っ張った。ぐえ、と気品も何もない声で呻いたラフが流石に可哀想だったので、おいおい、と言う表情をケネスに向けたルカの目には、馭者台を振り返って大きく口を開くケネスが映った。


「スピード上げろ!」


 馬車に追いつきそうなのか!

 短いケネスの声にルカは弾かれた様に窓に手をかけ身を乗り出そうとして、姉に制止された。

「顔を出すな!」

 アルヴァはルカを押し戻しながら窓を閉める。その音に逆側の窓をケネスが閉める音が重なった。この状況で僕のやるべきことは、とルカはフォンテーヌを見る。手の甲のアクアマリンが淡く輝き始めた。

「そうよねぇ、あたしたちだっていいとこ見せないと! 乾燥が何よぅ、頑張っちゃうわよー!」

 うふふ、とフォンテーヌが水球に乗って浮かび上がる。けほけほ咳き込みながら喉を擦っていたラフの目が再び輝き始めた。

 馬車の中心に浮かんだフォンテーヌが両手を窓に向けて翳す。小さく手をあげたルカが、その手をぐっと握ると同時に、窓を水が覆った。ふおお、とカレンとラフが声をあげる。車輪が砂をかき分ける音と、馬車全体を覆う水の膜の流水音が混ざり合う。状況さえ無視すれば、なんとも耳に優しい音だった。

「これなら、追いつかれたとしてもそう簡単に馬車を壊せないわよぉ」

 ふっふっふ、と言うフォンテーヌの笑い声に、金属の泣き叫ぶ音が重なった。フィオナがピクンと眉を寄せる。

「結界を無理やり抜けようとしています」

 一端の精霊魔術師ならざっと見ただけでもわかる、この結界は攻性結界だ。詳しい性能はもっと近寄らなければ解析できないが、風の攻性結界ですぐに思いつくのは踏み入った者を細切れにする風の刃。魔力が正しく流れれば流れるだけ鋭さを増す風刃があの風の壁の中に押し込められているはずだ、とルカは眉を寄せる。

 その結界を無理やり抜けることができるとすれば――。

「メキメキいう音が響いているということは……機械兵か、追ってきているのは」

 そうだろう。生身だったら今頃ミンチだ。ルカは姉を見る。

 窓の外、馬車の後方を見るように顔を向けているアルヴァの呟きに、だろうな、とケネスが返した直後のことだ。

 馬車の中がにわかに暗くなる。理由は明白だ。

「追いついてきたか……!」

 アルヴァが唸る。

 窓を遮っているのは皮膚がはがれてその下の鉄骨を剥き出しにして飛んでいる、機械兵だった。馭者の悲鳴に前を確認すれば、そこにも足から火を噴きだすボロボロの機械兵の姿があった。ルカは舌打ちをして右手を伸ばす。フォンテーヌが、にぃ、と笑う。

 刹那、空中から湧きだした水が機械兵を跳ね飛ばした。


 滝つぼに立っていると錯覚するような水音に、馭者が息を飲んで身を竦める。それでも馬車を牽く風馬が落ち着きなく首を振るのを何とか落ち着かせるのは、この馬車に、他でもない、ラフが乗っているからだろう。恐ろしい思いをしているだろうに馭者はまっすぐ前を見て風馬を操作している。ルカはフォンテーヌから流れてくる魔力で、簡易な結界を彼の周りに張りながら、姉を見た。

 がくん、と馬車が揺れる。銃声が響き、窓に小さなひびが入る。魔力のこもった水の膜で守られていなければ、今頃窓は砕け散っていただろう。

「どうします」

 ルカの早口にアルヴァが腰の物に手をかけた。先ほど車体に体当たりした機械兵が、再び距離をとっている。

「このままだと、全員無事じゃすまない」

 彼女はまずフィオナに顔を向けた。

「フィオナ、君はこの馬車と、ラフとカレンを守ってくれ」

「はい!」

 フィオナの返事に一拍遅れてカレンが声をあげる。

「わ、わたしだって戦えます!」

 ルカはカレンの両頬を掴んで自分に向かせた。カレンの青が大きくなる。ルカは寄せていた眉の皺を何とか消して、じっとカレンを見ながら口を開いた。

「君は、万が一のためにフィオナさんと居てください。何かあったら、君が、フィオナさんを守るんです」

 いいですね、と噛んで含めるように言ってから、ルカは横目で姉を見た。視線で、続けて、と伝えると、彼女は次にラフへと顔の向きを移した。

「君は、この馬車で待っていてくれ」

「僕では足手まといですもんね、わかりました!」

 物わかりのいい領主息子は胸の前で両手を握り、力強く頷いて「大人しく守られます!」と宣言している。最後に、姉の顔がルカへ向く。彼女が何か言う前に、ルカはカレンの頬から手を離し、フォンテーヌを見た。

「オッケー、任せてちょうだい」

 言葉を介さず彼女に伝えたのは『君もカレンたちを守ってください』と言う指示だ。フォンテーヌはにっこり微笑んで、ルカへと流れる魔力を調整してくれた。

 おかげで、ルカの中にもう一人分の枠ができる。

 ルカはリングブレスレットの台座からアクアマリンを外して、ぼんやりルカを見ているカレンの手に握らせる。びくり、と肩を震わせた彼女にルカは口の端をあげた。

「何かあったら、アクアマリンを強く握って、フォンテーヌに願ってください。そうすれば――」

 ルカの言葉をフォンテーヌが継ぐ。

「願い事、叶えてあげるわよ」

 よろしく、一時だけのご主人サマ、とフォンテーヌがカレンの頬に口づけた。  


 何か言いたげな姉の視線を無視して、ルカは本型の小物入れから真っ赤に輝く宝石を取り出した。燃える火の時間を止めて、その赤を削りだしたように輝く宝石の名はルビー。

 そっと台座にはめて、ルカはショルダーバッグの底から火竜牙のナイフと包帯を取り出した。ナイフを握り、右手とナイフを固定するように包帯をぐるぐる巻きつける。包帯の白に透けるルビーの赤が薄くなったところで、ルカは口と左手で器用に包帯を結んだ。

 ぐら、と車体が揺れる。

「イグニア」

 声をかけると、ルカの足の間に座っていた彼女は小さな炎を口の前に灯してルカを見上げた。火竜牙のナイフでそれをすくい上げると、ナイフの刀身は炎を帯びる。包帯を焦がしかねない近さで燃える炎の熱を感じながら、ルカは目を閉じる。

 呼吸を一つ置き、ナイフの炎に吹きかけるように呼ぶのは彼の名。


「エクリクシス、力を」

 貸して、と言う言葉は、燃え上がった炎に飲み込まれる。

 ナイフと、ルカの手までも覆う炎にラフとカレンが息を飲む。

 そこから炎を纏った塊が飛び出し、その塊が勢いよく回転して炎が飛び散った。

 二つ分の悲鳴が上がる。普通の反応だ。誰だって、炎が飛び散ってきたら悲鳴を上げるだろう。火事を心配する者だっているかもしれない。

 しかし、この炎は燃やすものは自分で決める。


「よぉし、俺に任せとけ!」

 炎から出てきたのは、自信に満ちた表情で瞳を輝かせる火精霊(サラマンダー)。彼は太い尻尾をゆらゆらさせながら、ふわりとルカの肩に下りて彼の頬に口づけた。

「ありがとう、エクリクシス」

 ルカは優しい声で礼を言い、包帯に包まれた右手を見た。魔力は順調に流されて変換されていて、ルビーの淡い輝きが包帯越しに漏れ出していた。彼は包帯の中でナイフを握り直し、ふん、と鼻から息を吐きだして兜をかぶったアルヴァを見つめた。

 彼女は諦めたように頷いてからケネスを見た。

「行けるか」

「ああ」

 短い確認のあと、アルヴァとケネスは同時にドアを開け放ち、走る馬車から外へと転がり出た。

 それに続くように馬車を蹴って跳んだルカの背にカレンの手が伸びるが、彼がそれに気づくことはなかった。


 難なく着地した三人を待ち構えていたのは、不気味なほどに似通った顔の五体の機械兵だった。


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