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  マリッジブルー・イン・エレミア後編④

 何か追ってきてる、と呟いたのはじっと外を眺めていたケネスだった。進行方向とは逆向きで座っているから、馬車の後方もよく見えるのだろう。彼は眉を寄せて目を凝らしている。


 ケネスの言葉にいち早く反応したのは、ラフを慰めていたアルヴァだった。彼と同じく逆向きで座っているから、窓を覗くだけで後ろが見える。姉がすっと眉を寄せたのを見て、ルカは窓を開き、身を乗り出して後方を確認した。

 確かに何か追ってきている。

 砂を巻き上げ迫る影が一瞬揺らいだと思ったら、乾いた音が響き渡りルカの顔のすぐ側を何かが飛んでいった。切れた髪が数本、風に揉まれて飛んでいく。

 撃たれた。

 ルカがそう認識する前に、アルヴァが馭者席への小窓を開けて声を荒げた。


「撃たれてる! 蛇行しながら走ってくれ!」


 わかりました、と焦った声が返ってきて、馬車が大きく揺れる。アルヴァが膝の上に置いていた兜をかぶるのと同時に、ルカは窓から顔を引っ込めた。それからショルダーバッグをあさりヘリオドールを取り出す。リングブレスレットの台座の宝石を交換しようとするルカの手を、彼の二つ隣、カレンの奥に腰掛けていたフィオナが身を乗り出して掴んで止めた。

「ここは私が」

 短いその言葉と薫風の匂いにルカは手を止め、大きく頷いた。

「――お願いします」

 フィオナは笑みながら頷きを返し、座席に腰を落ち着けると膝に置いていた肩掛け鞄から小さな木の枝を取り出した。

 およそ手のひらほどの長さの木の枝をそっと包みながら指を組んだフィオナは、顔の前に組んだ手を持ち上げ、祈るように目を閉じた。

 乾いた音がもう一度響き渡る。銃弾が車体を掠めたようだった。嫌な音が車内に響く。

 そんな中、フィオナが静かに息を吸い込み小さく口を開くのを、ルカは真剣な顔で見つめていた。


 まず彼女の口から聞こえたのは、ルカがリュヒュトヒェンを喚ぶのに口ずさんだ、風精霊を歌った童謡の一節。それを風が奏でるように美しい声で歌い上げたフィオナにラフとカレンが目を見張っている。アルヴァとケネスは、ルカと同様、真剣な雰囲気を纏って彼女を見ている。

 深呼吸一つ分の間を空けて、フィオナが再び口を開いた。

「――この歌が、あなた様に届きますよう。この声が、隔てる壁を越えますよう」

 歌うように彼女は続ける。

「どうか私の声を、聞き届けてくれますよう――」

 その美しい声とともに車内に満ちるのは、集まってきた風の魔力だ。それも、春と夏のあわいを吹く、薫風の香りを纏った麗しい魔力。ルカは、この状況を吹き飛ばすくらいの興奮にごくりと唾を飲んだ。

 そりゃ興奮もしますよ、なんたって――精霊と本契約を交わした精霊魔術師の魔力の振るい方を見られるんですから。

 ルカは上がりそうになる口角をなんとか抑えて、興奮に震える感嘆の息を吐き出す。


 ひゅお、と風が鳴いた。

『可愛い愛し子よ。生まれたての風のごとく柔らかいその声を、私が聞きもらしたことなどありましょうか?』

 何と麗しい声。何と慈愛に満ちた声。


 ああ、本契約を交している精霊魔術師がそもそも珍しいのに――。


 ルカは強い興奮に身を震わせ、輝く瞳でフィオナを見つめた。 

「お応えくださりありがとうございます」

 姿の見えない大きな存在にフィオナがゆっくり頭を下げる。

『何か急ぎの願いがあるのでしょう、愛し子よ。申しなさい、必ず叶えて見せましょう』

 すごいわね、とルカの膝に座っていたフォンテーヌが身を正す。ルカも同意見だった。

 常に薫風を纏っているから、風の精霊と本契約をしているだろうことはルカも想定していた。しかし、まさか相手が風の上位精霊だとは、流石のルカでも驚きと興奮を隠せない。これまで十三年生きてきて、上位精霊と本契約を交わす精霊魔術師など初めて見る。


 そんなルカの前でフィオナが目を開き、中空を柔らかく見つめながら、願いを口にした。

「この馬車に風の加護を――風の結界をいただきたいのです」

 途端、車内から薫る風が吹き出していった。ルカはそれを追って窓から身を乗り出して空を見上げる。乾いた音が響き、蛇行の揺れに放り出されそうになりながら、それでもルカは見逃すわけにはいかなかった。


『その願い、聞き入れました』


 集まった魔力が形を作る。

 上位精霊の顕現には魔力が足りなかったようだが、ルカには馬車の上に薄っすらとその姿が見えた。


 人より大きな体。

 柔らかくなびく髪。

 伏せられた目を装飾する長いまつげ。

 豊満な肉体を隠す、薫風を凝縮して編み上げたような翠緑のドレス。


 空の青を透かしてはいるが、その姿の何と美しいことか。


『我が主、愛しきフィオナの願いを叶えましょう』

 彼女は空を抱くように腕を開いた。猛る風がその(かいな)の中で暴れている。

『――私はティミアン。西風(ゼピュロス)様の子、薫風の主』

 すっと腕を動かして、薫風の主は馬車を囲むように猛風を巡らせた。砂煙が巻き上がるが、馬車の前方は澄んだ空気のままだった。

『私にタイムの名を与えた友よ、愛しいあなたよ。こちらの世界の薫風よ。願いがあれば、すぐに呼びなさい。あなたの声さえあれば、私は西風(ならい)とともに現れます』

 そう言って空に浮かぶ薫風の主は、見上げるルカに気がついたのか微笑むと、フッと姿が見えなくなった。直後、馬車へと薫風が舞い戻ってきたと思えば、フィオナに吸い込まれるようにして消えていった。


 フィオナが、ふう、と息を吐き、にっこり微笑んだ。

「これで飛び道具は心配せずとも大丈夫ですよ」

 涼しい顔の彼女に、ルカはふるりと手を震わせた。

 これだけの風の結界を維持するためには膨大な魔力を違えることなく操作しなければならない。それを苦もなく行う彼女に、これが本契約の力か、と心が震えて、ルカは膝の上で強く拳を握りしめた。

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