マリッジブルー・イン・エレミア後編②
ラフが運んできてくれた料理は頬がとろけるほどに美味しかった。サービスワゴン一杯に食事を持ってきたかと思えば、僕は食堂の方で食べてきますね、と足早に去ってしまったから、ルカが礼を言えたのは彼が食事を終えて部屋に戻ってきてからだった。ラフの両手を握って顔の前に引き寄せながら、肉料理が最高でした、と感想を伝えれば、彼は「美味しいですよね、僕もお肉大好きなんです」と嬉しそうに微笑んだ。肉が好きな人間に悪い奴はいない、が持論のルカは彼の手を固く握って深く頷いた。
久々に腹がくちくなるまで食べた、と鶏肉のトマト煮込みの柔らかさを思い出しながらソファに身を預けるルカの前では、恋愛相談室が開かれていた。最初は世間話だったのだ。そこから何がきっかけで都の入り口での騒動へと話が転がったのかは、ルカは覚えていなかった。
目の前のソファの真ん中にはラフが、その隣にはアルヴァが座っている。その二人を囲むように、カレンとフィオナが立っていた。イグニアは、ラフを慰めるように彼の膝に手をおいて大きな金の目でじっと彼を見つめている。
蚊帳の外なのは、向かいのソファに腰掛けるルカとケネスだけだった。
「君の婚約者――メグさんは、どんな人なんだ?」
「メグは、僕より三つ年上で……」
「君、私と同い年だったよな。じゃあ、お相手は十九歳か」
「年上の女の人って年下が好きだって、寮の先輩が言ってました!」
「姉さん女房……というやつでしょうか? すみません、私も恋愛には疎くて……でも、十九歳。若いですねぇ」
「メグはとてもしっかりした、自立した女性なんです。本当に、僕なんかにはもったいないくらい。……女性って強い男が好きでしょう? ほら僕、普段はこんなだから……『エレミア領主の息子』を求められるときは気を張らなきゃって。彼女が求めているのもきっと、そっちの僕だから……」
途切れることなく続く会話に、やはり女性は恋愛話が好きなんだなあ、とキラキラした瞳でラフに質問をしているカレンを見ながらルカはそう思った。ルカの上、水のクッションを作ってプカプカ浮かぶフォンテーヌも例外ではないようだ。うつ伏せで両手で頬杖をつきながら、フォンテーヌは楽しそうにアルヴァとラフを見つめている。
ルカとケネスは足を組んで、ただ静かに目の前の相談室を眺めていた。
「君も混ざってくればどうです?」
肘置きに肘をついて頬杖をしたままルカがからかい半分で言うと、腕組みをして背もたれに体重をかけていたケネスが鼻で笑った。
「お前こそ」
「僕は話すこと無いですもん」
君はあるでしょ、と言外に伝えてやれば、ケネスは足を組み直してもう一度鼻で笑った。
女子三人を相談役に据えた恋愛相談室は、熱の入ってきたアルヴァがラフの両手を固く握り、君はそのままで大丈夫だ、と至近距離で諭し始めたところでケネスによって強制終了された。アルヴァの襟首を引っ掴んだケネスが怖い目をしているが、彼女は全く気にもしていない様子だった。
「なんだかすこし自信が出てきました!」
僕は僕らしく、ですね!
そう言って握りこぶしを作って立ち上がって、彼はその勢いのまま、そういえば! と手を打った。
「湯浴みの準備、してもらってあったんでした! 僕これから、ちょっとメグのところに行ってくるので案内できないんですが、メイドさんたちには伝えてあります。だから、入りたいときに彼女たちに伝えてください」
メイドさんたちの控室は、と説明してからラフは部屋を飛び出していった。
「なんつーか、エネルギッシュな人ですね」
彼が部屋を出ていくまでを横目で追っていたルカがそう言えば、ケネスに首根っこ掴まれたままのアルヴァがくすくすと微笑ましそうに笑った。
「いいじゃないか。思い立ったらすぐ行動、誰にでもできることじゃないぞ」
そのまま、誰から風呂を借りる? とアルヴァが全員を見回した。僕はいつでもいいです、と答えたルカの膝に、お風呂なんか興味ないイグニアが顎を乗せる。肘置きに体重をかけながら、ルカは姉の真似をするようにそれぞれの顔を見回して、カレンで目を止めた。
彼女はわかりやすくそわそわしていた。早く風呂に入りたいのだろうが、恐らく一人では心細いのだ。ちらりとアルヴァに目を向けると、彼女の金と目が合った。金がゆっくり細くなって、それから彼女はカレンへと目を向けた。
「じゃあ、先に女子がもらっていいか?」
お好きにどうぞ、とケネスがアルヴァの首根っこから手を離す。
じゃあ行ってくるな、と女子二人を両側に抱えるようにしながら出て行った姉に、あの人そのまま行かせて大丈夫か……? と一瞬不安――王室魔導士どうこうではなく、主に風呂上がりのアルヴァの発する周囲への魅了被害への不安がルカの脳裏をよぎった。
もふ、と柔らかいソファに背を預けるとなんだかどうでもよくなって、まあ大丈夫だろう、とルカは目を閉じてしまうことにした。
アルヴァたちは何の問題もなく部屋に戻ってきたので、今度はルカたちの番だった。
「あれ、二人とも着替えたのか? 風呂を頂いてからにすればよかったのに」
赤髪をガシガシとタオルで拭くアルヴァから飛んできた質問に、ルカはいつも通りの――シャツとズボンと、その上に白衣をきっちり着こんだ格好で答えを返した。
「だって、ケネスはともかくとして、もしもあの格好の僕がラフさんの部屋から出てくるのを婚約者さんに見られたら、殺傷沙汰が起きるでしょう」
ああ、と納得したようなため息のような声を漏らしながら、アルヴァがルカとケネスにタオルを差し出している。二人はそれを受け取って、ラフの部屋を出た。
しばらく歩いてから、隣のケネスがあっと声を出したのでルカは彼を見上げた。
「どうしたんです」
「剣。いつもの癖で持ってきちまった」
誰かに見られたら事だ、とケネスは来た道を慌てて戻っていった。
まあ、彼なら迷子になることもないだろう。ルカは彼を待つことなく、足を進める。確かこの曲がり角を右に行った突き当りだよな、と考えながら歩いていたら、角から人が飛び出してきた。あわや、と言うところで顔を止めたルカの眼前にあるのは、紫色のベルベットに包まれた控えめだが柔らかそうな胸部。胸にダイブしてビンタを食らうところだった、とどきどきしながら、ルカは謝罪を口にして顔をあげる。
「すみません、注意不足でした……っ!」
思わず息を飲んでしまった理由は明白。
目の前の胸部の持ち主は、ラフの婚約者――メグだったのだ。彼女は一瞬ぼんやりルカを見つめた後、慌てたように口を開いた。
「あ、わたくしの方こそ……ごめんなさい、ぼんやりしていて」
あなたが少し似て見えたもので。
ぽつ、と溢された冷気を帯びた言葉にルカは安堵しながら冷や汗をかいていた。
彼女は、都の入り口でルカを、ラフの思い人か何かと勘違いした。ひどい、と泣いて走り去るくらいには、ラフを好いている。色恋沙汰の果てに待つものは――。
アレが僕だったとはバレちゃいけない。
ぶるりと身を震わせてから、ルカは取り繕って笑みを浮かべた。
「そうなんですか。ほら僕ってどこにでもいるような顔ですから」
メグが首を傾げている。
怪しまれてるのか? 刺されるのか、僕?
いや刺されてたまるもんか、と目をあちらこちらに泳がせて――ルカは彼女の肩に目を止めた。
「どうかなさいました?」
メグの声に、ルカは「ちょっと失礼」と声をかけてから彼女の肩に手を伸ばす。
つ、と摘まんであげた指の間にあるのは――。
「何だこれ、ピンクの――感触的には人間なんかの髪の毛だけど……」
彼女の深い紫の上品なワンピースの上にあってはよく目立つ、ピンク色の細い髪の毛だった。生まれてこの方ピンクの髪の人間などにはあったことのないルカは、これが何なのかに気が取られてしまって目の前の筆頭貴族令嬢への対応が頭から抜けてしまった。じっと研究者の目でピンク色の髪を眺めまわすルカの前、メグが困惑の表情を浮かべていることに彼は気が付かない。
この状況を変えたのは、明かりにピンクの髪を透かしているルカの頭を軽くはたいたケネスだった。
不審そうにルカたちを見つめながら去っていったメグの背を見送ってから、二人は歩き出した。メイドの控室と思しき部屋の扉が見えてくる。
「何見てたんだよ、ルカ」
はあ、とため息を吐きながら聞いてきたケネスに、ルカは歩きながらじっとピンクの髪を見つめるのをやめ、指に摘まんだものを彼の目の前に持って行った。若干寄り目になりながらケネスが口を開く。
「なんだよ、ピンクの糸か?」
「いや、髪の毛。君、ピンク髪の人間なんて見たことあります?」
さあ、と言いかけてケネスは首を傾げたようだった。
「あるんですか?」
「あー、どっかで見たような……だめだ、思い出せない」
どうせ作り物だろ、とケネスがピンクを摘まんで後ろに放る。絨毯に混ざって見えなくなったピンクの髪に、ルカは風呂からあがったら姉上にも聞いてみよう、と思いながら扉をノックするために腕をゆっくりとあげた。




