第六話 大賢者と紳士
「おかしいわねぇ……たしかに、この辺の骨が折れてるかしてたと思うのだけど」
「先生っ、く、くすぐったいですっ」
と、カーテンに仕切られた向こう側から、カイドウ嬢とツキムラという名らしい女生徒の声が聞こえる。
こちら側に残されたイシモトと私は、微妙な空気の中、女生徒へとカイドウ嬢が行っている診察を待つ事となった。
「あー、ヨシオ君だったか?
何があったんだ? 月村は怪我をしてなかったのか?」
「さあ……? 自分には、少々分かりかねます」
「そうか……ま、そりゃそうだよな」
と、イシモトは子供に聞いても分からんよな、と言った表情で私の言を聞くと頷いた。
結局、私は治療魔術を女生徒に施した事は、しらばっくれる事にした。
カイドウ嬢には少し話してしまったが、彼女は子供の世迷言だと捉えたようなので大丈夫だろう。
どうにも、此処での魔術による治療行為は、御法度と言う訳では無さそうだが、珍しい行為である様だ。
それに、私が現在化けている10歳程度の子供が、それを行える事自体があり得ない行為らしい事がカイドウ嬢の混乱ぷりから見て取れる。
まぁ、思い出してみれば、私の住んでいた魔術に長けたエルフの多く居る街でも、10歳程度の子供が中級治療魔術を扱えるなんて事は稀だったしな。
あまり目立った事をしない方が良いにも拘わらず、治療魔術を施したのは軽率だったかもしれん。
「うーん……」
「あ、回動先生。月村はどうなんです?」
暫くするとカイドウ嬢が唸りながら考え込んでいる表情でカーテンの向こう側から出てきて、そこにイシモトが声を掛けた。
「え? あ、あぁ。たぶん……大丈夫と思うのですけれど。
怪我らしい怪我は何処にも見当たらないから……
でも、病院で検査は受けさせた方が良いかもしれないですね。
今は元気にしているけど、さっきまでの苦しみ方は変だったから」
「そうですか。わかりました。
では、親御さんに連絡してから、私が病院まで送ってきます」
「そう……ですね。
私は、病院への申し渡しのメモを用意しておきます」
と、二人はツキムラという生徒の処遇を決めると、イシモトは足早に何処かへ向かって行き、カイドウ嬢は机の引き出しから筆記用具と紙を取り出した。
「あの辺の骨に異常があったと思うんだけどなぁ……
でも腫れも内出血も見たらないし……」
と、呟きながら机に向かい紙に何かを描きこんでいるカイドウ嬢を横目に、私が暫く待って居ると
「回動先生? 月村さんは大丈夫なの?」
と、フジナカ・キョウトウが戻って来た。
「あ、教頭。今は落ち着いてますので大丈夫ですよ。
一応この後、病院へ検査に連れて行ってもらいます」
「ええ、それはさっき石元先生から聞いて、彼には授業の方に戻ってもらったわ。
私が代わりに月村さんを病院まで送るから、迎えに来たのよ」
「では、こちらの病院の方へのメモを持って行ってください。
月村さんの先程までの症状を書いておきましたので」
「はい、たしかに。……それとヨシオ君。
ごめんなさいね、ちょっと私は出るから、学校の中を案内できなくなったの」
と、カイドウ嬢と話を交わしたフジナカ・キョウトウは私へと謝ってきた。
「ああ、いえ、お気になさらず。急に押し掛けたのは自分の方ですから。
フジナカ・キョウトウはご自身の職務の方を優先してください」
「そ、そう? 本当にごめんんさいね。
あ、それと回動先生にお客様よ」
「え? 私にですか?」
フジナカ・キョウトウは私に再度謝るとカイドウ嬢へと客の来訪を告げ、その来客を告げられた彼女が聞き返した時だった――
「やぁぁぁッ! 私の愛しき我が娘よっ! パパが来たぞぉぉぉ!」
と、一人の長身の男が部屋へと乱入してきたのだった。
その身なりも良く長身の男は、貴族の社交会で踊る様なステップと振り付けで、驚くカイドウ嬢の前へと躍り出た。
「えっ!? ちょ、父さん!? なんで来たのよ!?」
「何故って? 私はただ、この前改装したプールの視察と、ついでに他の場所も見せてもらっていただけだよ!
その途中に保健室があって、そこに偶々愛娘が居ただけで、これは偶然と言うものだ! いやッ! 偶然などでは無いな!
私と鈴音との強固な絆がもたらした結果と言えよう!」
と、驚く彼女へと、訪れた男はよく分からない論法で答えている。
どうやら、この男はカイドウ嬢の父親らしい。
たしかに、彼女と似た髪のと目の色をしてはいるな。
カイドウ嬢と同色の青い瞳は娘に会えた事で喜びに満ちた色を浮かべているが、どこか理知的で鋭さがあり、彼女よりかは若干色素が薄まった金の髪は丹念に撫でつけられており一切の乱れが無い。
着込んでいる衣類はこの地区で見た成人男性の身に着ける物と似ているが、それよりも作りが良く上等な物のようだ。
彼の妙な動きにでもぴったりと合っており、破綻なく着こなしが崩れていない事からも、彼に合わせて精巧に仕立てあげられた逸品らしい事が窺える。
それにしても、この男――
「学校に来るたびに、私の所に来るのは止めてって何度も言ったでしょ!」
「何を言うのだ鈴音よ!? 愛娘の顔と働く姿を見たいというのは、父にとって必要不可欠なものなのだぞ!? 呼吸よりも大事な事なのだ!
お前は、この父に死ねと言うのか!?」
「そんな訳ないでしょ! なんで教頭もこの人を連れて来たんですか!?」
「あらあら、うふふ。私は我が校の大事なお客様を案内してただけよ」
――と、娘やフジナカ・キョウトウと妙なやり取りをしながらも、私へと向けて妙な警戒をしている。
視線をこちらに直接向けているわけでは無いが、部屋に入って来た時から私の事を視界の端からけっして目を離さない様に見ており、身体から漏れ出る気の流れからも私の方へと意識を向けている事が分かる。
それだけでは無い。
彼から漏れ出る気の量や質も、こちらの世界で見た者の中では最高の物だ。
先程の、部屋へ入ってくる時の脚運びや重心のブレの少なさ、身体の各所の滑らかな動きといい、何かしらのシーフやスカウトの様な修練を積んだ事が伺える。
身体は細身であるが、恐らく、あの仕立ての良い衣服の下には鍛え抜かれた肉体が隠されている事だろう。
「ところで教頭。このヨシオ君と言ったか?
彼の校内の案内は私が受け持っても宜しいかね?」
私が、この妙な男は何者だろう?と考えを巡らせていると、男はそんな提案をしてきた。
「え? そんな。回動様にお頼みする訳にはまいりませんわ」
「いやいや、私は何度もここに来ているし。
勝手知ったる我が家みたいな物だから、気にしないでくれたまえ!」
と、フジナカ・キョウトウは断るが、彼は強引にでも私の案内役を引き受けようとしている。
やはり、何かしらの意図をもって来たらしいな……
カイドウ嬢との関係と言い、この者が此処に現れたのは偶然ではないだろう。
私の正体や異界門の事など、何らかの事が察知されていると考えた方が良さそうだ。
「あー、その、自分はご迷惑になるので、もう帰ります――」
「子供が遠慮する事は無いとも! 私に任せておきたまえ!
さあ、では行こうでは無いか!」
ダメか……
私が断ろうと声を上げると、男はそれを半ば強引に遮り私の手を取ると部屋の外へと連れ出した。
「ここが家庭科室だよ、ヨシオ君。
この教室では一般的な料理や裁縫などなど、家庭に役立つ事を学ぶんだ!」
「は、はあ」
「ここは職員室。先生方が主に集う所だ!
何か問題が起きたり、悩み事がある時はここに相談に行くと良いだろう!」
「そ、そうですか」
と、彼は宣言通りに校舎の中を案内をしてくれているのだが、今一この男の目的が掴めない。
しかも、時間が経つにつれて、私へと向ける警戒の意識が強くなっているのを感じる。
「ここが図書室!
ここには子供の教育に役立つ様々な本や、調べる事に便利な本が沢山あるぞ!
でも中では静かにせねばならん!」
「ほぉ、なかなかの蔵書の量ですね」
お前が一番うるさいだろ、というツッコミはさておき。
この男が、あの令嬢の父か……
先程、ホケンシツなる部屋でのやり取りを見る限り、彼は娘を溺愛しているように見えたが、令嬢の方は父を鬱陶しく思っている様だ。
あんな長屋風の所に一人で住まわされているので、てっきり家族から疎まれているのかと思っていたが違うらしい。
あれはカイドウ嬢自身が望んで、一人で暮らしているという事なのだろうか?
こちらの世界に疎い私では、分からない事が多すぎるな。
などと考えながら、上の階へと続く階段を男の後ろに続いてゆっくりと登っていると、その途中で男は声のトーンを抑えて私に話しかけて来た。
どうやら、ここからが本番と言った所らしい。
「ところで……君は、最近この辺に越して来たそうだね?
何処から来たのかね?」
言葉遣いは優しい物だが、彼の私へと向ける目の奥の光や身に纏う雰囲気からして、どうにも尋問の様な感じだ。
やはり、私を探りに来たのが目的か。
さて、どうしたものやら……
この男の身のこなしからして、恐らく憲兵と言うよりは密偵などに従事する者だろう。
一応は、憲兵達にした対応と同じ感じで行くか。
「エルルからです」
「エルル? それは街の名前かね?」
「えーと……そうですね」
「国は?」
「国は……分かりません。
住んでいた所がエルルという所だと言うくらいしか」
エルルはエルフが多く住む所ではあるのだが、どこかの国に所属しているという訳では無く、周辺からはエルル自体が国と同格と見られている。
とはいえ、エルフ自体がそこまで数も多くないので規模としては街なので、私としては微妙に答え辛い質問だ。
「ふむ……そう言えば名乗っていなかったね。
私は保健室に居た回動鈴音の父で、回動庵弟という者だ。
君のフルネームは何というのかね?」
と、男はカイドウ・アンテイと名乗ると、今度は私の名を尋ねてきた。
どうやら、この国か地域では、氏族名か家族名を名前の先に名乗るのが一般的らしい。
という事は、カイドウ嬢の名はスズネと言うのか。
私もそれに倣って名乗った方が良いのだろうか?
いや、順番が分からんな。普通に名乗ろう。
「……私はヨシュア・ファナエレムローイ・ムートエーブと言います」
「ヨシュア? ヨシオでは無いのかね?」
「ええ、今朝方から皆に間違えられますね」
「それにミドルもラストネームも聞いたことの無い名だな……
ヨシュアというのは何かで見た名だが……聖書だったか?」
彼の私の名に覚えがあるという言に少し動揺しそうになったが、私は努めて平静な顔を装う。
ここは異界で、私の名を知る者など居ないはずだ。
それに、どうにも彼はこうやって世間話や普通の会話を装い、私から何かを探っている節がある。
こういった手口は、大国などの間諜が使う手だな。
「それにしても君は日本語が上手だね。
君も外見から察している通り、私は元はイギリスの出でね。
鈴音が生まれる少し前に、この国へと籍を変えたんだ。
君の住んでいた街の名は知らないが、君も向こうの出身では無いのかね?」
「向こう?ですか?」
「……あぁ、そう言えば国が分からないのだったね。
まぁ、その歳では国などを意識する事も少ないか?いや……
そう言えばヨシュア君。きみ、ご家族は?」
「父と母と姉がおります」
「ふむ? 兄はおらんのか?」
と、私が家族構成と答えると、アンテイは今朝方の憲兵と同じ様な質問をしてきた。
やはり、この者はこの街か国の治安か諜報に携わる者らしいな。
目的は姿を変化させる前の私と言う事か……?
いや、それにしては私に対する警戒度が高い気がする。
「居ませんね。何故、兄なのです?」
「なに、知り合いの者から、君に似た者を見たとの話しを聞いたものでね。
君のご家族の誰かかと思っただけだよ。
まぁ、もしかしたら君の父上だったのかもしれないな」
ふーむ……このまま会話の流れの主導権を彼に任せたままにすると、私の家族の居場所や、何処に住んでいるかなど面倒な事を尋ねられる気がするな。
私からも何か尋ねて、少しは流れを逸らすか。
「似ていると言えば、ご息女が私の事を弟に似ていると仰っておりましたね」
「む? 鈴音がか? 言われてみれば……
確かに、髪と目の色が違うが似ているかもしれんな。
鈴音の弟……勇二は、妻と同じ髪と目の色をしているが、顔立ちは私と似て美男子だったからね」
と、彼は話すと私の顔をまじまじと見た後、足を止めて近くの窓から外を見た。
彼の視線の先には、学校の敷地の隅にある水色を基調とした大きなプールらしき物が有る。
「あそこにプールが有るのが見えるだろう?
あれは古くなっていたのを、私の寄付により改装したばかりなのだ」
彼はそう言い、少し憂いを含んだ表情でそのプールを眺めている。
「私がこの学校にあのプールを寄贈したのには、その勇二が関係していてね。
今から数年前にだが、勇二を水難事故で亡くしたのだよ……」
「……そうだったのですか」
話を逸らす為に振った内容が、妙に重い方向へと進んでしまったな。
彼とホケンシツで見た令嬢の表情から察するに、そのユウジという弟は皆から愛されていたのだろう。
「まぁ、それもあって、子供達の水での事故が少しでも減れば良いと願って、設備だけでもしっかりした物をとね。
君は泳ぎは得意な方かな?」
「溺れない自信なら有ります」
「そうか、それは結構な事だ」
泳ぎを練習したり楽しんだりした事は無いが、水中でも呼吸ができる魔道具や自在に泳げる魔術は会得しているので、水中だろうが空中だろうが問題は無い。
少し重い話題になってしまったが、私はこのまま子供の立場を利用して質問を重ねていき、なんとか彼の追求を躱し続ける事にした。
GW中から他の方々の作品を読みたい病を再発しまして、なかなか執筆が進んでいません。申し訳ない。