第四話 大賢者と朝の光景
異界での朝の風景は、かなり異質であった。
歩道と荷車が通る道を分け隔ててきっちりと整備されている道を、秩序だって様々な自走式の魔道具に乗った人々が行きかい、長屋で見かけた金属の骨組みで作られた二輪式の道具に乗って走る者も多く居る。
どうやら、あの二輪式の一人乗りの物は魔道具ではないらしい。
注視してみると、鐙と思われた所を動かし車輪へと動力を伝えて走る様に出来ている。
最初は何故あんな物を使っているのかと思ったが、考えてみると、あの魔力も気も乏しい者達からすると効率よく使える良く出来た道具だという事が分かる。
「それにしても、この匂いは酷いな……」
私が顔をしかめたのは、道の中央を走る自走式の魔道具の方だ。
どういった魔術原理で駆動しているのかは分からないが、あの四輪の魔道具は走る際に妙な空気を撒き散らしている。
まるで屑油でも燃やしているかの様な匂いだ。
早朝に見た手紙の配達人の乗る魔道具からも似た匂いを感じたが、ここまで数が多いと気分が悪くもなろうと言う物だ。
まぁ、傲慢な貴族からすれば気する物でもないのだろが……
私からすれば、あんな物に乗るくらいなら、あの二輪の自力で走る道具の方が遥かに良い物に思える。
私はダンジョンなどで毒霧などのトラップを防ぐ為の魔道具に魔力を送り込むと、身体の周りに清浄な空気の層を作り上げて歩道を進んだ。
しかし、この街には人以外の動物が少ないな……
時折見掛けても、犬か猫と小型の鳥と言った程度で、その他の生活に便利な動物や魔物の姿がさっぱり見当たらない。
種族も人間だけしか居ない様だ。
髪と瞳の色も黒色をしている者が多く、その他の色をしている者は少ない。
そして今朝方、道の脇に等間隔にある柱の上から周囲を見渡してみた時に気が付いたのだが、奇妙な事に街の外に街壁が見当たらなかった。
家々が立ち並ぶ区画の外には田畑や森や山林があるというのに、街の外から忍び寄る危険な魔物から街を隔てる守りが一切見られないのだ。
この街は、一体どうなっているのだろう?
どの建物も魔術的な防備が皆無なだけではなく、今朝方遭遇した憲兵達からもそれらを感じなかったし槍や剣といった武装もしていなかった。
だというのに、この街の人々には緊張感の様な物が感じられない。
逆に緩み切っているように見える。
この状況で一つ考えられるのは、神の御加護の類だ。
人や環境の魔力や気を必要としない神の力であれば、壁などに頼らずとも人々の生活の場を守る事が出来る。
もしかしたら、町中に立っているあの妙な柱とそれらを繋ぐロープ、そして遠くに見えた鉄の骨組みだけで作られた塔らしき物、あれらがこの街を守る何かしらの神の力による防護結界になっているのかもしれない。
「教会などがあれば……その辺りの説明を聞けそうな物だが……」
道行く者にでも教会の場所でも尋ねてみるか?
と、周囲を行きかう者達を眺めると、どうにも皆せわしなく何処かに向かっている様子で呼び止めるにしても気が引ける。
まだ日が昇ってさほど時が経っていないのに、この忙しない雰囲気は貴族の者達が暮らす街としては異様だ。
全員が仕立ての良い布製の衣類に身を包み、高級そうな魔道具や移動用の道具を自由に使っている事からも、下男や一般市民の様には思えない。
しかし、建ち並ぶ家々は見栄えと建材は良い物だが庶民が住まう家の様に小さく、それを取り巻く雰囲気や人々の動きは、まるで平民達が多く暮らす街の様だ。
私の元の世界でも遠くの国や街に赴けば、ある程度はそこの暮らしの様相に驚く事になるが、ここまで異質に感じるのは初めてだな。
「む? あれは……」
と、私が色々と見て回りながら歩いていると、少し離れた所に巨大な四角い建物が見えた。
あの建物は柱の上から眺めた時にも見えていたな。
巨大なだけではなく、とても頑丈そうな作りをしていたので、周囲の建物の中でも一際目を引いた建築物だった。
建物を囲む敷地も広く、広い庭に妙なオブジェが見受けられた場所だ。
近くまで行ってみると、その敷地を囲む塀にある鎧戸の様な門が開け放たれており、子供達は揃いの黄色い帽子をかぶり、色違いだがこれまた揃いの鞄を背に背負って列をなして数人の大人たちに先導される様に、その広い敷地の中へと向かって行き、あの巨大で角ばった建物の内部へと入っていく様子が見えた。
「ふむ……? これは行政施設ではなかったのか?」
てっきり、この街の行政施設か大貴族の邸宅だろうと思っていたのだが、どうも違うようだ。
もしや、教育機関の建物なのか?
だとしたら感嘆すべき事だ。
昔の賢人が言った言葉で「街の建物を見よ」という物が有る。
その街の中で他の建物と比べて立派で頑丈に作られている物が多いのが教会であるなら、そこの人々は神と信仰を最も大事にしているという事で。
それが役所や商店であるなら、権力と金にまみれた街であり。
そして学校であれば、教育と子供を大切にしているという事が分かる。
つまりは、その街や国の人々が最重要視している事柄が、街や建物の構造には表れているという事なのだ。
見た所、この学校だと思われる建物は、装飾こそ控えめではあるが、四階建てで壁は分厚く柱も太く質実剛健と言った作りをしており、敷地内には子供達がのびのびと活動できるほどの庭と遊具もある。
用途は不明であるが、それ以外の施設も色々と有り、教室の数も多い様だ。
「ふーむ……子供達の為に、ここまで立派な建物を用意するとは……」
「そこの子ー! はやくしないと門を閉めるわよー!」
私が感心しながら学校らしき敷地の塀沿いを歩いていると、少し離れた門の所に居た中年の女性が大声を上げた。
なにやら、遅刻しそうになっている子供に声を掛けている様だ……
……いや、視線が私の方を向いているな。
「ほら! 早く来なさい!」
と、私に向けてこっちに来いとジェスチャーまでしている。
どうやら彼女は、変幻齢の指輪で10歳ほどの容姿に化けている私を、生徒の一人と勘違いしているらしい。
どうしたものか……
一応、誤解を解いておくか。
このまま立ち去っては、生徒が居なくなったなどと要らぬ心配をかけてしまいそうだしな。
「すまぬ……すみませんが。私はここの生徒ではありません」
「え?あら、そうなの? そういえば見掛けない子ねぇ。
でも、あなた学校は? こんな時間に一人でどうしたの?」
と、私が女性の近くへと行って答えると、彼女は不思議そうに聞き返してきた。
ふむ、どうやらこの近辺の子供は、一般的に学校に通う物らしい。
こんな立派な建築物を教育施設に使う辺り、やはり教育と子供を大事にしている様だ。
「どうしたんですか藤中教頭?」
と、門を挟んで反対側に居た中年の男性が、私と女性のやり取りを不審に思ったのか声を掛けながら近づいて来た。
「ああ、石元先生。
いえね、この子が遅刻しそうになってたから急いで入る様に言ったんだけど。
この子、うちの生徒じゃなかったのよ」
「生徒じゃないって……たしかに見かけない子ですね。
君、学校は――んん?
教頭、この子、外国の子じゃないですか?」
「あら? 言われてみると目の色が違うわね。
最近は子供の髪を染めさせる親も居るから気が付かなかったわ。
あなた、どこから来たの? もしかして迷子なのかしら?」
と、どうやらこの学校の教員らしき二人は私の姿を見回し、そう尋ねてきた。
「エルルの街から来ました。
ただ、こちらに来たばかりで、近くを見て回っていただけです。
迷子ではありませんのでご心配なさらず」
「あら、そうだったのぉ。
エルルの街……聞いた事無いわねぇ。ヨーロッパの方かしら?
それにしても、あなた日本語がお上手ねぇ」
「旅行じゃなく、近くに越してきたんですかね?
あっ、とりあえず、教頭。そろそろ門を閉めませんと」
「あら、そうね。
あなた、良かったら学校の中を見ていく?」
私が答えるとキョウトウという役職についてるらしい女性は、私を街に移り住んできた者と誤認したらしく、そう聞いてきた。
『街道で馬車に会う』とはこの事である。(※ちょうど良いの意の慣用句)
この街や国の事が気になっていたので、それらを調べるのに教育機関は最適かもしれないと考えていたのだが、これなら忍び込まずに堂々と中を見る事が出来るかもしれない。
「いいのですか?」
「さっき、中を覗いていたじゃないの。気になるんでしょう?」
「はい。こちらの教育機関がどんな物かは気になってました」
「そう。もしかしたら、ここに通う事になるかもしれないんだし。
私が少し案内してあげるわよ?」
「では、お願いします」
と、私はフジナカ・キョウトウの誘いに乗り、門の中へと入る事に成功したのだった。
「あなたが前に居た所と比べて違う所も多いとは思うけど、どう?
うちの学校は?」
「そうですね、良い学び舎だと思います」
私が二人に連れられ広い庭を少し迂回するように歩いていると、彼女は私にそう尋ねてきたので、私は素直な感想を述べた。
そもそも私の住むエルフの街は種族的に子供の数が少ないので、教育機関と言う物自体が無い。
エルフの子供は、生まれた家庭の父と母か一族の者から物事を学ぶのが常であり、人や獣人、もしくはドワーフなどといった種族達の様に、集団で教育を受けるという事を経験する事自体が稀だった。
他の町で学校などの教育機関を見たり講説をしに訪れた事はあるが、こうして子供の立場で見て回って教員を交流を獲るというのは、私にとっては新鮮な気分だ。
「建物は大きく頑丈そうで、庭も広いですし、塀もしっかりと作られていますね。
そして何より、教員の方々の生徒への扱いが素晴らしいと思います」
「そう、それなら良かったわね」
と、私は向こうの世界での学校と比べて良い所を挙げてフジナカ・キョウトウに答えると、彼女は満足げに頷いた。
この総石造りの建物であれば下級ドラゴンの襲来にでもある程度は耐える事ができるだろうし、広い敷地にも関わらず全周囲を簡易な防壁で囲ってあるので小型の魔物が突如襲来しても憲兵が駆けつける時間を稼ぐ事も可能だろう。
子供達に揃いの明るく黄い色の帽子をかぶせ、規格統一された鞄を持たせる事により、か弱き子供の存在を街の住人達に知らしめ注意を向けさせる工夫も良い物だし、私の様な素性の知れぬ子供でも、追い払うのでは無く暖かく招き入れるという選択を取った事からも、子供を第一に考えている街や行政の姿勢が見える。
「それにしても、君は受け答えがはっきりとしとるな。
藤中教頭、もしかしたらこの子、回動先生の親類じゃないですか?」
「言われてみれば確かに……髪の色と目の色は似ているかしら?
そう言えば君、名前は何て言うの?」
と、イシモトとフジナカは私の事を見ながら話し、フジナカの方は私に名前を尋ねてきた。
どうやら、この学校には私に似たカイドウ先生なる教員が居るらしい。
もしや、その者はエルフなのだろうか?
まぁ、とりあえず、名前を答えておくか。
「ヨシュアと言います」
「ヨシア……? ヨシオ君かしら? 日本人ぽい名前ね。
本当に回動先生の親類かもしれないわね。
苗字は分かる?」
フジナカ・キョウトウは私の名を聞くと、少し納得した顔をしてから、また別の事を聞いてきた。
「ミョージ?ですか?」
「えぇと、セカンドネームとか。おうちの名前の方よ」
なんの事だ?
名前に関する事なのだとすると、神託名や氏族名の事だろうか?
まぁ、姿も変えてある事だし、私の事を知る者も居ない異界であれば、答えてしまっても問題無いか?
元の世界の街で名乗ろうものなら、群衆に取り囲まれる事になるので、あまり答えたくは無いのだが……
「……ファナエレムローイ・ムートエーブです」
「ふぁ、ふぁなえ? 随分と長い名前なのね……」
「あまり聞いた事のない、響きというか雰囲気の名だな……
おっと、藤中教頭。私はそろそろ授業の準備がありますので行きます」
と、話ながら歩いていると校舎の入口の目の前まで私達は辿り着き、イシモトの方は慌てた様子で中に入って行った。
向こう側の執筆もしたいのに、なかなか切りの良い所まで進まないぃぃぃぃ