第一話 大賢者と異界門
「ふはははははははーー! やっと! やっと完成したぞ!!」
私の目の前には、異世界へと繋がる門が開いていた。
その門の中は神々しい色と禍々しい色とが混ざり合って渦巻いており、私の中の希望と不安もその渦巻く門の内部と同様に複雑に混ざり合っていた。
私の名は、ヨシュア・ファナエレムローイ・ムートエーブ
エルフの大賢者にして、たった今、世界史に残る大偉業を成し遂げた男だ。
「よし。異界への接続も安定しているな。これなら数日は持ちそうだ」
私は異界門の状態を確認すると、荷造りを始めた。
出掛ける際の必要な荷物は次元収納の魔法で常に持ち歩いているので、研究の為に外に出してあった資料や、向こうの世界で使う事になるであろう物だけを急いで部屋の中からかき集める。
「魔法鞄は……持って行かない方が無難か。
神樹からの魔力供給が途切れる可能性があるしな。
他には……おっと、これを忘れるわけにはいかん」
と、持って行く物を物色していると、机の上に置いてあった一冊の本が私の目に留まった。
私が手に取ったのは、古い革表紙で装丁された日誌だ。
この日誌は無限にページがつぎ足され続ける魔道具であり、これには先祖代々受け継がれてきただけでなく、我が一族の冒険や偉業の数々が書き綴られている。
私が異界へと行くための門の研究を始めたのも、この日誌に先祖が書き記した主神の言葉が切っ掛けであった。
大昔の言語で書かれていたので解読するのには少々難航したが、おかげでこうして新たなる世界への扉を開ける事に成功したのである。
「私も一族の末裔として、これに記録を付け足さねばな……
よし……ではさっそく行くとするか」
そうして私は異界への門の中へと足を踏み出した――
門を潜ると、そこは奇怪な空間であった。
周辺の景色は様々な色と景色が混ざり合い、それが前方から後方の光芒の彼方へと目まぐるしく流れていき、私の体をその先へと押し流していく。
その流れに身を任せながら周囲の景色を記録用の魔道具へと録画していると、先の方に白い光が見えた。
「あれは……出口か?」
私の作った異界門の機能が正しければそのはずだ。
その出口から出る前に、私は転移系の魔法をランダムに使った際の事故に対処する為の魔術的な準備を始めた。
今回は目標を定めて転移するのとは違い、ただ繋がりやすい異界を探り当てて異界門を繋げただけなので、その出口の先がどの様な場所か分からないからだ。
下手をすれば海や地底湖、はたまた地面の中や空の彼方なんて場所に放り出されかねない。
「『ファントムボディ』『エマージェンスリターン』『ミドルフライ』
……とりあえず、これでいいだろう」
私は呪文を唱えて環境への万全の措置を終える。
心の中にはこの先の未知なる世界への不安もあったが、何時の間にか期待の方が大きくなっており、ドキドキと鼓動が高鳴っている。
どうやら、私もエルフの中では異端とされる、冒険を好む先祖の血が流れている様だ。
そんな事を思いつつ、私は出口の光へと飛び込んだ――
――出口を出た先は、ほの暗い光で照らされた場所であった。
どうやら水中でも地中でも無く、ちゃんと空気があり人が生存できる場所へと出る事が出来た様だ。
私は一安心して、辺りを見回す。
「ここは……人家か?」
自身の周囲を見渡すと、どうやら人の住む一室のように見受けられる。
エルフたる私からすれば十分な光量ではあったので、この様に薄暗くても周りの物がはっきりと視認できた。
危険な場所に出なくて良かったと思う反面、人の住む場所という日常的な雰囲気が漂う所でもあり、少しがっかりした気分でもあった。
それに空間に漂う魔力が、かなり薄い。
とは言え、ここは異界のはずだ。
何か珍しい物も有るかもしれないと気を取り直し、私は周辺を調べ始める。
広さ的には一般的な家族が住む部屋と同程度だが、部屋の壁は白地の壁紙に淡い色で模様が書き込まれており、天井には部屋を薄暗く照らし出す光の魔道具らしき物が有った。
部屋の内部には幾冊もの本と思われる物が詰め込まれている本棚もあり、何かしらの木材で作られた机やテーブルもある。
そのどれもが、なかなかの職人の手による物の様で高価な逸品であるのが私には分かった。
テーブルや机は、しっかりとした作りであるだけでなく、素朴ながらも優雅な彫刻などが見受けられ、本棚に至っては蔵書が百冊以上はあるだろう。
その他にも、何の素材で作られている不明な物も多数ある。
「それにしても……なんだこの散らかり様は」
部屋にある物はどれも高級品であるようなのだが、そのいたる所に高価で新品に近い数回しか着てない様に見える衣類などが散乱しており、机の上にも雑多な紙の束や本が散らばっている。
「……まぁ、人の事は言えんか」
私の研究室や家も似た様な状況であるしな。
私はそんな事を思いながら床に散らばる衣類などに気を付け、部屋の一面にある窓と思われる所へと近づいた。
その窓は綺麗な染料で染め上げられたカーテンで覆われており、大きさもかなりの物だ。
そのカーテンをめくり、窓とその外を見てみると、どうやら外はまだ夜明け前のようであった。
窓はガラスらしい。
人の背丈程もある大きさというだけでも驚きだが、磨き上げられた透明な物だ。
ここまで大きいガラスは、私の世界では貴族連中が屋敷の見栄えを良くするのに使う高価な物だ。
それが軽銀の枠にはめられ、簡単に開け閉めできるようにレールと思われる物に取り付けてある。
「いやまて、本当にガラスかはわからんな。『センスマテリアル』」
ここは異界なのだ。
異界門が繋がった場所が思ったよりも危険な所ではなかったので気が抜けていだが、この大きなガラスが本当にガラスなのか、部屋の所々にある妙な光沢と色を持つ素材が何かも分からない。
そう思いつき、私は素材を調べる魔術をつかった。
調べてみた結果、窓に使われている物はやはりガラスであった。
部屋にある物も、大部分の物は素材的にはさして目新しい物は無い。
しかし、机にあるペンと思われる物やハサミの取っ手などに使われている妙な素材がよく分からなかった。
どうやら、これらは何かの樹脂を硬化させた物らしい。
着色されている色や形状加工、そして滑らかな手触りと、魔術工場で作られているセラミック系統の物と同程度の加工がなされており、素材的にも軽くそれなりの耐久性を持ち合わせているようだ。
「……む? これも同じ素材で出来ているのか?」
と、私が足元から拾い上げた物は、部屋に散らばっていた衣類の一つだ。
ズボンと見られる深緑色の衣類は、両脇に白い布で二本のストライプの飾りが付けられており、それに使われている糸から布地にまで硬化樹脂と近似素材で出来ていた。
「ふーむ……素材的に柔らかいので、こんな加工も可能なのか……
む?こっちはシルクか? それにしても刺繍が精緻に縫い込まれているな――」
「うぅん……」
「――むぉッ!?」
私がズボンの近くに落ちていた小さな衣類を見分していると、いきなり近くで人の声ともぞもぞと動く音がした。
私はそれに驚き、その声の発生源の方へと目を向けると、そこには温かそうな布団にくるまる様に寝ている何者かが居た。
びっくりした……強い魔力や気を感知していなかったので、てっきり無人の部屋なのだとばかり思っていた……
私は恐る恐るその人物が目を覚ましたのではないかとドキドキしながら、布団にくるまっている者を注視すると、どうやらその人物は寝返りをうっただけだったらしく、そのままスヤスヤと寝入っており、私はほっと一安心した。
声からすると女性のようである。
高価そうなベッドと布団から覗く髪は明るい金髪をしており、布団の端からだらしなく投げ出されている足は高貴な者達の様に滑らかな白い肌をしている。
顔も整った目鼻立ちをしており、良い所の貴族の令嬢か姫とも引けを取らない美貌だ。
だがしかし、少々間の抜けた寝顔と寝相の悪さが気品さを打ち消し、妙な愛嬌を感じさせる。
種族は人間のようだな。歳は20より少し上といったところか。
漏れ出る魔力や気は希薄なので、魔術師でもないし、さして体を鍛えているわけでも無さそうだ。
しっかりと手入れされている髪や肌の様子からして、やはり貴族の娘か王族の姫か何かだろう。
おっと、見も知らぬ女性の寝顔を、あまりジロジロと見る物では無いな。
ふーむ……それにしても、部屋の主たるこの娘と、部屋とのちぐはぐさが気になるところだ。
ここにある品々はどれも王侯貴族の持ちうる品々に引けを取らない良い品の様であるし、何かしらの香の香りまで感じる。
ベッドで寝ている彼女の容姿も、それらに釣り合う物である。
だが、部屋の間取りはさほど広くも無く庶民が住まう家のようだし、散らかり放題の様相だ。
この部屋の主は、使用人に掃除や整理をさせていないのだろうか?
まぁ、私室に他の者を入れるのを嫌うという者も一定数居るし、こんな者もいるか。
さて、取り敢えず、ここに長居する訳にもいかなくなったな。
異界だからというよりも、妙齢の女性、しかも高貴な者の私室となれば、マナー的にも現地の法的にもアウトな気がする。
机の上や本棚にある書籍を調べたいという思いに後ろ髪を引かれるが、直ぐにでも退散した方が良さそうだ。
しかし、ここから離れるにしても問題は異界門である。
部屋の中央に展開したままなので、これを如何にかせねばならない。
ここが一番繋がりやすい空間座標でもあったので、少しは場所を移動させる事も出来るが、それでも距離的にこの部屋の何処かに移すのが限度だ。
幸い、この部屋の主は魔術的素養は皆無らしいので、隠蔽する事は可能だろうが、さすがに部屋の真ん中に放置しておいては何かの拍子で見つかったり入られてしまう事になりかねない。
私は部屋をぐるりと見回し、異界門を隠すのに丁度良さそうな場所を探した。
先程、窓の外を見た感じでは、夜明けまでそれほど時間が無いようであったので、少々焦りがある。
この押し入れは……だめだ、衣類が大量に押し込められておりスペースが無い。
なら箪笥や引き出しにでもサイズを調整して入れておくのは……む?これは下着類を入れておく場所の様だ。
こんな所に異界門を隠したのでは、部屋の主に申し訳ない。
なんだか、泥棒をしている気分だ……
他には……机の引き出しか。
開けてみると文房具らしきものが雑多に入っているが、さして重要そうな物は無い様に見える。
鍵らしき物も取り付けられており、少しの間ここに隠させてもらおう。
「『インビジブルスクリーン』『マジックロックキー』……これで良しと」
私は異界門を机の引き出しの内部と同サイズに変更して移動させると、用心の為にそこに不可視の魔法をかけ、引き出し自体に備え付けらていた鍵を利用し魔術鍵を仕込んで閉じた。
これで、暫くは隠し通せるだろう。
さてと、部屋の主が目を覚ます前に退散するとしよう。
私はそう考え、自身にかけてあったファントムボディの能力を使い、その部屋のドアを通り抜けた。
この魔法は体を自在に幽体に変化させ、建物や障害物を自由にすり抜ける事が出来る。
幽体に変化させている間は魔力を消費し続けるので、常時使っていられないのと、魔術的な防御が施された物は通り抜ける事は出来ないが、この屋敷にはそういった結界などは無く、問題無く通り抜ける事が出来た。
部屋を出ると、これまた貴族の一室を思わせる雑多な物がある部屋へと出た。
高級そうなソファーと天板がガラスで出来たテーブル。
床板の上には柔らかな絨毯が敷かれ、部屋の隅にある低い棚の上には黒い板の様な物が乗せてある。
部屋を三分の一ほどを棚とテーブルを組み合わせた物の様な家具で区切っており、その向こう側にはキッチンらしき器具や食器類がみられる。
ふむ……廊下に出るわけでもなく部屋に出たか。
一般的な貴族の屋敷であれば、普通は私室を出ると広く長い廊下に繋がるものなのだが。
先程の部屋も、この部屋も一般家庭と同程度の広さしかないし、構造的にも普通の家屋と同じ物のようだ。
それに、炊事を行う場所が私室の直ぐ近くにあるという事からも、貴族の住まいとしては異質である。
まるで一人暮らしを強いられている様子が見て取れる。
まぁ、それなら、先程の部屋の散らかり具合といい、この家の構造も納得がいくな。
恐らく、先程ベッドで寝ていた令嬢は、何らかの理由で一人暮らしをさせられているのだろう。
「不憫な事だ……」
こんな魔術的にも構造的にも防犯が緩い所に一人で住まわされているという事は、その家系からは疎まれている事だろう。
盗賊や悪しき者達からすれば、こんな所に美しき令嬢が一人で居ては襲ってくれと言うような物だ。
「いや、この令嬢の家族の者達からすれば、それが狙いなのかもしれんな……」
ああいった血筋や家の伝統にまみれドロドロとした世俗では、余計な者を処分するのに、わざと無防備な状態に置き無法者に襲わせて殺害させたり、攫わせて行方不明にさせたりといった事が行われている事があるらしい。
私も冒険中に、そんな者を助けた事があった。
しかし助けたと言っても、その者からすれば無事に帰っても、また同じ目にあわされるか、次は確実に息の根を止められる事になるかもしれないので、状態が好転する事にはならず気の毒で仕方なかった。
私はその者を教会へと連れて行き保護を頼んだが、あの者は元気にしているだろうか――
――おっと、いかん。思い出に浸っている場合ではない。
私は気を取り直すと、この家を出る為に部屋にある別のドアを開けた。
ドアを開けた先は短い廊下があり、玄関と思われる金属製のドアが有った。
玄関には様々な女性物の靴が履き散らかされおり、異界のこの地域では外履きと内履きでは靴を変更する習慣がある事が判明した。
「しまったな……ブーツを履いたまま歩き回ってしまった……」
私は背後振り向き床を見ると、やはり私の足跡が床にはついていた。
これでは彼女が起きた時、私の足跡に気が付き、泥棒か無法者が部屋に侵入したのではと恐怖に怯えてしまうかもしれない。
「仕方ない……『サモン・シルキー』」
と、私は家妖精を召喚した。
魔法陣から現れたそれは、10歳前後のハーフエルフの子供に見えるが、立派な大人の妖精種である。
「御用でしょうかマスター?」
と、メイド服と言われる衣類を身に纏ったシルキーは、私に会釈をして用件を尋ねてきた。
「すまんが、姿を消して、そこの廊下と先にある部屋の床に付いた私の足跡を掃除してくれ。寝室では女性が一人寝ているが、その者を起こさぬように静かに頼む」
「畏まりました」
私が命じると、シルキーは姿を透明化させ、さっそく掃除へと取り掛かった。
私はその様子を少しだけ見届けてから、家の外へと抜け出した。
活動報告で言った新作とは別物です。
書いてて少し煮詰まったので息抜きにと書いてみたら、思ったよりもスラスラと駆けてしまい自分自身でも困惑しています。
この作品は気の向くままに更新するので不定期更新の予定