4-4.凍りついた陰謀
四
「あーあ。完全に外に追い出されちゃった」
閑散とした噴水広場に女性がひとり、ぽつんと突っ立っていた。
イベントが中止になり、周りは侵入を阻む警備員だらけ。イベントがなく展示物も観賞できないのであれば、このエリアに来る用事はまったくなくなる。まるで人払いがあったようだ。
何が起きたのか把握できなければ、記事にもできない。せっかくのチャンスだから、何とかして他の報道局よりも一番にニュースを配信したいのだけれど。
あら?
辺りを見渡していると、ひとりの少女を発見した。
こんなところで、何をしているのかしら?
少女は両手を前にして組み、じっと建物の方を見つめていた。
「ひょっとして、ひょっとするかも」
記者にはピンときた。さっきの男の子の知り合いに違いない。
「ちょっと、そこの君?」
歩み寄って気さくに声をかけた。少女はびくりと体を震わせる。
「驚かせちゃってごめん。君はなんでこんなところにいるの?」
すごく率直に聞いたが、少女は体の向きを正面に向けて答えた。
「知り合いがイベントを見に来たはずなんですが。警察沙汰になってるので何かあったのかと心配で……」
「ああ、そうなんだ。君も何が起きているのか把握してないんだね」
「あ、はい」
少しがっかり。でも、この子と親しくしておけば、あとで出てきた男の子から事情を聞きやすくなるかも。
「あの。イベントを見に来た人ですか?」
「そう。名乗ってなかったわね」
記者は名刺入れから名刺を取りだし、差し出した。
「名前は三田村千小都。二十二歳。好物はフルーツサンド。ええとそれから、とにかく、とある新聞社に勤める新米の記者よ。よろしくね」
強引な自己紹介に、少女は名刺を手にしたままぽかんとしていたのだった。
改めてテーブル台に広げられた三人の所持品。
郡山は鉛筆やボールペン、カッターナイフなど筆記用具が中心で、あとは管理している鍵だ。カバンの中は書類や定期券などが入っていた。
能見は身につけている所持品はなかった。カバンの中は手鏡や櫛など身だしなみを整えるもの、携帯電話、アロマオイルや先ほどの焼きプリン、弁当箱、財布などが入っていた。
桐川はタバコや財布を持っていた。カバンの中は着替えやタオル、彫刻用の工具がいくつか入っていた。堀尾の財布は没収されたため今は入っていない。
「おや、工具は桐川さんしか持っていないんですね?」
岡田が今更な疑問を呈する。
「これは自前の工具なんだ。それ以外のたいていの工具はこの施設で保管してもらっていますよ。普段から持ち歩いていたら銃刀法違反になりそうだし」
桐川が冗談めかすと、岡田は乾いた笑いで反応を示した。
その傍らで、江雷は眼球だけを動かして全体をざっと見渡す。そして、表情を崩した。悔しげに。
やはり、すでに消滅してしまっているか。
犯行を証明する遺留品が。
だが、ぼくの推理が正しければ、もうひとつの証拠が残されているはず。
さらに最悪な場合は、おそらくあれも……。
「さて、江雷君。これで何がわかるというのかね?」
つい江雷の指示通りに動いてしまった警察だが、岡田はそれ以上に全幅の信頼を寄せる。
岡田としては自殺未遂、あるいは自己の可能性が高まったと推測する。
それは、病院へ運ばれていった堀尾の所持品から劇物が発見されたからだ。病院側にいる警備を担当するものに監視を強化させたのは、また自殺を図ろうとするのを阻止するためだが、実はもうひとつの可能性もある。
それは、他の誰かを殺害しようとしていたことだ。能見がよくお菓子作りをすることを知っていたならば、お菓子に劇物を混入させようと図っていたとも考えられるのだ。
それを先ほどは否定した江雷。
いったいどういうことなのか。
「江雷君?」
江雷は質問に答えず、まず関係者の所持品のひとつを手に取った。
焼きプリン。
能見がイベント前に作ったという。
だが、失敗作だというそのありさまは、中身が容器から溢れそうになり、水っぽく蕩けていた。
江雷は少し自分の顔に近づけてみた。
「ダメ! 私の作品に手を出さないでよ。早く返して!」
能見が焦ったように抗議する。
江雷はその様子を見てほくそ笑む。
「何を笑っているの。何がしたいの、あんた」
「ちょっと食べてみたいなって思ったんですよ。ぼくも甘いものに目がなくて。見た目は失敗しててもおいしそうじゃないですか」
「ダメよ。勝手に食べたら許さないんだから。第一、素材の配分を間違えたんだからおいしいはずがないわ」
「それは残念です」
江雷は残念そうに焼きプリンをテーブルの上に戻した。
「おいおい。そんな話をするために所持品を?」
岡田が我慢ならず先を促す。今の行為になんの意味があるというのか。
「重大な隠しごとをしている、怪しい人物が能見さんということです」
「な、なに?」
岡田は驚愕する。
「彼女が犯人だというのか?」
「犯人。おそらくは。だけど、いろいろなことを隠している。そうですね?」
「……」
能見は黙して答えない。
答えない。これこそが答えだ。
都合の悪いことは答えづらく黙ってしまうもの。
「まず、あなたは現場に居合わせていたはずです。それを隠している。だけど細工をしかけたり、鍵をかけた密室を作りだしたりしたことを考えると、疑いは強まりますね」
「つまり、彼女は堀尾さんが血を流して倒れた現場を知っていた?」
「知っていたか、自らが犯人か……。仮に犯人じゃないとしても、他の人に疑いがかかるよう偽装工作をしている時点で、逆に疑わしいんですけどね」
「もしかして、財布の件か?」
いち早く岡田は察した。
「そうです。堀尾さんのポケットに入っていた財布を抜き取り、あとで桐川さんのカバンに入れたんです。そして、何かしらの理由で、うつ伏せに倒れていた堀尾さんを仰向けにした。服装が横にずれていたのはそのためでしょう。なぜ、そんなことをしたんでしょうか?」
「なぜ、って……」
能見は反応に窮する。
「氷を準備したのも能見さんですね。冷たい氷をしばらくの間、手に持っていた証拠がその手に残っています」
「え? あれは火傷じゃなかったのか」
「そうなのか、能見?」
桐川に問い詰められ、黙り込む。
「そして、痛めた肩。それはおそらく重たい氷の塊を振り上げたときに痛めたもの。よく考えたら、大事な作品になる氷を地べたに置くなんておかしいんですよ。つまり、氷を鈍器代わりにして後ろから頭を殴打、そして氷は床に置き、うつ伏せで倒れた堀尾さんを仰向けに変えて、滑って転んだだけの事故に見せかけた」
確かに現場の状況は、その説明で納得がいく。岡田はそう感嘆するが、そうだとすると解かねばならない謎がまだふたつ残る。
「氷は、どうやって手に入れたのかね」
冷蔵庫から。そういう答えを望んでいるわけではなかった。保管庫の鍵を開けるためには、郡山が管理する鍵が必要だ。調理器具を用意するとき、郡山の所持する鍵によって一度開けられた。だが、そのときはまだ氷を出していなかったはず。作品にする氷を出したなんて証言は郡山も桐川もしていない。保管庫の扉はオートロック。岡田も江雷も自然に扉は閉まり、鍵がかかる仕組みになっていることはその目で確認した。郡山はそのあと部屋をあとにし、一度も戻ってきていない。鍵なしで保管庫に入り、氷を取りだすなど、どうやってできるというのだろうか。
「……」
含みを持たせる。
「江雷君?」
「その密室の謎は、論より証拠。再現してみましょうか」
「あ、ああ。わかった」
「失敗するやり方と、成功するやり方、すべてね」
何を言っているのかよくわからぬが、ここは彼の言う通りにしてみよう。岡田はそう決意し、関係者とともに厨房へ移動した。
「そうだ、それっぽい状態にするため、余っていたさっきのプリンをここに置いておきましょう。あとの所持品は、持ち主に返してもらって大丈夫です」
「あれを持ってくるのか」
渋々ながら岡田は能見が持っていたプリンを運んできて、テーブルの上に置いた。その他の所持品は所有者の手元に戻る。
「ありがとうございます。では、お菓子作りを始めて、保管庫を開けてもらうところからお願いします」
江雷が指示を出す。
「そこからやるのか? 保管庫を開ける手段がわかればいいのだが」
「いえ。ここからやらないとダメなんですよ」
「ふむ。では、各自そのときのことを思いだして動いてください」
「料理をしているフリをしていればいいんでしょ」
能見はキッチンに向かってごそごそ始める。
「いや、きちんと再現してください。火は使っていませんでしたか?」
「どうだったかしら」
「使っていたよ」
桐川が指摘する。
「では、そのようにお願いします」
「ったく」
文句をいいながら、能見は換気扇をつけ、火をつけた。
呼んでおいた郡山がやってくると、奥の保管庫を開けるよう指示を出す。
郡山が保管庫を開けると、棚から調理器具を一式取り出す。調理器具を持って保管庫から出る。もちろん氷は持ち出さない。
「ここで電話がかかってきた」
事務室から呼び鈴が聞こえて、郡山は厨房をあとにする。
「能見さんはこのあと一度トイレに立ったんでしたかね」
「そうよ」
能見はキッチンに寄って火と換気扇を止めようとする。
「ちょっと待ってください」
「今度は何よ」
「火と換気扇は止めていったんですか?」
「覚えてないわよ」
「いや、確かつけっぱなしにしていったぞ」
またも桐川が補足する。
「いちいち覚えてないのに」
文句を言いながらそのまま厨房を出る。
「ここで、桐川さんがつまみ食いをしたんですね」
「あ、ああ。小腹がすいていたからね。でも、よくよく考えるとやっぱり堀尾の姿を見ていないのは不思議だな。やっぱりテーブル台の下に隠れていたのかな」
「彼はこそこそするのが好きだから」
能見が厨房に戻ってくる。
早すぎる気がして、岡田はこのまま進めていいか江雷に目配せするが、江雷は問題ないとうなずいて返す。
「俺はここで退散だ」
そういって桐川が厨房を出ていく。
「あんた、私が席を外している間、本当に何もしていないんでしょうね?」
「つまみ食いをしたよ」
「そうじゃなくて。堀尾を、襲ったとか……」
「してないっての」
「では、保管庫に行ってください」
「なんで」
「なんで、って、氷を取りだすためです」
仕方ない、とため息をつきながら保管庫の扉の前に来る。
「鍵を持ってきたわけではないのかね?」
岡田が疑問に思う。
このまま保管庫の扉を開けようとしても、閉まっている状態のはずだ。鍵を持たずに開けられるとでも言うのだろうか。
「持ってないですよ」
江雷が答えると同時に、能見は扉のノブに手をかける。
ごくり。
岡田は固唾を呑んで見守る。
しかし。
がちゃ、がちゃ。
ノブを回そうとしても開かない。
「開かないわよ」
能見は肩をすくめる。
「え、えええ?」
岡田は唖然とした。
開かないなら氷は取りだせない。
やはり無理な話ではないのか?
「そう、これは失敗例です」
江雷は余裕の笑み。
「どういうことだね?」
「足りないんですよ。このトリックを成功させるための、工夫が」
「工夫だと?」
江雷は棒立ちする岡田の横を通って八十島に近づいた。
「先ほど見せてくれたファイル、もう一度見せてくれませんか? 記者が撮っていたっていうあの写真です」
「あ、ああ。まだ持ってるよ」
八十島はファイルを江雷に手渡した。
写真に何かが写っているとでも?
岡田の疑問は解けない。
江雷はパラパラと紙をめくっていく。
「ありました。これです」
江雷は目当ての写真を見つけると、一同に見えるようにファイルを百八十度開いて掲げた。
「建物を写したものらしいが、何が写っていると?」
岡田が真っ先に覗いて気になる部分を探してみる。
「窓が写っていますね」
「窓があるな。少し開いているようだが」
「そう。少しだけ開いた窓です」
「窓枠に鉄柵がはめこまれた窓だが、開いているように見えるのは間違いない」
「これ、どこの窓だと思います? さっき見ませんでしたか?」
「ん? さっき見た?」
問われて、岡田はポンと手を打つ。
「ああ。わかった。保管庫の部屋の窓だ。そういえば窓から広場の景色が見えた」
「おかしくないですかね」
「おかしい?」
「この写真は記者がイベントの前に撮ったものです。つまり、事件が発生したころに撮影したもの。なぜ、その時間帯に窓が開いていたんでしょうか」
岡田は写真から目を離した。もう他に誰も写真を見ようとしないので、江雷はファイルを閉じて八十島に返す。
「そりゃ、誰かが開けたからだろうな」
「誰か開けましたか?」
関係者に問いかける。
首を横に振った。ひとりを除いて。
「能見さんはどうですか? もしかして、調理道具を取るときに、奥の窓を開けたんじゃないでしょうか」
「そ、そうだったかしら。よく覚えていないわ」
なんとなく白を切るが、嘘はすぐバレるもの。
「いや、そういえば道具を取る前に奥でごそごそやってましたな。普段から施錠してある窓だし、誰かが内側から開けないと開かないでしょう」
郡山がそう証言する。
「はあ。わかったわよ。私が開けました。それでいいでしょ」
投げやりに白状した。
「どうして開けたんですか?」
「どうしてって、換気したかったからよ。普段は閉め切ってあるし、冷蔵庫からの熱も籠るだろうし」
「よし、ではもう一度、再現してみましょう」
「ちょっと、いい加減にしなさいよ!」
能見は腹が立ってきて文句を垂れる。いつまで言いなりになっていないといけないのか。
「わかりました」
「え?」
「手間を取らせてしまって申し訳なかったです。だから、次はぼくがやります」
「はあ……」
拍子抜けしたところで、江雷がキッチンの前に立つ。
「では、私が郡山さんの役をやろう」
「じゃあ僕は桐川さんになります」
岡田と八十島が名乗り、スタンバイする。
「では、お願いします」
関係者が自分たちの行動を再現される側になって、様子を見守る。
江雷が換気扇をまわして火をつける。
「保管庫の鍵、お願いします」
「わかった」
岡田は郡山から借りた鍵を手にして、保管庫の扉を開錠する。
「ありがとうございます。ちょっと窓を開けて、調理器具を取ってきますね」
江雷は保管庫の奥の窓を開け、調理器具を一式手にする。ここは先ほどと少し異なるところ。だが、やはり氷は持ち出さない。
「事務室の電話が鳴ったという体で、厨房を出てください」
「わかった。鍵は持ちっぱなしでいいんだな?」
「もちろんです」
鍵を携えた岡田が厨房をあとにする。
先の展開を見届けねばならないので、もういないという前提のもと、厨房に引き返してその後の展開を見守ることにするが。
「あ、念のため、部屋の外で待機していてください」
「ありゃ。見ててはダメなのかね?」
「その方が価値があるんですよ」
価値があるとはどういうことなのか。わからないが、岡田は指示に従って厨房から出、横にずれて室内が見えない位置に立った。
「これでいいかね?」
「オーケーです。では、ぼくも少し席を。と言いたいところですが、特に状況の変化はありませんので省略して、トイレから戻ってきたところから」
「じゃあ、今度は僕が厨房から出ていけばいいんだね?」
「はい。お願いします。関係者のみなさんも、他に誰もいなくなっている状況を作りたいので、いったん外に出てもらって構いませんか」
「私たちも、か」
八十島と関係者たちは厨房を出ていく。
「ドアを閉めようかね?」
「ああ、そこは別に開けたままでいいです。見てないだけで大丈夫ですから。では次の行動に移りますね」
さて、問題はこのあとだが?
岡田は再び固唾を呑んで見守る。と言いたいところだが、厨房の中を見てはいけないことになっている。歯がゆい気持ちで次の言葉を待つ。
一見、先ほどと状況は変わっていないように見える。鍵をなくして、保管庫に入って氷を取りだすことなど可能とは思えないが。
「次の行動を取りました。みなさん、もう厨房に入ってもらって大丈夫ですよ」
合図を受けて、一同は厨房に戻る。
「あ、あれ?」
一同は動揺した。江雷の姿が見えない。
「おーい、どこ行った?」
岡田が声をかけると。
「ここですよ」
江雷が姿を現す。
だが、その様子を見て一同は驚愕した。
なぜなら江雷は、保管庫から姿を見せたのだから。
「ど、どうやって保管庫の中に?」
岡田は驚きを隠せない。鍵は確かに、自分の手の中にある。
江雷は嬉しそうに保管庫から出てきた。
「これが真相です。そう、そのときは鍵を使わずとも保管庫に入ることができたんです」
「いったいどうやって。物でも挟んでおいたのか? それとも糸でも引っかけておいたとか」
ミステリーでよくある手法だが。
しかし江雷は首を横に振る。
「なんの道具も使わなくてもできますよ。必要だったのはこの換気扇だけです」
「か、換気扇?」
それがいったい何になるというのか。
「風ですよ」
「……」
「換気扇で風の流れを起こしたのです」
「……ま、まさか」
「そう。保管庫から厨房に向かって流れる風を作ったんです。保管庫の扉は軽い木製。吹き込む風が邪魔して、閉まりきらなかったんですよ。わざわざ保管庫の窓を開けたのは風の流れを完璧にするため。これで鍵を使わずに保管庫に入って冷蔵庫の氷を取りだせるという寸法です」
「な、なるほど」
岡田は気づいた。先ほど保管庫の中を確認していたとき、扉が勝手に閉まる様子は確かに確認したが、タイミングがおかしかった。窓を一回開けたから、風の流れができて閉まるのが遅くなったのだ。保管庫を出たときは、すぐ閉まっていたというのに。
「すぐにバタンと閉まってしまうわけではないから、そのあと窓を閉めに行くのも造作なくできるでしょう。閉まりきらないようにしておくのが目的だったので、堀尾さん以外が出払ったあとは物を置いて閉まらないようにするのもありですし。こうして氷を取りだして、堀尾さんを襲ったんですよ」
誰が、とは言わなかったが、これを実行できたのは堀尾を除くとひとりだけ。
「残念ね。それをやったのは堀尾じゃないかしら。私がお菓子作りをすることで、換気扇が回ることも予測できていたでしょうし」
「確かに。能見がやったとは断言できないな。テーブル台の下とかに隠れていたなら、能見が見ていない間にこっそり保管庫に入るなどして」
桐川も能見をかばう。事故だと言いたいのだろう。こっそり持ち出した氷を落として、足を滑らせて頭を打ったなどと。
「第一、厨房の鍵をどうやってかけたというの?」
「鍵がかかっていたなら、残された堀尾が内側からかけたと考えるのが普通だ」
もうひとつの密室である。
能見が犯人であるならば、堀尾を殴り倒したあと、厨房の扉の鍵をかけて部屋から脱出せねばならない。
堀尾は殴られてそのまま気絶したという認識だ。堀尾に鍵をかけさせておくことはできない。
「いくらなんでも、こっちの密室は無理だろう。風なんかで、ノブのつまみを回せるわけでもないし」
桐川が追及してくる。
「できるのかね、江雷君?」
岡田にも不安が募る。密室の外側にさらに密室を作り上げるなど、できるものなのか。
「できます」
断言した。
「その証拠は、ここにあります」
ある物を指さす。
一同は注目した。テーブルの上にぽつんと置かれたある物を。
「焼き、プリン……?」
これがなんの証拠になっているのか、皆目見当がつかない。
「そんな柔らかいもので、鍵をかけられるわけがないと思うんだが」
「いい線いってますよ」
「は?」
岡田は褒められた意味がわからなかった。プリンと密室状態の部屋から脱出する術が、どうつながっているというのか。犯人がプリンのようにふにゃふにゃになって、扉からすり抜けたとでもいうのだろうか。
「よく見てください。このプリン、おかしくないですか」
「おかしいも何も、失敗作なんだろう?」
岡田はプリンに顔を近づけて覗きこむ。
「やけに水っぽいとは思いませんか?」
「そりゃ、失敗作だから」
失敗作であることを前提にする。だが、そこに落とし穴があった。
「違いますよ。もともとは普通にできた完成品だったはずです。だけど、あとで多量の水が追加されてしまったんですよ」
何が言いたいのかよくわからない。岡田は肩をすくめて降参の意思を示した。
「鍵を使ったんですよ」
「鍵?」
「別に鍵がかかった部屋から脱出する必要はない。外に出てから鍵をかければいいだけの話なんです」
「だが、鍵は郡山さんが持っているはず」
「そう。だから、生みだしたんです。いや、用意してあったんです。もうひとつの鍵をね」
「もうひとつの鍵?」
マスターキーなどはないという話。スペアキーでも内密で作ってあったのか? いや、まてよ。プリンに水が含まれていると言っていたな。
岡田は真実の扉を開け放とうとする。
「プリンに水。いや、もしそこに氷が入っていたとしたら……!」
「ご明察」
江雷は再びほくそ笑んだ。
「氷の鍵を、使ったんですね」
一同に衝撃が走った。予想の斜め上を行く方法だった。
「そう、おそらく厨房の鍵とまったく同じ形の鍵を、氷を使って作ってあったのです。細かいアクセサリーなどを作る技術を持つ能見さんなら、できること。それが冷蔵庫に一時的に保管してあった形跡が、冷蔵庫の中に残っていましたよ。最初は手で触れて霜が取れただけの痕跡だと思っていたんですけどね。サイズ的に、鍵の大きさでしたから、きっと。それに、シリンダーのところに微妙に水が滴り落ちたような、水が垂れたような跡も残っていました」
「……」
能見は黙って聞いている。
「堀尾さんの財布と余ったプリンを持ち、用意した氷の鍵を使って密室を作りだしたあなたは、控室に行って財布を桐川さんのカバンに入れておき、氷の鍵はプリンに突っ込んでおいた。余熱を持っていた焼きプリンによって、氷の鍵は徐々に解けてなくなってしまう、そういう魂胆だったんですよ」
「そ、そうか。能見はだからつまみ食いをした俺を怒ったんだ。トリックに使うプリンを全部食べられてしまっては困るから」
桐川が内情を理解した。
「証拠はあるの?」
能見が聞いてくる。
「氷の鍵を使ったという証拠でもあるの? 確かに、鍵くらいのサイズの氷を入れていたら、プリンはそのくらいぐちゃぐちゃになっちゃうでしょうね。でも、それはあくまで仮説の話。机上の空論よ。氷の鍵を実際に見ていないし、残ってもいないんだから、確証なんてないわよね?」
自信ありげに胸を反らす。
解けてしまってはこれが証拠だと示すものがなくなる。そういった自信だ。
「……ありますよ」
江雷は静かに答えた。
「氷の鍵を使ったという証拠、そのプリンに残っています」
「だから、氷が入っていたからといって、形が残っていないんだから」
論外だと言わんばかりに笑い飛ばす。
「氷じゃありません。もっと別のものも、そこに混入されているんです」
「えっ」
能見は絶句する。
「その正体は……」
(その5へ)