4-3.凍りついた陰謀
三
個別に話をうかがうことで話を進めたあと、岡田は八十島と合流した。手荷物検査の結果を聞きたかった。
「お菓子はあったか?」
「おかしなところ? いえ、特に不審物は見つかりませんでした」
「……」
「……?」
「ラップに包まれたお菓子は見つからなかったかと聞いている」
「ああ、お菓子ですか。ありませんでしたが」
「能見さんのカバンからも?」
「はい。あるのは弁当箱と焼きプリンくらいでした」
「クーラーボックスとか、持ち合わせていなかったんですか?」
江雷が聞く。
「いいや。全員、リュックや手提げカバンだけだよ」
氷の塊を別途所持していたという線はなしか。
「ところで」
うなだれる江雷を尻目に、八十島が話題を転換する。
「新聞記者が来ていますが、応対しておきますか?」
「はあ? 駆けつけるのが早いな。まだわからないことだらけだから、答えようがないぞ」
「ですよね。もともとはコンクールの取材に来ていたそうです。中止になったものの、この騒ぎを嗅ぎつけて取材にやってきたそうですよ」
すると、通路の奥から呼びかける声が聞こえてきた。
「おーい。刑事さーん。重大事件ですかー? webニュースに第一報としてあげたいから、何か教えてくださーい」
警備員に制止されながらも、必死にこちらに手を振ってくる。
「おいおい。あんなところまで近づかれているじゃないか」
「すみません」
八十島は苦笑い。対応に手を焼いていますといったところだ。
届いた声は女性だが、まるで男の子のような短髪に赤い服装とショートパンツ、スニーカーといった身なり。とても身軽そうだ。必死に手を振り続けている。
「あっ、イベント前からこの辺りを撮影していたから、不審者とか映り込んでいるかもしれませんよー」
無視を決め込もうと考えていた岡田だったが、その言葉が聞こえてつい立ち止まってしまった。
「八十島君」
「はい」
「監視カメラだ」
「はい」
「施設に設置されている監視カメラの映像と、彼女がいうカメラの写真を鑑識に回して分析するよう手配してくれ」
「わかりました」
根負けした。だが、手がかりをくれたのも事実だ。何かしらの形で感謝は伝えておくことにしよう。岡田は結局、手は振り返さずに姿を隠すことにした。
慌てて追う江雷は、記者だという女性が気になって去り際に通路の先をうかがってみる。
「あ」
女性の手を振る動作が停止する。
目が合った。
割と距離はあるが、目が合ったことがわかった。
江雷もつられて動作を停止させてしまうが、八十島に声をかけられて我に返る。
「なんだい、江雷君。ああいう大人のお姉さんに興味あるのかい?」
「なっ」
皮肉られて、江雷は顔を真っ赤にした。
「違いますよ」
否定してからずんずんと岡田の背中を追って進む。
一方、記者の女性は挙げたままだった手をおもむろに下ろす。
「誰かしら、あの子……」
そうつぶやくと、制止する警備員に肩透かしを食らわせるように素早い身動きで振り返り、スマホを取り出して操作を始めたのだった。
「さてと、準備していただいた部屋はこちらかな」
記者から逃げ延びた岡田は、個別に話を聞くために用意してもらった部屋までやってきた。部屋、にしてはずいぶんと広い気がした。
「この部屋は……?」
「展示室でございます」
岡田のつぶやきに、あとから部屋にやってきた人に返事された。
振り返ると、郡山の姿がそこにあった。
「個別に話を聞きたいということで、この部屋を用意させていただきました。この部屋にはこれまでの氷の彫刻コンクールの作品を撮影した写真が展示されています。どうぞ、ごゆっくり鑑賞なさってください」
「ついでに自分たちの作品の宣伝しようとは。いい気なもんですな」
「恐縮です」
皮肉にも笑顔で応じる。営業モードに入っているようだった。
「さて、用件は他でもありません。もう一度うかがっておきたいことがあります」
「なんなりと」
「率直にうかがいます。あなたは厨房や保管庫の鍵を能見さんに頼まれて開けたあと、間違いなくずっと事務室にいましたか?」
郡山の微笑みがすうっと消えていく。
「間違いありません。ずっと事務室にいました」
「それを証明できる人はいますか? 事務室に他の人がいたなど」
「いえ。イベント等で人手を割いており、本日の事務処理は私ひとりで執り行っていました。証明できる人はいないと思います」
「そうですか。鍵も確実に自分の下で管理していましたかな?」
「はい。普段から腰ベルトにしっかりと取りつけて管理しています」
「能見さんはよく厨房を使って料理をされるんですか?」
「趣味だという話ですので。冷蔵庫がチョコやお菓子を冷やすのに重宝しているみたいでして。先日は、納品した氷の作品から甘い香りがするって、クレームをつけられました、はっはっは」
同じ冷蔵庫に保管していたら、匂いが移っても仕方ないだろう。案外、適当なところもあるんだなという印象だった。
「お菓子は、よくお裾分けをもらいますよ。だから、大目に見ちゃっています。今日に限ってはもらえませんでしたけど」
「堀尾さんは、イベントの前はよくどこかに籠ったりするんですか?」
「よくあることです。そのたびに能見さんが邪魔をしに行って、よく口論になっていました。まあ、堀尾さんとしては、実際はつらいんでしょうけどね」
「つらい、とは?」
「ああ、口が滑ってしまいました」
「……」
岡田は無言で郡山を見つめる。
「わかりました。実は、堀尾は腕に古傷を抱えているんです。それが原因でチェーンソーなどで大胆な作品が作れなくなり、ひどく悩んでいた時期もありました」
本番前になると腕がうずき、嫌な思い出が沸き起こる。籠りたがるのはそういった心境からなのだろう。
「その傷はいつどこで負ったものですか? 氷の彫刻と関係ないならいいのですが」
「関係、あるんです……。私はそのことで腹が立たないと言えば嘘になります」
嫌な予感は的中した。
「……そうよ、五年くらい前だったかしらね。その事故が起きたのは」
続いて呼び出した能見が語り始める。
「ある大きなイベントの主催者から氷アートの受注があり、喜んで引き受けた私たちは有頂天になっていた。一人前の技術は身につけたけど、有名になるには程遠かったからね。納品する氷の大きさは高さ三メートルにも及ぶ。意気込んで制作していた私たち三人だったけど、そのときに事故が起きたの」
固唾を呑んで話に聞き入る。
「彫刻の頭上付近で作業していた堀尾が、バランスを崩して転落したの。しかも固い氷の土台の上に。幸い、片腕だけの負傷で済んだけど、工具が使えず制作作業に参加できなくなった。残ったふたりだけの作業で、なんとか納品も間に合わせて事なきを得たわ」
それはよかった、と安堵したのもつかの間。
「だけど、展示されたとき、制作者の名前に堀尾の名が載せられることはなかった。私たちだって抗議して載せてもらうよう頼んだんだけど。堀尾はそれで怒っちゃって、これは何かの陰謀だとか騒いで暴れるようになった。そして、ついにやってしまった」
想像したくもないできごとが、予想できてしまう。
「納品した作品を台から引きずり降ろして、バラバラに壊してしまったの」
「……」
「私たちの面目は丸つぶれ。受注も来なくなった。それで、氷アートで稼ぐことを諦め、当時から郡山が勤務していたこの施設に拾ってもらい、ただの従業員として働くことになったってわけ」
「でも、諦めてないんですね」
「ん?」
「イベントで作品を疲労して、氷アートで人を感動させることに」
「まあね。趣味として。大きな大会に出られたらラッキーだけど」
「ちなみに、どういった作品が得意なんですか?」
「小さいものを作るのが得意かな。ドリルビットを使って花のアートを作ったり。小さいものでも、サンプルがあればだいたいコピーできるわ」
「ほう。つらい過去があるにせよ、前向きに仲良くやっていることはいいことですよ」
「仲良く?」
能見の顔が曇る。
「仲良くなんてないわ」
「違うんですか」
「仲良しではない。私たちと堀尾は」
急に目を血走らせる。どうやらめでたしめでたしというわけではなさそうだ。
「作品の破壊事件があってから、堀尾との仲は険悪なものとなった。転職して従業員となったのも、堀尾から逃げるためもあったのよ」
「ええ?」
「あの日以来、堀尾は私たちに恨み、妬みを言い続けるようになった。だから縁を切って地元を離れ、ここまでやってきたというのに」
「まさか、追いかけてきた?」
「そうよ。当然、私たちは拒みたかったけど、別口の採用手段で入り込んできたの。経歴も偽っていたみたいだから、人事担当が気づくはずもなく。まあ、それは一年ほど前の話。さすがに見つけるのに苦労したみたい。だいぶ人も変わっちゃってたし」
「堀尾さんが、ですか?」
「ええ。前ほど覇気がなくなって、萎れた花みたい。悪気はあったのかしらね? もう一度三人でやりたいって言ってきた。残念ながら、私たちは拒否したわ。それぞれ独自に氷の彫刻をやるのはいいけど、協力することはやめましょうと。それでもまあ、妥協案を呑んでくれて、コンクールを開催するようになって、今日に至るという感じかしら」
完全に話に取り込まれて、岡田も江雷も立ち尽くしていた。その様子を見て、能見は笑う。
「そんな深刻なものでもないのに。殺したいほど憎んでいたのはお互いさまなんだから」
「殺したいほどに?」
まさか、これが動機で? 岡田はすかさず追及する。
「ええ、殺したいほどに。でも、そんなことで撲殺しようとするなんて、私はそこまでバカじゃないわ。残念でした、刑事さん。で、他に聞きたいことは?」
軽くあしらわれた。
岡田が唇を尖らせて押し黙ってしまったので、続いて江雷が質問する。
「ええと、ラップに包んでおいたというお菓子はどこにやったんでしょうか?」
「さあ。私の分は一個だけ残っていたから確保したけど、あとは堀尾が食べちゃったんじゃないかしら。彼、昔から甘いもの好きだし」
昔から? そういえばさっきも、昔からって言葉を使っていた。江雷は五年という歳月を昔と表現するものか。
「ところで、調理道具は出しっぱなしにしておいたんですか?」
「え?」
岡田の質問に、眉をひそめるだけで返せない。
「保管庫の鍵を開けてもらってから、郡山さんは事務室に戻っていますので、それから保管庫には誰も入っていないということですよね?」
「そうね。調理道具はあとで洗ってから返さないといけないし。誰も入ってないわ」
「完全に閉め切ってあったんですね?」
「え、ええ。しつこいわね。さあ。話せることはこのくらい。次の人にパスするわ」
最後に桐川の番だ。
「保管庫は確かに閉めてあったと思うよ。入りたかったら郡山を呼べばいいだけだし」
「あなたたちの過去の話も聞かせてもらいましたよ。大きなトラブルがあったそうで」
「別に隠すことじゃないから。所詮、堀尾は過去の人だし」
「過去の人? それは、ケガを負って制作がままならなくなったという意味ですか?」
そういう意味なら存外失礼な発言になる。たしなめようとしたが。
「違いますよ。能見の過去の人って意味です」
「ああ、そっちですか」
大人の会話になりそうなので、江雷は窮屈な思いがしてきた。
「そう、あのふたりはだいぶ前から付き合っていたんですよ。だけど、例のトラブルがあってから別れることになった。なんとか能見を守り抜けたと思っていたけど、ジョーカーはしつこいよなぁ」
「憎んでいましたか?」
鎌をかけてみる。
「そう、だね。それこそ殺したくなるくらいに。だからって、俺が堀尾を襲ったわけではないですよ。そこは誤解しないでください。奴の代わり、というわけじゃないけど、奴が好かれていたところは全部コピーしてやるって思いなんだ。ずれた嫉妬みたいな感じかな。治したいんだけど」
「お菓子をつまみ食いしたのはもしかして?」
「大正解。本当は甘いもの苦手なんだけど。内緒にしておいてくださいよ」
「あなたが厨房にいる間、堀尾さんは間違いなく室内にいましたか?」
「いましたね」
「桐川さんは結構、力がありそうに見えますけど」
「そうですか? 能見もああ見えて結構力持ちみたいですよ。彫刻の技術は繊細できめ細かいんですけどね」
そう言うと、桐川は展示された写真の前に移動した。
「たとえばこのアニメキャラクターの彫刻。すごいでしょ? 氷の彫刻とは思えない。能見はこういう細かい作品が得意なんだ。俺は逆に……」
別の写真の前に立つ。
「こういうスケールの大きいやつ。滝を遡る鮭の図とか」
「話を戻します。桐川さんが厨房にやってきたのはどういった理由で?」
「控室にいたら甘い匂いがしたから、かな」
「ちなみになんのお菓子だったんですか?」
「焼きプリンでしたよ。小分けにしておいてあったから、一個もらった」
「怒られてしまったみたいですが」
「そうそう。普段はあそこまで怒ることはなかったのに。びっくりしましたよ」
「そのあと部屋を出たんですね。通路で能見さんとか他の人とはすれ違いませんでしたか?」
「誰も」
「実は、あとで確認したらお菓子がなくなっていることがわかったんです。ご存知ないですか?」
「わかりません。鍵もかかっていたという話ですから、堀尾が食べたんじゃないですか。甘党だし。あいつは、甘いものを食べながら死ねるなら本望だと言い張るくらいに大好物なんですよ」
「その堀尾さんとは何か会話をしましたか?」
「話していませんよ。本番前に話しかけると機嫌を損ねるので」
以上で個別の聞き取りは終了した。
が、岡田も江雷も表情は優れなかった。手がかりとなり得る情報がほとんどなかったからだ。結局、保管庫の謎についても真相に近づきさえしなかった。
被害者の証言による先入観を避け、対等に聞き取りしたはずだが、真相は未だに闇の中にある気さえした。
「何か見落としている部分があるのだろうか」
「それとも、氷を準備した堀尾さんが足を滑らせた不運な事故だったのでしょうか」
江雷は諦めの境地に立ちそうになっていた。それならば内側から鍵がかかっていた理由も本人が閉めたと推測できるし、保管庫についても開いているわずかな時間に何かやったと考えればほとんど謎がなくなる。
能見も桐川も堀尾に関わらないようにしていたのならなおさら、そういうチャンスはあるだろう。
「みなさん。お預かりしていた荷物をお返しします」
悩んでいるところに、八十島の明るい声が飛んできた。
借りた展示室をそのまま使わせてもらい、それぞれ荷物を持ち主に返却する。
「やれやれ、何も盗られてないだろうな」
桐川や能見はファスナーを開けて中身を確認する。
「弁当も焼きプリンも無事だったわ」
「ずいぶんトロトロに蕩けちゃってるじゃないか、プリン」
「これは失敗作だから。それよりあんた、そんな財布使ってた?」
「あれ? なんでこんなものがカバンに?」
カバンから手のひらサイズの財布を取りだして首を傾げる。どうやら本人の所有物ではないようだが。
「あんたのじゃないの?」
「違うよ。俺の財布はズボンのポケットに入ってる」
「じゃあ誰の?」
「これ、堀尾のじゃないか?」
「ええ?」
室内にいる一同全員が振り向く。
「見覚えがある。昔から使ってる堀尾の財布だわ」
「なんでそれが俺のカバンの中に?」
「八十島君、いったい全体どうなっているのかね?」
手荷物は警察がきちんと調べたはず。それなのに本人以外の所有物に気づいていないとは何事であるか。岡田は部下を叱りつけようとしたが。
「すみません。その財布には証明するものが入っておらず、てっきりカバンの所有者である桐川さんのものかと」
「むう。他のみなさんも、お手数ですがカバンの中身を確認していただけませんか。自分のものでないものが、もしかしたら入っているかもしれません」
岡田に促されると、三人は一斉にカバンの中を漁った。だが、結局異なる所有者のものが入っていたのは桐川のところにあった堀尾の財布だけだった。
「どういうことですかな?」
「し、知らないよ。俺だって寝耳に水だよ」
あくまで知らなかったと証言する。これは江雷が推測していた、堀尾のポケットから財布が抜かれていたことを証明するものだが、イコールとして桐川が犯人になるかはまた別問題だ。
「八十島君。その財布は鑑識に回して、詳しく調べてもらってくれ」
「わかりました」
「桐川君。まさかあなたが」
「ち、違うよ。これは何かの罠だ。俺を落とし込める罠だ」
「しかし、よくよく考えてみれば、あなたが厨房から出ていく姿を誰も見ていない。もしかしたら、能見さんが料理を終えて、完全に立ち去るまで室内に潜んでいたのではないのかね?」
「そ、そんなわけ……」
「確かに、テーブル台の下なら隠れるスペースあるかも」
「能見まで何を。だいたい、厨房の鍵はかかっていたという話だ。鍵をかけて脱出する術があるというのか」
「鍵、本当にかかっていたのかしら」
「え?」
「え?」
空気が凍りつく。それは盲点だった。
「焦っていたから鍵がかかっているものと勘違いしたのかも。あのとき、急いでいたもんね、郡山さん」
「急いでいたのは確かですね。イベントの時間が差し迫っていたし」
「では、鍵は実際のところかかっていなかったと?」
岡田が問いただすと、能見も郡山も曖昧な答えしか出せなくなる。
「かかっていたと言われればかかっていた気もしますし、かかっていなかったと言われればかかっていなかった気もします。普段から無意識に鍵を使っていますから、記憶も曖昧になるものです」
「そこを立証できればいいのですが……。そうだ。当時の状況を少しだけ再現してみましょう。何か思いだすことがあるかもしれません」
岡田の提案に反対する者はいなかった。ひとりだけ、うなずくことができない者がいたが。
それに江雷も慎重に見極める必要があると思っていた。
鍵がかかっておらず、テーブル台の下に隠れることができたなら、解決にだいぶ近づくことになる。能見がトイレに立ったあとで堀尾を襲い、目につきにくいところに倒しておけばあとは逃げだすだけ。もともと本番前は関わりたくないと公言している能見ならば、わざわざ室内の堀尾を探すこともしないだろう。倒れている堀尾に気づかずに料理を終えて部屋をあとにしたということだ。
だが、本当にそれでいいのか? 何かが頭の中で引っかかっている。まだ何か裏があるような気がする。再現を見守りながら、先入観を捨てて考えることにした。
「では、噴水広場にいたふたりは、堀尾を呼んでこようという話になったわけですな」
証言をもとに当時を振り返る。
ふたりが噴水広場にいたのは事実だと、江雷は補足しておいた。
能見は堀尾がまだ厨房にいるのではないかと考え、室内に入ろうとする。
ノブを回す。
「どうですか?」
「うーん。よく覚えていないわ。急いでいたし」
「急いでいるときって、慣れたドアでも、押して開けるのか引いて開けるのか間違っちゃうことありますよねぇ。僕もこの間、IDカードを読ませないと開かないのに、必死に手で開けようとしてたところを見られて笑われちゃったことがあるよ」
八十島がネタを披露するが。
「……あれ?」
誰も反応しなかった。ひとりくらいは、あるあると共感してほしかったが、無反応だったのでさすがにしゅんとしてしまった。
「それでは、郡山さん。鍵を持って、開けようとしてください」
「あ、はい」
今度は郡山が能見に呼ばれてきたという形で扉を開けようとする。
「何か思いだしましたか?」
「いえ。焦っていて鍵を押し込むのに手間取ったくらいで、やはり無意識でやっていることなので、特別記憶していることはありません」
「そういえば、堀尾が最近、鍵が差し込みにくいって抗議していたよ」
「大丈夫です、桐川さん。その点は鉛筆を使って対処しておきました」
「その他に気になる点は?」
「特にありません」
「そうですか。念のため保管庫の鍵も……いや、あちらはオートロックだから試すも何もないか」
岡田はポリポリと頬を掻く。
江雷も鍵を開ける様をじっと凝視していたが、何も思いつくことがなかった。
思いつくことはなかったが。
あれ? あのシリンダーの下。どうして?
ふと、違和感があることに気づいた。
「そういえば、保管庫の冷蔵庫には、今日はいくつ氷を保存してあったかわかりますか?」
岡田が思いだしたかのように問いただす。
「六個ですね。予備のために冷蔵庫いっぱいに詰めて準備しておきましたから」
それを聞いて、岡田は江雷の顔を見た。
見られた江雷も悟って、うなずく。現場に落ちていた氷は、保管庫の冷蔵庫から取られたものに間違いないということだ。先ほど確認に行ったときは、ひとつ分の空きスペースができていたから。
だが、結局は保管庫に侵入する方法が謎ということに変わりはない。もし桐川が犯人なら、厨房にいるときに何かしら細工をしかけていたと考えるのが妥当か。それなら、その方法を暴かないといけない。
ミステリーなら、糸などを使うのがよくあるパターンだ。
それを使ったら扉付近に糸を使った形跡が残りそうなもの。木製ならなおさら傷跡が残りやすい。でもそのような痕跡はなかった。
ならば、いったいどうやって。能見も一度入っただけで、閉め切ってあったと証言していたのだ。
何かしらの手を使って開けた? いやいや。ピッキングではリスクが高いしできたとしても時間を要する。最初から開いていた? いやいや。自動的に閉まるところを確かにこの目で確認した。
厨房も密室、保管庫も密室、いったい何がどうなっているんだ?
悩む江雷の傍ら、通路の先から若い警官が駆けつけてきた。
そしてひと言伝えてから書類を八十島に手渡す。
「岡田警部。記者が撮影したという周辺の写真、印刷してファイリングしたものが届きました。ご覧になります?」
八十島は受け取ったファイルを岡田に差し出した。
「監視カメラの分析は?」
「まだ経過段階ですが、今のところ不審者は見つかっていないとのことです。それから、自動販売機の上に取り付けられたカメラの映像からは、能見さんや桐川さん、あと江雷君がスタッフ用の出入り口から入る様子が確認できました。他の時間帯もだいたい証言通りに映っていました」
監視カメラに映っていたことを知って、江雷はとっさに肩をすぼめた。あのとき撮られていた上に、関係者外使用禁止の出入り口を通っていたことになるのだ。
「わかった、引き続き確認を頼む」
追及されず、江雷はホッと胸をなでおろした。
岡田はファイルを開いて写真を眺める。
ボケやブレが少なく、ピントも合った写真。バランスもいい。さすがは手慣れた者が撮った写真だ。噴水広場の写真や氷の彫刻コンクールと書かれたのぼりを写したもの、オブジェや建物を写したものなどたくさんあった。
「おや? これは江雷君じゃないか?」
「あ、本当ですね。知らないうちに撮られていたんですね」
監視カメラのことから意識を遠ざけようと、やけに明るく受け答えする江雷。
遠目ではあるが、服装などから本人だとわかる。岡田に指で示されると、江雷は気恥しい思いがした。
近くには桐川と能見の姿もあった。なるほど、あのときに撮られたものか。
ぺらりとファイルをめくる。建物を少しアップにして撮影したものが続く。建物に駆けつけたときに通り過ぎた自動販売機も写っている。
……あれ?
「ちょっと、よく見せてください」
「おう」
岡田は江雷にファイルを手渡す。
江雷は受け取ると、食い入るように顔を近づけて写真を見つめる。
これはいったい、どういうことだ?
だって、あのときは……。
顔を上げて、ファイルを閉じる。風が起こって前髪がなびいた。
こ、これだ。
そうか、わかった。
これを使えば、あの謎が解ける。実行したのも、おそらくあの人。
そして最大の謎である密室トリック。
あの人であれば可能なトリックだが。
「岡田警部。病院から緊急の連絡が!」
そのとき、また別の警官が慌ただしく駆けつけてきた。一瞬、容態が悪化したのか悪い予感が頭をよぎる。
「堀尾さんのポケット内からスポイトが発見されたので回収したのですが、分析をしてみたところ、どうやら中の液体は劇物だった模様です」
「なんだと! それは本当か!」
雷に打たれたような衝撃に、岡田は声を張り上げた。
「は、はい。数滴たらせば致死量に及ぶと専門家が……」
「使用した痕跡は?」
「ありました。ただ、堀尾さんは自分のものじゃないと否定しています。服毒はしていないので、その点は安心だということです」
「わかった。引き続き分析を進めてくれ。あと、手術が終わっても堀尾さんをひとりにせず、一時たりとも目を離さず監視を強化するよう現場に伝えておいてくれ」
「わ、わかりました」
警官が踵を返して立ち去ると、岡田は険しい表情でつぶやいた。
「これは、やはり事故なのか。毒物を使って自殺をしようと。いや、まてよ。これは、他の誰かを殺害しようと目論んでいたとも推測できるな」
「いや。おそらく違います」
真っ向から否定したのは江雷だった。
岡田は声の主に視線を移す。
対して江雷は、相手の手に借りていたファイルを手渡した。
そして、進言した。
「警部さん。もう一度、三人の荷物検査をしてください。いや、とりあえず所持品をすべて出させてください。今すぐ。証拠が消えてしまう前に!」
(その4へ)