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PRIVATE EYE  作者: 広田けい
6/14

4-2.凍りついた陰謀

2020/5/20時点で修正中

   二


 噴水広場は騒然としていた。

 誰かの悲鳴のあと、施設の関係者や警備員たちが右往左往し、ひいては観客を建物に近づかないよう誘導しだした。

 そして、そのあとにやってきたパトカーと救急車。

 急病人か、事件か。人々は不安を膨らませる。

 建物の周りを警察官が等間隔で張りつき、キープアウトの黄色いテープが張られる。間違いない、あの建物の中で事件が起きた。察した人々が沈黙し、静寂の空間になると、噴水だけが広場に音を響かせていた。

 建物の中も物々しい雰囲気となっていた。関係者は警察の監視下に置かれて身動きが取れなくなり、完全に外から隔離、出入り不可、シャットアウトされた。

「ケガを負ったのはこの施設に在籍する堀尾さん。状況から推察すると、後頭部を強打して意識不明となった。症状は脳挫傷と思われ、病院へ救急搬送された。発見してくれたのは同じく施設に勤める能見さんと郡山さん、桐川さん。それから、江雷君か」

「はい」

 岡田警部に名を呼ばれて返事をする江雷。

 関係者は現場のすぐ隣の部屋に集められていた。能見や桐川から説明を受けたあと、まとめに入っていた。

「警部さん。これが発見したときの状態です」

 江雷はスマホを取り出して、画面を岡田のほうに向けた。

「おお、これは」

 画面に現場の様子が映し出されていた。スマホで撮影してあったのだ。

「ちょっと借りるよ、江雷君」

 差し出されたスマホを受け取ると、指で操作しながら画面を凝視する。誤って消しては大変だから慎重に。

 堀尾は仰向けに倒れて気絶していたようだ。その傍らには氷の塊らしきものが落ちている。そして流血して流れた血の痕。

「発見した直後の写真かね?」

「そうです。誰も触ったりしていないなら、そのままの状態です」

「おそらく、この氷に頭をぶつけたんだろうな。しかし、いったいこのでかい氷はなんなんでしょうかね?」

 疑問を呈しながら関係者のほうを見る。

「それは、たぶん彫刻用の特殊な氷です」

 桐川が答えた。

「そういえば、建物の前に氷の彫刻コンクールと書いてありましたな。氷を削って、鳥やら魚やら作品を仕上げるという、あれですか」

「そうです。堀尾も、私も、能見も、今日はそのコンクールに出る予定でした。この状態ではもう中止でしょうけど」

「そうですね。大変残念かと思いますが、このまま中止とさせていただきます。八十島君、施設の関係者にコンクールの中止の旨を伝えてきてくれ。このまま放置していたら、見に来たお客さんも困惑したままだろうからな」

「手配してきます」

「後片付けとかあるだろうが、それは後回しだ。混乱が起きないよう収集、慎重に事に当たってくれ。あと、身体検査の準備だ」

「わかりました」

 八十島が意気込んで部屋を出ていく。

 氷アートが中止になったのは当事者だけではなく、江雷にとっても残念だった。お土産話も、写真も、あとで送ることができなくなったからだ。

「中止というか、延期でいいんじゃないかな。堀尾が回復したら、もう一度コンクールを開き直せばいい気がする。なあ、能見?」

「そうね。このまま無しになったんじゃ気分は晴れないもの。郡山さん、日を改めて開催できるよう調整できないかしら」

「予約の入っていない日があれば優先的にスケジュールできると思います」

 暗くなりがちな気分を払拭して前向きに相談しているところを、岡田が目立つように咳払いをして話に割って入る。

「あー、大変言いにくいのですが、これからの状況次第でコンクールの再開は断念してもらうことになるかもしれません」

「そ、それは堀尾が危険な状態だということですか?」

「いえ。命に別状はないと聞いていますのでその辺は安心してください。ただ、その堀尾さんのケガが単なる事故だとは断定できないところがありまして」

「ど、どういうことですか?」

 すると岡田は三人に歩み寄り、先ほど江雷から借り受けたスマホを掲げた。場面の全体像ではなく、堀尾の体の部分をズームアップした画面となっている。

「こちらをご覧になってください。着ている服が乱れていますよね」

「確かに。でもそれが何か?」

「あなたたちは発見したとき、堀尾さんには触っていませんか?」

 質問を返された三人は顔を見合わせた。

「いえ。触っていません。床に広がっていた血やら水やらがあって近づきにくく」

「オホン。つまり、もし滑って転んで頭を打っただけなら、ここまで衣服は乱れないということです」

 改めて撮影した画面を見てみると、確かに上着がずいぶんと乱れていた。襟元がずれてしまっている。

 渋々ながら納得した三人は黙り込んだ。そこへ岡田は話題を変えて切り込む。

「ところで、堀尾さんとお三方はどのような関係で? コンクールにも出られるつもりだったようですし、何かのグループとかで?」

「私たちは、氷アートの愛好家なんです」

 郡山が紹介を始めた。

「私たちは氷アートの魅力に惹かれて結成した仲間同士です。三人はちゃんとしたスキルを持った氷の彫刻家です。私はセンスがなかったので断念しましたが。ですから代わりにマネージャーのような役目を任されています」

「なるほど」

「あ、本職はこの市民会館の従業員です。美術室には三人の作品の写真も展示されているので、あとでぜひご覧になってください」

「ええ、そうさせてもらいます。その前にもう一度現場を見ておかないとな。江雷君もついておいで」

 岡田が部屋を出ていくと、江雷も慌てて部屋を出る。その場で振り返ってみると、壁にある表札は控室と書かれているのがわかった。すぐ隣の部屋、すなわち現場の部屋は厨房と書かれている。岡田に続いて再び現場に足を踏み入れた。

「鑑識さん、どうですか。だいたいの時間は割れましたか」

 現場検証にあたっていた鑑識が手元のバインダーに視線を落とす。

「はい。室温を鑑みた氷の解け具合などから計算すると、頭を打って倒れてからそれほど時間は経っていなかったと思われます。ここは厨房ですから、凶器になり得るものは他にもありますが、床に転がっている氷が原因と見て間違いないでしょう」

「ふむ、ありがとうございます。ところで、奥の部屋はなんですか?」

 部屋の奥にもうひとつドアがついていた。窓もついていない木製の扉。保管庫と記されていた。

「さあ。ロックされていて手動では開けられませんでした」

「そうですか。あとで関係者に聞いて確認してみることにしましょう。さて、江雷君?」

「あ、はい」

 江雷は急に呼ばれて慌てて返事をする。

「ここまでで何かわかったことは?」

「足を滑らせて頭を強打した不運な事故」

「……」

「の、ように見えますが、実際はそうではないでしょうね」

「ほう」

「不運な事故として片づけるにはおかしな点がいくつかあります。まず、警部さんも気づいた服の乱れ。痛がって乱れただけなら、横にずれるような乱れ方は少し不自然です。それに、手の位置です。人は痛がるとだいたいその場所に手を持っていきます。頭が痛いなら頭のほうに手が行くはず。だけど、写真で見る限り手はまっすぐに下を向いていた。痛がる動作もなく気絶してしまったのなら、痛がって乱れたという服の件と矛盾してしまいます。どちらかの不自然な点に手が加えられたかもしれません」

「たとえば、犯人と争った形跡などと考えられるわけか」

「そういうことです。気になる点はもうひとつあります。もう一度、撮った写真を見てみてください」

 言われて岡田は借りたままのスマホを操作する。

「何か気づきませんか?」

 問題を出されて、岡田は画面とにらめっこしたまま唸った。

「ズボンの後ろポケットですよ」

「ん? 確かに違和感があるな。横にずれているだけじゃなく」

「そう、何も入れられていないポケットが膨らんだままになっているんですよ。もしかしたらそこには、入っていたんじゃないでしょうか。ある物が」

「ま、まさか、財布か!」

 岡田は声を大きくした。

 男は携帯や財布などの小さな手荷物をポケットに入れる傾向がある。もし堀尾も後ろポケットに財布などを入れてあったとしたら。

「盗まれたのか」

「その可能性もありますね。ただ、コンクールに出場する身であるなら、身軽な格好でということで、たまたま自分で抜いておいただけの可能性もあります」

「よし。では三人から襲われた可能性のある時間帯のアリバイの確認と、手荷物の検査だな。奥の部屋は、予想するに氷の保管場所か何かだろう。扉は木製だから、さすがに部屋そのものが冷凍室になっているわけじゃないだろうが」

 ふたりが部屋を出るや否や、チャイムとともに館内放送が響き渡った。

 内容は、氷の彫刻コンクールがアクシデントにより中止になったこと、それに対するお詫びの言葉であった。

 放送はスピーカーを通して噴水広場にも伝わっていた。

 氷アートを待ち望んでいた観客たちは、何事かとざわつきながらも残念そうにその場を去っていく。三脚を立てて撮影準備をしていた人も腰に手を当てため息をついていた。

「まさかの中止……。予定外だわ。記事のネタ、どうすればいいのかしら。待って、落ち着け、私。通行禁止となった施設への通路、慌ただしいスタッフの様子、これは何かあったに違いないわ。締め切りまで時間はある。もう少し粘ることにしましょう」

 ボーイッシュな髪型にショートパンツの女性は、鼻息を荒くして三脚を畳むと軽々と持ちあげ肩に担いだのだった。


 岡田と江雷は再び控室に戻った。ちょうど手荷物がその部屋に置かれていたので預かることにする。そして、聴取が始まった。

「え? 私たちの行動の把握、ですか」

 岡田が聞き込みの旨を伝えると、郡山たちは明らかにうろたえた。館内にいる従業員からの聞き込みは部下たちに任せている。最も被害者に近い人からの聞き取りは岡田が直々に執り行う。

「私は事務室で事務作業をしていました。最後に堀尾さんと会ったのは、通報する三十分ほど前でしょうか」

「発見した際は、堀尾さんの容態を確かめなかったのですか?」

 重要な点。ここはきっちり聞いておく必要がある。

「すみません。今思うと後悔しています。頭から血を流していたので、もう死んでいるかと勘違いしてしまい」

 反省を口にし、その手が震えていた。

「私も腰が抜けてしまって、救命措置とか考えられなかった」

 能見が言う。江雷や桐川が悲鳴を聞いて駆けつけたときの状態は、そのままだったということだ。それから救急車や警察が到着するまで、江雷が近づいて撮影したのみで、他に誰も近寄ったり触ったりすることはなかった。

「能見さんや桐川さんは、発見する前はどちらにいたんですか?」

「俺たちは噴水広場にいましたよ。イベントを控えて、待機していた」

「ほう。イベントにはおふたりで参加ですか」

「いや。堀尾も含めて三人ですよ」

「別行動だったんですか?」

「そうです。気持ちを落ち着かせたいと言って、ひとりで籠っていたようです」

「イベントに対する意気込みが強かったということでしょうかね」

「そうでもないですよ。本番前にひとりになるのはいつものことです。だよな、能見?」

「え、ええ。精神統一が大事だとか、昔からの彼の口癖だったから」

「では、発見したのは堀尾さんを呼びに行ったとき、ということですかな?」

「そういうことです。能見に呼びに行ってもらいました。その間、俺は広場で準備を進めていた」

「能見さんは、堀尾さんが厨房にいることを知っていたんですか?」

「知ってたわよ」

 あっさり答える。

「最後に会ったのが厨房だったから。まあ、一応控室ものぞいたんだけどね。いなかったから、まだ厨房にいるんだって思って」

「ところで、郡山さんはなぜ厨房に? 一緒に発見したんですよね?」

「あ、それは、えっと」

 郡山が口ごもっていると、能見が眉をひそめて不機嫌そうにした。

「私が呼びに行ったからよ」

「呼びに行った? なぜですか」

「だって、鍵がかかっていたんだもん」

「……」

「あ、そうです。呼びに来られたからです。厨房や控室などの鍵は私が一括で管理していますので」

「ちなみに、厨房の奥の扉の先は、何があるんでしょうか?」

「ただの密閉された保管庫ですよ。冷凍庫や工具が保管されています」

「ということは、現場に落ちていた氷は、そこで保管されていたものですかな?」

「おそらくそうです。あれほどの大きさの氷を保管できるのは、保管庫の冷蔵庫だけでしょうし」

「そちらの扉にも鍵が?」

「もちろんです。鍵は例外なく郡山が保管していますよ」

「郡山さん、今もその鍵を持っていますか?」

「はい。私が常に持ち歩いています」

 すると、郡山は取りだした。ポケットの中から、キーチェーンによってまとめられた複数の鍵を。

「少し、お借りしても構いませんか?」

「どうぞ」

「……」

「あの、何か?」

 訝しげに鍵を見つめる岡田と、不安そうにする郡山。

「ちなみに、扉はオートロックではないですね?」

「え? そうですが。厨房の扉は内側からはつまみでロックできますが、オートロックではないです」

「保管庫の扉は?」

「そっちはオートロックです。外からも中からも、鍵がないと開きませんし、勝手に閉まるので自動でロックされます」

「マスターキーや、予備の鍵は?」

「ありません。紛失したらアウトなので、私が後生大事に管理しています」

「ううむ」

 岡田は低く唸った。

 先ほどから微妙な間があったり、合点がいかない様子があったり、関係者から見ればいたずらに不安を煽るものだった。

「もう少し、具体的にみなさんの行動を洗わせてください。発見したときではなく、被害者と最後に関わった時間について」

 三人はそれぞれ複雑な表情で顔を見合わせる。すると、先ほどから不機嫌そうにしている能見が不満をあらわにした。

「ちょっと度が過ぎるんじゃなくて? 聴取は任意のはずでしょ」

「もちろんです。当時のことを明確にしておき、事故なのか事件なのか、確実に把握しておきたいのです。ご協力願えませんか」

「仕方ないわね」

 能見は顔を背けてため息をつく。そこへ桐川がなだめに入っていた。

「刑事さん。俺も能見も堀尾が気になって気が気じゃないんですよ。話が済んだら早く病院へ行きたいです」

 桐川が気持ちを代弁して、肩に手を置く。

 すると、桐川はさも嫌そうにその手を払いのけた。

「痛いじゃないの。やめてよ」

 桐川にとって予想外な反応に目を瞬かせる。

「ちょ、ちょっと不機嫌だな」

「今日ちょっと肩を痛めちゃっただけよ」

 能見はそっぽを向いて、ふんと鼻を鳴らしていた。

「わかりました。では、手短にうかがいます。能見さんは堀尾さんと厨房で会ったのが最後と言っていましたが、厨房では何をされていたんですか?」

「料理よ」

「りょ、料理?」

 厨房なのだから料理をするのは当たり前。だが、あまりにも違和感があった。

「趣味だもん。いいでしょ、そのくらい。気分転換にお菓子作りとかするのよ」

「氷アートも料理も似たようなもの。ものづくりの素質があるんだよ、能見には」

「急に褒めないでよ、照れるでしょ」

 能見が恥ずかしげに手を振る。

 岡田がその手を見て何かに気づく。

「どうしたんですか、その手。赤くなっていますが」

「ああ、お菓子作りのときに火を使ったんだけど、火傷してしまって」

「何をやってるんだ。早く言えよ。芸術家として手は大事だろ。肩だって」

「ごめん」

 桐川にたしなめられて、今度は反駁せず能見はうなだれた。

 話が脱線しそうなので、岡田は慌てて筋道を修正する。

「えー、厨房にいたのはふたりだけですか?」

「桐川も郡山もいたわよ。郡山を呼んだのは鍵を借りたかっただけだけど」

「鍵だけを借りたのではなく、一緒にいたんですか」

「そう。お菓子ができたら毒見してくれる人が必要だし、奥の保管庫も開けてもらわないといけないし」

「毒味って……」

「氷もそのときに出したんですか?」

「氷? 出してないけど。調理道具だけよ」

「桐川さんもその場にいたんですね?」

「いましたよ。氷なんて出してなかった。イベントで使う氷は、直前まで出さない」

「では、そのあとは堀尾さんをひとり残して、お三方とも立ち去ったわけですかな?」

「いや。一番初めに厨房を出ていったのは郡山だよ」

「鍵と毒味だけの役だから」

「だから厳しいよ。そうじゃなくて、電話がかかってきたからです」

「電話?」

「事務室のほうから電話が鳴っているのが聞こえまして。急いで戻って出たけど間に合わず切れてしまいました。どのみち用なしだったのでそのまま事務室で仕事を」

「そのあと能見も席を外したよ」

「ちょっとトイレにね。戻ってきたときには、もう桐川はいなくなってたけど。作り置きしておいたお菓子も数が減っていたし」

「小腹がすいててさ」

「なんてことをしたの! 勝手に食べたらダメじゃない!」

 突如、外の通路にも響き渡るほどの怒鳴り声をあげた。当人のみならず、居合わせた警察や江雷も思わず身をすくめた。

「そ、そんなに怒らなくても」

「ご、ごめんなさい。ついカッとなってしまったわ」

「えー。堀尾さんはそのとき何をしていたんでしょうかね?」

 どうも話がずれていきそうになるので岡田は必死に維持を試みる。

「さあ?」

「さあ、って……」

「部屋の隅っこに座り込んでじっとしていたと思う。本番前は関わることを拒むし、なるべく見ないようにしていたから」

「本当は誰もいない厨房にひとりでいたかったらしいんですが、能見がお菓子をお裾分けするって言ったら、騒がしいのも我慢するって言ってたよ」

「そのあとは完成したお菓子をラップに包んで、部屋を出たわ。桐川は控室にもいなかったから、そのまま噴水広場まで行った」

「工具の準備とかできたから先に行ってたんだよ」

「毒味……じゃなかった。郡山さんはそのあと厨房に戻りましたか?」

「いいえ。ずっと事務室にいました。あとで能見に呼びに来られるまで」

「……」

 ここだ。

 さっきからずっと引っかかっている点。

 岡田も、ずっと黙って話を聞いている江雷も、気づき始めていた。

「その間、鍵を誰かに貸すなどしましたか?」

「してませんよ」

「……」

「あの、さっきから何かおかしなこと言ってますか、私?」

「いえ、大丈夫です。ただ、大きな疑問点が残るんですよ。それならいったい誰が、厨房の鍵を閉めたのかと、ね」

 岡田が公言すると、室内に不穏な空気が漂った。

「誰がって、内側からかけただけじゃないか? 堀尾が」

「普通はそうとしか考えられないわよね。やっとひとりになって、もう誰も入ってこられないよう鍵をかけたんじゃないかしら」

 桐川と能見が考察する。

「てことは、彼は自分で足を滑らせて頭を打ったってことか」

 郡山もその論に賛同した。

 だが、警察の見解は違ったのだ。

「我々はその線は薄いのではないかと考えています」

「なぜです?」

 これは先ほど、岡田と江雷が話し合って得たひとつの仮説だ。衣服に不自然に乱れた形跡があることなど、その内容を伝えると三人は得心がいかない様子ながらも、口をつぐんで黙ってしまった。

「要は、堀尾さんを襲ったあと、何かしらの方法を使って鍵をかけて部屋を脱出したのではないかと、その線も考慮しています。これから、ただ転んだだけなのか襲われたのか、もう少し検証します」


 三人を控室に残し、再び岡田は現場の部屋へ移動した。

「警部さん。問題なのはそこだけではないですよ」

 江雷が背後から声をかける。

「現場に落ちていた氷です。もし今の証言が正しいとすれば、あの氷はどこから沸いて出てきたのか。保管庫にあったものなら、いったい誰が扉の鍵も使わず取りだしたのか」

「わかっているよ」

 力なく答える。

「その点も含めてこれから検証する。もしかしたらオートロックの扉は一回開けたあと、ちゃんと閉まっていなかったんじゃないか。それで犯人もしくは堀尾さん自身が取りだせた可能性がある」

「大いにあり得ますね。ただ、そうだとしてもやはり最大の謎は」

「密室の謎、だな」

 初めて言明する。

 密室。

 もしすべての証言と考察に間違いがないとすると、誰が厨房の鍵をかけたのかという謎が残ってしまうのだ。

「鍵を持っているのが郡山さんだけなら、彼がこっそり閉めに来た可能性があるな。犯行に及んだかどうかはまた別として」

「桐川さんが実は室内に残っていた可能性はどうでしょうか。能見さんが戻ってきたときはもういなかったと言っていましたけど、実際は物置とかに隠れていただけでは」

 推理合戦が始まる。岡田も負けじと応戦する。

「十分にあり得るな。それなら、この可能性はどうだ。気絶していたと思われた堀尾さんが、実はまだ意識があって何かしらの理由で内側から鍵をかけた」

「その可能性はありません、警部」

「あら?」

 真っ向から否定したのは江雷ではなく、現場の検証にあたっていた鑑識だった。

「今しがた病院から連絡がありました。どうやら相当強い衝撃を受けたらしく、殴られそのまま気絶していただろうとのことです」

「なんだ、そうか」

 岡田はふて腐れたように適当に答えた。

「ですが、先ほど意識は回復したようです。会話も問題なくできているそうです」

「おお、それはよかった」

 一転して表情が明るくなる。

「そして、いの一番にこう言ったそうです。俺はあいつに襲われた、と」

「な、なに?」

 さらにその名前を聞いて愕然とする。

「……虚偽の申告である可能性は?」

「嘘か本当かは判別しかねますが、とりあえず意識もはっきりしており、普通に会話が成り立つレベルまで回復しているので、朦朧とした状態での妄言などではないと判断できます」

 岡田は視線を床に落として考え込む。

 被害者からの証言は真相に大きく近づき、犯人の確保に大きな意味を持つ。だが、鵜呑みにしてはいけない。近年、冤罪という無実の罪が被害者からの証言のみで逮捕してしまうケースが増えている中、真実は慎重に見極めねばならない。

「それに、警部さん」

 江雷が岡田の心理を読み解く。

「もしあの人が犯人だとしたら、最大の謎が残ってしまいます」

「密室の謎、か」

「堀尾さんを殴り倒したあと、どうやって内側から鍵をかけた状態でこの部屋を抜け出したのか。まるで魔法のように」

「おかしな話だな」

「ええ、おかしいですね」

 繰り返しているうちに、本当におかしいことに気づく。

「おかしいな」

「お菓子が食いたい?」

 江雷のつぶやきにおかしな反応をしてしまった。それもこれも、お菓子がどうのこうのと話をしていたからだと思うと気が滅入ってしまう。

「お菓子ですよ」

「は?」

 聞き間違いではなかったのか。食いたいかは別として。

「お菓子がなくなっているんです」

「氷と一緒で解けたんじゃ……いや、もう冗談はやめておこう」

 岡田は複数回咳払いをしてその場をごまかした。

「ラップに包んでおいたっていうお菓子が、見当たらない気がするんです」

「確かに。鑑識さん、ラップに包まれたお菓子が、この部屋のどこかにありませんでしたかね?」

「いえ。見ていませんが」

 岡田と江雷は室内を見渡すが、ないものはなかった。あるとすれば。ひとつの可能性を思いつく。

「ひょっとして」

「堀尾さんの胃袋の中か?」

「あり得ますね。内側から鍵をかけたのが、もし堀尾さんで、これが理由だとしたら」

「まさか、つまみ食いを隠れて行うために鍵をかけた?」

「すると、つまみ食いを怒った能見さんが堀尾さんを? いや、そうだとしてもやはり密室の謎が残るか」

 ふたりには筋が通るような気もしていた。なぜなら、先ほどつまみ食いに対して癇癪を起こした経緯があるからだ。つまみ食いであれほど怒るなら、もしかして。

「病院側に伝えておきましょうか。胃の内容物を調査して、判明次第こちらに報告をあげるよう」

「ああ、頼む。そうしてくれ。で、部屋の奥を調べたいからちょっとどいてくれんか」

 部屋の横にキッチンが備えつけられており、中央に広いテーブル台がある。部屋の奥に行くためにはテーブルを避けて左右どちらかの道のみ。右側は堀尾が倒れていた場所で今は通れず、左側は鑑識がちょうど立ちふさがっていて通れなくなっていた。

「失礼しました。どうぞ」

 鑑識がよけて道を開ける。岡田と江雷は部屋の奥に辿りついた。

「問題は、この扉だな」

「そうですね」

 保管庫への扉を前にして立ち止まる。

 扉は木製。やや年季が入っているように見える。

「この扉、ちょっと調べても構いませんか?」

 鑑識に質問を投げると、「調査済みです。どうぞ」と返答があった。

「よし、まずは本当に鍵がかかっているかどうか」

 岡田はノブを持って左右に回そうと試してみる。もちろん指紋はつけないよう軍手をして。

「うむ。回らないし、扉も開かぬ。施錠はされているようだ」

 続いて郡山から借りているキーチェーンを取りだす。複数の鍵がちゃらちゃらと音を鳴らした。

 ただ、鍵にラベルなどが貼られておらず、どれがどこの鍵だか皆目見当がつかない。岡田は手当たり次第に鍵を鍵穴に差し込んでいく。

 と、苦労することもなく二本目で正解を引き当てた。

「すごいですね。ぼくなんてくじ運がないから、たぶん最後のほうまで当たりは引けないと思います」

「褒められているのかよくわからんが。ありがとう」

 つい感嘆してしまった江雷と、素直に喜ぶ岡田だった。

 ドアノブを回し、引いて開く。すると、ひんやりした空気が流れ込んできた。

 冷蔵庫があるから? 否、というよりは、厨房の空気が案外暖かいからだ。気温差があるところで初めてそれに気づく。

 保管庫の中は小ぢんまりとした小部屋だった。室内の電気をつけずともある程度の明るさがあった。部屋の奥に窓があるからだ。密閉された部屋だと誰かが証言していたが、実際には窓が設置されているようだ。

 岡田が歩を進めて窓へ近寄る。江雷も続いた。

 すりガラスのため外が見えない。岡田は開錠して窓を開けてみた。今度は外の暖かい空気が雪崩れこんでくる。

「ああ、これでは出入りできないな」

 窓を開けてみたものの、視界が悪かった。なぜなら、外枠に鉄格子がはめ込まれていたから。この細い隙間では人っ子ひとり通ることはできないだろう。

「窓からの侵入はなし、か」

 かちゃり。

 窓を閉めると、背後で物音がした。ふたりは振り返ってみるが誰かがいるわけではない。

「ああ、扉が閉まった音か」

 すぐに察する。そういえば勝手に閉まってロックされるという話だった。それが確かかどうかも今から確かめねばならない。

 岡田はノブを手にして、左右に回してみたり扉を押してみたりする。だが、開かない。

「うむ。自然に閉まってロックされるという仕組みも本当のようだな」

「これ、鍵を持ってる人が厨房にいて、締め出されたら戻れなくなっちゃうじゃないですか」

「た、たしかに。しつけで押し入れに閉じ込められる子どもみたいだ」

「警部さんはそのような教育を?」

「いやいや。私はいい子だったよ。江雷君こそどうなのかね?」

「ぼくだってありませんよ」

 などというやり取りをしながら扉の仕組みをチェックする。どうやらバネがあって手を離すと自動で閉まる仕組みのようだ。

 室内は冷蔵庫と物置が置かれている。冷蔵庫はキャスター付き、大きさは岡田の背丈くらいある。巨大な氷を保管するには十分な大きさだ。

 岡田は冷蔵庫の扉を開けてみた。白い冷気が逃げだす。両腕で抱え込まないと持てなさそうな氷の塊がいくつか保管されていた。ただ、ひとつ分ほど空いているスペースがある。

「現場に転がっていた氷は、やはりここから取られたものだろうな」

「そうですね」

 覗きこんでみると、霜がところどころに付着している。台の近くには出し入れする際に手が触れたせいか部分的に霜がついていない箇所があった。

「まあ、こんなところだな」

 岡田は冷蔵庫のドアをしっかり確かめて閉める。閉まっていなかったせいでうっかり芸術用の氷を溶かしてしまったら大変なことになるから。

 他に目新しいものは見つからなかった。

 再び鍵で扉を開錠して保管庫を出る。

 なんとなく気になって後ろに目をやる。扉は何も問題なく、自動で閉まっていきロックされた。

 問題点は解消されなかった。調理道具を取りだしたあと、鍵を管理する郡山は立ち去ったのなら、そのあとどうやって氷の塊を取りだしたのかわからない。

 これもまた、密室だ。

「扉のところに物を挟んでいたか?」

「あるいは、誰かが支えていたか」

 岡田と江雷が交互に手段を見出してみる。

 何か、あるいは誰か、それを確認するためには。

「もう一度話を聞く必要がありそうですね」

「それも、個別にな。だが、江雷君」

 岡田は振り返って江雷の正面を向いた。見下ろす眼光が鋭い。江雷も顔を上げてまっすぐに見つめ返した。

「我々は事件だという見解に基づいて動いている。だが、確証があるわけではない。つまり、予想を覆して単なる事故だったという結論に達することもあり得るのだ。その点は踏まえているか? そういうときの覚悟もできているか?」

「……」

 子どもには返事に窮する発言だったか? 岡田は江雷の心境を懸念する。

 江雷は一瞬、目線を下げてから、決意に満ちた目でもう一度相手を見上げた。

「はい、大丈夫です。ぼくは探偵ですから」


(その3へ)


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