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影物

作者: 珈琲 もか

「うわ、もうこんな時間! 門限が過ぎちゃう!」

私、本条リナは急いでいた。

うちの門限は午後五時。友達とショッピングを楽しんでいたのだけれど、楽しみすぎて時間を忘れていた。気が付いたら四時三十分を回っていて、そこからはどんなにラッキーでも家に着くまで三十分はかかったから、もう殆ど、間に合わないことは確定していた。

けれど今日はラッキーな日らしく、駅は空いてるし信号運はいいしで、二十五分で家から七分ほどのスーパーまで来ていた。


「よし、これならダッシュで間に合うかも!」


うちは川のすぐ脇なので、川沿いを走れば信号もなくまっすぐ家に走り込める。が、今日友達とついノリで買ってしまったでっかいクマのぬいぐるみが邪魔だった。とても走りにくい。

腕は疲れるし慣れない走り方だから息は切れるし、どうしても辛くなったので、少し立ち止まって休憩した。

「十秒、十秒休憩したら、猛ダッシュする!」


──一、二、三、四、五……。


頭の中で数えながら肩で息をしていると、川岸へ降りるための、五十メートルほど向こうの階段に座っている、真っ黒い人影が見えた。


「ん……?」


この辺りは大きなビルとかがないから、夕日が直接当たってとても暖かいし、天気が良ければ夕日がものすごく綺麗に見えることで、この辺では結構名所だったりする。だから、普通だったら川沿いの居心地のいい石段に座って景色を楽しむ人がいてもおかしくはないんだけど……この人影は、なんだか違う。

人にしては大きいのだ。大きい人にしても、平均の六、七回りくらい大きいから、人じゃないだろう。このあたりの階段は幅二メートルくらいあるけれど、そこにすっぽりと腰が収まっているらしい。銅像かな、と少し思った。この間ここを通った時はなかったけれど。

全体的にとても暗い。真っ黒、と最初は思ったけれど、よく見たら来ている服が黒いから真っ黒に見えただけだった。輪郭はちゃんと見える、見えるのだけれど……それにしても、暗い。


なんでこんなに暗い雰囲気なんだろう、とちょっと考えて、なるほど! と一人で手を打った。

真っ赤な夕日に照らされるこの時間、川の水も、あちこちに見える散歩をしている人なんかも、ちょっと向こうにある橋も草も階段も、そして私自身も、みんな少なからず夕日に赤く染められている。

それなのにこの人影は……まるで、この赤い光がわざと避けて行ったかのように、一切夕日に照らされていなかった。気のせいか、その人の影も他のものの影よりも濃く見える。銅像にしてもおかしい。


──なんだろう……? 人……じゃないのかな? じゃあ、人影じゃなくて、ただの影って言った方が正確?

と、考えている間に夕日はどんどん沈んでいく。


「しまった!」

十秒はとうに過ぎていた。


「あの暗い人だか銅像だか、なんかよく分かんない怪しいモンめ、門限に間に合わないじゃないの!」


もうなりふり構っていられないので、最終手段。みっともないけどクマさんをおんぶし、クマさんが入っていたビニール袋で私と結びつけて落ちないようにして、ダッシュ再開。脇に抱えて走るよりは走りやすい。犬の散歩をしていた上品なおばさまが好奇と嫌悪の目で見てるけど、もう気にしてられない。イケメンのお兄さんじゃなかったことをありがたく思おう。


少し走って、さっき影を見た石段のところへ来た。

「あれ?」

いない。一本道で、木もないから見通しはいい。石段から立ち上がって何処かへ行ったにしても、私が走っていた十秒とない短い時間で、見えないところへ行けるはずがない。


──どこまでも変な影だなぁ……。


なんて考えていたら、走るスピードがまたジョギング程度に落ちていた。

「もう! なん、だってのよ、あの影! 母さんに、そんなに、私、を、叱って、欲しいのか!」

走りながら話すと息がきれるけど、理不尽なのは分かっていてもやっぱり影に腹が立つので、お構いなしにクマさんを背負って走りながら独り言を言った。


これ以上は遅れたくなかったので、もうその影のことは頭から追い出して無我夢中で走った。夕日はもう沈もうとしている。腕時計を見ると、五時二分前だった。

「ま、間に合わない……!」


こんなに必死で走ったにも関わらず、私が家に着いたのは結局五時三分だった。

母には怒られるし、クマさん背中で結んで走るなんて恥は無駄にさらすし、もう散々だった。


                        ***


次の日学校に行って教室に着くと、昨日一緒にショッピングに行った友達、カナが飛びついてきた。

「昨日どうだった? 間に合った?」

帰るとき、「ごめん、門限忘れてた、急いで帰る!」と言ってきたので、心配してくれたのだろう。うちの門限が厳しいのは、私の友達にはよく知られていることだ。


私はカナをみて首を振った。

「ダメだった。いや、いい感じで時間までに帰れそうだったんだけどさ……」

そこまで話してやっと、あの人影のことを思い出した。


「そうそう、なんか変な人影を見たんだよ、昨日」

カナは不思議そうに首をかしげる。

「人影? なにそれ。お化け?」

「あぁ、お化けねぇ。それは考えなかったけど、なんか人間じゃなかったっぽいよ」

私はカナに昨日見た人影のことを説明した。聞いているうちにカナの顔はどんどん恐怖に歪んでいく。しまった、カナはものすごい怖がりなんだった。


「ちょ、ちょっとリナ! 怖いからやめてよそういう作り話! もう、今夜一人でトイレ行けないじゃん!」

「作り話じゃないって! 本当に居たんだってば!」

「もうやだ! 嫌い! 大っ嫌い!」


と、カナは大げさに走って行ってしまった。

まあ、こういう反応には慣れている。現に、私はたまにカナを脅かす為に怖い作り話をするからそう思われても仕方がない。私はため息をついて席に着いた。


──あーあ、そう簡単には信じてもらえないよね、でっかくて黒い怪しい人影なんて。

それにしてもあの人影には腹が立つ。あの人影のせいでぼーっとしてしまって、門限を三分オーバーしたのだ。


「もう一度会ったら、絶対ガツンと言ってやるから」

もう一度会ったら。

不思議なようだけれど、あんな不思議な影でも私はちっとも怖くなかった。腹は立つけれど、なんとなく、寂しそうだったなぁ、とか思う余裕もある。なんだか昔会ったことある人みたいな気がして、懐かしいような悲しいような切ないような、しょっぱい霧みたいなのに胸を覆われていくみたいだった。


その日は暇さえあればあの影のことを考えて過ごしていた。授業中もちょっと気をぬくとあの不思議な影が夕日の中座っている絵が浮かんできて、ハッと気がつくまで先生の話を聞くのもおろそかにしてしまっていた。

「まったくもう、あの影はことごとく私の私生活を邪魔するなぁ……」


その日の放課後。

私は帰る支度もそこそこに学校を飛び出した。いつもはカナと一緒で、カナの家に寄ってから家へ帰るので少し遠回りをする形になっている。だけど今日はカナを怒らせちゃったし、何よりも川沿いを通って帰りたかったのもあって、一人で帰ることにした。どちらにしてもカナは生徒会がある。そういう時はいつも同じ生徒会の子達を交えて帰っていたから、カナは一人で帰ることにはならないだろう。



なんとなく、走らなきゃいけない気がした。

だから、川沿いの道に入ったところからジョギングペースで走っていたのだけれど、制服でジョギングペース、というのはしっくりこないし周りから見ても微妙らしいので、何かに遅れそうで急いでいる人、という風を装って猛ダッシュに切り替えた。


──そろそろ息が切れてきた、ちょっと休もう……。え、あれ? なんかこの流れ、知ってる気がする?

と思ってふと前を見たら。


いた。


あの影。昨日見た時と同じように、階段で俯くようにして座り込んでいる。やっぱり暗い。あの時は夕日だったけど、今は赤くない、金色の光の中で一つ、暗い空気を出している影。

横を通り過ぎる若い女の人は真っ直ぐ前を向いているけれど、あの暗い影がまるで見えないみたいに凛として歩いていく。


「あのっ……」

思わず呼び止めてしまった。

「はい?」

少し眉をひそめながら、その女性が振り返る。

「あ、あの、あそこの階段……あれ、なんでしょう、ね」


そこでその人が、「あら、なんでしょうね」と答えてくれたら良かった。が、その人は顔をしかめ、「からかってるの?」と言ってさっさといなくなってしまった。


一人残された私は、途方に暮れて影を見つめた。

──何、あれ……。


                        ***


次の日も、私は川沿いを走った。その次の日も、その次も。

影は毎日そこにいた。

カナとはいつも通り、怒らせた次の日に仲直りをした。だからカナと一緒に川沿いを走ろうかとも思ったのだけれど、あの女の人のようにカナには見えなかったらそれこそ怒られるだろうし、私も怖かったから言い出せなかった。


                        ***


影を見に行き始めて四日目。影に変化が起こった。

私はいつも通り走ってきて、途方に暮れて影を見ていた。そうしたら、影が動いたのだ。

やっぱり人の形をしていた。ただ、人よりずっと大きいだけで。

影はゆっくりと頭を回して、こちらを振り返った。


私は足がすくんでしまったみたいで、動くことができなくなった。顔とかは見えないから、どんな表情をしているのかは分からない。けれどただどうしてか、寂しい、というイメージが浮かんだ。寂しいんだ、という直感があった。振り返った影は、振り返ってから私が三つ目の瞬きをした時に消えてしまった。


消えてしまってからも私はしばらくあの石段から目を離せないでいた。かなりの間その一点を見つめてから、ふらん、と家へ向かって歩き出した。なんとなく動転していた。影が動いた、というより、多分こちらを見たのだろう。私の存在を知っていたことが衝撃だった。


                       ***


次の日。

私はいつも通り走った。影はいつものところにいたけれど、今度はただ俯いて座ってはいなかった。私の方を向いて、座ってはいたけれど、頭をしっかりとあげていた。猛スピードで走っていた私は、つんのめりそうになりながら急ブレーキをかけて立ち止まった。


座っているとはいえ、影の座高はとても高い。私と影との間の距離は三十メートルほど。ここから見る限り、座っている状態で、私の背丈よりも影の方が大きいだろうことは容易に察しがついた。目鼻立ちは見えないけれど、影が私を凝視しているのが伝わってくる。こういうのを、気配を感じる、というのだろう。


私も負けずにじっと見つめ返した。すると心なしか、影が笑ったように感じた。気のせいだったかもしれないけれど、私はなんとなく嬉しくなって、警戒心を解いた。怖いものじゃ全然ないんだ、というぼんやりとした直感は、確信に変わった。私はいつものように立ち止まって眺めたりするのはやめて、ゆっくりと影に向かって歩き出した。


影も今日は消えずに座ったまま、私を見つめて待っている。


あと十メートルくらい。

あと五メートル、三メートル、二メートル……。


私はそこで立ち止まった。

影は思っていた通り、座ったままの状態で、私の背丈を軽く二十センチほど上回っていた。

「こんにちは」

思ったより普通に声が出て、少し安心した。

「やあ」

太い声。太くて低くて、寂しそうな声だった。

「怖がらないのか?」

ちょっと驚いているような、それでもすごく嬉しいのを押し隠すような声。こちらが思わず笑ってしまいそうだ。


「全然。いい人っぽいし」

ははは、と、影さんは笑った。

「人か、人じゃないんだが。でもこういう扱いを受けたのは久しぶりだ、うん。我を見ることができる者に巡り会えるのも、久しぶりだな」

「そうなの? 名前はなんていうの?」

「我か? 我に名前はないのだよ。昔いた我を知る一部の者たちは、我のことをただ、『影』と呼んでいたものだが、あの名はいかん、好きになれんでな」


名前がない。悲しい。寂しいだろう。

っていうかその、「昔いた我を知る一部の者たち」っていう人達、ネーミングセンスないな。


「私が名前つけてもいい?」

知らず知らずのうちに、私はそう聞いていた。私も人のこと言えない、ネーミングセンスない人なんだけれど。

「ほぉ、我の名前をか」

影は少し考えたようだった。そして、笑って言った。

「良い、頼むぞ」

「分かった。明日までに考えとくから、待ってて。ところで、あなたは何?」

ははは、と影さんはまた笑った。


「質問の多い娘だな。我は影物かげものという。人間のいうところの、『妖怪』というやつだな、うん。名前の通り、影の妖怪だな。光が当たらん、感じられん。暖かいということを知らん」

暖かい、を知らない。私には想像もできないことだったけれど、それがすごく悲しいだろうな、ということは想像できた。


「それで、この川沿いに来たの? 日がいっぱいあたるから?」

「そうだな。そう聞いたもんだから、来てみたんだが。やっぱりダメだな、分からんよ。だから諦めかけてたんだが、誰か人間が我に気付いたようだったからちょっくら様子をみようかと、ここに毎日寄っておった」


なんだか涙が出てきそうになった。


「じゃあ、私来て良かったんだよね。迷惑じゃないよね」

「とんでもない。いつも楽しみにしておったぞ」

嬉しかった。純粋にすごく嬉しかった。

と、夕日が傾き始めているのに私は気付いた

「あ……ごめんなさい、私もう行かなくちゃ。明日また来るから。名前考えとくから、ここに来ててね!」

「了解した。待っておるぞ」

「うん!」

私が走り始めると同時に、影さんの太い声が私を追いかけた。

「そなた、名前はなんという?」

「リナ! リナだよ!」


私は一目散に家に帰った。すっごく嬉しかった。

怖いなんて気持ちは欠片もなかったし、あの「影物」っていう影さんと話せたことが、もう震えるほど嬉しかった。影さんが何なのか分かっていなかった時の、あの寂しいわだかまりのような物が、一気に解けた気がした。例えるなら、瀕死の植物を根気よく世話していたら、最後に綺麗な花をつけてくれた、そんな気分だ。

私は超特急で宿題を終わらせ、真っ白な紙を一枚とシャープペンを一本取り出し、しばらく考えて、シャープペンで、髪の真ん中にでかでかと、あの影さんの名前を書いた。


                       ***


次の日、私はいつもよりもスピードを出して川岸の道を走り、影さんのところへ飛び込んで行った。

私を見て影さんは顔をほころばせた、気配がした。実際には顔は暗すぎて表情がよく分からないのだけれど、分かる。影さんが笑ったのが、ちゃんと見える。


「おお、待っておったぞ、リナよ。我の名前は見つかったのか」

私はカバンから昨日の紙を取り出して、両手で影さんに差し出した。

「名前、考えました。どうぞ」


影さんは重々しい動作で両手を持ち上げ、紙を受け取った。

そして私が白い紙の中央に大きく書いた名前を読むと、少し顔をしかめた……のが伝わってきた。

「これは我には少し不相応な名ではないか、リナよ。正反対ではないか」

「いいの。ね、この名前、暖かくならない?」


影さんは、「むーぅ」と唸ってから私が書いた名前を反芻し、満足そうに頷いた。


「感謝するぞリナよ。これで我は堂々と名乗ることができる。暖かい名前を、感謝する」

影さんは私に右手を差し出し、にんまりと笑った、のだろう。

「どうしたしまして」

私はその手を取り、影さんに負けないほどにんまりと笑った。


                        ***


私はすぐに家に帰った。

握手した時に伝わった感触。そして、渡された物。

握手した時、手に硬い物が当たった。ん? と思う間も無く、影さんはどこかへ消えてしまっていたけれど、手の中の硬い物は私の手にちゃんと残っていた。

なんだろう、と手を広げると、そこには小さな小さな、大人の親指の爪くらいの、石で出来た人形がいた。目を閉じた、花柄の着物を着て、綺麗な顔をした女の子の石人形。小さいのにものすごく細かいところまできちんと彫ってあった。着物の花柄も、女の子の長いまつ毛まで。

そして、ひらりと翻った着物の裾、その裏には。


りな


そう、彫ってあった。

私は今度こそ、涙が出た。





                        六十年後


川沿いの舗装された道を、小さな女の子が駆けていく。

元気に、あぁ、転びそう……と見る者が心配するほどの勢いで、楽しそうに駆けていく。と、彼女は唐突に、一点を見つめて立ち止まった。擦り切れた古い石段を一心に、目を見開いて立っている。

彼女はゆっくり、ゆっくりとその石段へと歩んでいくと、聞いた。

「ねえ、あなたは、だれ? 大きいかげさん?」

少女が見ていた大きな黒い影は、少女をゆっくりと振り返って笑うと、答えた。

「我か? 我は『影物』という妖怪じゃ。暖光(だんこう)と申す。そなたは、なんというのだ?」


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