4.確信
「…」
言葉を発しようとしても、何も出ない。瀬美南の答えは、優一がある程度予想のつく答えだったから。
(だけど、そんな事ありえる訳が無いじゃないか。こんな夢物語、信じられるものか)
彼の理性が、必死になって「夢物語」を否定する。
―そう、あれは10年ぐらい前。
小学生だった優一には、とても良く懐いていた野良猫がいた。
きっかけは、ほんの些細な事。同級生がその猫をいじめていた。
その同級生はいわゆる「ガキ大将」。優一は逆におとなしく、決して喧嘩が強い訳ではなかった。
それでも、優しさは人一倍だった優一は、ガキ大将に向かっていった。
何発かいいのを貰ったが、最後には何とか助ける事ができた。
以来、その猫は優一の姿を見つけると必ず寄ってくるようになった。
彼もそんな猫の頭を撫で、時には遊び、エサをあげたりもしていた。
そうした関係はずっと続いていたが、1年ぐらい前だろうか。急に姿を見せなくなった。
彼は猫の姿を求めて探し回った。が、いくら町中を探しても見つからない。
その後間もなく…飛鳥へ猫がいなくなった事を相談する為に万森神社へ向かっていた彼は、誘われるようにこの広場へやって来た。
そして、そこで…目の前に立っているこの桜の大木の下で、永遠の眠りについた猫を見つけたのだった―
(あの後、飛鳥に手伝って貰って、ここへ猫を埋めてあげたんだ…埋められるだけの穴を掘って)
(伊関さんがその猫だっていうのか?まさか、そんな…)
信じられない。信じられる訳が無いが、彼女は自分がここに眠る猫だと言った。
ここに猫を埋めた事は、飛鳥しか知らない筈なのに。
(飛鳥が伊関さんに話した?)
(いや、それは無いだろう。あいつとは長い付き合いだけど、飛鳥と伊関さんが知り合いだという話は聞いた事がないし、飛鳥が伊関さんに猫の事を話す理由が見つからない)
「急にこんな事、やっぱり信じられないよね。でも…私にとっては急じゃなかったんだよ。優一君に会えるの、ずっと待ってた」
「……」
「私は優一君に会うためだけに生まれ変わったの。そうして、今ここにいる」
「……」
優一は黙ったままだったが、何かを思いついたように切り出した。
「今度の日曜日、一緒に行って欲しい所があるんだけど…いいか?」
― その夜、万森神社 ―
境内に、瀬美南の姿は無い。月夜に映えるのは、飛鳥1人だけ。
飛鳥は普段の元気いっぱいな彼女からは想像もできないような、憂いに満ちた表情で境内を見つめている。
(優一…彼女は1人じゃないよ。それを知った時…優一はどうするの?)
日曜日。優一と瀬美南は2人で「森崎アニマルランド」に来ていた。
森崎アニマルランドは万森町から電車で30分ほどの所にある、色々な動物と触れ合う事のできるテーマパークだ。
展示されている動物は犬や猫、小鳥といった身近な動物からライオンといった猛獣まで様々だ。
もっとも、さすがにライオンと触れ合う事はできないが。
アニマルランドに入って、2人が最初に行ったのは犬のコーナーだった。
猫の生まれ変わりだというのが本当なら、犬は苦手なのでは?と思ったが、彼女は普通に背中や頭を撫でて可愛がっていた。
そして、猫のコーナーへ。
驚いた事に、瀬美南が足を踏み入れたとたん、猫たちがいっせいに彼女の元へ集まってきた。
「ふふ…みんな、こんにちは」
瀬美南はとても楽しそうだ。
その中にいた一匹の白猫が、優一の脚に頭をこすりつけてくる。
優一はその猫を抱き上げて、
「おっ、お前は俺の所に来てくれるのか」
「にゃー」
「おまえは真っ白で綺麗だなあ。そういえば、伊関さんも確かこんな感じの猫だったよな」
「私はこの子みたいに真っ白じゃないですよ。黒いぶちが入っていて…忘れてしまったの?」
「…そうだったな、ごめん。今の伊関さんが…だから、猫の時もこんな感じだったかな…って」
不満げな表情の彼女に、優一は慌てて取り繕った。
「今の私が…何?よく聞こえなかった」
「いや、それは…気にしなくて大丈夫だから」
「もう一度言って」
「…」
「…」(無言の圧力)
「…今の伊関さんが…その、き、綺麗だから」
「ふふっ、もう…そんなに照れなくてもいいのに。でも…ありがとう」
そう微笑んだ瀬美南は、今までに優一が見たどんな笑顔よりも素敵だった。
胸の高まりを隠すように優一は、
「さ、さあ、そろそろ次に行こう」
「うん、わかったわ。じゃあみんな、またね」
2人が次にやってきたのは、鳩にエサをやるコーナーだった。
「もう…そんなに慌てなくても大丈夫よ」
エサをまくと、白い鳩達はいっせいにエサへ向かってダッシュする。
そんな鳩達を見る彼女の目は、とても優しかった。
優一も瀬美南と一緒にエサをやっていたが、エサをまく優一の右手を、彼女がジッと見ている事に気がついた。
「ん、どうしたんだ?」
「その傷跡…」
「ああ、これか。この跡は…」
「私を助けてくれた時にできた傷の跡だよね?」
「!?それは…」
優一の右手の甲にできた、細長い3センチほどの傷跡。これは確かに、あの時の猫をガキ大将から助ける時にできた傷だ。
もっと言うなら、この傷が猫と優一を助けたと言っても過言ではない。
(あの時…)
―野良猫を助けようとして、ガキ大将に何度目かに殴られた時、右手が木の枝の尖った部分に擦れた。
刺さらなかったのは幸いだったが、それでも擦ってかなりの血が出た。
その血を見て怖くなったのか、ガキ大将は怯んだ。
優一は構わずにガキ大将へ向かっていき、形勢は逆転。
結果、優一は何とか猫を助ける事ができたのだった―
「お世辞にも格好良くはなかったけどな」
「ううん、そんな事、ない…優一君が、この傷が、私を助けてくれたんだね」
「お、おい?」
瀬美南は優一の右手を取ると、そっと傷跡を撫で…愛おしそうに頬を当てた。
「よせよ、こんな所で…恥ずかしいだろ」
優一がそう言っても、瀬美南は頬を離そうとはしない。
「お願い…もうしばらく…このままで」
他人の眼が気にはなったが、優一も彼女の頬が、気持ちが心地良くて、しばらくそのまま触れ合っていた。
夕方、2人は万森の町に戻ってきた。そして自然に、あの広場へ来ていた。
桜の木の下で、優一は瀬美南に話し始める。
「…正直に言うと、信じられなかった。いくら状況証拠が揃っても、猫が人間に生まれ変わるなんて、常識的に考えてあり得ないんだから」
「だから、今日伊関さんと一緒にアニマルランドへ行って、色々試そうと思った。けど…試せたのは1回だけだった」
「猫のコーナーでの事だよね」
「…気づいてたのか」
「優一君があんな間違いをする筈、ないもの」
「まあ、ちょっとわざとらしかったかも知れないけど、伊関さんは否定だけじゃなくどんな模様だったかまでハッキリ言ったし、それに…」
優一は自分の右手を見た。
「この傷跡の事まで言われた時は、もう信じるしかない…って思った」
「優一君は…私がいきなり現れて、迷惑だった?」
そう言われた優一が驚いて瀬美南を見ると、瀬美南は今にも泣きそうな顔をしていた。
「!そんな事は…」
「だって、少しも嬉しそうには見えないし…優一君の口から出てくるのは、否定の言葉ばかり」
「私、やっぱり迷惑な存在なのかな…だったら」
「そんな事はない!」
優一は思わず彼女を抱き締めていた。瀬美南は一瞬驚いた表情を見せたが、そのまま彼の抱擁を受け入れた。
「優一君…」
「こんなに嬉しい、夢みたいな話は無いよ。だけど夢みたいだからこそ、安易に信じてしまうのが怖かったんだ」
「今はもう、夢でもいい、夢なら覚めないでくれって、そう思ってる。本当だ」
「私は、優一君に逢いたい気持ちがずっと残ってて、ただそれだけが残ってて…そうしたら」
彼女が言葉を切った。心なしか、その眼は悲しげに見えた。
「伊関さん?」
「ううん、何でもない。今はそれより…」
彼女が目を瞑った。それが何を意味しているのか、鈍感な優一でもさすがに分かる。
「伊関さ…」
「駄目。瀬美南、って呼んで…」
優一と瀬美南は、別れと出会いのこの場所で、桜の木に見守られながら、そっと唇を重ねた―。
長いか短いか、どれぐらいそうしていただろうか。午後6時のメロディベルが辺りに鳴り響いた。
瀬美南が唇を離す。
「時間になっちゃった…ごめんね、もう行かないと」
「前もそんな事言っていきなりいなくなったけど、何かあるのか?」
「ごめんね。今は話せないの…それじゃまたね、優一君!」
彼女は謝ると、また駆け出してしまった。が、優一は追わなかった。
(彼女の正体が分かった以上、急いても仕方ないだろう。それに「今は」って言ってたしな)
未だ夢を見ているのでは?と思えるけれど、自分の脳が認識しているのは間違いなく「現実」だ。
未だこんな事信じて良いのか?と思えるけれど、今日、自分で確かめて納得したはずだ。
何より、これが現実なら…嬉しくない訳が無いのだから。
(それにしても、瀬美南は…まるでシンデレラだな)
優一は瀬美南を見送りながら名残惜しくそう思ったが、シンデレラと違うのは、彼女にはまた明日、確実に会えるという事だ。
それを慰めに、優一も広場を後にした。
―夜の万森神社、境内には飛鳥の姿。そこにはもう1人、瀬美南の姿もある。
「瀬美南ちゃん…良かったね。でも…」
「どんな結末が待っているのか分からないけど、2人…ううん、3人には幸せになって欲しい」
そう呟いた飛鳥は、やはりどこか寂しげな、悲しげな表情だった―




