2.紛乱
(う~ん…分からん)
1時間目、国語。古木こと「古鬼」の授業中。
(どっからどう見ても、どう考えても…分からんぞ)
分からないのは、もちろん授業の内容ではない。そんなものは全く耳に入っていなかった。
(一体、伊関さんは「誰」なんだ?絶対に、間違いなく初対面のはずなんだが…)
瀬美南の席は優一のすぐ横なので、まともには見られない。
優一は頭の中で、瀬美南の姿を思い浮かべた。
(人違いとか悪戯じゃないとしたら、やっぱり…)
過去にどこかで、彼女と会っている。それしか考えられない。
しかも瀬美南の態度から見て、よほど印象的な出会いをしている筈なのだ。
(なのになぜ、俺は彼女を知らない?)
(…出会ったのが小さい時だったら、姿形が全く変わっている可能性もあるか??)
(…いや、そうだとしても…)
こう言うと失礼かも知れないが、彼女の名前(瀬美南)はかなり珍しい。
例えば「愛」とか「美穂」のように、よく見かける名前とはいえないだろう。
(一度でも名前を聞いた事があるなら、印象に残っているはず…)
(たとえ忘れてしまっていたとしても、名前を聞けば「ああそういえば」ぐらいは思い出せる気がするんだが…)
(なのになぜ、俺は彼女を知らないんだ?)
優一の考えは巡り巡りの繰り返し。思考はまさに「メビウスの帯」状態だ。
「あーもう訳分からん!」
「ほう…藤堂、どこが分からんのだ?」
…思わず口に出してしまったようだ。
「分からんなら、廊下に立って考えるか?(ギロッ)」
「い、いえ!疑問は先生の授業で解決するはずです!ここにいさせて下さい!」
「…ちゃんと聞いてろよ?」
古鬼はそれだけ言うと、黒板に向き直って授業を再開した。
(やばいやばい…古鬼の「お仕置き」なんて、もう二度と受けたくないぜ)
優一は以前、良太の巻き添えを食らう形で古鬼の「お仕置き」を受けてしまった事がある。
その内容は…廊下に1時間立つ事プラス、漢字の書き取り1000字。
精神的にも肉体的にもキツ過ぎるお仕置きだった。
(…とにかく、1人で色々考えたって仕方ない。まずは伊関さんに聞いてみるしかないか)
優一は半ば無理矢理考えを結論づけて、授業に集中する事にした。
休み時間。優一は早速瀬美南に聞こうとした。もちろん「彼女がなぜ自分を知っているか」をだ。
だが、良太をはじめとするクラスメイト達がそれを許してはくれない。
たちまち、2人の席には人だかりができた。
「おい優一、ホントに彼女の事知らないのかよ?」
「だから知らないんだって!」
「しらばっくれてんじゃねえぞ!伊関さんがかわいそうだろうが!」
「かわいそうとか言われてもなあ。戸惑ってんのはこっちだよ…」
「伊関さんも、本当に間違いないの?藤堂君は全く知らないみたいだけど」
「うん…。彼で、間違いはないよ」
「ねえねえ、藤堂君とは?やっぱり過去に何かあったの?」
「うん、あったんだけど…ごめんね、言いふらす事じゃないから」
こんな感じで、2人共質問攻めにあってしまったのだ。とても瀬美南に聞ける雰囲気ではない。
それに瀬美南の方も、優一との事を皆に言い回るつもりはないようだった。
ならば、何とか2人きりの時間を作って聞いてみるしかないだろう。
しかし、いくら向こうがこちらを知っているらしい・自分に好意を持っているらしいとはいえ、自分の知らない女の子をいきなり誘う勇気を、優一は持ち合わせていなかった。
まして、瀬美南は優一にとってまさに理想の女の子(少なくとも見た目は)だったのだから。
余計、気軽に声はかけ辛い。
そうこうするうち、お昼休みもすっ飛ばしてあっという間に放課後になってしまった。
「やっと退屈な授業が終わったな…。優一、この後どうする?」
「悪い、今日は用事があるから先に帰るわ」
「おっ?やっぱり伊関さん絡みか??そうかそうか、そうだよなあ」
「もう反論する気も起きん…じゃあな、良太」
「おう、明日詳しい話を聞かせろよ!」
「だから違うってのに…。伊関さんもまた明日」
「うん、さようなら…優一君」
瀬美南とも短い挨拶を交わして、優一は教室を出た。
(伊関さん…何も言ってこなかったな)
優一はただ挨拶を返した瀬美南の言動を、かなり意外に思っていた。
自惚れではないが、いきなり大切な人呼ばわりだの、キスだのされた身としては、絶対何らかの誘いがあると思ったのに。
(それに…不思議なんだよな)
今日1日、瀬美南と過ごした中で、優一がもう1つ疑問なのは、優一がいくら瀬美南の事を知らぬ存ぜぬと否定しても、瀬美南に全く残念・気落ちした素振りが見られない事だ。
(「大切な人」に自分の事を全く知らないと否定されたらショックだろうし、「何で覚えてないのよ!」って怒ったりするんじゃないのか?)
優一は瀬美南が何を考えているのか、ますます分からなくなってしまった。
(まあ、「おいおい教える」とか言ってたしな。今はそれよりも…急ごう)
そう思いながら優一は校門を出て、学園のすぐに近くにある万森山(まもりやま)に向かう。
放課後こそは瀬美南とじっくり話をしたかったが、今日はどうしても外せない用事が優一にはあった。
万森山は標高200m程の小さな山で、山の中腹には700年以上前に創建された万森神社(まもりじんじゃ)がひっそりと建っている。
普段はあまり人が足を踏み入れない、緑豊かで静かな山だ。
緑深い山道を歩く事10分。メインの山道を外れて、更に歩く事5分。
そこにある小さな広場が、彼の目的地だった。
「やっと着いた…ここに来るのも久しぶりだな」
ここはメインの山道から外れているし、今は平日の夕方。当然のように、広場には誰もいない。
優一は広場の奥にある、桜の大木の前まで歩いていく。
(あいつがいなくなってから…今日で1年なんだな…)
優一は、桜の木に向かって静かに手を合わせる。
と、ふいに声をかけられた。
「こんにちは」
「………伊関さん?」
振り返ると、そこには瀬美南が立っていた。
(…なんで、彼女がここに?)
優一は混乱した。
(まさか、後をつけられていた?いや、そんなはずは…)
確かに、後をつけられるなどとは全く考えていなかったから、後ろに気を配ってここまで来た訳ではない。
それでも、この場所へ来るには人気のない山道を通るしかないのだ。
ましてや、ここは一般の登山客や参拝客が通る山道からは外れている。
相手がプロの探偵でもない限り、後ろに人が歩いていれば気づくだろう。
それでも、彼女がここにいる可能性は、後をつけられたとしか…優一には考えられなかった。
ましてや、転校初日の彼女が、何かの用事でこんな場所に来るとはとても思えない。
「まさか、ずっと俺の後をつけてきたのか?」
「いいえ、違いますよ…それじゃストーカーじゃないですか」
瀬美南は優しく微笑んだ。
「そんな事をしなくても、あなたはきっとここに来てくれるだろうと思ったから」
「……………え?」
(…彼女、今なんて言った?「来てくれるだろう」??)
優一は混乱した。瀬美南は、まるで優一がここに来るのを知っていたかのような口ぶりだ。
(一体なぜ分かったんだ?俺が今日この場所に来る事は、良太でさえ知らないはずなのに…)
彼女の言動、彼女の行動、そして彼女の存在。もう、何もかもが分からない。
「何で…俺がここに来ると分かったんだ?」
混乱する優一は、どうにかその一言だけを絞り出す。
「分かりますよ」
瀬美南はまた微笑んで、桜の木の下…その一点に目を落とす。
― ここは…私が眠る場所だから ―




