表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/21

望むもの6

 ぴたり、と莉啓は手を止めた。

 デスクはすでに、目を通し終わった分厚い書物で埋め尽くされている。椅子の横には、まだ見ていない書物が積んであったが、もうそちらは、必要ないかのように思われた。

「……二百七十四年……」

 ぽつり、とつぶやく。色あせた書物には、はっきりと、セリーヌ=エリアントの名。

 気の遠くなる年月だ。

 それだけの年月を、過ごしてきたというのか。

 白い扉がノックと同時に開かれた。そちらを見やると、白い衣装の裾を引きずり、現れた天女と目があった。

「弥良様……! こんなところへ……」

 慌てて立ち上がり、深々と頭を下げる。天女は、悠良とよく似た髪を揺らし、不満そうに唇をとがらせた。

「固い。莉啓ちゃん、そんなんじゃ苦労するわよ」

 何度いったかわからない台詞を口にして、デスクに歩み寄る。高く積まれた書物に、感心するような声を出した。

「仕事早いわね。こっちで職に就いてもらおうかしら、いまからでも」

 莉啓は狼狽した。

「いえ、私は、悠良様の警護を……」

 その様子に、こらえきれずに天女は笑い出す。冗談よ、といいながら、莉啓が開いたままにしていたページを覗いた。

「……あったのね。そう……つまり彼女は、こちら側の不手際が生み出してしまった魔女、ってことね」

 他人事のようにつぶやく。答えられず、莉啓は押し黙った。

 もちろんそれだけではないのだろうが、天女のいうことは正しい。三百年近く放っておかれるようなことがなければ、もう少し、事態は違っていたのだろう。

「悪いお知らせよ、すぐに下に戻ってもらいたいの。目的が果たされているのなら、よかったわ」

 天女は真剣な瞳を見せた。

「何者かによって、天界と下界をつなぐ扉が、むりやり開かれようとしているわ。おかげで、転生を待つ魂たちが、ざわつき始めている」

 莉啓は息を飲む。むりやり開くなどと、果たしてそのようなことが可能なのか。

「やっかいなことに、力の波動は悠良ちゃんのものなの。でも、明らかに彼女の意志ではない──わかるわね、どういうことか」

「──! 悠良が……!」

 莉啓はすぐにでも飛び出そうとする。デスクと壁の間をすり抜けようとしたところを、天女は阻んだ。がん、と壁を蹴るように、右足を出したのだ。ささやかなスリットから、白い足が露出される。

「慌てないで……ね?」

 にこりと微笑む。かつて下界で大暴れしたという逸話を思い出し、莉啓はおとなしく止まった。

「場所を割り出したら、やっぱり、ちょうどあなたたちが絡んでいる地域に間違いないわね。莉啓ちゃん、あなたには責任を果たすだけの能力が、あるはずよね」

「誓って、必ず」

「なら安心」

 天女は足を壁から離し、片手を上げた。静かな動きと同時に、澄んだ鈴の音が莉啓の耳に届く。

「莉啓ちゃん、ファイト!」

 明るい声に背中を押され、莉啓は下界へと向かった。

悠良に危害が及んでいるというのなら、一秒であっても、立ち止まっているわけにはいかない。


 注意深く気配を読みとりながら、幾つもの部屋に足を踏み入れたが、怜は未だ悠良を見つけ出せないでいた。

 どう考えても、無駄なほどに、広い。

「……絶対部屋とか余ってるよな」

 どうでもいいことをつぶやきつつ、探索を続ける。地下と一階はすべて調べた。残されているのは、あと二階の半分ほどだ。

 いきなり扉を開け放つようなことは、無論しない。戸の前でなかの様子をうかがい、それから確かめていくのだ。これだけまわっても、ひとの気配があったのは、地下の翠華がいた部屋と、一階の子どもたちがいるであろう三部屋だけだった。十以上部屋をめぐり、いいかげん飽きてくる。

 しかし、もちろん、集中力を途切れさせるような真似はせず、怜は次の部屋の戸の前で、耳をそばだてた。

 伝わる、かすかな息づかい。誰かいることは確かだ。

 怜はそっと棒を持ち上げ、わざと扉の前で壁を軽く叩き、音をたてた。そのまま身を隠し、ときを待つ。

 誰も出てこない。

 少なくとも、部屋のなかにいるのは、セリーヌではないだろう。

 戸を開けようと、手をかける。鍵がかかっていることに、怜は手応えを感じた。

「よくやった、俺」

 つぶやいて、懐から金具を取り出した。鍵穴に入れ、数秒、いじる。

 戸が開いた。

 少しだけ開けた状態で、念のため身を隠す。そうして、素早く部屋のなかをうかがい、息を飲んだ。

「悪趣味っ」

 思わず声に出す。赤い天井と床。壁一面に飾られた赤い花。正気の沙汰ではない。

 しかし、部屋のベッドに横たわる人物が、一層怜を驚愕させた。

「悠良──」

 すぐに駆け寄り、呼吸を確かめる。弱々しいが、確かに息をしていることに、とりあえず胸をなで下ろした。眠っているのだろう。しかし、その頬や首もと、手足──見えないが恐らく身体中に、黒い文様が描かれている。かき消そうと頬に触れたが、物理的な力では消えそうもない。

 怜は鋭く舌打ちした。彼女を抱きかかえようとするが、持ち上がらない。強い力でベッドに引っ張られているかのようだ。

 術を解除する術はないかと、室内を見わたす。考えられるのは、赤い花。だが、壁に近づくと、見えないものに阻まれ、跳ね返された。加えて、目眩が怜を襲う。

「厄介……! これは啓ちゃんの管轄か」

 ふと、ベッドの前の空間に、扉があるのが目に入った。先ほどはすり抜けてしまったようだ。実態のない、半透明の扉。数センチだけ、開かれている。

「見たことあるな……天界の扉?」

 触れようとするが、触れることさえできない。怜は思考を巡らせた。

 少なくともここにとどまるのは得策ではない。再び術中に落ちることは目に見えている。とはいえ、悠良は意識を失っており、連れ出すことも出来そうにない。

「……もうちょい我慢しろよ」

 怜は悠良の赤い髪を撫で、さっと部屋を抜け出した。


 レグはひとり、部屋にこもっていた。カンパニーで働いている少年たちには、四人に一部屋があてがわれている。ひとりになりたいと告げ、部屋に入ったのだ。

 ベッドが四つと簡易テーブル、クローゼット、鏡と水桶の置かれた、質素な部屋だ。それでも構造そのものが良いので、町の安宿よりはしっかりしている。

 自分のベッドに座り込み、レグはぼんやりと思いをめぐらせていた。考えがまとまらない。やはりこのような状態で、ここに戻ってきてはいけなかったのか。

 頭が混乱している。

 何をすべきなのか、わからないでいた。

戸がノックされた。誰が入ってくるのか、ノックの音で察し、レグは身を固くして、静かに戸を見守った。

 戸が開かれ、入ってきたのは、やはりセリーヌ=エリアントだ。

「戻ってきたのね、お帰りなさい」

 柔らかく微笑み、戸を閉める。レグに歩み寄り、しゃがむと、抱きかかえるように彼の頭を撫でた。

「気は済んだの?」

 優しい声だが、とげのあるいい方だ。レグはセリーヌの優しい顔を見つめた。

「セリーヌ……ぼくは、どうすればいいのかわからないんだ」

 なぜか素直に、そんな言葉を口走っていた。セリーヌは目を細める。

「馬鹿な子。ずっと、ここに……わたしのそばにいればよかったのに。わたしから離れていくんでしょう」

「セリーヌ……」

「いいのよ、離れたいんでしょう?」

 残酷な笑み。レグは目を見開く。

「そんなこと」

 そんなことをいわないで──いい終わるよりも早く、セリーヌの首もとに長い棒があてられた。かすかに顎を持ち上げる。

「レンさん──!」

 戸が開く気配すらわからなかった。怜は彼女の背後に、音もなく立っていた。

「あんまりいじめないでよ、見てる方の胸が痛む」

 軽い声が投げられる。セリーヌは振り返ることも出来なかったが、おもしろがるようにちらりと視線を動かす。

「また来たの。つくづく暇な男」

「これでもいろいろ忙しいんだけどな。こっちには、そちらさんほど時間はないんでね」

 セリーヌの眉が、かすかに、不快そうに動く。

「……失礼な男ね」

「それはどうも」

 いちいち癪に障るいい方だ。

「こんなところにわざわざ来るほど馬鹿ではないでしょう、あなたは。なんの用?」

怜の声音は変わらない。

「それがわからないセリーヌさまではないでしょう」

「……無駄よ」

 掛け合いを諦め、セリーヌは吐き捨てた。戸惑うレグの表情を楽しみながら、背後に声を投げる。

「悠良さんはあそこから出られないわ──扉が開くまでね。そういう術よ。無理に解除すれば、あの子の身の安全は保障できないわね」

 一瞬、怜は黙った。

「……信じろと?」

「別に信じる必要はないわ。大事な姫が息絶えるのを見て、後悔なさい」

「…………」

 そうきたか──怜は素早く思考を巡らせる。しかし、これでは、動きようがない。

 くすくすと、彼女は笑った。

「二日よ──あと、二日。二日後には、解放するわ。悠良さんに恨みがあるわけではないもの」

「じゃ、いったん引こうか」

 怜は棒を彼女の首にあてたままで、レグを見た。レグはセリーヌと怜とを、困惑したように見ている。

「レグはどうすんの。残る?」

 急に振られ、え、と声を出す。

 少し考えて、レグはうなずいた。

「ぼくは残るよ」

 このままでは、ここを離れられない。

 まだ何のけじめもつけていないのだ。

「あ、そう。じゃあ俺は、ひとり寂しく出直そうかな」

 怜は棒はつかんだままで、空いている片手を伸ばした。誰もいないベッドに転がっている枕をつかむ。

 それを放り投げ、棒をくるりと回し、素早く突いた。破裂した枕から羽根が飛び散り、一瞬、二人の目が奪われる。

 ひらひらと、羽根が床に落ちるときには、怜は姿を消していた。

「おもしろいわね」

 小さくつぶやき、セリーヌは妖艶に笑んだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ