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望むもの5


 吹き抜ける風は冷たく、曇り空は光をとおさず、レグは無意識に上着の首もとを握った。やはり持って来てしまった右手の日記にちらりと目をやり、それから前を見る。

 数歩先を、長い棒を持った人物が歩いている。足取りは速く、宿を出てから、ひとこともしゃべらないでいる。

 レグにはまだ、わからないでいた。

 こんな気持ちのまま、カンパニーにたどり着くことは、ひどくいけないことのように思われた。

「……レンさん」

 呼び止める。その声に、怜は半分だけ振り返り、それからスピードを落として、レグの隣に並んだ。

「暗い顔」

 ただ並び、彼の顔を見るわけでもなく、そんな言葉をよこす。レグは唇を噛んだ。

「……迷ったことは、ない?」

 そして、漠然とした疑問を口にした。

 怜は少し考えるようにして、黙ったまま街道を進む。舗装されていない、でこぼこの道。少し離れた両側には、整えられた木々。

 まだカンパニーの門は小さく見えるだけだ。

「あるよ。いまでも別に、正しいかどうかなんて知らない」

 レグは立ち止まった。数歩先で足を止め、怜は振り返る。

「別に、こっちは神様でもなんでもない。お仕事をね、しているだけ」

 少し辛辣ないい方だ。レグはうつむいている。その両手に、力がこもっているのが見て取れる。

「生きていることと、死んでいることは、何が違うの」

 レグの声は震えていた。

「どうして、ここにいては、いけないの」

 怜は、いまにも泣き出しそうな少年のもとへ戻り、しゃがみこむと、彼の両肩をつかんだ。

 レグが顔を上げる。怜は見たことのない、怖いぐらいの真剣な目をしていた。

「レグは何がしたい?」

 単純な問いだ。しかし、答えることが出来ない。

「世の中の法則とか、こうすべきだとか、何が正しいとか、くだらない」

 聞いたことのない、偽らない声だ。レグは目が離せないでいた。

「どうしてここにいちゃいけないかって、そんなもの、天界のルールでいえば、いくらでも説明できる。でも知りたいのはそんな決まりごとじゃないだろ。そんな大事なものを、他人に託すな」

「……でもぼくは」

 どうすればいいかわからないんだ──続く言葉は口にしてはいけない気がして、飲み込んだ。怜のいっていることが、理解できないわけではない。しかし、理屈と、心とが、うまくかみ合わない。

「俺は──俺たちは──利害が一致するなら、レグに協力する。それだけ。もっと単純に考えて、好きなようにすればいいんじゃないの」

 最後は優しく、レグの頭を撫でた。

 レグはうなずく。

 おかしいと感じたこと、間違っていると感じたこと、そしていまの迷いもすべて、自分の確かな気持ちだ。まだ答えは出ないけれど、少なくとも、立ち止まっているわけにはいかない。

「ごめん、行こう」

 仲間を助けたいという願いは変わらないのだ。

 レグは顔を上げた。


 屋敷に到着したレグは、もちろん何の問題もなく、屋敷のなかに入っていった。怜は、今度は正面から入るようなことはせず、扉を開けに出てきたエイン=リーダの隙を見て、こっそりと忍び込んだ。もう、失態は許されない。

 足を踏み入れるのはこれで二度目になるが、やはりセンスがよくわからない。そもそも赤絨毯を敷き詰める感覚が謎だ。そんなことを思いながらも、ひとに見つからないように細心の注意を払い、怜は歩を進めた。

 屋敷のどこかに、悠良や翠華がいるはずだ。セリーヌはもう、侵入者の存在など気づいているかも知れなかったが、彼女に出くわす前に二人に会わなければ。

 正面から気配を感じ、怜は素早く廊下を曲がった。天井に張りついて、息を殺す。

 歩いてきたのは、黒髪の魔女。セリーヌ=エリアントだ。

 少しだけ考えて、彼女のあとを追う。セリーヌは数回角を曲がり、階段を下って地下に入ると、奥の戸を開けた。

 戸が閉められたのを確認し、ぎりぎりまで近づく。耳をそばだてると、声が漏れてきた。

「……こんなことをしてもムダだよ、セリーヌ」

 聞こえてきた声は、翠華のものだった。


 目を覚ますと、翠華は両腕を縛り上げられ、壁から吊されていた。色彩のない質素な部屋は、もともと牢獄として使うためのものなのか、石の壁が張り巡らされ、部屋の中央は鉄格子で仕切られている。

 部屋のなかに現れたセリーヌは、鉄格子の前で薄く笑った。

「なら逃げて良いのよ」

何でもないことであるかのように、優しく声をかける。

「それにしても綺麗ね、森の妖精を捕まえた気分。あなたのその緑色の髪も、瞳も……そう、その少し警戒した顔も、素敵だわ」

「警戒? うぬぼれないで欲しいね、君になにができるの。ここから逃げ出すことなんて、それこそ造作もないよ」

 自由を奪われた状態であっても、翠華は不敵にいい放ってみせる。セリーヌはまったく意に介さない様子で、かまわないわ、と答えた。

「あなたはわたしの、邪魔はしないでしょう? わかるのよ。あなたは、わたしと、同じだわ」

確信しているいい方だ。

「おもしろいね。こっちとしては、一緒にされたくはないんだけど」

「虚勢も張るのね、かわいらしいわ」

 くすくすと、彼女は笑う。話にならない──セリーヌの様子に、そう翠華は判断する。真っ向からはなしをしたとして、通じる気がしない。

翠華は口を開くのをやめ、セリーヌを見つめた。黒い髪、黒い衣装、そして赤い爪。ずっと望みを追い求めてきた、魔女の姿を。

「見届けてちょうだい、翠華。わたしが、望みを叶えるところを」

 歌うように、彼女はつぶやいた。

「もうすぐ叶うの。悠良さんが、協力してくれるのよ」

 翠華の顔に、初めて動揺の色が浮かんだ。

「なにする気?」

「あら、そのつもりでここに来たんでしょう?」

 セリーヌは、少女のように笑った。

「楽しみだわ」

 そうしてついと踵を返し、戸を開けようと手をかける。少しだけ振り返り、吊された翠華を、もう一度見た。

「わたしは幸せになるわ。あなたはそれを、見ていてね」

 戸が開かれた。足音が少しずつ、遠ざかる。

 残された翠華は、大きくため息を吐き出した。うっすらと頬ににじむ、冷や汗。

「……やばいかな、ちょっと」

「うっわ、だっせー」

 不意に声がした。驚いて顔を上げると、戸を開けて怜が身を滑り込ませるところだった。

「怜!」

「助けに来たわけじゃないよ、悪いけど」

 相変わらずの飄々とした口調でいって、拘束された翠華をまじまじと見る。おもしろそうに唇の端を上げた。

「貴重な光景だね。おまえがつかまるなんてよっぽどだ」

「怜が操られてたのも、おもしろかったよ……そういう相手だってことじゃないの、あの女は」

 明らかに身動きの取れない状態であるにもかかわらず、翠華もまた軽口をたたく。怜は、床に座り込んだ。

「ま、その魔女を相手にするために、いろいろ聞いておかなきゃな。とりあえず、さっきの会話からすると、悠良ちゃんは捕まってると考えても?」

 痛いところを突かれ、翠華は急にしおらしく、瞳を伏せる。

「……ごめん。それについては、いいわけのしようもない」

「あそ。ま、反省はあとでひとりでして。──どういうことなのか、説明が先だな」

 口調はあまり変わらないが、伝わってくる雰囲気が、怜の静かな怒りを如実に物語っていた。翠華はおとなしく、口を開く。

「魂を、提供しようと思ったんだ、セリーヌに。悠良嬢の力を借りて」

 少しだけ眉を動かし、怜は黙っている。無言の促し。

「セリーヌの気の済むようにやらせようと、思った。もちろん最悪の事態にはならないよう、こっちでコントロールするつもりだったけど。やらせて、それでも望みは叶わないんだと思い知らせて……それで、彼女の魂に、認めさせようと。ここにいることの無意味さをね」

「乱暴だね。嫌いじゃないけど」

 感想を述べる。少なくとも、莉啓ならば絶対にしない選択だ。何より、悠良に危害の及ぶ可能性が高いのだから。

「で、要するに失敗して、この状態なわけね」 

「……うん」

 怜は立ち上がった。鉄格子の隙間から棒を差し入れ、翠華の両手を拘束している金具に触れる。

 仕掛けなどされていない、ただの拘束具のようだ。

「この程度なら自力でなんとかなるな。そんじゃ、俺はこれで」

 そのまま、助けるわけでもなく、部屋をあとにする。

「……そうとう怒ってるな……」

 縛られた手をぎしりと動かし、何の手助けもなかったことに、翠華はぽつりとつぶやいた。

 とはいえ自分の失態だ。自分で何とかしなくてはならない。

 セリーヌの自信に満ちた笑顔が脳裏に蘇る。  

「見届けようか、セリーヌ」

 ぐきりと、翠華は自ら腕の関節をはずした。


「お帰り、レグ! なかなか戻らないから、心配してたんだ。休暇だったんでしょ?」

 満面の笑みで迎えられ、とまどいを隠しきれず、レグは返答に詰まった。エイン=リーダは、いつもの気の弱そうな様子とはうってかわって、喜びを全面に押し出している。

「今日はね、半分ぐらいは町に仕事に行っているけど、あとはみんなここにいるよ。ねえ、話を聞かせてよ。町の方にいたの? いいな、ぼくも休暇をもらおうかな」

 いつもより多くしゃべり、レグたちの憩いの場としてあてがわれている、広いリビングの戸を開ける。なかでは、何人かの少年少女たちがくつろいでいた。

「レグだ! どこ行ってたんだよ」

「お帰りなさい、レグ」

 口々に声をかけられる。

 レグは困惑した。

 共に暮らして来た仲間たち──大好きな、仲間たちだ。

 彼らが死んでいる?

 頭では理解しているのに、赤い花のなかでそう告げたセリーヌの笑顔が思い出せるのに、どうしても受け入れられない。

 だって、ここにこうしている。

 こうして笑っている。

 いったい何が違うというのか。    

「……レグ? 元気ない?」

 心配そうに、エインが顔をのぞき込んできた。びくりと身を震わせて、レグはエインの顔を見つめ返す。

 決意が揺らぎそうだ。このあたたかい、愛すべき場所のすべてを、自分は壊そうとしているのだ。

「ねえ……みんなはさ、いつから、ここで働いているんだっけ」

 きっかけを得ようと、あるいは自分に時間を与えようと、レグはそんな問いを発した。彼らは皆、顔を見合わせる。

「いつから? そんなの、レグがいちばん古いんだから、知ってるでしょう」

 なかのひとりがそう答える。そのとおりだ。

 レグは別の問いかけをした。

「みんな、どこの出身なんだっけ?」

「いろいろだよな。オレはトリコだろ。エインはリーゲだった?」

 口々に返される、町の名前。

 違うのだ。

 そんなことが知りたいのではないのだ。

「──じゃあ、みんなは、なんでここにいるの?」

 知らず、大きな声を出していた。

 盛り上がりを見せていた室内は、一挙にしんと静まりかえる。

 誰もが、レグを見つめていた。息が詰まる思いで、しかしレグは、仲間の顔を見ることができなかった。

 自分は何をいおうとしているのだろう。

 もしかしたらそれは、ひどく残酷なことではないのだろうか。

「……ねえ、みんなは……ぼくらは、本当は……」

 泣きそうになる。でもそれが事実なのだ。

 告げようとしたレグの肩をつかみ、エインは人差し指を口元に当て、寂しそうな顔で首を左右に振った。

 レグは気づいた。

 ひとりひとりの顔を、ゆっくりと、見た。

「……知っているの?」


 様々な思い出が、レグの脳裏に蘇る。

 最初から、仲間たちはまわりにたくさんいた。

 しかし彼らはいつのまにか姿を変え、消えていった。

 いつからか、新しく入る仲間たちは、姿を変えなくなった。

 自分と同じになった。

 繰り返される日常。幸せな日常。

 自分は知っていたのではないか。

 何も知らないふりをして、本当は、自分がいちばん、理解していたのではないか。 

 ひどい頭痛がレグを襲った。しかし、痛みに思考を止めるわけにはいかなかった。

 知っていたのだ。

 セリーヌの言葉に衝撃を受けるふりをして、何も知らない顔をして、本当は知っていたのだ。

 彼らが死んでいるということを。

 それでも、仲間が欲しかった。

 自分はセリーヌと、何一つ変わらない。

「ぼくは──」

 頭が割れそうになる。

 仲間たちが心配そうにこちらを見ている。

 ずるさに吐き気がした。

 でも、もう、どうしようもない。

「……ぼくは……」

 どうすればいいのか。

 いくら考えても、答えは出ない。


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