アリス イン ザ ティファナズハウス
あれからすぐに村の人々が到着し、ティファナはマルコと無理やり引き離された。しがみ付いてなかなか離れようとしないティファナに村人から懐疑的な視線が向けられる。その様子に気づいたティファナ母は諭すように窘めると、アリスと二人で自宅までティファナを連れて帰る事にした。ティファナは未だ泣き止まず、大泣きが嗚咽へと変わり、喉をしゃくりあげるようにして泣いている。まるで今にも呼吸困難を起こしてしまいそうだ。
三人が家に到着すると、一通の封筒がドアに挟んであった。ティファナ母は宛先人を見る事なく、それをティファナへと握らせる。
「ごめんね、アリス。私は今から、学校の子供達の看病をしに行かなければならないの。本当に申し訳ないんだけど、ティファナの事をどうかよろしくね」
「はい、任せてください」
アリスは急いで出て行くティファナ母を見送り、帰ってくるなり奥の部屋に引っ込んでしまったティファナの所へと歩いて行く。ドアは固く閉じられており、まるでティファナの現在の心を表しているかのようだった。
アリスは躊躇いながらも、ドアをノックした。返事はなかったが、様子が気になった為にドアを開けようとすると、中からティファナの声が聞こえてきた。ドア越しでボソボソと話している為、少し聞き取りにくい。
「ア、ス、マルコさ、……殺し……」
「えっ、ごめんなさい、ティファナ。声がくぐもっていて、よく聞こえないわ」
アリスは大声で返す。少し間が空いて、ティファナの声が聞こえてきた。
「……アリス、私ね。小さい頃からずっとマルコさんの事が好きだったの。彼は本当に優しい親切な人だったわ。あんな理由で人殺しをするなんて信じられないくらいにね」
ティファナもドアの前に立っているのか、先程、聞こえづらかった声がよく聞こえた。
「アリス、マルコさんは……あなたの事が好きだったらしいわ」
「え」
ティファナの口から出た意外な告白よりも、アリスには彼女の声音の方が気に掛かっていた。先程まで、あれだけ大泣きしていたにも関わらず、今のティファナの声は恐ろしい程に落ち着いている。一体、どうしたというのだろうか。
アリスは無意識に一歩、後ろに下がった。
「アリスは可愛いからね。しょうがないわよね」
「……」
アリスには掛ける言葉が何も浮かんでこなかった。先程のティファナの取り乱した様子から、何となくティファナがマルコに好意を持っている事には気が付いていた。だが、それはともかく、何故いきなりこんな話を?
アリスはまた一歩後ろへと下がる。本能がこう警告している。
〝早く此処から離れた方が良い〟
「でもね、アリス? そのせいでマルコさんは……」
「……ティ、ティファナ?」
急に途切れたティファナの声にアリスは不安気に声を掛ける。すると、
バンッといきなりドアが開いた。その勢いで壁にぶち当たる。
「きゃッ!」
アリスは後ろに下がっていたおかげで、ドアへの直撃は免れる。
「アリス! あんたのせいでマルコさんは死んだのよ!」
ティファナの怒号が飛んだ。その顔はまるで般若のように恐ろしい顔で、アリスに向かって殺気を飛ばしている。
「ど、どうしたの、ティファナ?」
ティファナから視線を外さずに、少しずつ後ろへと下がるアリス。目の前にいる彼女の突然の豹変にただ、ただ当惑するばかりだ。
「あんたが、あんたが悪いんだよ! マルコさんが死んだのは全部あんたのせいなんだよ!」
「なッ!? 一体、どうし……ッ……!」
目を逸らす事が出来ぬまま後ろに下がっていたのが仇となり、足元に落ちていたモノに気付けなかった。それに足を取られ、アリスは後ろへと倒れ込む。
「いッ! ……ティ、ファナ?」
アリスを見下ろすティファナとティファナを見上げるアリス。お互いに膠着状態のまま、互いを見る。ティファナはアリスを睨み、アリスはティファナを困惑した瞳で見つめる。
先に動いたのはティファナだった。俊敏な動作でアリスの上に跨り、馬乗りになる。
「あんたがいじめられていたのを知って、マルコさんはあんたの為に人殺しを! ……絶対に許せない!」
一瞬、反応が遅れてしまったアリスは、なすすべもなく組み敷かれてしまう。
「や、やめて、ティファナ! あたし達、友達でしょう?」
「うるさい! 私はね、あんたよりずっとマルコさんの方が好きなのよ!」
アリスの抵抗も空しく、ティファナの手が首へと伸びる。
一度、切れてしまった人間はこんなにも豹変するのだろうか?
余り体格差も変わらないはずの二人だが、ティファナの力は完全にアリスを圧倒していた。
「ぐッ、……くる、し……や、め……」
「死ね! 死ね!」
彼女の手にそのモノが当たる。
――どうして? ティファナはアリスの友達じゃないの? どうして? ティファナはアリスの味方じゃないの? どうして? アリスにこんなヒドイ事するの? どうして……
段々と意識が薄れてゆく。目から一筋の涙が零れた。
「死ね――!」
彼女は目の前の人物に向かって、思いっきりそれを振り下ろした。
「それにしても、まだ信じられないわ。マルコ君がこんな恐ろしい事を……」
「……本当に信じられませんね」
村の人手不足の為に未だ意識が覚めないクラスメイト達を母親とティファナ母は看病していた。一見、眠っているだけのようにも見えるが、医者曰く、使用量を誤ると、一生植物人間かもしれない様な恐ろしい薬らしい。
「でも、こんな事言うのもあれなんですけど」
ティファナ母は周りの人には聞こえないように身体を寄せると小声で言う。
「うちのティファナには何もなくて本当に良かったわ。……あっ、勿論アリスちゃんも」
「……」
母親は何も言い返さなかった。ベッドに横たわったクラスメイト達を一瞥すると、唇を噛み締め、顔を俯かせる。
「あの……大丈夫ですか? 顔色あまり良くないですよ?」
「……大丈夫です」
母親は無理に笑ってみせるが、肌が青白く、さらに顔には冷や汗を浮かばせていた。
「あの、もし良かったらこれ……」
ティファナ母は心配して、机の上に置いてあった物を差し出した。その手の中から、温かい湯気が立っている。
「ココア?」
「ええ。飲んだら少し落ち着くかもしれないですよ」
「……ありがとうございます」
冷たい身体に温かいココアが染み渡っていく。母親はアリスに毎朝、淹れていたココアを思い出して、さらに顔を歪めた。
「そういえばティファナが、先日あなたが淹れてくれたココアがとてもおいしかったって褒めていましたよ」
「……え?」
「あの、お見舞いに行った時にアリスちゃんに貰ったって。何か特別な物でもお入れになっているんですか?」
「……」
――まさか
瞬時に母親の脳裏に最悪の結果が浮かんだ。そして、アリスとティファナが現在、二人きりで同じ空間に居る事を思い出した。
母親はティファナ母が何事かを叫んでいるのを顧みず、全速力で二人の居る家へと向かう。
(あの子が危ない!)
嫌な予感がした。勘というよりは確信に近いものかもしれない。
ティファナの家に到着すると、その悪寒を振り切るようにして、思い切りドアを開けた。
「うッ、……」
嫌な予感は確かな物へと変化した。後ろ手でドアを無意識に閉める。母親は叫びそうになる口元を押さえて、彼女を睨みつけた。
「アリスを、アリスを返して!」