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今宵、白雪の片隅で  作者: 香澄かざな
第二話 暁に魚が奏でる唄は
6/14

その三。逢瀬の夜に伝えし声は

「見て。鳥が飛んでいるわ」

 早朝と呼ぶにはまだ早い時間帯、二人の人間と一匹の猫は窓から外を眺めていた。

「海の方から来たみたい。なんていうのかしら」

 外は雨が降っていて目をこらさなければちゃんと見ることができない。人間の少女は鳥の正体を確認しようと背伸びをする。隣にいたもう一人の人間もどきの少年も彼女にならって空を眺めてみる。

「海猫だよ。この時間だと多いのかな」

「ウミネコ?」

 一人の人間が首をかしげる。どうやら彼女には海鳥の知識はなかったらしい。

「鳴き声が猫に聞こえるだろ。だからそう呼ぶんだ」

 もっともこれだけ多いのは珍しいけど。

「じゃあ、この子のお友達がたくさんいるのね」

 無邪気に笑う彼女に苦笑いを浮かべるしかない。やめてください。陸だけでなく空にも天敵がいるなんてたまったものじゃない。

 お友達と言われたほうはというと。

「なんだよ。その目つきは」

 一人の人間もどきが身構えたのと彼女の腕の中にいた猫が跳躍したのはほぼ同時で。想像してほしい。目前にせまるあの凶暴な爪と牙といったら。あんな爪でひっかかれたらひとたまりもない。牙もさることながら獣独特の瞳や獲物を目の当たりにしたかのような舌なめずりといったら他の怪物にもひけをとらないくらいに狡猾で。

 何を伝えたかったかというと、早い話がかじられた。

「いってぇぇぇ!!」

「メル。お魚さんを食べちゃ駄目!」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 時は流れて。テティスは子どもから少女と呼べる年頃に成長した。オレも外見はそんなにかわらなかったけど、彼女の協力もあって人の姿をとどめられるようになった。

「そんなに怖がらなくてもいいのに。食べられそうになったのは五年も前のことでしょ?」

 かまれた傷口に薬をぬりながら彼女が笑う。誤解しないでもらいたい。本性をあらわせばこんな猫の一匹や数十匹オレの敵じゃないよ? ただそれだとあまりにも大人げないからあえて対等につきあってあげてるんだ。

 強がってるようにしか見えない? 純粋に海に近い生物(魚)ほど純粋な海の天敵(猫)に弱いんだよ。本能的なものだから仕方ないじゃないか。

「この子はあなたと話したいだけなの。あなたが心を開いてくれたらすぐにお友達になれるのに」

「お友達にかじられたのはこれで十五回目ですけどね」

 反論すると彼女は傷口に清潔な布と包帯を巻きながら楽しそうに笑った。『お友達になりたがってる子』といえば、さっきの行動は全くなかったかのようにあくびをしながら時折えさを食べている。どうやらこの子と友情を深めるにはまだまだ時間がかかりそうだ。

「残念だけど今日はお出かけできないかしら」

「この子がご飯を食べ終わる頃にはちゃんとやむよ。それまで勉強でもしてなよ」

 本当かしらと不安そうな表情を見せる彼女を諭す。オレとしては今出かけてもかまわないけど雨に濡れたら人間は風邪をひいてしまうから。しぶしぶながらも遊んでいた猫をひょいと抱き上げて、彼女は窓の外を再び眺めることにした。

 ヒトの姿を初めて見せたあの日。驚きながらも彼女は喜んでいた。お魚さんとお話することができたって。

 前にも言ったけどヒトの姿を形どるにはリーラ(月の妖精)の力を借りなきゃならない。ましてや『転成の儀』の実践をはじめて間もない頃だったから、本性の魚からヒトになってテティスと会話をするのはもっぱら夜だった。時々、ヒトの目を盗んではこうして海に繰り出すようにもなった。女の子が一人で夜道を歩くことが危険だってことはわかっていた。でもオレがついていればいいことだし、ヒトの実体を保てるようになったから多少のやんちゃもできるようになったしね。仮に『お嬢様が変な男といる』なんて話が出回ったとしても本性にもどっていれば意味がないし、男が魚だと結論づける奴もまずいないだろう。

「すごい。本当にやんだわ」

 二人でお茶を飲んでテティスが家庭教師に出されていた宿題を終えて。メル(猫)がご飯を食べ終える頃には大粒の雨も窓に残る水滴のみとなった。

「あなたって本当に物知りなのね。あなたがいれば雨や雷を怖がる必要もなさそう」

「大げさだな。こんなのオレのいたところじゃ普通のことだよ」

 視覚や聴覚、肌に触れる感触はさることながら別のもの、人間で言うところの第六感を照らし合わせて予測することだから彼女には難しいのかもしれない。

「ねえリザ。わたしにも海の世界のことを教えて」

 だから、そうお願いされても教えようがないし応えようもない。青の瞳をきらきらさせて詰め寄られてもできることとできないことがある。

「だったら交換条件。あなたは音楽が好きなのよね。だったらこれを覚えてみたら?」

 手渡されたのは銀色の横笛。

「わたしが教えてあげる。これでおあいこ。ね?」

 さっき演奏した楽器は彼女からもらったものなんだ。

「……少しだけなら」

 こうして彼女との逢瀬おうせがはじまった。真夜中に部屋を抜け出して、誰もいない海岸でオレは笛を吹いてテティスが歌う。音楽も勉強させられていたからか彼女の歌声は夜明けの空によく響いた。

 休憩と称していろんな話もした。彼女は人間の生活基準や立ち振る舞いを、オレは海の世界のあれこれ。時には驚き時には目を輝かせながら互いに祖国の話に聞き入っていた。そんな中で共感したのは有名すぎる親を持つと子どもは大変だということ。彼女の父親は国で一、二を争う魔法使いだったらしい。地上での抗争の際に大手柄をたてた人物で現役を離れた後も発言力は絶大だった。国の政治にも大きく関わるくらい多忙だからテティスと顔をあわせることもほとんどない。彼らの力が強大すぎるから周囲は自分のことを『あの父親の子ども』としか見てくれない。自分という本質的なものを誰も認めてくれないんだ。

「でもわたしはお父様が好き。あなたもそうなんでしょ?」

 子どもの頃と変わらない純粋な眼差しに、だといいなと笑って返した。今思えば彼女との時間を過ごせたのも同じ気持ちを共有していたからじゃないかな。

 ――うん。文句の付け所は多々あるけれど。オレはそんな彼のことが、父親が大好きだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ティル・ナ・ノーグ?」

 初めて常若の名前を聞いたのは笛の練習を始めて人間で言う一年が過ぎた頃だった。

「聞いたことがない? とっても綺麗なところなんですって」

 上品な緋色の髪を風でとばないようそっとおさえて。瞳を輝かせて話す様はオレが言うのもなんだけど、その。……綺麗だった。

「ここからずっとずっと西にあるとてもとても綺麗な都。おとぎ話だと思っていたけど実在するみたい」

 人間の成長速度って本当に早いよね。助けてもらった時は小さな幼子だったのにいつの間にか追い越してずっと先をいくんだ。寿命の差だってことはわかっていたけどそれでも男としては複雑だったな。

「そこでしか見れない虹があるの。夜明け前、ちょうど今くらいの時間に空にかかるんですって。『世界で一番きれいなもの』って言われていて一緒に見た男女は幸せになれるって謂われがあるの。

 いいなあリザは。あなたならそんなところ、あっという間に行けるんでしょうね」

「さすがにそれはないと思うけど」

 それでも月日をおうごとに綺麗になっていく彼女と代わり映えのないオレがこうして海岸を歩いている。なんだか不思議な感じがした。体はずいぶん良くなったけど完全体にはほど遠かったから、テティスと出会って月日が流れた後もオレは少年の姿のままだった。元に戻りつつあった本性は水槽には入りきれなくなったから彼女の敷地内にあった池に引っ越しをした。

「もうすぐかな」

 何がと問いかける前に彼女がふいに近づいた。

「髪も瞳もみんな青海原あおうなばらの色。リザって本当に海そのものなのね。初めてあった時と全く変わらない」

 それを言うならオレの方だった。背中までのびた緋色の髪。子どもの頃の無邪気な瞳はそのままに、彼女は今、オレと同じ目線でここに立っている。

「もうすぐあなたと釣り合うようになる。その時がきたらわたしは……」

「テティス?」

 外見だけなら確かにそうなんだろう。『お兄ちゃんと子ども』から『同年代の二人の男女』に変わりつつあったから。人間ってずるいよね。あっという間にオレのこと追い抜いていくんだ。熱を帯びた瞳。今だって、こんな表情は見たことがなかった。ほんの少し前まで可愛い人間の女の子だったのに。

「行ってみたいなぁ。ティル・ナ・ノーグへ」

 そして、月日を重ねるごとに時々見せる寂しそうな笑顔がたまらなく胸をしめつけた。

「約束しようか」

 だから。言葉は自然ともれた。

「オレが君を連れて行く」

 君が望むのなら。

「連れて行ってあげるよ。ティル・ナ・ノーグへ」

 オレが側にいてあげる。

「いつか、世界で一番綺麗なものを二人で見に行こう」

 だから。そんな顔は見せないで。

 約束っていうのはそう簡単にしてはいけない。破ったらそれ相応の報いがあるからね。指をつめられたり最悪の事例だと命を奪われかねない。

 君の国では違うの? シリヤも? オレのところが特別だって? そんなはずないだろ。

 話をもどそう。

 約束は、ある意味で自らにたてた誓いになる。誓いを破った者はそれ相応の報いをうける。逆説をとれば、それでも叶えたい願いがあったんだ。

「……ありがとう」

 彼女は本当に嬉しそうで。

 こんな日がずっと続けばいい。そう願わずにはいられなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ずいぶん上手になったのね。もう少しで完成じゃない」

 逢瀬の終わりを告げられたのは、笛を練習するようになってさらに一年が過ぎた頃だった。

「誰かさんのおかげでたくさん練習させられたからね。これくらいできるようになって当然さ」

「そんな意地悪言わなくてもいいのに」

 でも本当に上手になったわ。共に笑いあって、いつものようにたわいのない話をして。だけど今回だけはそうならなかった。

「これで私も安心してお嫁に行けるわ」

「お嫁?」

 眉をひそめると彼女は明るい声で言った。

「婚約者がいるの。近々結婚させられるんですって」

 この頃には彼女は淑女と呼んでも差し支えない年頃になっていた。婚約者という言葉はオレの世界でもあった。家と家の結束を強めるために行う結婚の前に行う儀式だよね。でもオレは、オレの家はそんなまどろっこしいことはしない。惚れた女は自分で口説く。それが男ってもんだろ。父親もそうだったし、言われなくても海の男ならそれくらい知ってて当然だ。

 なんだよ。その意外そうな目は。君達オレをなんだと思ってるの?

「その人と会ったことは?」

「あるわけないに決まってるじゃない」

 なら君は会ったこともない人間の妻になるの? そう訊くと寂しそうな顔でうなずいた。

「人間の世界では、そんなしきたりがあるの?」

「私の家ではそうみたい。ごめんなさい。約束守れなくなっちゃったわね」

 もちろん怪我が治るまでここにいていいのよ? そう言ってはくれたけどオレにとってはそれどころじゃなかった。彼女が結婚すれば二人で海岸に来ることはできなくなるだろう。

「君はそれでいいの?」

「いいもなにも、お父様が決めたことだから仕方ないじゃない。人間には人間のルールがあるの」

 寂しそうな笑顔。それは本来なら快活な彼女が決してみせることがない諦めの色。

「君自身の気持ちは?」

 彼女の瞳がゆらぐのをオレは見過ごさなかった。彼女はきっと迷っている。そうでなければこんな悲しそうな笑顔、見せるはずがない。

「そろそろ夜が明けるわ。家にもどりましょう」

 返事の代わりに明るい、けれども感情を押し殺した声で話しつつ踵をかえす彼女。けれど、オレがそれに伴うことはなかった。

「リザ?」

「今夜、オレはここをたつ」

 彼女が声を出す前に、言葉を告げた。

「海へ帰る前に君との約束を果たしたい」

 約束が何を意味するのか。声に出さなくても二人にはわかっていた。

「私は――」

「待ってるから。君の気持ちが固まったら教えてほしい」



 約束を果たすのは今。

 世界で一番綺麗なものを見せてあげるから。


 だから。君はそこで笑っていて。

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