↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

猫一家の日常は今日も平和じゃない

ヒロキの家出大作戦 〜四つ子、はじめてのおつかい〜

作者: 猫じゃらし
掲載日:2026/10/27

猫猫村、よく晴れたある日の午後。

窓辺ではネクタイを締めた一匹の子猫が、じょうろを掲げたまま、ぽかんと立ち尽くしていた。

彼の名はネコジャラシ。

今、その目の前に広がっているのは、無惨に踏み荒らされたネコジャラシ畑だった。

昨日までそよ風にやさしく揺れていたネコジャラシは、いまや右へ左へと倒れ込み、目も当てられない有様だ。

「……僕の……ネコジャラシが……ママ!!!」

お母さん猫のカリンは、現場を見るなりすべてを悟った。

「ヒロキ――っ!!!」

カリンの怒鳴り声が、庭じゅうに響き渡る。

「わざとじゃないよ!」

ヒロキは不服そうにわめいた。

「猫猫拳の練習してたら、うっかり蹴っちゃっただけだって!」

「うっかりで、ここまで踏み荒らせるものですか?」

カリンは両手を腰に当て、ぷりぷりしながらヒロキをにらみつけた。

「この前もそうだったでしょう! ジャラシがこの草をどれだけ大事にしているか、知っているはずなのに、どうして気をつけられないの?」

「……知ってるってば!」

「この前もそう言ったじゃない!」

「だから、わざとじゃないって言ってるだろ!」

ヒロキの目が赤くなる。

「ママはいつもネコジャラシの味方ばっかりだ。もうヤダ! ママなんか大っ嫌い!」

彼はくるりと背を向けて家の中へ駆け込み、「バタン!」と扉を閉めてしまった。

カリンはその場に立ち尽くし、困ったようにため息をついた。

一方その頃、ネコジャラシは倒れた草を一本、そっと起こしていた。

ぼんやりと、ヒロキが閉ざした扉を見つめながら。


翌日、パパとママは買い物に出かけた。

ネコジャラシがヒロキの部屋の前を通りかかると、ふいに中から妙な物音が聞こえてきた。

ごそごそ。

がさがさ。

「……ん?」

彼はそっとドアの隙間から頭をのぞかせる。

見ると、ヒロキが小さなリュックに何かを詰め込んでいるところだった。

煮干し、猫猫拳の秘伝書、それにどこから掘り出してきたのかわからないガラクタが何点か。

「……何してるの?」

「うわっ!」

ヒロキは驚いて、ぴょんと跳び上がった。

「き、君! 誰が覗いていいって言った!」

ネコジャラシは慌てず騒がず、ネクタイを整える。

「通りかかっただけだよ。それにしても、そんなに荷物をまとめて、どこへ行くつもり?」

「……家出」

「……え?」

「家出するんだ!」

ヒロキはリュックを肩にひょいと担ぎ、胸を張った。

「こんな家、もう居られるか! ママはいつも俺を叱るし、どうせ俺のことなんか好きじゃないんだ!」

ネコジャラシはしばらく真剣に考え込んだ。

「……なるほどね」

そして、真面目な顔でたずねる。

「じゃあ、家出したらママは君のことを好きになるの?」

「……っ!?」

ヒロキは大きく息を吸い込んだ。

「と、とにかく! パパとママには言うなよ!」

彼は前足を持ち上げ、ぐっと力こぶを作ってみせる。

「もしバラしたら、ぶっ飛ばすからな!」

ネコジャラシは、自分の細っこい腕を見下ろした。

それから、ヒロキのむきむきの力こぶを見た。

……戦力差は、あまりにも歴然としている。

「わかった。絶対に言わない」

ネコジャラシは実に賢明にうなずいた。

ヒロキは満足げに鼻を鳴らした。

ところが、五分後。

「ヒロキ、家出するの?」モモは目をきらきらさせている。

「ナナも行く!」ナナがヒロキのリュックの紐を引っぱった。

「ネコジャラシ――ッ!!!」

ヒロキの怒鳴り声が、家中に響き渡る。

「誰にも言うなって言っただろ!?」

ネコジャラシはのんびりとネクタイを整えた。

「ヒロキ、君が言ったのは『パパとママには言うな』でしょ。モモお姉ちゃんとナナに言うなとは言ってないよね」

「……!」

「だから、僕は約束を破ってない。論理的に完全に成立してるよ」

ゴンッ!

「いたっ!」

ネコジャラシは頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「暴力反対! 言い負かされたら殴るなんて、理不尽だよ!」

「うるさい!」

モモの目が輝く。

「家出!? なんだかロマンチック!」

「……どこがロマンチックなんだよ?」

「旅の途中で、運命の王子様と出会うかもしれないじゃない! たとえば、森の奥に住んでる、ミステリアスでハンサムな猫の王子様とか……」

モモは両手で頬をはさみ、うっとりと目を細める。

ヒロキは嫌そうな目で彼女を見た。

「お姉ちゃん、この前の猫神様のこと、もう忘れたの?」

「猫神様の話はやめて!!!」

モモとネコジャラシは、全身の毛をぶわっと逆立てた。

そのそばで、ナナが首をかしげる。

「家出って……おやつ、持っていくの?」

「もちろん。それと小銭も持っていこう。お弁当を買うんだ!」

「ナナ、天ぷら弁当食べたい!」

こうして、もともとヒロキ一匹だけだった家出計画は、なぜか四つ子みんなの大冒険へと変わってしまったのだった。

出発の前に、四匹の子猫はそれぞれの貯金箱から小銭を取り出した。

そしてネコジャラシは、なんと「旅のしおり」まで持ち出してきた。

「まずは、資金の確認をしよう」

最後のページには、帳簿のような予算表まで付いている。

「まずは、しおりに沿って資金を確認しよう」

ネコジャラシは大真面目な顔で、テーブルの上に硬貨を並べていく。

「食費、宿泊費、緊急用の予備費……それから、僕のネコジャラシ復興基金」

「最後のはなんだよ!?」

「必要経費だよ」

「家出と何の関係があるんだよ!」

「ヒロキ――」

「黙れ。じゃないと殴るぞ!」

結局、四匹の子猫はそれぞれのおこづかいを持って、出発することにした。

出かける間際、ネコジャラシはふと振り返り、玄関のほうを見た。

そして、こっそりリュックから一枚の紙を取り出し、玄関に置いた。

「……よし」

ネコジャラシは満足げにネクタイを整える。

「これで万全だね」

四匹の子猫の最初の目的地は、猫猫村の小さなお弁当屋さんだった。

「いらっしゃいませ! あら、今日は四人きょうだいでお買い物?」

お店の猫のおばさんが、にこにこと迎えてくれる。

「はい! 僕たち、これから大冒険に出かけるんです!」

ネコジャラシは胸を張った。

「あらあら、元気がいいわねぇ!」

「焼き魚弁当!」

「ハート形の目玉焼きが入ってるやつがいい!」

「ナナはね、エビがいっぱい入ってるの!えきべん! えきべん!」

ナナが両前足をぱたぱたさせた。


ネコジャラシはひとり、真剣な顔でメニューを研究している。

「栄養バランスも考えなきゃ……この特製幕の内弁当にしよう」

「君、いちばん高いやつが食べたいだけだろ?」

「失礼だな。天才猫には十分な栄養が必要なんだよ」

四匹の子猫は弁当を買い、意気揚々と店を出ていった。

彼らが遠ざかったあと――。

「……なんだか、楽しそうね」

お店の裏から、上品な雌猫がこっそり顔をのぞかせた。

カリンだ。

その隣には、ぽっちゃり体型の猫がしゃがみ込んでいて、大きな買い物袋を提げている。

お父さん猫のユウスケだ。

「だね。まるで遠足みたいだ」

「あなた! そんなことを言ってる場合?」

カリンは声をひそめる。

「家出なのよ! うちの子たちが家出してるのよ!」

「まあまあ、ちゃんとずっと後をつけてるじゃないか」

ユウスケはのんびりと答えた。

事の起こりはこうだ。四匹が家を出てほどなく、カリンは玄関に置かれた一枚の紙を見つけたのだった。

そこには、丸っこい字でこう書かれていた。

「パパ、ママへ

ぼくたちは、今夜は帰りません。

心配しないでください。

ぼくたちには、自由な夜が必要です。

また明日!

ネコジャラシ、モモ、ナナ、ヒロキ」

カリンはそれを読み終えると、危うくその場で気を失いそうになった。

ユウスケが慌てて後を追いかけ、二匹の大人猫は、子どもたちの後ろからこっそり見守りながらついてきたのだった。

「はあ……四匹そろって家出か」

ユウスケはしみじみと首を振る。

「みんな、大きくなったなあ」

「まだ生後四か月よ!」

「……ああ、そうだった」

猫猫村のはずれに、小さな森がある。

昼間は木漏れ日が降りそそぎ、枝の上では小鳥たちが歌う、静かで美しい場所だ。


森の入り口には、古びた木の看板が立っていた。

「ここから先は猫猫村の外」

四匹の子猫は、その前でそろって足を止めた。

「……村の外だね」

ネコジャラシが、ごくりとつばを飲む。

「行くぞ」

ヒロキが先頭に立って、ぐっと一歩を踏み出した。

はじめての、村の外へ。


四匹の子猫は、うきうきと森に入っていった。

「わあ! すてき!」

モモの目がきらきら輝く。

「もしかしたら、本当に森の王子様が住んでるかも……」

「いない」

ネコジャラシが即座にさえぎる。

「まだ言い終わってないのに!」

「顔に全部書いてあるよ」

ヒロキが大きな木の下で足を止めた。

「よし! 今日はここに秘密基地を作るぞ!」

「秘密基地?」

ナナがぱちぱちとまばたきをする。

「そう! 今夜はここで寝るんだ!」

ネコジャラシは周囲を見回して、ふと重大な問題に気づいた。

「……待って」

「今度は何だよ?」

「僕たち、テントは持ってきた?」

しん、と静まり返る。

「家出にテントなんか持ってくるわけないだろ?」

ヒロキは、軽蔑のまなざしで二匹を見た。

「今日から俺たちは野良猫なんだ。野良猫はテントに泊まったりしない。野良猫の名折れだ」

「じゃあ、どうやって寝るの?」

モモとネコジャラシは、顔を見合わせた。

ヒロキはわくわくと前足を挙げる。

「見てろよ!」

ヒロキは林の中へ入っていくと、丈夫な枝を拾い、つるや大きな葉っぱを集め、地面もしっかりと確かめた。

「……うん、ここがいいな」

手慣れた様子で枝を三角形に組み、つるで固定すると、幅広の葉っぱを何層にも重ねてかぶせていく。

ネコジャラシは横に立って、神妙な顔をしている。

「ふむ……構造力学の観点から言えば、三角形は確かにいちばん安定した形だね……」

「黙って、葉っぱ拾ってこい!」

「はいはい」

「できたぞ!」

「……え?」

彼らの目の前に、小さな野外テントが姿を現していた。

中にはふかふかの干し草が敷かれ、きれいに四つの丸い寝床まで作られている。

「わあ――っ!」

モモが歓声を上げた。

「ヒロキ! すごいじゃない!」

「へへっ、当然だろ!」

ヒロキは得意げに胸を張る。

ネコジャラシはテントをしばらくじっと見つめていた。

やがて、黙ってネクタイを整える。

「……うん、だいたい僕の理論どおりだね」

「なにもしてないくせに!」モモがネコジャラシの頭をぺしっとたたいた。

「監督もすごく大事な仕事なんだよ! それに、葉っぱも拾ったし!」

ナナはもう、テントに頭から飛び込んでいる。

「ふわふわ~」

干し草の寝床の上を、ごろごろ転がる。

「ナナの新しいおうち!」

「みんなのおうちだよ!」

少し離れた茂みの中。

ユウスケは目を細めて、誇らしげな顔をしていた。

「……すごいなあ、ヒロキは」

「ええ……」

カリンも、驚いたように小さなテントを見つめている。

「もうあんなものまで作れるようになってたなんて」

「いつも庭でなにかゴソゴソやってるじゃないか」

「……そうね」

カリンはまぶたを伏せた。

「今日……わたし、叱りすぎたかしら?」

「平気だよ。子どもは叱られて育つものさ」

「どこの世界にあなたみたいなお父さんがいるのよ。それに、ヒロキだってわざとじゃなかったんでしょう。わたし、きつく言いすぎたわ……」

「うん、それはちゃんと謝らないとね。じゃあ、二人で一緒にヒロキに謝ろう」

ユウスケはやさしくカリンを見つめ、カリンは小さくうなずいた。

「……ええ」

そのとき。

「……あなた」

「ん?」

「全然、隠れられてないわよ」

ユウスケは自分の体を見下ろした。

彼は一本の木の陰に隠れていたはずだった。

ところが残念なことに、長方形のぽっちゃりおなかが、幹の両側からはみ出している。

「……だいじょうぶ、子どもたちは前しか見ないから」

言い終わるか終わらないかのうちに。

「……あれ?」

ナナが、ぱっと振り向いた。

二匹の大人猫は、一瞬で固まる。

ナナは首をかしげて、木の後ろのまるっこいものをじっと見つめた。

「……おっきいキノコ?」

ユウスケの耳が、ぴくりと震えた。

「……僕、キノコに見える?」

「しーっ!」

カリンが慌てて彼の口をふさぐ。

ナナはしばらく見つめたあと、ごきげんで駆け戻っていった。

「あのキノコ、しゃべるみたいだよ~」

夕暮れ時。

四匹の子猫はテントの前に輪になって座り、買ってきたお弁当を開けた。

「いっただっきまーす!」

森で食べるお弁当は、いつもよりずっとおいしく感じられる。

ヒロキは焼き魚をがつがつ頬張りながら、しみじみと言った。

「なあ、家出って最高だな!」

「そうよね! 自由ってすてき!」

モモはうっとりと空を見上げる。

ナナはお弁当の海老天を、一列に並べていた。

「一本、二本、三本……あれ? 四本目は?」

「さっき食べたでしょ」

「えっ!?」

ネコジャラシはお茶を一口すすり、満足げにうなずいた。

「うん、悪くないね」

それから、遠くの木々に目をやる。

「実はね、僕には小さいころからの夢があるんだ」

「どんな夢?」

「野良猫になること」

「は? 君が?」

ヒロキは目を丸くした。

「もちろん。自由気ままに旅をして、世界中のネコジャラシを研究するんだ」

「……結局ネコジャラシかよ!」

「当然でしょ。それが僕の人生の目標だもん」

モモがふと何かを思いついた。

「でも……森に悪い猫がいたらどうするの?」

「俺がやっつける!」

ヒロキが力こぶを作る。

「じゃあ、オオカミがいたら?」

「……それでもやっつける!」

「それじゃあ、猫神様がいたら?」

「帰る!」

四匹の子猫は、一瞬で静まり返った。

しばらくして、ネコジャラシが小声で言った。

「……猫神様の話は、やめてもらえない?」

夜のとばりが降りてきた。

森はだんだん暗くなっていく。

四匹の子猫は、テントの中でぎゅうぎゅうに寄り添い、木の葉の隙間から満天の星を眺めていた。

「ねえ、ヒロキ」

モモがふいに口を開く。

「お話してよ」

「お話?」

「そうよ、せっかく森に来たんだもの」

ヒロキはちょっと考えてから、にやりと意地悪く笑った。

「じゃあ……怖い話なんてどうだ?」

「……え?」

ネコジャラシの耳が、ぴんと立った。

「怖い話なんて、科学的根拠がひとつもないよ」

「なんだ? ビビってんのか?」

「冗談じゃないよ! 僕は天才猫なんだからね!」

「じゃあ、よーく聞けよ」

ヒロキはわざと声を低くする。

「むかしむかし、この森には、しっぽのない化け猫が住んでいたんだ……」

モモがごくりとつばを飲んだ。

「……しっぽが、ないの?」

「そうさ。毎晩、森の中で自分のしっぽを探してるんだ」

「……」

「それでな、眠ってる子猫を見つけると、そうっと近づいてきて、一本、二本、三本……って、しっぽを数えるんだ」

ネコジャラシは必死で平静を保とうとする。

「……まったく論理性がないよ。そもそも、なんでしっぽを数えるの……」

「そして、四本目のしっぽを数えたとき……」

ヒロキが、ぴたりと言葉を止めた。

テントの中は、恐ろしいほど静まり返る。

ざわざわ。

木の葉が、そっと揺れた。

パキッ。

どこかから、小さな音が聞こえた。

モモが、ネコジャラシの腕をがしっとつかむ。

「……ジャラシ」

「な、なに?」

「……今、何か聞こえなかった?」

「風だよ! ただの風だって!」

そのとき。

ナナが、突然立ち上がった。

大きく息を吸い込んで――

「ああああああああ――っ!!!」

「にゃあああああああ――っ!!!」

「きゃああああああ――っ!!!」

「うわあああああああ――っ!!!」

四匹の子猫の悲鳴が、森中に響き渡った。

ヒロキは驚いて、その場で跳び上がる。

モモはネコジャラシにぎゅうっとしがみつく。

ネコジャラシは自分のネクタイを踏んづけて、四本の脚を宙に投げ出してひっくり返った。

「な、なに!? ナナ、なんで叫んだの!?」

「化け猫!? 化け猫なの!?」

「僕のしっぽは、絶対に渡さないからね!!!」

ところが、ナナはそんな三匹を見て、突然くすくす笑い出した。

「えへへ! びっくりした?」

「…………」

「…………」

「…………」

ヒロキのこめかみに、ぴきぴきと青筋が浮かぶ。

「ナ――ナ――っ!!!」

「えへへへへ!」

ネコジャラシはぶるぶる震える小さな前足で、ネクタイを直した。

「もう! 心臓が止まるかと思ったよ!」

ナナが首をかしげる。

「ジャラ、しんぞうって、どこにあるの?」

「……そんなことまで、イチから教えなきゃいけないの!?」

三匹の子猫は、一瞬きょとんとした。

それから、みんなで顔を見合わせる。

突然――

「あはははははは!」

楽しげな笑い声が、森に響き渡った。

「今の悲鳴は!」

カリンが茂みから勢いよく立ち上がった。

「あなた! あの子たち、何かあったんじゃ!?」

「待って、カリン」

ユウスケがそっと彼女を引き止める。

「……ほら、聞いてごらん」

テントの中から、四匹の子猫の笑い声が聞こえてくる。

カリンは足を止めた。

「……あら?」

「楽しく遊んでるみたいだね」

ユウスケは目を細めた。

カリンはしばらく静かにそれを眺めていた。

やがて、彼女も思わず笑みをこぼす。

「……ほんとうに、心配ばかりかけるんだから」

二匹の大人猫は、顔を見合わせて微笑んだ。

「……さて」

ユウスケが茂みから出てきた。

「そろそろ帰ろうか?」

「……え?」

四匹の子猫は、同時に固まった。

「パ、パパ!?」

「ママ!?」

ヒロキの耳が、へにゃりと垂れた。

ネコジャラシは条件反射でネクタイを整える。

モモは慌てて毛並みを整える。

ただナナだけが、うれしそうに前足を振った。

「パパ! ママ! おっきいキノコも来たの?」

「……」

ユウスケは、ちょっぴりショックを受けた。

カリンは四匹の前にしゃがみ込んだ。

「あなたたち、パパとママがどれだけ心配したかわかってるの? 夜に帰らないなんて、勝手に決めていいと思ってるの?」

四匹の子猫は、そろってうなだれた。

ヒロキは自分のつま先を見つめて、小さくつぶやく。

「……どうせ……」

「ヒロキ?」

「……ママは、どうせ俺のこと好きじゃないんだ」

カリンは目を見張った。

「どうしてそんなこと言うの?」

「だって……ママ、いつも俺のこと叱るから」

ヒロキの声はとても小さい。

「ジャラシの草だって、わざと踏んだわけじゃないのに……」

カリンはしばらく黙っていた。

それから、そっとヒロキの頭をなでた。

「……ごめんね。今日は、ママが叱りすぎたわ」

ヒロキの耳がぴくっと動いた。

「ヒロキ、ママを許してくれる?」

ヒロキは目を見開いた。垂れていたしっぽも、ゆっくりと立ち上がる。

「ママが叱るのはね、ヒロキのことが嫌いだからじゃないのよ」

「……ほんと?」

「もちろん本当よ」

カリンはやさしく微笑んだ。

「それにね、こんなにすてきなテントが作れるなんて、ママ、本当にびっくりしたのよ」

ユウスケもうなずく。

「そうだよ、ヒロキ! 一人で四つも寝床を作っちゃうなんて、すごいぞ!」

ヒロキは照れくさそうに鼻をこすった。

「……当然だろ」

「でもね、今度出かけるときは、必ずパパとママに相談すること。わかった?」

「……うん」

ヒロキは素直にうなずいた。

そのとき。

「ママ!」

ネコジャラシがぱっと前足を挙げる。

「それなら、僕のネコジャラシの損害賠償問題についても、話し合うべきじゃない?」

「君は黙ってろ!」

「どうして!? 被害者は僕なんだよ!」

ヒロキはため息をついた。

それから、声を低くして言う。

「……わかったよ。明日、俺が植え直してやる」

ネコジャラシは目を丸くした。

「……ほんとに?」

「ほんとだ」

「……じゃあ、しかたないから許してあげる」

ネコジャラシは得意げにネクタイを整えた。

「なにしろ、僕は心の広い猫だからね」

「君、ちょっとは黙ってられないのかよ!?」

お父さん猫は笑って、二匹の頭をわしゃわしゃとなでた。

みんなが帰ろうとした、そのとき。

ナナが突然、前足を挙げた。

「ママ! ちがうよ!」

「……何がちがうの?」

「ナナたち、家出なんてしてないよ!」

カリンは不思議そうに首をかしげた。

「……え?」

ナナは胸を張って、大きな声で宣言した。

「ナナたちはね、初めてのおつかいをしてたの!」

「…………」

「…………」

「…………」

モモが慌てて口を合わせる。

「そ、そうよ! わたしたち、お買い物に来てただけなの!」

ヒロキもわめく。

「そうそう! 家出じゃない! おつかいだ、おつかい!」

カリンは静かにたずねた。

「……誰が、あなたたちにお買い物を頼んだの?」

四匹の子猫は、顔を見合わせた。

沈黙。

それから、ネコジャラシが一歩前に出た。

「……僕たちが、僕たち自身に依頼したんだよ」

ユウスケは首をかしげた。

「それって、ただのお買い物じゃないのかい?」

ネコジャラシはのんびりとネクタイを整えた。

「パパ、細かいことを気にする猫は、出世できないんだよ」

「……なるほど?」

「あなた、本気にしないでよ!」

カリンはあきれて額を押さえた。

そのとき、ヒロキがふと何かを思い出した。

「……待てよ」

「どうしたの?」

「パパ、ママ、どうして俺たちがここにいるってわかったの?」

ネコジャラシの耳が、ぴくっと震えた。

ヒロキがゆっくりと振り向く。

「……おい、ネコジャラシ」

「……なに?」

「パパとママには言うなって、言っただろ?」

「僕は、パパとママに言ってないよ!」

そのとき。

ひらり。

一枚の紙が、ユウスケの買い物袋から舞い落ちた。

ヒロキは紙を拾い上げた。

そこには、こう書かれていた。

「パパ、ママへ

ぼくたちは、今夜は帰りません。

心配しないでください。

ぼくたちには、自由な夜が必要です。

また明日!

ネコジャラシ、モモ、ナナ、ヒロキ」

「…………」

ヒロキは目を細めた。

「……ネコジャラシ!」

「なに?」

ネコジャラシは慌てず騒がず、ネクタイを整えた。

そして、誇らしげに答える。

「僕は言ってないよ。僕は約束を守る猫だからね!」

「……はあ? これ、君の字だろ?」

「うん、書いただけだよ!」

「…………」

ヒロキはゆっくりとこぶしを振り上げた。

「……君ってやつは――っ!!!」

「待って! 暴力反対! 天才猫は世界の宝なんだよ!」

「今日こそ、ぶっ飛ばす!」

「ママ――っ! ヒロキがまたいじめる――っ!」

モモはそばに立って、夜空を見上げていた。

「……結局、森の王子様には会えなかったわね」

ナナは前足を伸ばして、ユウスケのまるっこいおなかをつんつんとつついた。

「パパ、キノコなの?」

「……ナナ、パパはキノコじゃないよ」

「…………」

カリンはにぎやかな家族を眺めながら、深いため息をついた。

「……まったく、この子たちは」

けれど、その口元には、こっそりと笑みが浮かんでいた。

こうして、四つ子の初めての家出大作戦は、無事に幕を閉じたのだった。

家を飛び出してみて、ようやくわかった。パパとママは、いつだってすぐ後ろにいてくれるのだということが。


ところが――。

翌朝。

「ヒ――ロ――キ――っ!!!」

カリンの怒鳴り声が、ふたたび庭に響き渡った。

「どうしてまたジャラシのネコジャラシ畑を踏み荒らしてるの!?」

「植え直すのを手伝おうとしただけだって! そしたら足がすべったんだよ!」

「僕のネコジャラシがああああ――っ!!!」

猫猫村の朝は、今日もやっぱり騒がしかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。