また釈明配信ですか?
ワーボアとの戦闘から二日後。
あの日、ワーボアを倒した俺は、しばらくその場から動けずにいた。黒い姿が消え、あの剣も手元から消失したあと、手の中に残った感触だけは妙にはっきりと覚えている。
そして、目の前には三年前の事故現場へ続く道があった。
ここまで来たのだから、確かめたい気持ちはある。だが、自分の身体が何をするのか分からないまま、さらに先へ進むのは危険だ。あんな戦いの直後なら、なおさらだった。
結局、俺はいったん探索を切り上げて地上へ戻ることにした。事故現場については、体調と状況を整えてから改めて調べればいい。
地上に戻った俺は、探索者協会への報告と検査を済ませ、ひとまず自宅へ戻った。身体の状態に大きな異常がないことは確認できたものの、あの変身や剣については、何も分からないままだった。
そして二日後、俺はまたしても見慣れた配信部屋の椅子に座っていた。目の前にはカメラ、その横には簡単な飲み物と資料。そして画面の向こうには――いつもの数倍どころではない人数の視聴者が集まっている。
前回の配信で話題になった三年前の事故。その後に起きた別の襲撃。そして、今回のワーボア戦で披露してしまった正体不明の変身と剣。いくつもの疑問が重なったせいか、普段から俺の配信を見ている連中だけでなく、見慣れない名前の視聴者も大量に流れ込んでいた。
その中には、どうやら星宮セナ――セナちの配信から来たファンもかなりいるらしい。
『セナちの配信から来ました!』
『セナちを助けてくれてありがとうございました!』
『黒瀬さんも無事でよかった』
『本人が何も分かってないって本当?』
『セナちファンです。あの黒い姿は何なんですか?』
『とりあえず、セナちが無事でよかった』
『黒瀬さんも無事なんだよな? あれだけ吹っ飛ばされてたけど』
『おい、セナち板からの出張勢がもう来てるぞw』
「……なんでまた俺が釈明配信なんかやってるんだ?」
半ば呆れながら呟くと、コメント欄がさらに勢いを増した。
『また始まったw』
『黒瀬さん、今回こそ全部説明してください』
『前回も本人が分かってなかっただろ』
『今回は新しい剣の説明も頼む』
『本人が一番知りたそう』
『セナちを助けてくれた剣について教えてください!』
「いや、本当に知りたいのは俺なんだけどな」
頭を掻きながら苦笑すると、コメント欄にはさらに大量の文字が流れていく。
『でも前回とは話が違うよな』
『前回の釈明配信は三年前の事故についてだった』
『今回は自動変身と剣、それにイノシシの化け物だろ』
『セナちの配信から来たけど、前回の話も見たほうがいいのか?』
『三年前の事故と四人の襲撃は別件だから、そこは混同するなよ』
「ああ、そういうことか」
俺は画面を見つめながら頷いた。
「確かに、前回と今回じゃ説明する内容が違うな」
前回の釈明配信では、三年前の事故について、俺が覚えている範囲を話した。それと、依頼人側の四人に襲われた件についても説明したが、あれは三年前の事故そのものとは別の出来事だ。
あの四人に襲われたあと、俺は普通に地面へ落ちたわけではなく、何が起きたのかを理解できないまま、アビスへ移された。そこから先についても、今になって振り返れば、分からないことだらけだった。
俺自身、何がどうなったのか分からないまま、覚えている範囲で説明していたのだ。
「前回の釈明配信では、三年前の事故と、その後に起きたことについて、俺が覚えている範囲を話した。今回は、その後に分かってきたこと……というか、分からないことがさらに増えた件についてだ」
『分からないことが増えたw』
『説明になってないw』
『いや、本人も被害者だからな』
『セナちを助けたときのことも、全部説明できるわけじゃないのか』
「いや、本当にそうなんだって」
俺は苦笑しながら続けた。
「前回のときは、変身したこと自体が大きな問題だった。でも今回は……」
そこで一瞬、言葉を止める。
「その変身が、自分の意思じゃなくても起きることが、改めて分かった」
その言葉に、コメント欄の流れが少し変わった。
『そこ重要』
『前回は変身したこと自体が話題だったもんな』
『今回はゴブリン戦でも勝手に変身してた』
『セナちの悲鳴を聞いたあともそうだったよな』
『つまり、本人が自由に変身してるわけじゃない?』
「そういうことになる」
俺は頷いた。
「少なくとも、今回の二度の変身は、俺が変身しようと思って起こしたものじゃない。危険を感じたから必ず変身する、とまで言えるほど仕組みを理解しているわけでもないんだ」
『条件が分からないのか』
『自動変身ってこと?』
『でも、本人が止められないのは怖いな』
『セナちを助けるときも勝手に変身したんだよね?』
「そうだ。俺が助けようとしたことと、あの姿に変わったことは、分けて考えたほうがいい。セナちの悲鳴を聞いて放っておけなかったのは俺の判断だけど、変身そのものは自分の意思でやったわけじゃない」
『ああ、そこは違うんだな』
『助けに行ったことまで身体にやらされたわけじゃない、と』
「そういうことだ」
俺は頷き、続けた。
「それから、あの変な場所からこっちに戻ってこれたことについても、俺の意思だったとは思う。でも、本当に俺の意思だけで戻ったのか、その原理がどうなっているのかは分からん。気がついたら空の上にいたからな」
『それも十分おかしいだろ』
『帰還方法まで不明w』
『今さらだけど、どうやって戻ったんだよ』
『セナち板から来ました。そこもまだ分かってないんですか?』
「だから俺にも分からんって」
思わず苦笑する。
最初のときもそうだった。今回もそうだった。俺が「変身する」と決めるより先に、身体が戦闘態勢へ入ってしまう。
「だから前にも言ったけど、俺はまだこの力を自由自在に扱えるわけじゃない。むしろ、自分で把握できていない部分のほうが多い」
『自分の身体なのに?』
「そうだよ」
『怖くない?』
そのコメントが目に入った瞬間、俺は少し黙った。
「……怖いよ」
今度は冗談ではなく答える。
「だって、自分が止めたいと思っても、身体が先に動くんだからな」
画面の向こうが少し静かになる。さっきまでふざけていたコメント欄にも、短い言葉がぽつぽつと流れ始めた。
『それは怖いな』
『でも今回も助かったじゃん』
『助かったけど、本人の意思じゃないのが怖い』
『身体が戦ってるの、やっぱり寄生生物に乗っ取られてるみたいだな』
『その説やめろ、怖いから』
「寄生生物? 怖い考えはやめてほしいんだが」
俺は苦笑しながら肩をすくめた。
『でも、セナちも近くにいたんですよね?』
『あの状態で、味方を傷つけることはないんですか?』
『セナちを危険に巻き込む可能性についても、説明してほしい』
『おい、そういうことを聞くなよ』
『いや、心配だから聞いてるんだろ』
『黒瀬さんが悪いと言ってるわけじゃない。次も同じことが起きたら心配なんだ』
コメント欄に、今度は少し違う種類の騒がしさが生まれた。
俺は一つ息を吐いて、カメラへ向き直る。
「その心配はもっともだと思う。今回、俺がセナちを助けようとしたことは事実だ。でも、変身したあとの身体を自由に制御できない以上、近くにいる人を傷つける可能性がないとは言えない」
『本人もちゃんと分かってるんだな』
『セナちを助けてくれたことには感謝してる。でも、今後のことは心配だ』
『だからって黒瀬さんを責めるのは違うだろ』
『助けに来なかったらセナちが危なかったのも事実だし』
『ありがとうと心配は両立するからな』
『セナち板でもその話が出てた』
『ここでセナち板の話を持ち込むなw』
「……お前ら、いろいろなところで話し合ってるんだな」
俺は苦笑したが、その話を軽く流すつもりはなかった。
「ただ、今回のことを軽く考えているわけじゃない。俺自身、どうすれば変身を制御できるのか、何をすれば身体を止められるのか分からない。そこはこれから調べていくしかないと思っている」
『まずはそこからだな』
『セナちのこともあるし、無理はしないでくれ』
『でも、助けたことまで後悔しないでほしい』
『変身の問題と、助けに行った判断は別だからな』
「ありがとう」
短く答えて、俺は自分の右手を見る。
「で、前回の釈明配信にはなかった話がもう一つある」
俺は右手を軽く握った。
「あのとき出てきた、あの剣だ」
すると、配信に立ち会っていた協会職員の声が、カメラの外から飛んできた。
「黒瀬さん、その話をするのは構いませんが、実演だけは絶対にしないでください」
「分かってるって」
俺は振り向き、軽く手を振った。
「そんな危ないことするわけないだろ」
『フラグかな?』
『今の言い方、絶対やるやつw』
『協会「実演するなよ! 絶対だぞ!」』
『セナちを助けた剣、もう一度見たい』
『いや、見たいけど危ないだろw』
『本人が制御できてないって言ってるんだからやめてあげて』
「お前らまで何を言ってるんだ」
呆れたように笑ってから、俺は再びカメラへ向き直った。
『来た』
『新武器キター!』
『これだけは説明してくれ』
『セナちの配信で見たけど、剣の正体が分からないんです』
『黒瀬さん、あの剣は自分で出したんですか?』
俺は右手に視線を落とした。
あのとき確かに、手の中に細い刀身が現れた。握った感触も残っている。
けれど――。
「これも分からん」
『出た』
『また分からんw』
『黒瀬さん何なら分かるんですか?』
「俺の腹が減ってることくらいなら分かるぞ」
『知りたいのはそこじゃないw』
『セナち板から来たけど、この人ずっとこんな感じなの?』
『平常運転です』
思わず笑ってしまう。
だが、笑って済ませていい話ではない。
「ただ、一つだけ分かっているのは……あの剣は普通の武器じゃないってことだ」
俺は視線を落とした。
ワータイガーを倒したときとは違う。ワーボアに叩き込んだ拳は、ほとんど効かなかった。それなのに、あの剣を突き刺した瞬間、相手の身体の中に何かが流れ込んだ。
光が広がり、亀裂が走り、そして――内側から崩れた。
「何が流れ込んだのかも分からない。俺はただ、刺しただけだ」
『怖すぎる』
『いや、刺しただけじゃないだろ』
『その「だけ」が重すぎる』
『前回より能力が増えてない?』
『黒瀬さん、剣を使ったのは自分の意思だったんですか?』
「増えてるって言われてもな……」
俺は困ったように頬を掻いた。
「俺が自分から覚えたわけじゃないんだよ」
『じゃあ誰が使い方を決めてるの?』
『身体?』
『また身体が勝手に?』
「……たぶん」
そう答えた直後だった。
俺は説明を続けようと、何気なく右手を上げた。
「まあ、あのときも、こんなふうに――」
次の瞬間。
シュンッ。
右手に、あの細い剣が現れた。
「…………」
俺は固まった。
数秒遅れて、自分の右手を見つめる。
「……あれ?」
カメラの外から、協会職員の声が裏返った。
「黒瀬さん!?」
コメント欄が一瞬で爆発する。
『出たwww』
『実演禁止とは何だったのか』
『本人が一番驚いてるw』
『黒瀬さん「こんな感じで」→本当に出す』
『PON瀬www』
『協会さん逃げてー!』
『セナち板から来ました! 今、剣が出ました!』
『いや、見れば分かるw』
『これが噂の黒い剣か』
『さっきまで本人が分からないって言ってただろw』
「いや、違う! 今のは出そうとしたんじゃない!」
俺は慌てて右手を振った。
すると、今度は剣が一瞬で消えた。
「…………」
いや、消そうと思ったわけでもない。
慌てて手を動かしたら、勝手に消えてしまったのだ。
『消えたw』
『出すのも消すこともできるじゃん』
『本人が一番分かってない定期』
『今回の釈明配信、能力実演付きです』
『セナちを助けたときも、こんな感じで勝手に出たのか?』
『いや、あのときは戦闘中だっただろ』
『落ち着け、質問が追いついてないぞw』
「違うって! 今のはたまたまだ!」
顔を真っ赤にしながら言い返す俺に、協会職員も頭を抱えている。
『前回のPON→配信切り忘れ』
『今回のPON→実演禁止なのに新武器を実演』
『順調に進化してるw』
『もうPONが芸風になってない?』
『セナちの配信から来たけど、黒瀬さんって意外と面白い人なんですね』
「芸風にするな!」
俺は思わず声を張り上げた。
だが、そこでふと気付く。
さっき剣が出たとき、俺は「出そう」と思っていなかった。それなのに、身体が俺の言葉を勝手に拾ったように、あの剣を呼び出した。
消えたときも同じだ。俺は消そうと思ったわけではないし、消し方を理解しているわけでもない。
コメント欄は、まだ盛り上がっている。
『セナちを助けたときも、黒瀬さんは制御できていなかったんですか?』
『そうだとしたら、今後も周囲の人を巻き込む可能性があるよね』
『助けてもらったのに、そんな言い方はないだろ』
『責めてるんじゃなくて心配してるんだよ』
『本人が制御できないって認めてるんだから、考えないといけない問題だろ』
「……」
俺は自分の右手をじっと見つめた。
やっぱり、分からない。
この身体が、何を基準に動いているのか。
「……まあ、今のは忘れてくれ」
『無理w』
『切り抜き確定』
『本日の名場面』
『協会絶対頭抱えてる』
『セナち板でも絶対話題になるぞ』
「もう話題になってるだろ、それ」
俺は大きく息を吐いた。
「それと、あのワーボアが何だったのかも、俺には分からない」
『獣人って言い切るようになったの草』
『前まで怪物だったのにw』
『いや、見た目は完全にイノシシ人間だっただろ』
「だったから、そう呼んでるだけだ」
そこで、画面の端に別の通知が出た。配信開始前に探索者協会から渡されていた注意事項だった。俺はちらりとそれを見る。
「……あと、協会から伝言がある」
『お?』
『何?』
「今回の件について、調査が終わるまでは単独での探索を控えてほしい、だそうだ」
『そりゃそうだろ』
『むしろ遅い』
『黒瀬さん単独行動させるほうが怖い』
『セナちのためにも、しばらくは無理しないでほしい』
『本人が一番、何が起きるか分かってないんだもんな』
「俺だって好きで単独で行ってるわけじゃないんだが……」
そう言いながら、俺は画面を見つめる。
その直後、協会職員から追加の連絡が入ったらしく、カメラの外から声が飛んできた。
「黒瀬さん、協会から追加の話があります」
「追加?」
俺が振り返ると、職員は困ったような顔で頷いた。
「はい。配信終了後に、協会の担当者が直接説明したいそうです」
「……嫌な予感しかしないな」
コメント欄にも、
『隔離とか?』
『まさかね』
『特殊施設かな』
『今の実演を見たら、協会も何か言うだろうな』
『黒瀬さん、次は何をやらかすんだ』
などと好き勝手な予想が並ぶ。
「いやいや、さすがに大げさだろ」
俺はそう言って笑った。
――このときの俺は、本気でそう思っていた。
◇
配信終了後、俺の部屋にやってきたのは、以前から何度か顔を合わせている探索者協会の職員だった。
男は手元の資料を確認すると、いつになく真剣な表情で口を開いた。
「まず、今回のワーボアについてですが、現在も詳細な調査を続けています。ただし、現段階では、通常の低層モンスターとは性質が違う可能性が高いと判断しています。あの再生能力がなぜ止まったのか、剣から流れ込んだものが何だったのかも、まだ分かっていません」
「まあ、俺もそう思う」
俺が頷くと、職員は次の資料を取り出した。
「そしてもう一つ。黒瀬さんの身体についてです」
「身体?」
「はい」
職員は一枚目の資料を俺の前に置いた。
「協会が今回、特別な措置を取ることにした理由を、順番に説明します」
「……理由?」
「はい。戦闘直後から対応を検討していましたが、映像や検査結果を改めて分析した結果、通常の居住環境で生活を続けてもらうのは難しいという結論になりました。まず一つ目。黒瀬さんは、本人の意思とは無関係に変身することが、すでに複数回確認されています」
「まあ……そうだな」
「つまり、一度限りの異常現象ではない可能性が高い」
職員は指を一本立てた。
「二つ目。変身だけではありません。戦闘中に新たな武器を生成した。そして先ほどの配信でも、本人が意図していない状態で実際に武器を出しています」
「あー……」
俺は目を逸らした。
「三つ目。その武器がどの程度の威力を持つのか、まったく分かっていません」
職員の声が少し低くなる。
「しかし、今回の映像を見る限り、通常の武器とは比較できない威力であることは確認されています。ワーボアに対しては、直接打撃ではほとんど効果がなかったにもかかわらず、あの剣による一撃で対象の身体が内側から崩壊した」
「……はい」
「四つ目」
職員は俺を真っ直ぐ見た。
「黒瀬さん自身が、自分の能力の発動条件、攻撃方法、停止方法を説明できない」
「……」
「五つ目。アビスからの帰還についても同じです」
別の資料が机に置かれる。
「黒瀬さんは、あの異常な場所からどうやって帰還したのか、その原理を説明できない。ご本人の感覚としては『気づいたら空の上にいた』ということでしたね?」
「……まあ、そうなる」
「つまり、何らかの移動現象が起きた可能性は高いものの、現時点では、本人の意思と能力がどのように関わっていたのかも分かっていません」
俺は黙って資料を見る。
確かに、こうして並べられると洒落にならない。
変身する。勝手に武器が出る。その武器の威力が分からない。自分で止められる保証もない。どのような仕組みで帰還したのかも分からない。
俺自身、その能力について何も説明できない。
「そして最後です」
職員が静かに言った。
「黒瀬さんは、低層で遭遇した、通常の出現記録と一致しないワーボアとの戦闘中に、新しい能力を発現させています」
「……」
「協会が恐れているのは、黒瀬さん自身が人を傷つけようとしていることではありません」
職員はそこで一度、言葉を切った。
「何が起こるか分からない状態のまま、一般の生活環境に戻すことです」
俺は何も言えなかった。
「例えば、街中で危険を察知して突然変身した場合。本人にその気がなくても、周囲の人間が巻き込まれる可能性があります」
「……」
「自宅で武器が突然生成された場合、その武器が何を破壊できるのか、現在の我々には判断できません」
「……」
「そして、今後また未知の生命体と遭遇した際、黒瀬さんの身体が何をするのか。それすら分からない」
職員は資料を閉じた。
「だから、隔離です」
「……なるほど」
ここまで具体的に並べられると、さすがに何も言い返せない。
「正直に申し上げます」
職員が俺を真っ直ぐ見る。
「協会としても、黒瀬さんを危険人物として扱いたいわけではありません。ただ、現状のまま一般の居住環境で生活してもらうには、リスクが大きすぎると判断しました」
「……つまり、俺自身が怖いっていうより、何が起こるか分からない俺の身体が怖いってことか?」
俺は自分の右手を見る。
「その認識で間違いありません」
少し間を置いて、職員は続けた。
「ただし、ここで一つ訂正があります」
「訂正?」
「隔離することと、これまでの活動をすべて止めてもらうことは別です」
「……?」
「配信活動については、継続していただいて構いません」
「え?」
思わず顔を上げた。
「配信していいの?」
「はい。ただし、施設内からです」
「……なんで?」
職員は少し迷ったような顔をしてから答えた。
「我々も、黒瀬さんの能力について分かっていないことが多すぎるからです」
「……」
「変身がどのような条件で起こるのか。武器がどのような状況で生成されるのか。本人の意思と能力がどの程度連動しているのか。まだ何一つ十分なデータがありません」
職員は資料を一枚めくった。
「そのため、これまでの生活に近い状態を維持してもらったほうが、観察できることも多いと考えています」
「なるほど……」
「もちろん、安全面の問題がありますから、ダンジョンへの単独探索などは当面禁止です」
「それはまあ、仕方ないか」
「それに、配信記録も重要な資料になります。本人が無意識に能力を発現させた場合、その瞬間を記録できる可能性がありますから」
「……俺、観察対象なの?」
「そういう言い方をすると、少し語弊がありますが」
「いや、だいたい合ってるだろ」
俺が半目になると、職員は苦笑した。
「それと……」
「まだあるの?」
「協会として、この判断をするうえで参考にした意見があります」
「誰の?」
職員は一瞬だけ言葉を選んだ。
「ダンジョン産出物について、独自に調査している人物です」
「そんな人がいるのか?」
「はい。以前から、通常のダンジョン産出物とは考えにくい特殊な装置や素材について調べている人物でして」
職員は資料を閉じた。
「その人物から、黒瀬さんのような特殊事例については、行動を制限するだけではなく、継続的に観察したほうがいい、という意見がありました」
「……へえ」
俺は少し首を傾げた。
「なんか妙に詳しい人がいるんだな」
「我々も、その人物の調査内容すべてを把握しているわけではありません。ただ、ダンジョンから産出される特殊な装置や素材については、我々より詳しい部分があります」
「ふーん……」
俺はそれ以上、深く考えなかった。
「まあ、配信できるならいいか」
結局、俺が気にしたのはそこだった。
職員は少しだけ苦笑する。
「黒瀬さんらしいですね」
「いや、だって配信まで取り上げられたら、俺、本当に何もすることなくなるし、金も稼げなくなるのは困るし」
「その点については、配信設備も用意してあります」
「……配信設備まで?」
「はい」
「隔離施設なのに?」
「安全管理のため、防音設備や通信設備も整っています」
「なんか、ホテルより快適じゃないか?」
「安全管理上は隔離棟です」
「名前が違うだけじゃないか、それ」
職員が微妙な顔をした。
「ただし、監視はさせてもらいます」
「それも嫌だなあ……」
俺は苦笑しながら肩をすくめた。
「まあ、仕方ないか」
◇
その日の夕方。
俺は協会の車で特別隔離棟へ向かった。
到着して案内された建物は、想像していたような刑務所でも病院でもなかった。普通の部屋があり、ベッドがあり、机があり、風呂もある。簡易キッチンまで用意されていた。
そして部屋の隅には、配信用のカメラや機材がまとめて置かれている。
「……本当に配信できるんだな」
「はい。回線も専用のものを用意しています」
案内してくれた職員が説明する。
「ここなら、黒瀬さんが突然変身しても周囲の被害を最小限に抑えられます。能力の危険性を管理しなければならない探索者向けの施設でもありますから」
「そういう基準で部屋を見るの、初めてだな……」
俺は部屋を見回してから、窓の外へ視線を向ける。
高い塀。頑丈そうな扉。監視カメラ。そして、窓には丈夫そうな鉄格子があり、壁もやたらと分厚い。
「……やっぱり、緑の救急車で運ばれる病棟みたいなんだが?」
俺は無言で壁を見た。
「どうしました?」
「いや」
俺は小さく笑った。
「本当に俺、危険物みたいな扱いなんだなって」
「念のためです」
「それ、さっきから何回聞いただろうな」
苦笑しながらベッドに腰を下ろす。
ふかふかだった。
「……まあ、悪くないか。家賃はいらないんだろ?」
「まあ、そうですね」
俺は少しだけ笑った。
「じゃあ、ここから配信再開か」
思えば、最近はまともに眠れていなかった。ダンジョン、配信、三年前の事故、別件の襲撃、突然手に入った力、勝手に変身する身体、そしてあの剣。考えれば考えるほど、分からないことばかりだ。
俺は天井を見上げ、小さく呟いた。
「俺の身体……いったい何を知ってるんだ?」
◇
その頃。
地球のどこか、誰にも知られていない場所では――黒瀬旭の配信映像を、ひとりの人物が無言で見つめていた。
画面に映っているのは、先ほど黒瀬の手の中に突然現れた細い剣。
「……やはり、気になるな」
その人物は映像を一度止め、剣が現れた瞬間を何度も再生する。
ダンジョンから発見された、既存の文明では説明できない装置。通常の魔石とは異なる性質を持つ素材。そして、これまで何度も確認されてきた、既知の技術体系から外れた産出物。
探索者協会にも黒瀬の継続的な観察を勧めたその人物は、以前からそれらを追っていた。今回の黒瀬旭の能力にも、いくつか気になる共通点があったのだ。
「もっと観察する必要があるな」
だが、その人物自身も、まだ答えを持っているわけではない。
黒瀬旭が何者なのか。あの剣が何なのか。そして、それがダンジョンの産出物とどのようにつながっているのか。
今のところ、分かっているのは――追う価値がある、ということだけだった。
◇
そしてその頃。
アビスのどこか、誰にも知られていない場所では――黒瀬旭の変身映像を見つめる者たちがいた。
ワーボアが崩壊した瞬間、画面の前に立つ者が低い声で呟く。
「……あの剣は、ただの兵器ではない」
別の者が振り返る。
「では、何だ?」
短い沈黙のあと、その声が答える。
「分からない。だが――黒瀬旭は、我々にとっての天敵になり得る」
「兵士だけではない。アビスに属する生命、そのすべてにとってだ」
別の者が画面へ目を向けた。
「だからといって、排除を急ぐな。彼は、あの場所から帰還した唯一の人間かもしれない」
「分かっている。殺すのではなく、観察を続ける。あの力がどこまで引き出されるのか、確かめる必要がある」
画面の中で、黒瀬旭が右手を見る。
その手の中には、まだ誰も正体を知らない力が眠っていた。




