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誰が怪人か貴様っ!



 少し、騒々しい。それは正門前、整列した使用人の前を歩く貴族の所為だ。


 奇抜な髪を大仰に手で払い、畏まる使用人達へ言うのだ。


「まったく、君達は使えないねえ……? この、僕、ヨシュア・スレイン・フォン・ネルンスト=ローライトをバカにしてるのかい?」


 怒鳴るでもない。彼は高価なシャツを見せびらかすように、使用人の前を右に左に闊歩する。背に手を回し、嫌味の滲む表情で。


「ヨシュア様、も、申し訳ありません! 我々では、門を越えられぬのです!」


 使用人の一人が頭を下げたか。彼は足を止め、その空色をした瞳を向ける。同じ色をした髪を人差し指に巻きながら、ずずいっと顔を覗く。


「も、申し訳ありません……」


 緊張からか、その使用人は息を呑んだ。


「僕ぁ……君達の仕事をどう評価すべきかなぁ? 僕ぁ君達が荷物を運べない以上に、入る事すら出来ない事実がバッカバカしくてさあ? 分かるかい、僕の言いたい事?」


 使用人達に動揺の波が襲って、目の前の主人を注意深く伺う。彼は、高貴な人間だ。使用人達は素人ではなく、金銭を出し雇うだけの価値がある人材だ。


 ローライト家の使用人として、教養のある者達だ。然し、彼はその三白眼で一通り使用人達を睨むと。


「君達、屋敷に帰ったら? いらないよ、もう。ほらぁ早く、いいからさぁ、いきなよ?」


「お、お待ちを! 私どもは坊っちゃんの為に――がはぁッ!?」


 使用人の一人が彼の腕を掴んだか。


「気安く触れるなッ!」


 使用人の腹に、深々と前蹴りが炸裂した。呻き、転がって悪趣味な魔導車に激突する。魔導車の金属のドアを凹ませて、使用人は呻いて蹲った。使用人達は、同僚には集まらない。その場で身を固めていた。


「使用人風情が……これだから、バカは扱いに困るな……」


 掴まれた袖を払い、カフスを整える主人から顔を背けない。彼は髪を掻き上げ、妙に鋭かった目を緩めた。馬鹿にするような、嫌味な目になった。


「はぁ、まったく……? どんな教育をしてるんだかねぇえ? 貴族に許可なく触れるなんて、下手をすれば死刑ものだよ? 僕ぁ寛大だからさあ、良いんだけどさあ?」


 口を開けば嫌味だけ、彼は蹲って、咳き込む使用人を見ていた。口端には血、胃からではなく、転がった時に歯で口内を傷付けたようだ。空色の瞳はふと、他の使用人に向く。


 その使用人は彼を見ていなかった。背後で苦しむ使用人に目を向けている訳でもなく、不思議に思ったヨシュアはちらりと視線の先を辿った。


 時計台が奥に聳え立つ学園だ。石畳の道、花壇、柱。数々の名家の令嬢や子息が歩み、早速派閥を形成していた。


 彼は鼻を鳴らす。下らないな、と。それで気付いた、道端に妙な物がある。


「……なんで、あんな場所に椅子や机があるんだろうね?」


 簡素な椅子や机ならば、分からなくはない。石畳の左右には庭園もあって、茶会を野外で開く場合があると思われたからだ。ヨシュア・スレイン・フォン・ネルンスト=ローライトは顎に手を添える、思考を回して。


 いいや、珍しいにしても大事ではない。論理的に考えるまでもなく、途中で区切る。先ずは、使用人達の処遇だ。彼等はどうせ学園には立ち入れない。


「……んん?」


 振り返ろうとした時、学内に積み上げた荷物の山から人影があった。小さな身丈の、草色のローブを纏う女である。


 ゆらゆらと、手をぶら下げて歩いている。不審に思って睨みを利かせれば、どうやら少女は荷物に近寄っているではないか。


「……君、僕の荷物に触らないでくれよ? 君は見たところ、奨学生だ。僕は貴族、君は平民。分かるね? 気安く触れるな、近付くな」


「……」


 少女は答えなかった。足取りが不安定で、雪原のような髪を風に任せるままだ。薄暗い帝都の空にあって、輝くような琥珀が嫌に意識を惹く。


「おいおい……答えなよ。僕が話し掛けているんだ、君は答えなければならないよ? それに、僕の荷物になにかあったら、君はどう責任を取るのかな? うん? 払えるのかい?」


 使用人は最早どうだって良い、ヨシュアは靴を敢えて(・・・)鳴らし少女に近付いた。距離が縮まると、次第に口元が動いているのに気付く。


「……?」


 第一に、身丈の低い少女は珍しい。ヨシュアも馴染みがない『白髪』と、なにより金ではなく『琥珀』の目玉だ。


 ぱっちりとして儚くて、ぼうっとしている姿は超然としていた。ゆらりと、ゆらりと、少女は歩いている。荷物の側を抜け、歩みはどうやらヨシュアに向いていた。


「……なんだい君、耳が聞こえないワケじゃあ、あるまいに。無視は頂けないねえ? へー? 良い度胸をしてる、この僕、ヨシュア・スレイン・フォン・ネルンスト=ローライトを前にさぁ?」


 靴を強く鳴らす。だが、少女は止まらない。初めてだ、ヨシュアは少女の口元の動きに目を細めた。小さな口、淡い色、瑞々しい唇が動いている。汚れのない白肌に、その淡い唇ですら鮮やかに浮いていた。


「…………者……わた……者……」


 微かに、鼓膜を震わせた。


「……なにかなぁ? もっと大きく口にしなよ、僕をバカにしてるのかい君? ああそれと? どっかのお嬢様(フロイライン)だとしても、ローライト家を前に不敬とは思わないのかい?」


 少女は止まらない。之は、ヨシュアの想定にない。


「私は…………代……者……」


 小さな小さな声だ。


「だからさあ、もっと大きな声で言いなよ。僕ぁバカにされるのが堪らなく嫌いでね、無能も嫌いだ。見てみなよ、使用人を。あいつら、ああしてバカみたいな顔で突っ立ってるだけさ! はんっ、バッカバカしいったらないねっ!」


 肩を竦め、ヨシュアは吐いた悪態に強く頷いた。歩みを止めぬ少女に、片眉を上げる。之も効果がない、なにか、違う。間違えたか、と反芻する。


「おい。おい待て、そこで止まれ。僕が……高貴で敬うのは分かるが、それ以上は『不敬罪』となるからね?」


 びしっと指差した。が、少女は止まらない。虚ろな瞳で、ぶつぶつ呟いている。その距離はもう、三歩もない。ヨシュアの鼓膜を撫でる声、やっとはっきり聞こえた文言。


 その台詞は、学園では耳にする試しが殆どないだろう宣言だ。


 正教会の、言葉だ。聖堂の修道女ならば口にする、言葉。


「――あゝ、主よ。感謝致します。この毎日に、幸せに」


 一歩。


「ま、まて、貴様。止まれ、そこでっ」

 

 ヨシュアは床を指差した。


「――我は主を冒涜す逆徒に鉄槌を下す者なり」


 一歩。異端審問官の、言葉だ。人伝に耳にするマントラ(・・・・)


「止まれと言っているだろう貴様ッッッ!」


 掌を翳す、見下げた先には、少女。


「――私は、神罰の地上代行者なり」


「ば、ふざけごふぉッ?!」


 否、違う。それは高位神官だ。それも、かなり特殊な階位の宣言。


 琥珀に神の徽章(マントラ)を灯し、鉄拳に纏いし金を滾らせて。目玉に走る神の文言、金色(こんじき)の眼差し。


 小さな拳が、ヨシュアの鳩尾を穿っていた。深々と。ヨシュアの身体はくの字に折れた。


 胃の内容物こそ、噴出はしなかったが、その膂力は尋常ではなかった。壮絶な鉄拳に数歩後退って、ヨシュアの膝が笑う。ガタガタと、顔が一気に蒼白した。


 力を入れても、膝が受け止めない。人体急所を見事に抉られたのだ、腹筋に力を入れていれば結果も違ったのだろう。


「お、おぁ……ば、か……なぁッ……!?」


 才ある者、稀血、貴族は優れた肉体を持っている。特筆して、ヨシュアは名家の人間だ。平民と貴族の肉体優劣は、雲泥の差がある。


 ヨシュアからすれば魔導車は軽々しく蹴飛ばせる代物だ、本気で蹴れば街灯なぞ千切れ飛びもする。また同時に、魔導車が突っ込んで来ても死にはしないだろう。


 それだけ頑丈だ。そんな彼が、両膝を石畳に打ち付ける。溢れ出る冷や汗に、阿呆にも空いた口から涎を垂らして。石畳に蹲った。


 耐えられる限界を臨界していた。


「……怪人……怪人……どこ……」


 踵を返し、ふらふらと。


「き、さ……まぁァっ……! だ、だれが……怪、人かッ……!」


 腹を抱え、ふらふらと歩き去る少女に血走った瞳を向ける。ヨシュアの言葉になぞ、興味がないように少女は止まらない。


「まてェ……! き、さまぁァッ……!」


 ヨシュアは石畳に拳を打ち付ける。砕けた石畳と、苦悶に藻掻く、呻き声。


「ぉ、ぐぅう……!」


 それは、少女の姿が見えなくなるまで続いた。


 あの拳は、鉄拳は、ヨシュア・スレイン・フォン・ネルンスト=ローライトを昏倒させる破壊的なものであった。貴族を容易く跪けさせる、一撃であったのだ。


 踵を返して続けた空虚な歩みは、時計台に近付くに連れて、僅かにづつ芯が生えていた。瞳に滲む残光――金色の文言――が帝都の曇天に溶けて行く。


 温かい紅茶に落とした角砂糖のように、次第にそれは形をなくして、姿を眩ますのだ。完全にそれが消えて、少女はぱちくりと瞬いた。


「ん……? 私……」


 マリアは琥珀を迷わせて、目の前の時計台を見上げた。頭の中に霧が掛かって、今一はっきりとしないからだ。朝目が覚めたばかりのような、脳が目の前を受け付けないような、そうした感覚に頭を右に倒す。


「んー」


 確か、そう。怪人っぽい人に会ったような気がして、彼女は左に頭を倒す。思い出そうとすると、病人みたいな顔が過った。


「あ、そうだ……学園長が急げって言ってたかも……?」


 記憶を漁ると、なんとなくぼんやり思い出した。学園長に会って、急かされたのだ。マリアは時計台の厳かな空気に負けじと、両手にぐーを作る。


「よし、がんばるぞー」


 その遠く、背にす蹲った若き貴族を、知らぬままに。



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