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出たな怪人っ



 マリアはと言うと、書類に判子を押す受付人の前にいた。


 受付場と言っても、道端へ机と椅子を簡素に並べた場所である。本来ならば――もてなす客間の風情や格調の為に誂えるだろう品々――革張りの椅子も屋外に向いてはいない。


 優雅に腰掛けた音、ぎぎ、と椅子を鳴らす。それは前のめりになったからで、マリアへと耳を傾ける為でもある。また、その動きは、屋外に配置するには不自然な机に手を伸ばす意味もあった。


「ほぉ……?」


 骨が浮いた手は青白い。帝都が誇る曇天の空に染まった、帝都人の手である。そうして質の良い紙面をなぞって、受付人はマリアに黒い瞳を翳した。


「学園にようこそ――……マリア殿?」


 紙面に記された名を、指先が叩く。その受付人の髪は黒く、異様に長かった。腰掛ける場には拘るのに、自らの長い髪には無頓着のようにも思える。実際、石畳に目をやれば、髪先が弧を描いているではないか。


 マリアの視線に気付いたか、貧相な、異常に細い首を傾ける。筋張った首に、長い髪が流れた。


「うら若き学徒よ、なぜ、この学び舎に?」


「えっと……」


 マリアは一度、辺りを見渡した。


 時計台の側、過ぎ去る他生徒達。この受付場で足を止める者は他にいなかった。翡翠のドレスを纏っていた令嬢や、学生服姿の奨学生も。


 之はなにゆえか。マリアの知る限り、時計台の前で試験を受けねばならない筈だ。もしや、彼等は既に試験を終えているのか。


 マリアも首を傾げる、受付人はそれに伴って逆向きに頭を傾ける。


「疑問を先取りするようだが、試験は終えている」


「え……あ、そうなのですか?」


「あゝ、あれを見給え」


 受付人、細い枝木の腕が揺れる。ちょっとした風に折れてしまいそうな腕は、正門を指していた。マリアは、其処で奇妙な光景を目にした。


「あれは、あの……なんですか?」 


 一人の貴族だ。


 使用人から荷物を引っ手繰っては、石畳の上、学内へと投げている。正門前に横付けした魔導車は高価そうで、田舎で見る甲殻昆虫のようでもある。少し趣味の悪いものであり、マリアの脳裏にその昆虫、緑の中に喧嘩しながら虹色が混ざった様子が浮かぶ。


「う……」


「なんとも、不思議な顔ばかりするな……?」


 網膜を刺激する色彩は、少々過激ではあるけれど。なんとか光景を忘れんと頭を振るうマリアに、受付人は観察するような目を定めていた。


「あのえっと、どうして、でしょう? あれでは……お手伝いさんの意味がないようですけど」


 マリアの興味はトランク、荷物にあった。


 そう、魔導車に積まれた荷物を使用人が運ぼうとしていたのに。主である貴族は、彼等から引っ手繰って乱雑に投げているではないか。


「入れんからな」


 受付人は、短く断言する。足して、喉を鳴らして笑った。


「……入れない?」


 笑い声はカレイルとは違って、重々しい。マリアは、受付人の全体を確認する。


 古きより大切に育て熟成したワインのようなシャツに、黒地のスラックス、羽織るのは之また黒のローブ――病人の雰囲気だ。


 細い腕、長い足、だが顔は美女のような。チグハグで、歪。頭身間隔を狂わせた『男』は、両の手先を合わせる。


 そうして、隙間から目玉を覗かせるのだ。


「あの門は、資格なき者を選別しているのだ」


 マリアの琥珀は疑問を濃くした。


「資格なき者を、冷遇するのですか?」


「施しは救いではない、罰であろう」


 病人は優雅に、机の紙を手にした。足を組み、膝に肘を突いて。紙面の内容を精査する目玉が忙しなく蠕動する。


 マリアは困惑する。然し、ふと過った。まさか、と。


「夜、徘徊したりする……ご趣味は?」


「む……? 我はよく、夜に出掛けるがな……なにゆえ問う?」


 はっとする。マリアは拳を固め、半歩片足を下げる。重心を据え、胸前に鉄拳を装着した。琥珀の瞳に神の徽章(マントラ)が滲みそうなまま、言うのだ。


「まさか怪人っ!?」


 軽くジャブ、それは当てる動作ではない。風切音での、威嚇。示威行為であった。


「戯け。誰が怪人か、フロイライン(小娘)


 病的な美女な男――彼は目尻を抑えた。数秒整理して、真っ白な指でマリアを示す。


「我は、学園の長だ。保護者、より……耳にしてはいないのかね?」


「……学園の……長……?」


 拳を装填したまま、記憶を探る。保護者。つまりはカレイル辺境伯の言葉を反芻する。マリアは帝都に訪れた際、幾つかの注意事項をくどくど、つらつら並べられたものだ。


 学園では淑女であり優雅たれ、だとか。貴族には注意を向け給え、だとか。礼拝は学内の聖堂を使いなさい、だとか。そうした話である。記憶を一通り漁ったが、マリアは学園長とやらの話に覚えがない。


「知り合いなんですか?」


「あゝ、とても仲がよいな? 三年前に顔を合わせた際には、多くを語り合い、身体を抱きしめ合い、互いを労ったものだ」


 黒い髪、黒い瞳。そして、凍える程の美貌。


 目鼻は整っているが、相貌に真っ向から嘲笑うような『重低音』だけは、マリアを不安にさせた。カレイルの、冷たくも寄り添う声ではない。病理に苦しみながら吐き捨てた唾の如く、悪意に染まる声だ。


 見た目は病人、顔は若い女のよう。口から出る声は、ざらざらとした老人だ。


 マリアは、もう少しだけ思考する。どっからどう見ても、怪人だ。


 夜な夜な徘徊もするらしい、やはり怪人だ。


 カレイルの知り合い、であるのが、それすら疑わしいまでに。


 怪人だ、今の所は違いない。


「カレイル様の……好きな食べ物は……?」


 確認はする。


「なに……? 食かね……? 知らん、と言いたいが……」


 彼は紙面に黒曜石を落とし、それから鉄拳を構えるマリアを見る。


 辺りは学徒が過ぎ去って、時計台に吸い込まれている。学園長へ視線を向けるでもなし、畏敬の為に会釈するでもない。


 マリアはこの異質な空間に違和感を覚えた。受付に用がないにせよ、学園長であるならば会釈の一つは、されて然るべきだ。だが、辺りを抜ける学徒にそうした様子はない。まるで、切り離された『異界』のようだ。


 暗がりへおいで、おいで、と囁くような。言葉にし難い感覚が背筋を舐めていた。だからと、怯みはしない。


 小さな決意を胸に、ぐっと拳を正す。


「なんだね、小娘……?」


 悪魔のようだ、人間に見えない。長い足も、腕も、骨みたいな手も。


 長い髪も、ぎょろりとした目玉も。青白い肌も。


 纏う空気は悪辣で、優雅であれど不安にさせる。やはり、怪人か。


 マリアは、息を短く切る。


「やはり怪人っ! 神に代わって鉄槌を下しますっ!」


「戯け。なにが怪人か」


「あなたは、その、なんかおかしいですっ」


 マリアは拳を向け、指摘する。


「……違う、違えているぞ。しかと見よ、どう見ても人だろう? 翼もなければ角もないがね?」


 マリアの態度に急くでもなく、彼はゆったりと反論した。その態度は頑固な子供に振り回される老人であり、事実、そうなのだろう。


「うっ……たしかに……」


 拳を握ったり開いたり、マリアは困惑していた。それは人ではないように思えたからだ。


 道端で高価な椅子に腰を休め、不気味なまでに人っぽくない姿である。田舎にこんな人間は居なかった、少なくともマリアは知らない。


「深呼吸せよ、先ずはな」


 彼は、細い手をもぞもぞと動かしていた。手にあった紙を丸め、棒にしていたのだ。今にも輝き出しそうな琥珀を前に、ずいっと棒を突き付ける。


「落ち着いたかね……?」


「まあ……はい。話は、ききますけど……」


「うむ、それでよい――カレイルの好物は『魚』であったな?」


 嫌々に包まれた声だった。思い出すのすら、不快だと表情が語っている。無機質な顔が歪んでいるのだ。


 論理的整合性を見失った議論に巻き込まれたような、内容に反して比重が傾倒した態度だ。知り合いの食事の好みを答えるのが嫌で、本当に嫌でどうにもならんと、全身から感じられる。


 尚更、マリアには不可解極まった。知り合いとは、そう言う関係だろうかと。


「……調理方法は?」


 確認はする。


「……あの奇人は虫、を、気にするでもない。魚を生で、嚥下しよう。全く、度し難いものだが……」


 ついっと棒を肩に当て、叩く。それは老人の、肩凝りを解す動作に酷似している。


「た、たしかに……よく、知っていますね」


 魚の生食は、禁忌である。


 と、カレイルから教わった。


 どうにも帝都では魚に火を通さない食事を、法律にて厳格に禁じていた。なので、マリアは故郷の味に思い馳せるしか出来ないでいる。


 故郷を離れ早一ヶ月、魚の恋しさに後ろ髪を引かれていた。マリアは、拳を緩める。


「すみません……ちょっと、びっくりして……」


 そして頭を下げた。


 魚の生食を公言していないのに、それを知るとなれば疑う余地はない。カレイルとこの男は知り合いだ。


 マリアとしては、全てを信じてはいないが。真実はどうあれ、なんとなくカレイルには似ているとは考えていた。変人、即ち、之が拳を鎮めた理由の一つ。


 後、初対面の相手に失礼だとやっとこさ、自覚が追い付いたのもある。最も大事な理由。


 とても、失礼である。 


「若人を許すのは大人の務めだが……なにゆえ怪人と言う?」


「そのー……ジェイコブを騙したアロフトの世迷い言、みたいな……そうしたものとばかり……」


 しゅんとするマリアに、学園長を自称する矛盾だらけの存在は、喉を不快に鳴らして笑った。


 一頻り笑うと流れるように丸めた棒を弄んで、唇をへの字にする。


「ふん……。教典の、十一章であるな? あれは、あまり教訓にはならん。ジェイコブは徹頭徹尾、阿呆な人間であり、アロフトは友を代価に……蛇足だな。度し難いが、まあ、良い――」


 ごきり、と首が鳴る。異界の主人、学園長。彼はマリアに両腕を広げて、歓迎する。


「――改めて、ようこそ学園へ。小さな花よ(フロイライン)?」


 くつくつ、と。


「本当に怪人ではない……のですよね?」


 一応、確認する。


「失敬な。我こそが、偉大なりし原始の魔法遣いラプラス・フォン・コルモゴロフであるからな。存分に、敬うがよい」


 敬え、と言いながら彼は至極どうでも良さそうであった。流れる学徒の川を一瞥し、革張りの椅子に身を沈めた。しっしっ、とばかりに手振りして、続けて言うのだ。


「早々にゆけ、若人はそうあるべきだ」


「怪人では、ないのですよー……ね?」


 もう一度、確認する。


「戯け、誰が怪人か」


 ぼやき、突き出された棒――マリアの書類――二人の目線が重なった、琥珀と黒曜石。


――目が覚める赫赫(かっかく)


 それは視界を、とうに埋め尽くし、全てが真っ赤に染まる。世界全てを埋め尽くすか如く、然し、決して騒々しくはない。


 粛々と、赤い光は広がった。


 余韻。後、マリアは瞬く。


 一度、二度。


 と。

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