出たな怪人っ
☆
マリアはと言うと、書類に判子を押す受付人の前にいた。
受付場と言っても、道端へ机と椅子を簡素に並べた場所である。本来ならば――もてなす客間の風情や格調の為に誂えるだろう品々――革張りの椅子も屋外に向いてはいない。
優雅に腰掛けた音、ぎぎ、と椅子を鳴らす。それは前のめりになったからで、マリアへと耳を傾ける為でもある。また、その動きは、屋外に配置するには不自然な机に手を伸ばす意味もあった。
「ほぉ……?」
骨が浮いた手は青白い。帝都が誇る曇天の空に染まった、帝都人の手である。そうして質の良い紙面をなぞって、受付人はマリアに黒い瞳を翳した。
「学園にようこそ――……マリア殿?」
紙面に記された名を、指先が叩く。その受付人の髪は黒く、異様に長かった。腰掛ける場には拘るのに、自らの長い髪には無頓着のようにも思える。実際、石畳に目をやれば、髪先が弧を描いているではないか。
マリアの視線に気付いたか、貧相な、異常に細い首を傾ける。筋張った首に、長い髪が流れた。
「うら若き学徒よ、なぜ、この学び舎に?」
「えっと……」
マリアは一度、辺りを見渡した。
時計台の側、過ぎ去る他生徒達。この受付場で足を止める者は他にいなかった。翡翠のドレスを纏っていた令嬢や、学生服姿の奨学生も。
之はなにゆえか。マリアの知る限り、時計台の前で試験を受けねばならない筈だ。もしや、彼等は既に試験を終えているのか。
マリアも首を傾げる、受付人はそれに伴って逆向きに頭を傾ける。
「疑問を先取りするようだが、試験は終えている」
「え……あ、そうなのですか?」
「あゝ、あれを見給え」
受付人、細い枝木の腕が揺れる。ちょっとした風に折れてしまいそうな腕は、正門を指していた。マリアは、其処で奇妙な光景を目にした。
「あれは、あの……なんですか?」
一人の貴族だ。
使用人から荷物を引っ手繰っては、石畳の上、学内へと投げている。正門前に横付けした魔導車は高価そうで、田舎で見る甲殻昆虫のようでもある。少し趣味の悪いものであり、マリアの脳裏にその昆虫、緑の中に喧嘩しながら虹色が混ざった様子が浮かぶ。
「う……」
「なんとも、不思議な顔ばかりするな……?」
網膜を刺激する色彩は、少々過激ではあるけれど。なんとか光景を忘れんと頭を振るうマリアに、受付人は観察するような目を定めていた。
「あのえっと、どうして、でしょう? あれでは……お手伝いさんの意味がないようですけど」
マリアの興味はトランク、荷物にあった。
そう、魔導車に積まれた荷物を使用人が運ぼうとしていたのに。主である貴族は、彼等から引っ手繰って乱雑に投げているではないか。
「入れんからな」
受付人は、短く断言する。足して、喉を鳴らして笑った。
「……入れない?」
笑い声はカレイルとは違って、重々しい。マリアは、受付人の全体を確認する。
古きより大切に育て熟成したワインのようなシャツに、黒地のスラックス、羽織るのは之また黒のローブ――病人の雰囲気だ。
細い腕、長い足、だが顔は美女のような。チグハグで、歪。頭身間隔を狂わせた『男』は、両の手先を合わせる。
そうして、隙間から目玉を覗かせるのだ。
「あの門は、資格なき者を選別しているのだ」
マリアの琥珀は疑問を濃くした。
「資格なき者を、冷遇するのですか?」
「施しは救いではない、罰であろう」
病人は優雅に、机の紙を手にした。足を組み、膝に肘を突いて。紙面の内容を精査する目玉が忙しなく蠕動する。
マリアは困惑する。然し、ふと過った。まさか、と。
「夜、徘徊したりする……ご趣味は?」
「む……? 我はよく、夜に出掛けるがな……なにゆえ問う?」
はっとする。マリアは拳を固め、半歩片足を下げる。重心を据え、胸前に鉄拳を装着した。琥珀の瞳に神の徽章が滲みそうなまま、言うのだ。
「まさか怪人っ!?」
軽くジャブ、それは当てる動作ではない。風切音での、威嚇。示威行為であった。
「戯け。誰が怪人か、フロイライン」
病的な美女な男――彼は目尻を抑えた。数秒整理して、真っ白な指でマリアを示す。
「我は、学園の長だ。保護者、より……耳にしてはいないのかね?」
「……学園の……長……?」
拳を装填したまま、記憶を探る。保護者。つまりはカレイル辺境伯の言葉を反芻する。マリアは帝都に訪れた際、幾つかの注意事項をくどくど、つらつら並べられたものだ。
学園では淑女であり優雅たれ、だとか。貴族には注意を向け給え、だとか。礼拝は学内の聖堂を使いなさい、だとか。そうした話である。記憶を一通り漁ったが、マリアは学園長とやらの話に覚えがない。
「知り合いなんですか?」
「あゝ、とても仲がよいな? 三年前に顔を合わせた際には、多くを語り合い、身体を抱きしめ合い、互いを労ったものだ」
黒い髪、黒い瞳。そして、凍える程の美貌。
目鼻は整っているが、相貌に真っ向から嘲笑うような『重低音』だけは、マリアを不安にさせた。カレイルの、冷たくも寄り添う声ではない。病理に苦しみながら吐き捨てた唾の如く、悪意に染まる声だ。
見た目は病人、顔は若い女のよう。口から出る声は、ざらざらとした老人だ。
マリアは、もう少しだけ思考する。どっからどう見ても、怪人だ。
夜な夜な徘徊もするらしい、やはり怪人だ。
カレイルの知り合い、であるのが、それすら疑わしいまでに。
怪人だ、今の所は違いない。
「カレイル様の……好きな食べ物は……?」
確認はする。
「なに……? 食かね……? 知らん、と言いたいが……」
彼は紙面に黒曜石を落とし、それから鉄拳を構えるマリアを見る。
辺りは学徒が過ぎ去って、時計台に吸い込まれている。学園長へ視線を向けるでもなし、畏敬の為に会釈するでもない。
マリアはこの異質な空間に違和感を覚えた。受付に用がないにせよ、学園長であるならば会釈の一つは、されて然るべきだ。だが、辺りを抜ける学徒にそうした様子はない。まるで、切り離された『異界』のようだ。
暗がりへおいで、おいで、と囁くような。言葉にし難い感覚が背筋を舐めていた。だからと、怯みはしない。
小さな決意を胸に、ぐっと拳を正す。
「なんだね、小娘……?」
悪魔のようだ、人間に見えない。長い足も、腕も、骨みたいな手も。
長い髪も、ぎょろりとした目玉も。青白い肌も。
纏う空気は悪辣で、優雅であれど不安にさせる。やはり、怪人か。
マリアは、息を短く切る。
「やはり怪人っ! 神に代わって鉄槌を下しますっ!」
「戯け。なにが怪人か」
「あなたは、その、なんかおかしいですっ」
マリアは拳を向け、指摘する。
「……違う、違えているぞ。しかと見よ、どう見ても人だろう? 翼もなければ角もないがね?」
マリアの態度に急くでもなく、彼はゆったりと反論した。その態度は頑固な子供に振り回される老人であり、事実、そうなのだろう。
「うっ……たしかに……」
拳を握ったり開いたり、マリアは困惑していた。それは人ではないように思えたからだ。
道端で高価な椅子に腰を休め、不気味なまでに人っぽくない姿である。田舎にこんな人間は居なかった、少なくともマリアは知らない。
「深呼吸せよ、先ずはな」
彼は、細い手をもぞもぞと動かしていた。手にあった紙を丸め、棒にしていたのだ。今にも輝き出しそうな琥珀を前に、ずいっと棒を突き付ける。
「落ち着いたかね……?」
「まあ……はい。話は、ききますけど……」
「うむ、それでよい――カレイルの好物は『魚』であったな?」
嫌々に包まれた声だった。思い出すのすら、不快だと表情が語っている。無機質な顔が歪んでいるのだ。
論理的整合性を見失った議論に巻き込まれたような、内容に反して比重が傾倒した態度だ。知り合いの食事の好みを答えるのが嫌で、本当に嫌でどうにもならんと、全身から感じられる。
尚更、マリアには不可解極まった。知り合いとは、そう言う関係だろうかと。
「……調理方法は?」
確認はする。
「……あの奇人は虫、を、気にするでもない。魚を生で、嚥下しよう。全く、度し難いものだが……」
ついっと棒を肩に当て、叩く。それは老人の、肩凝りを解す動作に酷似している。
「た、たしかに……よく、知っていますね」
魚の生食は、禁忌である。
と、カレイルから教わった。
どうにも帝都では魚に火を通さない食事を、法律にて厳格に禁じていた。なので、マリアは故郷の味に思い馳せるしか出来ないでいる。
故郷を離れ早一ヶ月、魚の恋しさに後ろ髪を引かれていた。マリアは、拳を緩める。
「すみません……ちょっと、びっくりして……」
そして頭を下げた。
魚の生食を公言していないのに、それを知るとなれば疑う余地はない。カレイルとこの男は知り合いだ。
マリアとしては、全てを信じてはいないが。真実はどうあれ、なんとなくカレイルには似ているとは考えていた。変人、即ち、之が拳を鎮めた理由の一つ。
後、初対面の相手に失礼だとやっとこさ、自覚が追い付いたのもある。最も大事な理由。
とても、失礼である。
「若人を許すのは大人の務めだが……なにゆえ怪人と言う?」
「そのー……ジェイコブを騙したアロフトの世迷い言、みたいな……そうしたものとばかり……」
しゅんとするマリアに、学園長を自称する矛盾だらけの存在は、喉を不快に鳴らして笑った。
一頻り笑うと流れるように丸めた棒を弄んで、唇をへの字にする。
「ふん……。教典の、十一章であるな? あれは、あまり教訓にはならん。ジェイコブは徹頭徹尾、阿呆な人間であり、アロフトは友を代価に……蛇足だな。度し難いが、まあ、良い――」
ごきり、と首が鳴る。異界の主人、学園長。彼はマリアに両腕を広げて、歓迎する。
「――改めて、ようこそ学園へ。小さな花よ?」
くつくつ、と。
「本当に怪人ではない……のですよね?」
一応、確認する。
「失敬な。我こそが、偉大なりし原始の魔法遣いラプラス・フォン・コルモゴロフであるからな。存分に、敬うがよい」
敬え、と言いながら彼は至極どうでも良さそうであった。流れる学徒の川を一瞥し、革張りの椅子に身を沈めた。しっしっ、とばかりに手振りして、続けて言うのだ。
「早々にゆけ、若人はそうあるべきだ」
「怪人では、ないのですよー……ね?」
もう一度、確認する。
「戯け、誰が怪人か」
ぼやき、突き出された棒――マリアの書類――二人の目線が重なった、琥珀と黒曜石。
――目が覚める赫赫。
それは視界を、とうに埋め尽くし、全てが真っ赤に染まる。世界全てを埋め尽くすか如く、然し、決して騒々しくはない。
粛々と、赤い光は広がった。
余韻。後、マリアは瞬く。
一度、二度。
と。




