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門出だ


「おー」


 カレイル・フォン・ガーデン辺境伯。珍しくも帝都へ訪れた彼は、さてさてと手を揉むように眼前を吟味する。


 本日も帝都らしく曇天、辺境の地にて見慣れた晴天はない。魔導車、その車窓に肘を引っ掛け対面の少女に目線を送る。今日袖を通すのは修道服ではなく、草色のローブ。新入生の証だ。


「身を乗り出してはいけないよ、マリアくん」


「おー」


「聞いてないね、マリアくん?」


「おー」


 窓の外は、見慣れぬ馬車(魔導車)ばかりである。石畳の道路を行き交う人々の活気は、魔導車が止まるとやれ私が先だとばかりに道を横断していた。事故が発生していないのは、ひとえに帝都人の日常であるからだ。


 真っ赤な魔導車は、今年発売された新作だろうか。カレイルはふと目を配る、そして手前から熱の籠もった気配が突き刺さった。やや下げれば、新入生の装いをした少女が両手にぐーを作って、鼻息荒く目を輝かせているではないか。


「なにかね?」


「帝都の馬車には馬がないのですねっ!」


「あぁ、これは……魔導車という発明だ。都会では当たり前なのだが、馴染み深くはないだろうね?」


 カレイルからすれば日常的な風景、否、見た事がある風景ではあった。辺境に引き篭もる前までは、その油とエーテルの織り成す独特な――鼻につーんと抜けるような――香りに慣れていた。


 今では多少、鼻がむず痒くもあった。錬金術師や薬師の扱う薬品に似た、そうした発展の香りが帝都に薄く延びている。


「ええ、ええ! 主は万を行き聖域へと至れば、その贖罪によってあらゆる咎をお赦しくださるとっ!」


 ぶんぶんと手を振って、またぐっと鉄拳を掲げる。どうにも忙しない、頬を見れば高揚していた。まるで外を走る最新鋭の魔導車のようだ。或いは、年頃を加味すると果物に例えるべきでもあろうか。


 下らない思考はそこそこに、カレイルは顎に手を添える。マリアの言い分を咀嚼し、発想に少し真面目に向き合う為だ。之は、彼女を路上で拾った時からの恒例となっている。


 彼女はきっと、今日も愛らしく、教典を己の都合に合わせ曲解するに違いないからだ。それをどうにかして、やんわりと制する。それがカレイルの立ち回りである。


「ふむ……、それに魔導車を? それは教典に反する行いではないかね?」


「しかし、第七章の冒頭で神は聖域へと至らんとする信徒に馬車を与え給うておりますよ?」


 こてんと首を傾げれば、淀みのない白髪が肩に流れた。その純白さは帝都の曇天を揶揄するようでいて、無地故にカレイルの不安を煽るのだ。


 曰く、主は聖域に歩む信徒達へ救いを与え給うた。無邪気な琥珀は、都合の良し悪しで要点だけを抜き出すのだ。それは確かに、楽をさせる為の導きではあったろう。


 車外の喧騒に一呼吸休め、カレイルは指摘する。


「その信徒は、友を助けんとし、足を不運にも石下に捨てた事を忘れてはいないかい?」


 要約するに、馬車ではなく魔導車があれば楽だったろうと考えているのだ。カレイルは察する、そうした能力はマリアとの出会いから更に磨かれたものだ。


 下手に貴族を相手にするより気苦労はあっても、カレイルはこの時間を好ましく思っていた。


「……、たしかに」


 どうやら納得、は、したらしい。だがマリアは外の魔導車を見て、また興奮したように前のめりになった。カレイルにぐっと寄って、鼻息の荒さを伝える。


「しかし、であれば助けられた友を馬車に乗せたのは……どうしでしょう?」


 友愛の言い分を跳ね除けんとする気概に、カレイルは脳内にある盤上を俯瞰していた。


 そもそも、を定義する。


 マリアは信心深い子供だ。楽をしたいが根底にある。教典から得る教訓は、淡い期待を擦り合わせ選ったものとなっている。


 なんとしてでも『馬車』を『魔導車』にしたいのだろう。


「それは彼が御者の役割を引き受けたのさ」


 その選り好まれた教訓の真意を、カレイルは透かす。そして事実だけを口にする。


「であれば、魔導車も、その丸い筒を持てば……?」


 揺れる車内、琥珀が前を伺った。


 運転席に座るのはカレイルの従者である。複雑なレバーとハンドルを操作し、道行く人々を華麗に避けて進ませている。マリアの主張にカレイルは暫し考えを巡らせて、そのきらきらした琥珀の瞳に戻す。


「……どうですか? 教典的には大丈夫かなと……?」


 魔導車は馬車であるから、問題なし。言い分の一つに彼はハットを撫でる。救いを、手を差し伸べた主は馬車を選ぶが、であれば今の世の中では魔導車を示しても問題はないだろう。


 この主張だけは誤りではないが、カレイルはマリアの真意を見抜いている。要約するに『私は馬車を御せないので、運転して欲しい』であり、もっと噛み砕けば『私は、堂々と楽をしたい』のだ。


「……ちょっとだけ、反論出来なくなったがね」


 車外は賑やかで、曇天にあっても眩しいものだ。車内で回るマリアの吐息と、力強い動力に揺らされながら。カレイルは脳内にある盤上をもう一度だけ見直した。


 進めるべき駒を摘んで、一手。


「マリアくん、そもそもの話をしよう。病に伏した友を見捨てぬ彼の献身、それが忘れられてないかい?」

「……むむ」

「主も、更なる苦難を与えんとはしなかったのさ」


 第一に、楽をする為ではないよ。と、カレイルは何時も通りに釘を刺す。


「あふ……忘れてました。でも、その……泥棒なのに……」


 泥棒なのに。


 斜め上の論理飛躍だが、カレイルからすれば熟れたもので。


 一見すれば整合性のない言葉にも、彼は三つ揃えを整え、一息逃がす余裕すらあった。


 彼の解釈する所『そうして間違った人なのに、楽をしたんですよ。なら、私も徒歩に頼らず楽をしても良いのではないか』と言う子供っぽい飛躍があって、同時に『そうすれば信徒達が救われる』なんて健気な思いがあるのだろうと噛み砕けていた。


 であるから、カレイルは何時も通りに指摘する。方向を正す。このような突飛な論法飛躍とは――伊達に、真剣に向き合ってはいない。


 あの頃から変わらない、とカレイルは思う。


「ジェイコブと言い直しなさい……君は特に。あと、それも飢える友を思った過ちだった筈だがね?」

 

 前提条件を思い出させる一手を打つ、容赦がないと思われようと、カレイルはマリアには何処までも真摯になれた。


 『君は信徒なのだから、ちゃんとしないさい』と言われ、マリアは頷くでもなく琥珀を細めた。


「盗みはだめです……。じゃないと、友の為になら、全てが赦されるみたいじゃないですか……?」


 真っ直ぐで、危うい瞳。


「……ふむ……」


 それは、酷く、手痛い反撃だった。カレイルは揺れる天井に目線を逃がす。


 マリアの言い分は、彼が帝都の貴族社会で長年培ってきた大義の為になら小さな悪は許容する、そう言った『風潮』や逆らえない『流れ』にも思えたのだ。現に、友を『大義』とし盗み出したパンを『咎』とするならば。


「……ふむ」


 冗長な思考を一旦、躊躇せずに切り捨てる。論点を整理して、マリアの言い分を取り敢えず確認しようと盤上の駒を一手進める。


「盗みは盗みだと、言いたいのだね?」


「はい」


 澄み切った声で、彼女はぐーを作った。教会のステンドグラスの光を彷彿とさせながら、然してどうにも鋭利。ともすれば割れた硝子か、はたまた紙の端か。


 カレイルは、辺境の路上でマリアと出会った日を思い出す。彼女が抱えていたのは、血濡れの凶器()だった。その血でさえ、マリアにとっては『善行』だったのだろうか。


「マリアくん」


「なんでしょう?」


「君は、その……善き人になりたいのかね」


 辺境伯の目線は、純粋な琥珀の瞳から、細い腕を包む草色のローブへと移る。色、そしてその先にある学園が思考に連鎖して。マリアを学園はどう扱うのか、とても知的遊戯性のある議題に至る。好奇心は、ある。ぞっとしない思考ではあったが、カレイルは大変に愉快そうに唇を曲げた。


「カレイル様……?」


「いや、はや? さあさ、着いたよマリアくん」


 魔導車がゆっくりと減速し、停車する。窓の外、周囲の建物とは一線を画した荘厳な造りの門が聳えている。更に奥に目を向けようものならば、帝都の空を貫くかのような巨大な時計台が、堂々たる威容で時を刻む心臓部を曇天に沈めていた。


 あれでは時刻を読めはしないが、カレイルは何処か懐かしさがあった。


「おー」


 学園の校舎は、その時計台を基部として建っている。マリアの抜けた声に頬を掻き、ズレたハットを抑えて。


「君の新しい一歩を、私は心より祈っているよ」


 門前には既に数組の親子連れが降り立っていた。貴族、男爵に伯爵、あれは伯爵か。と、カレイルが瞬時に分析しつつ。


「うわぁ……おっきい……」


 マリアの目に映るのは最新の流行を取り入れた華美な装いや、傍らに控える瀟洒な侍女達。彼女にはないもの、また、学徒が羽織るべきローブを身に着けていない事に首を傾げていた。


「あれは……?」


「入学式前、だから、とも思うがね? まあ、別段珍しくはないさ」


 目を輝かせ、ローブの袖口を両手で強く握って。然し、興奮のまま飛び出さんとする暴走機関の制御に心得があったカレイルは、片手でやんわりと制止する。


「淑女らしく、優雅たれ、だよ」


 カレイルがそう言って先に魔導車から降り、素早く駆け付けた従者に荷物を運ぶように卒なく指示を出していた。


「淑女として、我慢し給えよ」


 彼は、魔導車の開かれたドアから身を出していた彼女に一歩近付いて。その、辺境の地に積もる淡雪に片手を添えた。数秒、瞼を閉じていた。


「カレイル様……?」


 頭に乗った手は、するっと離れた。


「いやはや? 少し、感慨深いのさ。君はすっかり、淑女だからね」


 肩を竦めたカレイルが踵を返せば、挙動不審なマリアが連なって学園の門を潜った。


「いよいよ、ですね」


 ジャブ、風切り音は鋭角だ。


「淑女」


 敷地を踏むカレイルの落ち着いた革靴の音とは違い、マリアの足音は弾むような軽快さがある。軽やかに、その期待や喜びが伝わる旋律だ。厳粛な時計台も、入学式となれば幾らかは華やぐものだ。


 伯爵、男爵、子爵、あれも子爵。カレイルの優雅な足取りを前にしては、不躾にも挨拶なぞをしようとは誰もしなかった。


 カレイルの黒曜石の瞳は注意深く『良き隣人達』を観察していた。想定していた通り、親子ばかりだ。奨学生もちらほらと散見されるが、貴族社会でもあるだろう。


 現に制服を纏わず、派閥を形成しているようだ。


「カレイル様」


 カレイルの思考を絶ったのは、小さな身丈で顔を覗き込むマリアの一言だ。


「なにかね」


 肩を竦めれば、マリアの琥珀の瞳は門の内側に設けられた案内版へと吸い寄せられていた。見れば、新入生へ向けた注意書きだ。丁寧に且つ大きく貼られているようである。


【学園内規定:厳守事項】


 一つ

 我が校は、如何なる理由があろうと規定を遵守するべし。


 二つ

 我が校は、私的な魔導機関の使用、持ち込みを禁ず。


 三つ

 我が校は、理由なく定められた制服以外の着用を禁ず。


 マリアの足が、がちりと止まった。油を差し忘れた魔動機のように、錆び付いた所作で。


「……カレイル様」


「なんだね、マリアくん」


「最後は、どうすれば……?」


 見れば、最後の文言はマリアを縛る為にあるようだった。


四つ

 我が校は、如何なる理由があろうと私的暴力を禁ず。


「どのように解釈したら……良いのでしょう?」


 小さなレディは、まるで初めて見る教典の記述のように、文言をゆっくりと反芻した。昨夜、怪人の顔面を砕いた事なぞ、彼女の都合の良い教典からすれば『悪しき徒への鉄槌』であり『善き行い』ではあるが。


「……ふむ」


 私的な暴力とは、一体何処まで許容されるものだろうか。否、それはどうとでもなる話だ。


「あの、カレイル様?」


 思考の船を漕ぐ彼を現実へと引き戻した声。琥珀の瞳は揺れていた。


「だから、なんだね?」


 問い詰める目玉は、血走ったものではない。純粋で淀みのない目は幼子が親を探すような、少し覚束ない様子でもある。


「私は、この学園では……神の代理ではないのでしょうか?」


 カレイルは、その言葉を聞いて、思わず口元の笑窪を深めた。そして、ハットを軽く抑え、息を一つ伸ばす。


「それはどうだろうね、これからさ。それに――」


 彼は言葉を切り、マリアの小さな耳元に顔を寄せた。そっと、その小さな耳に吐息を向ける。


「君をこの異界に送り込んだのは、他でもない私。君は、私の威によって保証されるだろうさ」


 カレイルはマリアの背を押す。先には、学園の受付に向かう生徒の群れと、帝都の曇天を衝く巨大な時計台があった。


「なあに、私が困る相手は数人しかいない。君の思う通りにし給え」


「……思う通り?」


「ああ。それに、君に頼みたい事もある」


「は、はあ……たのみ?」


「なあに、簡単さ。ちょっとしたお願いだよ。例の……怪人騒ぎの調査さ」


「……え、解決してませんか?」


 マリアの動揺にカレイルは愉快そうに鼻を鳴らした、瞳に紛れたのは鋭い気配である。彼が公務で纏う一面だ。敵対者の全てを尽く滅尽する、帝の懐刀としての。


「では? 『ごきげんよう?』」


 その一言は、有無を言わせぬ激励。それ以上は語らぬと言う宣言だ。マリアは知っていた、カレイルの悪癖が今日も始まったのだと。


「ご、ごきげんよう、カレイル様……」


 不安と期待が入り混じる顔で、マリアは群れの中へ足を踏み入れた。彼女の小さな拳は、既に固く握り締められている。そんな不安そうな小柄な背に、カレイルの喉奥から込み上がる愉悦を帯びた笑いが響いた。


 くつくつ、と。


 入学式の舞台へ向かう彼女は、直ぐ横を歩く優雅な令嬢に阻まれていた。草色のローブを見て、どうやら、肩を『故意にぶつけた』ようだった。注意深く、カレイルはマリアの行動を吟味する。


 鼻を鳴らし、ぷいっと闊歩する令嬢を特段追い掛けはしないようで。だが、拳は固まっている。既に鉄拳は装填されているのだ。マリアが踏み止まれたのはカレイルの言葉と、掲示板、そして機会を伺っているからに他ならないだろう。祝う日に鉄拳は似合わない、振るうべき日は必ずある。故に鉄拳にマントラを充填するのだ、必ずその頬を撃ち抜く為に。


 マリアの考えなぞ、カレイルにはお見通しだ。痛い程に知っている。


 彼女は『魔法』を知らない、然し、神の代理人である。


「これはなかなか? 前途多難だね。ふむ、菓子折りの用意が山のように必要そうだな……?」


 カレイルは曇天を仰ぐ。


 ぽつり。その声は間際まで踊っていた知的遊戯性に浸るものではなく、雨のようにしっとりとしたものであった。まるで垂らしたインクが、字面に吸い込まれるように。

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