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船を漕ぐ


 丿乀(船が左右に揺れるよう)に、魔女はその紫の瞳に魔法記述を浮かべる。


 波にさらわれる海月もそうなのだろう。輪郭のふやけたエーテルは、傍らの無機物な皮膚に触れた。溶けて消えた記述を辿ろうと、流石のマリアとて行方は見通せなかった。


「ゴーレムさん……?」


 魔女が傍らのゴーレムにエーテルを注いでいるのは確実だ。その眼差しは数式図を解するかの如く、滑らかな金属体へと送られている。回廊を通じて、銀のエーテルが移動している。


「敬称は不要ではあるが、被造物にも敬意を払うのは好感が持てるものだな」


 ゴーレムには角張った部位がない。丸く、そして流麗だ。人に似せられていた。


 殆どのゴーレムが衣服を纏わず、甲冑に近い外観だ。だけれど、前に現れたゴーレムは女性的な黒いドレス姿。無機質な目がジーと鳴り、鼓膜を静かに震わせた。


 マリアは最後のパンを嚥下して、手を結った。主への祈りを捧げて、やっと意識を切り替える。丸かった目は尖って、ゴーレムの肩で休む黒猫を睨み付けた。


「初めて見る訳ではないだろう? ああ、装いかね? おめかしをするのは必ずしも生物たれと思考固定してはいないだけだが、君はそうでもないようだね」 

「ゴーレムさんは、素敵だと思いますけど……」


 銀の金属に黒いドレスは絶妙に噛み合って妖艶である。柔らかくないだろう腕も、袖口のフリルから覗けば血が通っていそうだ。ドレスの装飾やフリルから生える足も、ゴーレムらしさと人の隙間で揺れている。


 瞼の裏で浮かぶ小舟をマリアは拭う。懐の経典に指腹を当てれば、背表紙の感触と温度はゆらゆらとしていた。境界が淡い。


 現実と夢想が馴染む、空と海の判別を至難にさせる。泡沫が海底に沈むような矛盾を抱えつつ、泡は海面から消えるべきだとばかりに。マリアは琥珀の瞳の彩りを強める、流されずに。


「君、どうしたのかね? 猫は苦手かい?」


 ゴーレムを足場に、するする歩く黒猫。尻尾の揺れを延ばして、すとんと魔女の太腿に着地した。


「猫は、好きです」


 黒猫は欠伸を一つ、前足で顔を拭っている。ぴんとした髭も、くりくりした金の目も、毛並みの艷やかさも、見ている分には問題はない。否、マリアでなければ、それは黒猫でしかない。可愛らしく愛らしい。


 黒猫から香るヘドロの【黒】に勘付かなければ、単なる黒猫。鼻を突く異臭に眉を傾け、幼い人相を険しく歪めようとも。黒猫は大きな欠伸をし、ゆるりと尻尾を揺らすだけ。目を向けるでもなく、警戒して毛を逆立てるでもない。


「むむ……」


 魔女の太腿で丸まって、前足を重ねる。そうした黒猫に指が伸びる。指の背で毛を撫で、魔女の言葉が見付からない眼差しも幾分かは和らいだ。


「やはり、猫は嫌いかね」

「……そのう……魔女さんのお友だちです?」

「いいや。誰かの使い魔ではないかな?」


 黒猫からはエーテルが滲んでいた。万物にはエーテルが流れているものだけれど、錆や水底を思わせる色は気に掛かる。


 そも、第一に悪魔のようだった。


『にゃあ』


 黒猫の鳴き声にはっとして、マリアは顔を振るう。睨むばかりしては失礼だ。自覚してはいても、魔女に撫でられて、ごろごろ唸る黒猫から目が離せないでいた。


 眠たそうな半開きの金の目。纏う気配は不吉だ。夜に染まった帝都、あの路地裏に吹いていた風が肌を打つような感覚を呼び起こされる。


 崩れた木箱に隠れていても、気付かない毛並み。


 狭く暗く、それでいて隙間から月が笑うのを見上げていれば、寒さに声も震えていただろう。そうした記憶が瞼の裏に浮かんで、マリアは考え込んだ。


「……君は、どうして壁際を選ぶ?」

「はい……?」


 魔女の問いは軽やかで、マリアは厳しい(いかめ)目をぱちくりとさせた。


「例えば、だが。君はどのようなゆえあって、あの賑やかな一団と距離を置いたのか?」


 魔女は魔導書を畳み、その眼差しを中央に向けた。壁際より艶やかなそこに、ヨシュアとリィナ。揉める二人をエイジス教授が仲裁している。


「えっと?」


 今一、要領を得ない。


「あれは、とても学園らしいだろう? 小僧なら魔弾の撃ち合いに発展しそうだが、今年は可愛いものだ。ああ、こうして眺めている分に否もない」

「……?」


 魔女に倣って観察する。


 リィナに平手打ちをされているヨシュア。エイジス教授はあわあわしていた。ああした諍いは知る限り、可愛いとは相容れないものだけれど。


 魔女はマリアの不可解な面を見越していたのか、くすくすと笑いを零した。


「ゴーレムを盾にしたり、あまつさえ、投げたり。そうした不敬な輩がいない。そうだな……コリントルの魔導書は知っているかね? 白い外装をした本だ」

「コリントル……? ゴーレムさん……? なんです……?」


 魔女の吐息は白く濁っていた。特別、寒くはないのに。ぐっと意識して見ると、鈍い銀が息に混ざっている。


「潔白な背表紙に、金を編み、文字を綴る。内約は二つ、魔学と神学。君は知らないのだろう、そうに違いない、焚書指定されていたからな」

「えっと……禁書ですか?」


 魔女の語りは断片的だ。海上を漂流するボトルを拾ったような、定まらず淡い声。打ち寄せる波は砂浜では静かで、何時の間にか足首に届く。


「我らのエーテルはどこにあり、どこへゆく? 我らの信ずエーテルを誰そ彼がてらせよう?」


 足首に触れる冷たさと、弾けてしまう泡。魔女の声は不思議と浮いていた。


「……?」


 マリアはどうにも話が分からず、頭をこてんと倒した。魔女が広げた魔導書は勝手に捲れる。魔女は、吐息を紙面に染み込ませた。


「教会は、これを禁じた。曰く、詩人の戯言は神の正気を疑う呪言となったようだ」


 ぱらりと、頁は進む。


「コリントルの思想は、大衆へ呪いとなり、教会は燃えた。ゆえあって、魔導書は焚べられた」


 ぱたりと頁は進む。歴史を語るにしても、真意は伺えない。


「なにも、糾弾はしてはいない。そう肩を張る必要もない。これは世間話であり、討論ではない。最新の下着を講評する気持ちで、十二月だ」


 マリアの目が開く。下着の単語に反応していた。見れば、耳が赤い。


「あれは実に機能的だがね、如何せん冷え込む」


 悪戯に成功した魔女は、魔導書に息を吹き掛けた。吐息は透明になってゆく、机や辺りに広がる中で。


 最後、ゴーレムのフリルを揺らす。完全に消えた吐息の形を、フリルの動きに見て、マリアは徐に瞬く。冗談なのか、でないのか、マリアには分からない。


「今は、良い時代だろう?」


 そう言って、魔女は魔導書で示す――食堂の中央。繰り広げられるのはヨシュアを中心にした大立ち回り。


 彼は平手打ちを食らっても嫌味を止めはしなかったのだろう、遂にはリィナから杖を向けられていた。


 二人がああやって罵り合う姿は新入生の間では名物である。何度も衝突しては燻ったままで、火は消えてはいない。然し、燃え盛るまで険悪でもない。


「時代……」


 不思議そうにするマリアに、魔女は身を起こす。椅子に凭れ、ぱたりと魔導書を畳んだ。魔導書でゴーレムの肩を小突く。銀色のエーテルが回廊を走る。すると、ゴーレムからじゃりっとした音がした。


――いいえ! いいえ! 断じていいえ!


――へえ。そうかい。魔徒を揶揄したのかと思ってたけどな?


――ワタクシが魔徒だからと、蔑むと仰っるのかしら!


――そうして、壁際に追い込んでおいてよく言えるね。区別して分類して、私は違うって思ってはいないのかい? 線引きしてさ?


――あなた、心底に憎たらしいわね! そうやって、誰かを非難する行いこそ褒められませんわよ!


――そうかい。褒められてもね、慢心にしかならないし。僕は誰かの為に、とか。見栄でほざいて、大仰に宣って、そうやって練り歩けないからさぁ。勉強になるよ、貴族のなんたるか。


――ま、まぁ! あなたも貴族の責務がありますわよ! それに! ワタクシが魔徒だから手を伸ばしたと? 違います、彼女をお茶会に誘うのは。


――私と違うから、だろう? 差異があるから楽しいんだろうにさ? いいね、正当化の口上は『友だちになりたくてお話きかせてくださる?』とか? 図星だからって誤魔化しちゃあ誠実とは呼べないねぇ?


「今年も、楽しそうじゃないかね?」

「……」


 何処を見ているのだお前は。マリアはそう口にはしなかった。


「この時代にあっても……」


 魔女は嘆息を切り、ふぅっと空中に浮かぶ珈琲を見やる。それから、静かなマリアに。


「魔徒と人、貴族に平民。この両者の争いは避けては通れないものだ」

「そう、ですかね……?」

「どんな形でも、禍根はあるだろう? だからこそ、愛しくはないかね?」

「親愛をもって隣人には接すると、いい感じです?」

「ああ、君は神学の徒だ。そうした見方もあるだろう」

「……?」


 神学の賭――断言した覚えはなかった。それに、まるで知っている言い方でもある。噛み合わないのに、共通認識する部分がある。


 会話は互いに作り上げるものだから、目を見て話しなさいとマリアは説教された記憶があった。シスターローズの言わんとする核心は、理解して信じて納得するには協力が必要である事実。踏まえ、マリアは言葉を捏ねて口をうにうにしていた。


 魔女とマリア、二人は本来知り合いでもないのだから共通する話題はない。現に名も知らぬばかりか、どんな人物かも掴めてはいない。


「うーん……?」


 漠然とこうだろうと思い込んでいたのに。紫水晶の瞳を黒猫へ落とす姿は親しみと断然の間で揺れている。


 人と関わる際、良い人だから信じている訳ではない。マリアにとって、他人は良いも悪いもなく、信じてからが始まりだ。


 それはテリトリーヴにしろ、ヨシュアにしろ、先輩方も含めても変わらない。


「魔徒はなぜ、生まれたのだろう? コリントルは一頁目に、そう綴ったそうだ」


 優しく撫でる黒猫へ、魔女は囁いた。マリアの琥珀はランタンの光を吸って、浮遊する言葉を見詰める。


 目線が重なると、再び砂を噛んだ音が割り込んだ。ゴーレムに搭載されたスピーカーが震えて、音を拾ったのだ。


――いいえ、エイジス教授様っ! ワタクシは落ち着いておりますとも! ええ! ええ! そこの下郎を蹴飛ばさんとしているまでっ!


――まー、まー! 落ち着いて話し合いをね! ね! 座ろっか! ほら、ヨシュアくんも……いや席に座ってるか……ああいや!  


――そう、対話の席に腰を休めるには同意が必要不可欠なんだけどね。あ、椅子の取り合いだったかな? じゃあ僕は離席するよ。


――ヨシュアくぅん! 煽らないの! なにその手振り! だめだよ! みんなも見てないでたすけてよー! もー! もー!


 遠くで響く筈の声は、それでも温かい。


「平和だな」魔女は満足そうに首肯する。


 礼拝堂に光が射すとすれば、色彩豊かなステンドグラスを介するものだ。光は隔てられ、多様に形を変えては、ありありと照らしていく。


「賑やかではありますけど……」


 壁際の、人気のない暗がりに魔女と猫、それにマリア。加えて、妖艶なゴーレム。


「猫はこうして、船を漕ぐものだろう? これこそ、平和だ」


 黒猫は欠伸を一つ。魔女の白い指先が黒い毛並みに沈み込む度に、マリアは具に見て、魔女の人なりを感じようとしていた。


「たしかに」


 猫は好きだ、それはある。だけれどマリアは納得出来ないでいる。どうも気に掛かる、否、気に障る。部屋の戸締まりを忘れたか、出先で思い出した感覚に近いだろうけれど。


 冒頭

常用外漢字

読み へつほつ

意 小舟が波により左右に揺れる様


 毎回カロリー高くて、すみません。


 皆さんは誰が好きですか?


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