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魚が好物



 石鹸の香りがぽわぽわする髪はどうやっても目線が集い、蜜の香りに集るように目を向けさせるものだ。


「なんだあれは、友よ」

「なんだね、友よ」

「食事を山盛りにしてないかね、友よ」

「稀血であろう、友よ」

「ちっちゃい身に収まるのかね、友よ」

「パンを四つも食べるらしいぞ、友よ」

「しかしな白髪とは珍しいな、友よ」

「違いないな、友よ」


 洗い立てのシーツを思わせる髪は手触りが良さそうで、他学年の学徒はそれはもう興味深そうにしていた。


 若緑のローブは小柄をすっぽり収め、軽やかな足取りが艷やかな白髮を踊らせる。そしてなんといっても琥珀の瞳。


 琥珀の揺らめきは複雑だ。その眼差しは聖母を思い起こさせて、つい食事を装う手も止まる。


「わぁ、魚がある……!」


 とてとて歩く姿は物珍しい。愛らしく食事を選んでは人の間を縫う様子に、学徒らは思わず溜息を吐いてしまうものだった。


「どこの令嬢だろう?」

「帝国の血筋にも思えないが……」

「肌をみてみろ、うっすらと赤いぞ。あの白肌はまさに、コリントル魔導書のようではないかね?」

「白い外装のあれかね? ふむ、例え話は構わんが、しょうしょう気味の悪い目線ではないかな?」

「なにを言うか友よ、私は実に帝国紳士として花を愛でているに過ぎんさ」

「手は出すなよ、新入生に」

「当然さ、私は男爵、弁えているよ」


 学徒達が肘で小突き合うのを背景に、白くてちっちゃい影は足早に過ぎた。


 此処は食事処、様々な生徒の集う憩いの場。


 この場所はとても広く、歩き回るのに支障はない。然し、生徒の数は比例して多いものだ。学年毎に集まる訳でもなし――友人関係の塊、貴族派閥での偏り、専攻科目での棲み分け――人探しをするには苦労が絶えないものだ。


「うーん……? グエルさんもー、いないです……?」


 食事を手に、きょろきょろマリアは友を探していた。爪先立ちをしても人の波に逆らえはしないが、恵まれた体格の彼等が作る波に呑まれないように距離を取る。


 帝都人は皆が時間に追われて足早で、恵まれた体格で、エーテルで鮮やかだ。中に飛び込むと目が回って、どうにもならなくなる。なので、マリアは人混みが苦手だった。


 揉みくちゃにされてから教訓として刻んだのである。入らず、身を引く。そして見渡す。そうすれば暫くは安泰だ。


 ぼんやり光るランタンが吊るされた壁際、貴族なりの派閥を遠巻きにするあぶれ者達が座っていた。そこなら人通りも少なく、席は選び放題だ。マリアは人の流れから逃れ、やや暗い席に腰を休めた。


 ふぅ。と息を一つ。机に盛り付けた渾身の力作――今日の昼食を置いた。


 むふん。と息巻くのは嬉しさと満足からだろう。それから、手を結って「主よ、感謝します」と祈るのだ。


 今日はカラッと揚がった魚と、豆入りのパン、サラダにスープだ。ちょっとだけ欲張りさんになった自覚があるのか、マリアは一瞬だけ周りを見た。


 幸い、人気はない。壁際の隅は本当に静かである。早速、力作に手を伸ばした。手にしたパンの柔らかさと、香ばしさ。堪能すると摘んで千切る。


 そしてスープに浸して口に。


「んー!」


 固かった顔が綻んだけれど、次第に、真剣にマリアは没頭する。


 スープを飲み、パンを千切り、口に。新鮮な野菜の瑞々しさも、赤いスープのふんだんに使われた香辛料のハーモニーにも、琥珀は輝くのだ。


 マリアは一つ目のパンを食べ終えた。二つ目に手を伸ばす。余裕が出来たのか、目を上げて、中心部に送れば大規模な派閥が(ひし)めくのを伺った。


 その中にはリィナの姿も伺える。特徴的な金髪に、鮮やかな色。


「あ、またヨシュアさんと言い合いしてる……」


 パンを齧る。ヨシュアとリィナの対立は大体の始まりがリィナからである。マリアも見慣れたもので、取り巻き達に囲まれながらハンドサインで煽り散らかすヨシュアを観察する。


「うわぁ……ヨシュアさん変わらないなぁ……」


 ちょっとした野次馬根性から眺めていたけれど、ヨシュアとリィナの対立は深まる一方のようだ。


 リィナのエーテルは不思議なもので、マリアから見ると淡いピンクをしていた。香水を纏うような姿だ。畜生の煽りを繰り出すヨシュアを見ていた琥珀は、その周囲をなぞる。


 いないかな、と、テリトリーヴも探していた。


 彼女の色は【青】だ。特別に珍しくはなくとも、他よりずっと硬質だ。とは言え、人混みから逃れているのか見当たらない。マリアは肩を落として、二個目のパンを食べ終える。


「んー、やっぱり寮に戻ってるのかな……?」


 新たに手にしたパンを千切り、また口に。そうした繰り返しをするマリアへと迫る人影があった。


 ことり。軽快な音がした。


「対比記述式が不足し能率が低下……? なら、公式の見直しそのものが必要か否か……? 充填効率からみれば、四則充填方式は採用したいものだがね」


 彼女は魔導モノクルを光らせた。片手に砂糖菓子のパン、もう一方へ分厚い魔導書を携えている。両手が塞がっていた。


 では、ことりとした音はなんだろう。


 机上、熱々の珈琲が満たされた陶器が知らぬ間にあった。銀色の粒子が舞う容器にマリアは不思議そうに首を傾げ、彼女を視界に戻す。然し、当人は魔導書から目を離さず、勝手に動いた(・・・)椅子に腰を休めた。


 そうだ、椅子が勝手に動いたのだ。銀のエーテルがそうさせたのだろうか。


「……?」


 マリアは指先で千切ったパンを口に押し込み、もきゅもきゅ咀嚼する。


「再計算しようと式に綻びはない。視座の転換を要するのだろうが、殊更に卑下するばかりしても謙虚とはなるまいし……? あー、もう、ゴーレム三百二号がまた演算迷路に入って行き詰まる(デッドロック)した……くぅ……」


 彼女は椅子に座って、優雅にして尊大に足を組んだ。砂糖菓子パンを乱雑に噛み切り、ずっと呟いている。


 『空中にある珈琲を啜って』から、またパンを噛む。魔導書に向け走る視線は止まらず、紫水晶のような目はどうにも忙しない。


 それに、彼女は銀髪(・・)だ。帝都の曇天みたいに灰色なのではなく、文字通り【銀】だ。自然に迸るエーテルが髪を仄かに発光させていた。


「ゴーレム三百二号の記録(ログ)壊れた(クラッシュ)している……自己回帰(オートリカバリー)は問題ないだろうに、なにが原因かね? 誰か……私のゴーレムに悪戯をした可能性……グエルの小僧か……? 許せん、見付け次第薬品に沈めてや……」


 彼女と目が合った。


「……」

「……」


 マリアはもきゅもきゅ、野菜を食べていた。銀髪の彼女は空中をふわふわする珈琲を啜り、ウィッチハットを整えた。片手の魔導書をちらっと見て、紫水晶の瞳がマリアの琥珀に戻る。


「同席しても良いかね、君?」


 口の中に食べ物がある。ので、マリアはこくこく頷くだけ。


 珈琲の温かな香りにドロシーを反芻して、目の前の魔女を観察する。真っ黒なローブ、胸には『月学派の徽章』があった。銀の金具である。ローブの前側を留める物だ。学生寮の扉にある印と同じである。


 口の中にあるものを胃に押し込んで、マリアは【黒】の学生服に付いて思考を回す。


 入学してから二週間以上、黒いローブの学生は見掛けなかった試しがない。グエルは赤、ドロシーは深緑。他には群青ローブの一団や、一摘みの灰色。いずれも黒ではなかった。


 視線に気付いたのか、彼女は魔導書から手を離した。だが、魔導書は浮いている。彼女の周りだけ重力がないように物は落下せず、ふよふよ漂っていた。水面に浮く海月(くらげ)の如く、エーテルの波に身を寄せていた。


「……君は魔徒(まと)かね?」


 マリアの視線は浮遊する陶器ではなく、エーテルを追っている。些細な視線移動の差異に気付き、彼女は言ったのだろう。空中に走る不可視の術式を確かに捉え、マリアは首を傾げていた。


 【銀】のエーテルはかなり希少だ。【金】は程度の差があれ、聖職者たれば自然に纏うものである。魔徒であるか問うた意図を汲まんとマリアは考えはしたが、事実確認以上の意図はなさそうである。嗤うでもなし、然し区別はする瞳だ。


 魔徒と人、マリアとしては同じだ。


「私は……魔徒ではないですけど」


 パンをちまちま千切ってマリアは答え、眉は中心に寄った。さすれば黒衣の魔女はモノクルを光らせ、理知のくゆる目を魔導書に落とす。


「魔徒ではない、然し、エーテル観測器官が発達している……? 稀血の家系かね?」

「さ、さあ……?」

「親を知らないと?」


 頁を捲る音。マリアの最も古い記憶は、暗く狭い裏路地だ。


 ささくれた痛みも、冷たさには淡く消える。生きて罪や罰を償う事で赦しを乞わねば、身は油を切らした燭台のように。灯火を失いそうになっても。


「孤児ですから」


 親を知らぬままに今がある。白い髪を羨んで修道女達から随分と可愛がられたものだ。毎日髪を結って、櫛を通してくれた。親を知らずとも、血筋が分からぬとも。


 ゆえに、孤児であった過去は恥ではない。マリアのすっきりした言い方に、魔女は瞳孔をやや広げた。


「そうかね」


 空中にある珈琲を操り、香りを楽しめば謝るでもなしに頷いた。


 不躾に踏み込んで、勝手に満足して、また興味がある魔導書を捲る。


 振る舞いだけを抜き出せばなんらかの罪過を適用させられようけれど、マリアとて無闇に聖句をくどくど突き付けはしなかった。無論、葛藤はあった。手にあるパンを粗末には出来ず、ちまちま千切ってスープに浸す。


 生地が吸い上げ、じわじわスープに染まるパン。それを口に。マリアは丁寧に咀嚼する。豆の食感とスープの手の込んだ味わいが大好きで、近頃は装う料理も傾倒していた。


「……」


 魔導書を読みながら珈琲を啜っているのだから、之を前にして、気不味さに苛まれて席から離れるようなマリアではない。魔女を前に食事を図太く楽しみ、主に感謝しながら琥珀の目は対面を映すのだ。


 壁に掛かったランタンの光は夜を纏う彼女を浮き彫りにさせるに足らず、どうにも輪郭が滲んでいる。


「……」


 頁を捲る乾いた音が一定で、晒された紫の瞳がずっと文字列を追っていた。銀色の量子は回路に走る稲妻のようでもあり、規律正しい。野生的なグエルや、几帳面のドロシーとも似てはいなかった。エイジス教授とは既視感があっても、こうまで拗れたエーテルはしていないだろう。


 マリアはパンを齧り、魔女がどうにも海月みたいだと考えていた。故郷は海辺が近く、浜や海面には朧な丸が浮かんでいた。それを触ってなんとも見事に真っ赤になった覚えもあるけれど、正にそれだとマリアは思っていた。


 エーテルの流れは曲線的で、触れたら針が刺さる痛みがしそうな毒がある。


 中心部では生徒の賑やかな声がするのに、この一角だけは奇怪にも夜が積もっている。それは専ら(他でもなく)魔女が要因だ。ふわふわとしながらも丸みは欠けず、こうしたエーテルを纏う人間は神学者や錬金術師にも思えるけれど、得てしてそうした人は自らの世界を構築する。


 とどのつまり、独自の世界観を貫く性なのだ。往々にして、この手の人種は興味があるなにかには全力だ。マリアも困った面があるもので。


 マリアは一つだけ気になって、魚の揚げ物から目線を上げた。


「あの、お食事は珈琲とパンだけです?」


 素朴な疑問があれば愚直に問う。世界に沈み、見えない境界で他と画そうとも。マリアにとって線引きは見えないし、壁は分からない。


 言い換えれば――気配りと躊躇いは別であり――親愛を湛えた眼で見詰めるのだ。黒いローブに、月の徽章、高価なモノクルは上品で、ウィッチハットも目を凝らせば繊細な刺繍で装飾されていた。


「君、面白い子だな」


 呆れよりは感心が含まれた声。手をぱっと開く。魔導書やパンは床に滑落せず、宙に。珈琲の香りを楽しむ素振りで胸を膨らませ、ゆったりと長く息を捨てる。


 琥珀の瞳をじいっと紫水晶は透かして、魔女は机に両肘を預けた。前屈みに、対面のちっちゃな女の子に好奇心が擽られたようだ。


「私はどうにも、話題を振るのが不得手でね。そうだな……君にとって魔徒とはなにかね?」

「慈しみ、愛すべき隣人ですね……?」


 人も魔徒も違いはない。悪しき者にはぐーを叩き込むだけである。


「愛すべき隣人か。悪くない答えだ。君……もしや、神学を専攻しているのかね?」


 空中にある珈琲の湯気と、齧られたパン。それに海月みたいな魔女。魚の揚げ物を食べたいけれど、話し掛けてしまった手前どうにもお預けになっている。ともあれ、マリアは聞き馴染みのある学科に魚の揚げ物から顔を上げた。


「え、あるんですか? 誰がミサを? 神父様です?」

「そう、聖堂でね。生徒の中には必要な子もいるから、名目上はこれだが……なんと実態は捻れていてね」

「は、はぁ」

「神の使徒と魔の使徒は相容れぬものだ。エーテル運用の方向性(ベクトル)は一致せず、神学に関わる者は魔法を使えないものだろう?」

「……?」


 マリアはこてんと頭を傾けた。


「魔法を使えないものなんです?」

「エーテル性質がね、別物なのだよ。君も習ったと思うがね、我々のエーテルは多次元からの贈り物に過ぎない」

「……えっと、エイジス教授が言ってたような……ないような気がします……?」

「君は勤勉に努めねばならない。知らなかったからと許される世の中ではあるまい?」


 彼女はパンを口に。最後の一欠片だ。人差し指で押し込むと椅子に垂れ掛かる。珈琲で胃に流すと。


「それとも、勉学より優先すべき事があるのかね?」


 しっとりとした問い。曖昧でも確信のある声だ。マリアはフォークを魚の揚げ物に刺し、固まった。大好物を後の楽しみにしていたのだけれど、魔女から流れたびりっとしたエーテルに意識を向けた。


「……なにか、私は怒らせるようなことをしましたか……?」

「いいや。是非、食事を続け給え。君は中々に愛らしいからね」

「えっと、魚苦手なんです……?」

「いいや? 君に非はない」

「その、見られるとなんだか……むずむずします」

「そうかね、慣れると良い。学芸会や火の粉祭りでは数多の目を浴び、見定められるのが常であるからね」


 珈琲を魔女は啜る。マリアは魚の身を切り分ける。


「魚食べます……?」

「減量中なのだがね」

「減量です……?」

「君、太ったりしないのかね? ゴーザウ店のパンは美味であるのが問題だ」

「美味しいと幸せですよ……? あと、痩せるより幸せだと思うのですけど……?」

「君は見た目に似合わず摂取量が過剰ではないかね?」

「え、実は、ちょっとたりないです」


 欲張りさんになったのに、腹はちょっと寂しく唸る。


「ん……? 太りたいのかね?」

「はい……? 痩せても良いことになりませんし?」

「ん……?」

「ん……?」


 二人は首を傾げた。


 会話がズレる。


 対話の様相は成してはいたが、結局の所どちらも譲歩しないからこうなったのだろう。自らが築いた世界を相手に激突させ、変質させる事が二人の人付き合いの基本である。


 妙に食い違うのは話す階層を間違えていて、話しは通じるのに辿る経路が乖離したからに他ならない。


 じぃっと見詰める瞳から意図は汲み取れなかった。両者は瞬く。


 不意にキシキシと、油が足りず金属が摩耗する音がした。ゴーレムだ。然しどうも、異質な気配もする。マリアは一旦、優先すべきを考えた。けれど、迷いはない。


 魚を口にし、歯に伝わる弾力と舌に広がる味に「んー!」と身体を気持ちのままに揺らした。あゝ、主よこの恵みに感謝します、とでも宣いそうであった。

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