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なんでもない二人の雑談



 部屋に戻ったテリトリーヴとマリア。寝具は石鹸の香りを残しており、やっとゆるりと力が入る肩を休められた。


 今日も祈りを捧げ、経典をぱたんと閉じていた頃合いに。


「……テリトリーヴさん?」

「なに?」


 透き通った声に振り返れば、傍らにちょこんとマリアが立っていた。手には経典を大事そうに抱えている。


「話をしませんか?」

「え、今から?」

「ぜひ」

「そう……良いわよ。好きにー……したら……?」

「はいっ、ありがとうございますっ」


 マリアはテリトリーヴの許しを得ると微笑んだ。


 さっと肩を並べ、寝具に座る。膝上に休めた経典を撫で、ついっと琥珀がテリトリーヴを見た。


「あの、早速……リィナさんの服ですけど……すごーく、だめですよね?」


 なにを宣うのかと思えばと、テリトリーヴの目が緩む。


「帝都じゃ珍しくはないわよ。流行ね、殿方を魅惑するのが目的、だって」

「む、むむ……しかし、その。布がですね……少ないですし……」

「それを言い出せばマリアはどうなの?」

「私ですか? えっと、破廉恥です?」


 捻る矮躯。純白の寝衣(ネグリジェ)は色っぽさより可愛らしさが勝っていた。雪原の髪が相俟って、触れたら溶けそうである。


「教会って、ほら……あるじゃない? 聖水に……浸かるやつ?」

「ありますけど……あれは一人ですし……目的が違いますよ?」

「そうなの?」

「ええ、あれはですね。身の穢れをそそぎ、主へと祈る姿として……って、ごめんなさい。興味ない、ですよね……?」


 しゅんとするマリア。テリトリーヴは鱗の這う手を眺めて、傍らの石鹸の香りに眠気を誘われた。欠伸を一つ。


「良いわ、好きよアナタの話。嫌味がないもの」

「そうですか?」

「うん。あ、マリア。高位の人とか、下を着ないんでしょ? あれ、ほんとなの?」

「な、なぜ、それを……い、いえ、あってます。けど、リィナさんの服装とは……違いますからね?」

「ふうん、じゃあさ、なんで履かないの?」

「あれはその……儀式用の聖衣だと……ちょっとだめでして……」

「……なんで?」


 簡素な問いに、マリアの琥珀は伏せる。


「透けるんです……! 薄衣ですので……!」


 耳は真っ赤だった。


「だめなの……? なんでよ?」

「見栄えが悪いって信徒から……ありまして」

「はぁ……?」


 テリトリーヴの爪が擦れる音は心地良くも、色々な思いを込めていた。だからか、マリは手を振り信徒の願いは邪ではないと弁明する。


「そ、そもそも! 礼拝は衣を纏わぬように、を推奨されてますから……!」


 それはつまり、とテリトリーヴは咀嚼する。


「神様が望むの、全裸を……?」

「は、いや……はいっ! そうですっ!」


 迷いはあったが、マリアは吹っ切る。


「穢れを防ぐ衣は、神の御前では不要ですからねっ! なにせ、威光がありますからっ!」


 鼻息が荒い。


「そ、そう……」

「って、問題はそっちじゃないですっ! リィナさんの服は穢れを防げませんし……? その……見えちゃいます……よね?」


 むんっと頬が膨らみ、頬が染まる。テリトリーヴは毛繕いをしながら、その姿にくすくすと喉を鳴らした。


「まあ、あれは過激ね。アタシは気にしないけど、マリアには早かったのよ」

「むむ、私は子供じゃないです。私はですね、主に仕える信徒として疑惑を晴らさねばならないのです。第一に……――」


 指を立て語る様は、教えを説く司祭を彷彿とさせる。


「――つまり、あの装いは審議すべきですっ!」


 長い語りを締め括り、息巻いた。またもや荒い鼻息だ。


「ふうん……どんな?」


 テリトリーヴは会話の速度を態と落とすように、ゆったり言葉を紡ぐ。傍らのちっちゃなマリアの温度に眠気を誘われたのか、翼を毛繕う仕草も柔らかい。


「ええっと……それもこれも、リィナさんがあのような装いをせねば泥棒さんもいなかったんです。うんうん、そうに違いないのです」


 最初から情動を煽らねば問題にはならなかった、と。テリトリーヴは唸る。


「そう考えるのもありかもね……? でも、その泥棒さんって……ほんとに興味があったのかしら?」


 欠伸を一つ。


「……えっと? 泥棒さんはー……違うものを狙ってたと?」


 睡魔に微睡む中にあっても、その色味を深めた青い瞳がマリアに向いた。


「……マリアはきっと『見える側』でしょ? 隠したエーテルも、色すらも」

「え、ええ……そうですね?」


 素直に頷いた。別段、隠してはいないからだ。


 マリアの瞳は僅かなエーテルも見逃さない。それはひとえに『神気』を扱うから、エーテルに機敏なのだ。マリアの円な(つぶらな)琥珀が部屋を見渡した。


 中央に置かれた机に、二分割された私的な空間。テリトリーヴの棚は小瓶や植木があって鮮やかだ。対してマリアの棚は殺風景だった。


 田舎から都会へ。最低限の衣服、筆記用具、それから事前に用立てた教科書ばかり。あるとすれば教会より賜わった経典だが、それは膝上にある。


 日常の中に、静かな【青】が薄氷のように張って、たゆたっていた。


 テリトリーヴから貰った美しい羽と同じ、硬くあっても温かい色だ。マリアは手元を見て、羽をくるくる回す。ランタンの光を受けて影が経典に伸びている。


「この部屋は、いっつも青があります。エイジス教授より、もっと……温かい色に満ちています」


 色を見て、口元が綻んだ。


「そう……」


 魔徒(まと)に似た身体的な特徴だ。だけれど、マリアは純潔の人間であるとテリトリーヴは考えていた。


 魔徒であれば『神気』特有の気配はしない。少し前までは苦手な部類であったが、今はそうではない。


 テリトリーヴの目線にマリアは首を僅かに傾げた。言葉を待つ顔だ。


「マリアには……はっきりエーテルが見えるの?」


 境遇か、或いは天性か。マリアがテリトリーヴを見る姿に混じる不思議な動作、習慣――時たまに、琥珀は有りもしない虚空を追っている。しばしばあったマリアの癖、注視しなければ曖昧なままになる小さな事。


 テリトリーヴは気付いていた。


「はい。はっきり見えます……けど……?」


 空間に延びた色に見惚れているから、部屋角を見上げていたのだろう。初めましてから、不思議な瞳の動きがあったのだ。


 テリトリーヴを見る前に、最初にマリアは部屋を見ていた。エーテルを一番に見て、それから目線を重ねる。普通は人ばっかり見るのに、とテリトリーヴは考えて。


「ねえ、マリア?」


 と。マリアは頷く、言葉の続きを黙って待っている。


「なら、言うけど。ゴーレム見たでしょ?」


 核心。マリアは経典の背表紙を指腹でなぞる。


「ええ、見えましたけど……なにかありましたか?」

「アタシは【銀】しか見えなかったけど、マリアはどう?」


 首を捻り、マリアが唇を指先で叩いた。少し間があり、掌にぐーをぽんと乗せる。


「【緑】です。銀の中に、ちょっと混ざってましたよね……?」


 記憶をもっと漁る琥珀。


「……そう、やっぱり見えるの」


 マリアの言葉にテリトリーヴも暫く考えに沈み、不意に伏せた瞳を擡げた(もたげた)。感じていた言い知れぬゴーレムへの不信感も、じわりと確信を帯びていた。


 ゴーレムには『なにか』がある。


「アナタってもしかして、聖人だったりする?」


 空気中の色は時間が経てば褪せて消える。エーテルは無地に溶け、形や色も残さない。であっても、マリアの瞳は普通なら見過ごす希薄な色を映せていた。


 テリトリーヴの勘は良く当たる。普通ではない、況してや雪山のような汚れなき白髪に、琥珀だ。稀血、ではあるだろう。


 その色を持って産まれた人間を、それなりに長い人生で一度しか見た試しがない。


 その人間は『聖人』であった。


 『聖人』は、特殊な存在だ。教会の誇る英傑であり、現世に於いて尊い子。神より授かった聖四文字(テトラマグトン)を背に掲げ、神罰を代行する者。


 民草でも数多くの逸話を知る象徴だ。テリトリーヴはそうした、どこか曖昧なままの事を問う。


 答えは確定しなくとも良かった。身分が高ければやっかみもあるだろうと思うからだ。


「うーん……」


 マリアは貰った美しい羽を摘み、口元に当てる。淡い唇を隠して、ふふ、と笑みを零した。


「さあ、どうでしょう。ヒミツですっ」



 答えは決まらない。


「そう」


 それで良い、とテリトリーヴも笑みを浮かべた。


「なにをするにしても、アタシは反対しないけど。精々気を付けなさいよ……?」


 翼をふぁさりと畳む。日課の手入れが済んだのだ。


「ほら、アンタも寝なさい。明日も早いんだから」

「ええ、そうします」


 テリトリーヴの突き放すような、不器用な優しい声色に静かに頷く。


 淡雪の皮膚に、小枝の指を鉄に固めて。ぐーを出す。


「私は大丈夫です。主が導く光が見えましたからっ」


 それから、ばんっと経典を叩いた。存外、扱いが雑ではないかとテリトリーヴは苦笑いを浮かべ。


「うん、そうね」と首肯した。


 夜は更ける。


 黒猫の鳴き声はなく、しなやかな尾もない。


 夜の静けさは皆に平等で、眠りを誘うものだ。朝日が明日を告げるまでの、ちょっとした眠りの間に笑い声を添える。


 そうして、時計の針が鼓膜を震わせる。


 楽しい一時に、ついつい会話が弾む。二人は、今日だけは夜更かしをしてしまった。

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