魔徒の色 弐
――。
リィナとドロシー、それから叩き起こされたマリアとテリトリーヴが睨み合う。異質な、張り詰めた空気だ。
遠巻きに野次馬をするのは一年生ばかり。三年生の幾人かはドロシーの姿を見て納得し、部屋に戻ってしまった。
そうして、眩い廊下の一角にて睨み合いは続く。
彼女達の背後、破壊された扉の破片を拾うゴーレム達。重たい空気の中で、ぽわぽわする石鹸の香りを広げるマリアが挙手した。
「泥棒は、だめですよ……?」
流れるように、ぐーを作った。
「ええ、勿論。わたくしは無罪ですから」
「ねえ、あのさ……」
翼に爪櫛を通し、酷く嫌そうな目。テリトリーヴは胸元を直すリィナを睨んだ。
「アンタが諸悪の根源ね」
「あら、ミステリトリーヴ。ワタクシは正当ですわ。それとも、魔徒であるからと、肩を持ちますの? 貴女らしくありませんわね」
「関係ないし、付き合いも短いでしょ。アンタがうっさいの、分かる?」
「な、貴女ねえっ……!」
「お二人共、静かに」
掛け直した眼鏡を指で押し上げれば、ランタンやシャンデリアの光をキラリと跳ね返す。
リィナはドロシーの言葉に目を迷わせ、開きそうな口を結んだ。それから、少し熱が抜けて辺りを見渡す余裕があった。一つ二つと吟味し、現実を振り返ったのだろう。リィナは金髪を払い、野次馬の目に咳を一つ。
「よくってよ」
大体、普段のリィナであれば二、三人の取り巻きを連れていたのだ。
肝心の取り巻きはテリトリーヴやドロシーの雰囲気に近付けず、野次馬の影に息を潜めている。それを知ってか知らずか、孤独に苛まれつつあるリィナへ胡桃の目を向けた。
「ミスリィナ、どうしてわたくしを疑うのですか?」
「そ、れは……話した通りですわ。貴女しか、いないでしょう?
他にないのではなくて……?」
懐疑を包みながらも、迷いがあった。言葉は尻窄みに小さくなる。最初は疑いは確信であったが、こうしてひやりとする廊下に体温も下がって、周囲に散らばる木屑に意識が向いたのだ。扉を衝動のまま破壊した、之は正しい行いではない。
ゆえに眼鏡から目を逃がした。
「……記憶違いではなく、本当にないのなら、疑うのは理解します」
「そ、そう?」
「ええ。ですが、話し合いを放棄するのは非常に、怠惰と言えます。『力による秩序』を求められるのならば、私は制止しませんが。その時は、その時です」
眼鏡の光がテリトリーヴの翼を過ぎ、強張っていた肩を解してドロシーは続ける。
「魔徒であるあなたも、十二分に気を付けてください。学園が暴力を禁じたのは、こうした『諍い』が発端ですから」
「そう」
短く返した。テリトリーヴは興味がないのか、経典を抱え、背中に隠れるマリアを気にしている。ぐーを作った後、リィナを直視してからこうなのだ。
「どうしたの……? さっきからなんで背中に周るのよ……?」
マリアは経典をぎゅっと抱え、リィナを指す。頭を翼の影からひょっこり出して。
「だってっ! はれんちですっ! すっぽんぽん、なんですっ!」
素直過ぎる、無垢な反応に「失礼ね! 最新よっ!」リィナが咄嗟に食い付く。
確かに、身形は扇情的であり薄手の材質だ。布面積が少ないのに、布の占める部位も肌が透けていた。テリトリーヴからすれば――水浴びの際――同郷が裸体になるのは日常茶飯事であったので、特筆すべき感想はなかった。
けれどマリアはそうはいかない。彼女を厳しく育てた修道女達が見れば、白目を剥いて倒れているだろう装いだ。あわあわとするマリアの困惑を目にして、きっとリィナは目尻を上げた。
「帝都の流行り、最新ですわ! まぁ、貴女のようなお子様には理解出来ないのでしょうけどっ!」
胸部、或いは臀部が強調されている。滑らかな腰付きや、うなじの緩い曲線は見る者によっては卒倒するものだ。仮にエイジス教授なら、ウィッチハットに埋まって転けながら逃げていよう。
肩掛けすらなければどうなっていたか、語るまでもない。だから、余計にマリアは萎縮する。
「リィナさん! は、はれんちですっ! あゝ、主よ! 背徳をお許しくださいぃっ!」
頭を引っ込め、経典を盾にした。七代目となる経典は、その堅牢な背表紙にてあらゆる悪を弾く。マリアにとっては神々しく尊き神器なのだ。
「このッ! 田舎娘っ! ワタクシが痴態を晒していると仰るのかしら!? 撤回しなさいっ! 直ちにッ!」
リィナは胸を張り、腹の筋を浮かせてマリアに迫る。が、テリトリーヴの右翼が赤面する女の子を包んだ。
「邪魔ですわよっ!?」
言うべき相手を見失って、強気な翡翠を尖らせた。対するはテリトリーヴ、無論、眉を曲げて眼力を跳ね返すのだけれど。
リィナは止まらない。
「退きなさいっ」なんて言いながら距離を詰めたが「嫌よ」とテリトリーヴは澄ました顔をした。
一時膠着、両者は威嚇の為か背筋を張っていた。
「退きなさいな、貴女には関係がないでしょう? それに、ワタクシは折檻をしようとは思ってないの。ただ、間違いを正さねばならないだけ!」
「あっそう」
「ですから、退きなさいなっ!」
「ふうん……ああ、そうだ。アタシ、アンタが嫌い」
「……は?」
唐突な悪口にリィナは戸惑い、髪を弄ってから払う。
「……」
漂った香水にテリトリーヴの眉は傾いた。
帝都の華やかさを象徴する香りだけならば問題はないのだ。廊下に充満する『扉の死臭』と混ざっては、胸の奥をむかむかさせる異臭になる。
肺に粘性がある異臭が塗られるのを不快に感じ、テリトリーヴの眼力も増した。焼けと甘い香りの組み合わせは悪くはない筈だけれど、今鼻を襲う香りは好ましくはなかった。
「嫌いなのよ、アナタ」
テリトリーヴは鼻を鳴らす。また、悪口である。否、彼女からすると素直な意見で悪く言ってやろうとは考えていなかった。
この美しく装飾された女子寮が、宛ら割れた香水瓶の――脆く、決して安らぎからは遠い――ものに思えてならない。
テリトリーヴににらまれ、リィナは髪を執拗に指に絡めていた。
「は、はぁ……? 貴女、なにを仰るの……?」
クラスメイトの口撃に面食らって、続ける言葉をついつい詰まらせる。戸惑いから最初の勢いは削がれていて、テリトリーヴの静かな声が廊下に良く響くのだ。
「派手で、歪。まるで光り物を集める鳥みたいじゃない?」
紛う事なき嫌味が放たれた。僅かに口角を上げ、牽制する。之に関しては悪く言ったのだろう。彼女は外身の悪評に興味がないのか、付け加えるように固まったリィナへ手を伸ばした。
繊細な顎に、鋭い爪を添えて。
「アンタはアタシの安眠を損なって、まだ、そのうえ暴れるの?」
爪先が薄い喉をツンと触れる。明確な警告だ。騒ぐなら、殴って黙らせる。言外ではあったが、自由奔放なリィナも察した。
「……う、ぐ。宜しい……一旦、甘んじましょう」
金髪を大袈裟に払い踵を返した。強めの香水が髪から流れ、テリトリーヴの眼力は更に鋭いものになる。
「……はぁ……」
重たい嘆息。誰かの吐息。廊下のざわめきは耳を澄ますと野次馬だけではないけれど、一瞬の沈黙にはいやに木霊した。
二人の遣り取りの間で、ドロシーは襟を調えて思案を回す。
粉砕された扉は良いとして、問題は『下着泥棒が存在する』のを信じるか否かである。
どちらを信じるにせよ、問題は根深い。
リィナの怒髪天を衝く勢いに流されたけれど、彼女とて理由なしに荒れ狂いはしないのをドロシーは知っていた。
扉は一度閉まれば許可なしには開かない。部屋主に反応する魔法が仕掛けられているので、出入りは極端に少ない筈だ。
「……」
あるとすれば――ドロシーの目玉がゴーレム達に定まる。
木屑を拾い集めるゴーレムの手元に、ドロシーの視線が固定される。彼等の動きはあんまりに滑らかで、まるで人間だ。無駄がない。拾い上げる破片の順番、掃き出す箒の角度。清掃は程なく終わる。
ある種の『工学的美学』さえ感じる手捌きに、ドロシーの背筋に冷たいものが走った。ゴーレムは『アストロノミカ』の一人が独力で築いた魔導であり魔動な体系だ。
彼女ならば否定するだろうか、そうドロシーの脳裏に浮かぶ。
「……もしゴーレムなら……可能……?」
否、と。即座に頭を振るう。
ゴーレムに下着泥棒をする欲はない、感情がないからだ。
自律して作業はしてはいても、振る舞いが人間に重なろうと、所詮は被造物に過ぎない。
ミス・オリアナ曰く、所詮は被造物。心はなく、命令に忠実であるだけの物質である。
「さて、ミスマリア。貴女の言い分について訂正をしたく存じますわ?」
「マリアに近付かないで、香水が移る」
「まぁ! こちらは希少な香水ですのに! 庶民には馴染みがないのでしょうけど!」
「今日の貴女は下品よ。品位は木漏れ日にあるの、アンタみたいに振り撒くのは調香師に失礼ね」
「うぐ! こ、香水瓶を倒してしまったのっ! 仕方ないでしょう!? ほ、ほんとうはちょこっとだけ使うものですわ!」
「洗えば良いじゃない、ほら、行けば?」
「ぐ、く……ええ! ええ! 仰る通りですわね!」
ふんと鼻を鳴らしそっぽを向いた。口喧嘩も終わりらしい。
テリトリーヴとリィナが言い争うのをぼんやり透かし、ドロシーは深く肩を落とす。
「はぁ……また厄介な……」
寮内は唯一の安息の地であったのに、今年はそうはいかないらしい。
グエルの幻影にこめかみが痙攣していた。自覚し、目元を揉む。
「……皆さん、教師が来る前に解散です。わたくしが顛末を報告しますので、ミスリィナも誰かに部屋を借りてください」
そう促した。
頭の中に渦巻く疑問を咀嚼する。積み重なる疑念と疑惑に指が引っ掛かった気がしてもいた。
野次馬が散り散りとなる風景を見透かして、リィナとテリトリーヴとマリアを瞳に映す。
背後には、ゴーレムがカタカタと動く音だけがあった。ゆえに、検証して分析に頭は動く。勤勉にして生真面目なドロシーに於いて、確証がない事ほど耐え難い行いはないから。
夜は深まる。
押し上げた眼鏡のレンズに、無機質に動き続けるゴーレムが反射する。この場にいた全員が、誰かの掌の上で踊らされている『被造物』のように見えてしまった。
「……根拠を洗いますか……」
ドロシーが指先に残る【黒】の残滓を切り払えば、特有のエーテルが廊下の暗がりに溶け込む。するりと黒猫の尾が揺れるように、はたと消えた。




