魔徒の色
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この女子寮には一年から三年生が過ごしている。部屋割は決まった法則はないものの、マリアやテリトリーヴの部屋は一番奥にあった。
広々とした廊下は夜であっても明るく、貴族令嬢も格調高い造りであると肯定するだろう。丁寧に職人が建てただけあって、廊下は単に煌びやかなのではなく安らぎを与える。そうした空気圧をひしひし浴びながら、寝衣を靡かせずんずん割って進む者がいた。
ランタンの柔らかな光に照らされれば、加工金属よりも幾分か馴染む羽が青く照った。右翼を隠しもせず、頭に民族らしいベールをするでもなし。その者は簡素な装いだ。後からとてとて追従する白髪の子なぞ知らんとばかりに、腕を組んで現場に突き進んでいた。
道中、扉から顔を覗かせる学徒はその者――テリトリーヴ――の眼力に怯み、さっと割れるように扉を閉めて逃げたもので。彼女が暫く進めば、現場へと淀みなく辿り着くものだ。
近付けば、鼻を突っ突く異臭がした。木が焼けた臭いに、テリトリーヴは顔を顰め、すっと瞳を走らせる。廊下には扉だったろう木屑が散らばり、焼けた跡を残していた。
「……」
現場は騒がしい。悶着を起こしただろう二人を視界になんとか捉えつつ、歩みは止まらない。鋭い爪を見てか、野次馬がざわりと裂ける。彼女は詰まらなさそうに鼻を鳴らし、それから爪を擦らせた。
「ワタクシの質問に答えなさいッ!」と、爪で大理石を削るような声。
一人は優雅に羽織を肩に掛け、高価な杖を手にしている。もう一人は、困ったように眼鏡を定位置に戻していた。
「……ふうん」
テリトリーヴは対極的な組み合わせを受け入れる為か、徐に瞬く。地味に派手、魔徒に人。それは、リィナとドロシーである。絶賛、彼女達は言い争っていた。癇癪を起こすのは背の高いリィナで、宥めるように眼鏡を直すのは背の低いドロシー。
二人が並ぶ姿は歪であっても、同室であるのは耳にしたなとテリトリーヴは納得する。一年生と三年生、組み合わせは様々だけれど、こうまで相性の悪い二人もいないだろう。
「ですから、ワタクシの下着をどこへやったかお答えしてくださる?」
ずずっとドロシーを見下げる、リィナはその恵まれた体躯で威圧していた。
「身に覚えがありませんと、何度も言っていますが?」
見下げられようとも、彼女は普段通りの律儀さで生真面目に答えるのだ。
「あら、そう? そうやってしらを切るつもり? ワタクシは騙されませんわよ」
「いいえ、騙す騙されないではありません。あなたが振るう私的暴力に正当性があるのか、そう問うています」
「いいえ! いいえ! ミスドロシー? 誤っているのはそちらです、ワタクシは決して私的暴力は行使してはおりませんわ!」
杖をびしっとドロシーの鼻先へ、それから鮮やかな金髪を手の甲で払った。
リィナ・フォン・シュヴァリエ・レフェンタリー。古来から血を繋ぐ名家の令嬢だ。勝ち気、負けず嫌い、貴族、そして少しだけ茶目っ気を出してことこと煮込めば彼女が出来上がるだろう。
寝衣は際どいもので、羽織りを肩に掛けていなければ破廉恥極まった。片腕で胸部を押し上げるような姿勢である、ゆえに、あわわとテリトリーヴの背に顔を隠す女の子だって存在した。
「もしかして私……信仰を、試されているのでしょうか……? すっごく……不純な姿に……でも、第七章では差別は不徳だと……しかし、主は穢れを許さない……? んー……難しいです……あの装いは正統ではなく……私が邪なだけ……? ううん、過度な露出は……」
ぶつぶつ呟く。マリアはリィナを見るのさえドギマギしていた。そんな信仰心豊かな女の子を知ってか知らずか、胸を更に強調してリィナは小さい上級生を見下ろすのだ。
「ワタクシ、常に穢れず、そして惑わされません。貴女の行いを咎めるのも、レフェンタリー家の女としての矜持です。ええ? 決して、貴女をいたぶる卑劣さは御座いませんわ」
鼻を鳴らし、翡翠の瞳がドロシーを刺す。彼女は確かに、ドロシーに向けて魔法は行使しなかったのだろう。身代わりになった扉の状態を見れば察する所ではある。騒ぎの発端が下着泥棒であるなら、淑女としては見過ごせないのも理解が及ぶ。
であれど、魔法を行使してまで騒ぎを起こす必要はない。扉を壊し、威を示さんとするのは実に子供である。無論、ドロシーは半分呆れていた。息を細く抜いて、怒りからエーテルを乱す下級生を見上げる。
やや上向きな鼻に、ぱっちりとした目。日焼けのない肌も感情の昂りで紅が混ざっている。
「そのように言われようと、わたくしは身に覚えがありません。それより、魔法を行使する必然性はありましたか? 短絡的な行動に、失意が禁じえないものですが?」
ドロシーは怯まない。寝衣に深緑のローブ――三年生の印――を纏うのは伊達でも酔狂でもないのだ。一歩たりとも退きはしない姿はリィナとて物珍しいのか、一瞬の間を置く。
相応しい言葉を探り、思い付いたのか口角を曲げる。
「……ああ言えば、こう仰りますわね。お立場、分かってらして? ワタクシの言葉と、貴女の言葉……はたしてどちらを信じましょう?」
くるりと杖先が鼻の前に据えられた。貴族らしい遠回りな非難ではあるけれど、ドロシーはゆっくりと瞳を瞼で拭った。網膜に塗られた倦怠感を削いで、硬い声でリィナの行いに追求を走らせる。この三年間、迫害や対立は日常であったからだ。今更怯みも竦みもしない。
「ミスリィナ、ご理解いただけないのですか? 魔法を禁じる理由も、私的暴力を禁じる理由も、理解してはいないのですか? あなたこそ、考えを改めるべきです」
「いいえ! 寮は許可なき者は入れません、なのに、ワタクシの衣服は忽然と消えている……ミスドロシー、貴女しかいませんわ!」
びしりと杖。ドロシーは額に手を当て、細く息を吐いた。頭痛がするのか、目元を指で揉んで。
「……第一に……盗んだとて寸法が合いませんよ、ミスリィナ?」
ドロシーは胸に触れ、主張した。背丈も幅も、胸も全く違う。リィナはいい分を耳にすると、鼻を鳴らす。
「ワタクシ、そうした手に聡くてよ? 貴女である必要はないの、時に……そうね」
首を回して、新たな嫌味を見付けたのかリィナはドロシーに顔を戻した。そして囁くように、その華やかな唇を開く。
「殿方がいらしたでしょう? ワタクシの記憶によれば、五年生のグエルさん、でしたかしら?」
ドロシーは反論しなかった。やれ好機とリィナが続けようとすれば、鼻先に人差し指。
じわりと、空気が鳴く。片手がゆっくり眼鏡を取り外し、指先に【黒】を灯したか。
「っ……!」
リィナは怯む。
一歩下がれば、ドロシーの右手が胸倉を掴んだ。上質な絹がぎちぎちと捻じれ、悲鳴を上げる。
ざわざわとするのは、野次馬か。
そうした目があってもドロシーは止まらず。強かに壁に突き動かす。
「ッ……!」
リィナが抵抗しても、細い片腕から出力されるエネルギーに負けて、背を壁に打ち付ける。それから、ぐっと下から抉るようにドロシーの顔が迫った。
「貴女ねッ……!」
怒りに染まるでもない、鋼鉄か如く曲がらない目玉。真っ直ぐで、無機質で、人の温かみを投げ捨てた目玉。胸倉を掴む手を握って、リィナは抵抗を続ける。然し、冷たい声が鼓膜を舐めた。
「ミス、リィナ……?」
メキメキと、細腕に有るまじき膂力がリィナを僅かに浮かせた。
「私達がなぜ『私的暴力を禁じられた』のか、ご理解されてない様子ですね」
苦しんだ表情をしても、ドロシーは捻り上げる力に一切の妥協をしない。震えた杖先が鼻になんとか定めようが、臆せず、怯まず、リィナを吊し上げる。壁に押し付ければ、壁すら悲鳴を上げる。
リィナは令嬢ではあるが、由緒正しき名家の出。有り触れた平民とは肉体の作りが違う。彼女のような貴族は頑強にして強靭である。少々の乱暴なぞよりも怒りが勝る。
リィナもまた怯まなかった。
「ぐっ、図星かしら……? これだから、魔徒は獣と揶揄されるのではなくて?」
息苦しさに蝕まれながらも、リィナは不敵な微笑みを絶やさない。
「まだ理解、出来ませんか? 戦闘科目を履修済みの三年生とあなたでは、基礎出力に差がありますよ」
ぐぐぐ。リィナの足が床から離れた。
「ま、と、だからとッ……」
声は辛うじて。だが、勝ち気な目はそれでもドロシーを見下ろした。貴族の誇りか、それとも淑女の矜持か。はたまた、そのいずれも相応しくはないのかも知れない。
リィナは負けず嫌いだ。貴族だから、我儘だから、人だから、否である。彼女は愚直であった。好きな殿方に迂遠なアプローチを試みて破談した姉を知るからこそ、思った事を隠さずに貫くと決めているのだ。
教訓である。レフェンタリーの名を背負っている自負はあっても、彼女は未だに子供だ。視野は狭く、迷い、誤る生き物だ。
「……ええ、わたくしは『魔徒』ですよ。やっと、理解出来ましたか?」
胡桃の瞳は、次第にエーテルを混ぜて黒く染まる。赤や青、黄、緑。バチリパチリと弾けるエーテルが、全て押し潰され【黒】になる。真っ黒なエーテルは池底に沈む倒木のように重く、この場で最も鮮やかであった。
「話し合いをしませんか、ミスリィナ。私は全てお答え致しましょう、ですから、杖をしまいなさい」
「……く……」
リィナの目が迷う、辺りを見渡して。それから「ふん、よくってよ」と返した。




