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とりあえず、ぐーです


「――ちょ、ちょ、ちょまてまてまてッ! 話を聞けッ!」


 灼眼の青年は、それはもう必死に両手を突き出していた。眩い閃光を前に、なんとか止めようとしたのだ。口振り、身振りは言い訳をする子供を思い起こさせるものではなく、堅実で飾りはない。


 女郎の宣う理不尽な言動を前に、男と言う生物は抗い敗れ去るのが世の常だと突き付けられるようでもある。


「おま、先ずは話をだなぁ!」


 彼が狼狽えるのも、誠に、心より予想外であったからだ。手にしていた(・・・・・・)杖を強く振って、冷たい廊下を突き破る光源に定める。


 簡単に人へ向ける性格ではなかったのだが、拗れた現状を打破する手段は『之』しかない。文字通り縋る思いで杖を握り、体内を巡ったエーテルの熱量を上げた。


 対抗手段として選び取って、杖先に灼が灯る。赤ではない――それは夕陽が地平線に沈む間際のような、黄昏を編んで刻むようだった。杖先の光が金色(・・)を前にして、空間に記述せんと色を垂らそうとも。


――あゝ、主よ。導きの光は、あまねく地を照らすのでしょう――。


 悪しき徒を焼き尽くす光。


 青年が慌てる。手元に書き殴った荒削りの魔法記述は、黄金に焼き尽くされた。己の色彩を上回る苛烈さで。紙面の文字列へインク瓶を倒したように、侵食される。


「はぁっ?! んだこりゃ、まじかッ?!」


 崩れる魔法記述を受け入れられず、散る文字を目は追った。杖を空間に走らせても、宙に焼き付けた文字は蜂蜜に呑まれる。空いた片手で髪を掻き上げ、青年は強がった。記述しては端から消える不可解な現象を、直視したのち、半分は納得してもいた。


 神を敬う者達とは、ゆえあって、古きより魔法遣いと仲が悪い。往々にして厄介な『決まり切った事』に振り回されるから、魔法側が一方に嫌煙しているとも言えよう。


 青年は後退った、思わずだ。一歩、また、一歩と距離を取る。物理的な距離が安心を保証する。迷ってしまう杖も、規則正しい法則を思い出す。


 思い出した所で魔法を描けるとも限らない。一向に対話が進まない。少女は殊更に『教会関係者』らしく、祈りながら歩を進めていたからだ。


――あゝ、主よ――。


「無視かよっ!?」


 声量を上げる。夜の帳を食って、黄金がけたたましく網膜を叩くから。


 少女の輪郭はすっかり薄まり、境界線は曖昧になっていた。数歩先で、静かに祈っているだけとは思えない虚ろな姿だ。


 若葉の色をしたローブも、形を見ているのではなく色を辛うじて認識していた。目を焼く光の中で、祈る手が鉄拳を装填せしめていた。祈りも終わり、鉄槌を下さんと前へ歩が進む。


「いやいやいや……!」


 青年のびくりとした肩を、少女は見逃さない。


 距離にして、十歩。暗闇の続く廊下を背に、主の威光を携えた乙女から逃れようと青年は身を引く。


 不意にぐいっと、少女の身体は倒れた。一切の間隙がない、狩人の様相を彷彿とさせる『前進』だ。眼前の『獲物』を仕留める為、鉄拳の届く射程に収める為、少女は迷いなく前へと。


 光を食い破って「ごきげんようっ!」弾む声で翔んだか。


「まッ……!」


 矮躯、迫る。深い踏み込み。青年は見ていたのに、目で追う猶予は、僅かもない。視界にあっても、あるのは加圧する金色だ。眼前を埋め尽くす色に、続いて、白い一筋。


 少女の雪原の髪、遅れて知る。


 空、上、空中。翔んだのだ。風に靡く髪、宛ら(まるで)両翼を広げる御使い。うっかりと見惚れる。瞬き一つすれば、幼い顔は鼻先。吐息が交わる距離、温い花の香り。


 煌々と琥珀へ信仰を焚べた、見開いた瞳。


 灼眼はへにゃりとして、一応「話し合おうぜっ!?」抵抗をしようと杖を「マリアちゃ――」構え直し「どうぞ」間に合「死んでくださいっ」わず。


――ドゴンッ。


 天井からぱらぱらと、なにかは落ちる。


 辺りへきらきら、黄金が散らばった。その中にあって、少女はふわりと着地する。遅れ立って連なるのは、干したばかりの寝具のような白髪だ。ふわふわ、花と太陽の香りが廊下の暗がりに薄っすら広がった。


「……ふぅ……」 


 迸る信仰の熱を抑え、少女は瞼をゆるりと下ろす。彼女の周りを彩る星は、讃えているかのようだ――それが縦令(たとえ)、手入れの行き届かぬゆえ、積もっていたであろう単なる埃であっても。廊下を揺らした一撃に引っ叩かれて、空中を彩る役割を押し付けられただけであっても。


 少女は祈る、深い慈愛を一杯に込めて。


「罪を、主はお赦しになられます」


 白い指を結い、琥珀を伏せた。之も、正義の鉄槌を下したからだ。静かな己の鼓動を感じつつ主を仰ぎ、息を細く伸ばす。


「あゝ、主よ」


 少女が祈る先には、尋常ではない膂力で殴り飛ばされた青年が、ぽつりと転がっていた。


――。


――――。


 グエル・ホーキンス。赤い髪に赤い眼、赤いローブをした青年だ。


 ラプラス校で過ごした月日は五年となろうか、殊更に喚く気はないが、それなりに非常識な人間である。魔導箒を空中で奪い、見知った学友に飛び蹴りをお見舞いしたのも常識的とは言えない。


 嫌いな教授に生卵を投げ付けては、爽やかに逃げ去る糞餓鬼ではあったが、今この瞬間は大人しかった。


 理由なぞ膨れ上がった左頬にある。


 出来るだけの努力をしたのに、下級生に殴り飛ばされたのだ。どれだけの時間、意識を果てのない宇宙を泳がせたのか。定かではなくたって良い、ならばビリビリと電気が走る頬も忘れさせてはくれないものか。


 グエルは頬を労る。


「おま、おまえさぁ……まじでさぁ……」


 項垂れ、床に胡座をかいて。グエルの火を切り取った瞳が、身体を縮こめた下級生を咎める。それと言うのも、ゆえあって。


「す、すみません……」


 しゅんとして、矮躯をもっと小さくする姿にグエルは頬を撫でる。


「……」


 尋常ではない一撃ではあった。幸い歯は無事だ。舌上に広がる鉄の味だけはどうにもならないけれど、一先ず、優先順位に従って。


「話は……聞こうな……?」

「そ、うですね……?」


 琥珀はグエルを捉えない。グエルは近場に転がる杖に手を伸ばし、拾った。慣れた手付きで赤いローブ下に押し込み、鈍痛に面を顰めたまま上級生らしく説教をせんと。


「あのなあ……真夜中に出歩くなって言ったろ……? 危ねえって昼に……いや……大丈夫そうな感じはあるけどよぉ……」


 痛みを堪え、彼はマリアを見上げる。誤解は解けた、目覚めた時にごたごたした甲斐もある。胸倉を捕まれ、鉄拳を追加されそうながらも。


「……あー、いてぇ……すんげえいたい……」


 沢山の言葉を尽くした、こうして安息が訪れている。今夜グエルが組み上げた算段を、マリアは何時もの通りの拳でご破算にさせた。


 グエルには目的があった。頬の痛みを今も慰めつつ、廊下に流した灼眼は思考を回している。説教をするでもない先輩を前にして、マリアはおずおずとした様子で。


「……その、えっと、グエルさん……?」


 つんつん指先を重ねていた。グエルは考えを整理し、膝を叩く。


「……怪人っつーのは真夜中に出る……それは良いな……?」

「はい、でも、どうしてグエルさんは怪人みたいなことを……?」


 気不味そうな少女へ、上級生らしく余裕のある素振りで笑う。壁に掛かったランタンを見やった。


「夜になりゃ消灯だ。人がいねえと真暗になる……いいな……?」

「……なる……ほど? わざと怪人みたいに……?」


 暗闇の中に潜んでいたから、グエルは殴られた。


「……隠れる為に、やったんだが……」

「隠れる必要が……?」

「あるだろ……?」

「……?」


 両者は首を傾げ合う。視界の隅には多様なランタンがぼんやり照らしていた。薄暗くはあっても、完全な闇ではない。足元も確りと見えて、マリアは日中より少し暗いかな、としか思わない。第一、隠れる理由が分からなかった。


 怪人は胸を張って出迎えるべきだ。恥じるべきはあちらにあって然るべきだ。


「真っ暗ではありませんけど……、隠れても良いことありませんよ……?」

「ちょっとなに言ってんのか分からんが……オレは隠れてたんだぞ?」

「……すみません? でも、もう真っ暗じゃないですよ……?」


 真っ暗とは呼べない、少しだけ暗いだけだ。足元も濁りはしても、(くるぶし)は伺える。


「だからぁ……人通りがあったら灯るんだっての。いんだろ、お前が」

「あ、なるほど……?」

「分かってんのかまじで。なんでも良いけどよ……」


 グエルは学園の当たり前を説明してから、不思議そうにする姿に肩を落とす。


「つーかよ、出歩くなよ、危ないぞ?」

「……そうですか?」

「もし、怪人に会ったらどーすんだ?」

「とりあえず、ぐーです」


 ぐっと突き出した幼い拳。見た目で侮るなかれ、上級生の強靭なる装甲を粉砕し、剰え(あまつさ)昏睡に至らしめる威力が宿っている。


「……あそう」


 先輩は粗雑に反応し、考える。マリアと事故ったのは災難であったが、こうなったら道連れだ。背中を任せられるのも、我が身で体験した彼は何度か独りで頷く。


「……マリアちゃんよ、このまま怪人探しすっか?」

「えっと……? なぜでしょう……?」

「一人にさせたくねえ」

「……」

「悪い意味で、だぞ。告白じゃない、いいな……?」

「はあ……」


 此処は、マリアの寮に程近い廊下だ。一年生から三年生まで出歩く中層である。深夜とあって人気はない。生身の人影はないが、昼間に動いていたゴーレムは掃除用具を手に徘徊していた。


 見慣れた光景だ。グエルは瞬きして、鼓舞するように勢い良く立ち上がった。


「……あの、グエルさん?」

「どした?」

「真っ暗な廊下にいましたよね、グエルさん?」


 マリアは、徘徊する中でランタンが光っていくのには気付いていた。でも、隠れていたグエルは真っ暗な廊下にいた。怪しく目を輝かせているだけだった。


 人の形に思えず、即座に殴り掛かったものだ。マリアが掘り返した話題にグエルはこめかみに指を当て、それから腕を組み、解いてから顎に指を据える。どう言い直し、どんな風にすれば伝わるのか悩んで。


「……熱感知式だからな、それ」


 壁から垂れるランタンを一瞥し、淡々と説明する。続けて、彼は改める。


「……魔法だよ、魔法。オレは【赤】だからな、火とか熱とかになる」

「……魔法……」

「おう、そうだ。体温をな、ちょちょいと弄ってたんだぜ? だから完全に真っ暗だったろ?」

「やはり、怪人に気付かれないように……?」

「深夜に紛れるって噂だからな。そりゃつまり、犯人は【赤】か【青】に違いねえんだが……」

「なる……ほど……?」

「んだから、隠れるのが一番だろ?」

「……」

「なんだよ……菓子はないからな?」

「見られたら困ります……?」

「……」


 マリアが小首を傾げる姿になにかを言おうとして、一旦止めて、若干疲れた顔をした。二人の会話は妙に音階が外れていた。唯それであってもグエルが逃がした灼眼だけは鋭く、不自然に鈍い。


「グエルさん」

「なんだよ」

「あの、なんというのか分からないのですが……」

「え、前置きすんの止めない……?」

「なら、質問です」

「お、おう。なんだ」

「あれは、なんですか……?」


 雑多な思考を掻き消すマリアの質問に、グエルを目を配る。今度はなにを言い出すのかと。


 ちらっと青、エーテルの色だ。


「……あ?」


 廊下の奥に、青い二つの点。まるで、飢える狼が潜んでいるかのようだ。ゆらゆらとする瞳の怪しさは彼の呆れを立ち所に払拭し、厄介さが極まっていた。


 前提として『暗闇の中』に瞳はあった。出歩いている『誰か』は態々、グエルのように魔法を用いてランタンを『欺いて』いるのだ。


「まじか」


 グエルは懐に手を差し込む、杖の硬さを指先に感じ、刹那。


「……怪人……?」

「かもな、先ずは対話を――」


 真横のマリアが飛び出した。


 止める暇はない。開いてしまった口から文句を出すより、もっと良い言葉を探る。抜き出した杖先を闇に突き向け、グエルは。


「『いい具合に照らせ』ッ!」


 空間に刻まれた緋色の文字が渦巻いて、『火』の事象に化ける。暗かった廊下をじんわり照らしたか、飛び出したマリアの先、姿が浮き彫りになった。


「ちょ、マリアちゃん止ま――」


――ドゴッ。


 酷く重たい。上段から振られた鉄拳が出した音色である。


「――れないよな、知ってた……」


 グエルは顔を手で覆う。


 床に叩き伏せたマリアは、ぴくりともしなくなった怪人を前に鼻をふふんと鳴らしているではないか。若葉のローブ(・・・・・・)をした怪人だ、実に不憫である。グエルは杖を肩に乗せる。とんとん刻み、自信に満ちた顔で振り返るマリアへどう口にするか考えていた。


「ふふん、先手必勝ですねっ!」


 倒れた怪人を背に、胸を張っているではないか。


「オレもさぁ……考えなしだけどよ。マリアちゃんって止まれなかったりする……?」

「えっと……?」

「……そいつ……お前の同期じゃねえかな……?」


 空色の青年を億劫に指差し、自信満々な顔に淡々と言った。


「……え」


 問いに、マリアの顔はじりじり青褪める。恐る恐る足元の怪人を見直して「……主よ……」少女は天井を仰いだ。


 仰ぎたいのはグエルであった。


 丈に差のある二人が、昏睡した被害者を囲み介護する。最中、音もなしに塗り潰された闇へ溶けた影はあった。


『……』


 黒猫は目で笑う。二人して必死に運ぶ姿をゆるり見送り、黒猫は肉球を舐める。鳴かず、尾を燻らせる。助言をするでも、彷徨わせるでもない。黒猫は遠退く二人が廊下を曲がるまで見詰め、満足すると影に完全に消えた。

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