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黒猫はどう鳴く?


 フォルカロルは言う。


『色は混ざるもの……ゆえに、多様であり多彩なれば。汝らの行き着く先は【黒】にあり、しかしてそれは、ええ、決して……風変わりな物語とは、なりようはありません』


 女性的な声が強まって、闇は確かに動く。マリアの、神気が舞う黄金に見据えられて、闇は見えざる事を良いように扱って、尊大にも足を組む。魔導書達を椅子にして、腰を埋め、人の執筆した物語を手にして笑う。


 マリアの不満そうな顔を味わって、繊細に吟味して、嚥下する。そうして悪魔は二人の人間に見えぬまま目を配る。口から吐くは黒煙で、燻された(咳き込む)ような声を吹く。


『汝らはせいぜい『黒』に怯え、色が混ざらぬように生きれば宜しいかと、そう、存じますがね。汝が押し付けられた『金』に焦がされて、苦しみながらに……そうして、汝の蜜蝋の翼も主の熱に溶かされるのですよ』


 悪魔の声は最後には、砂を混ぜるような不快な音が混ざった。女性的な声から、男性的な野太い声になったのだ。低い音は肌を打ち、マリアはその声に祈りを思い出していた。拳ではなく、手を結って、見えぬ悪魔へ告げるのだ。


「主は、内なる色を知り、常に隣人へ施し、心に刻むべし。そう、仰っしゃいました。であれば、私はいつかを――そのような日も、迷わず祈ります」


 フォルカロルは足を組み直し、小さな少女を見定める。値踏みする。悪魔として、生来の性としてだ。悪魔にだって良い奴とやらは存在するだろう、フォルカロルの記憶上でも、全て悪意で何故か善行になってしまうどうにも巫山戯た(なにかの冗談みたいな)悪魔の知り合いはいる。


 だが、マリアを前にして目で笑う悪魔は違う。なにかに値を告げ、なにかの値を見て、そうして取引する。契約し、遂行する。正しく清く、完遂する。倫理は問わない、論理は騙り、理論は欺き、黒き煙を垂れ流す。


 美しき悪魔は、虚空から拍手を送る。乾いた音が本の山に反響して、布を被せたように二人の鼓膜を揺らした。エイジス教授はなにかを考えて、理知的な顔だ。マリアは考える事を終えて、悪魔を真っ直ぐ据えて返答を待っていた。


 悪魔、フォルカロルはマリアに。


『では、吾輩はマリア様の奮闘に細やかな賛辞を贈ります。また、同じくして、マリア様の力になれるよう『見て』差し上げましょうかね? 慈善活動ですので、対価は御座いませんとも? 見えま――』

「――結構です、この悪魔」

『|まあま、そう焦らずに。《吾輩の言葉を遮るな》麗しきフロイライン(すっとこどっこい)。損な話では御座いませんとも、ただ、そう……努々忘れぬようにと思いまして』

「……なにをです?」

『いえね、頭上に』

「……はぁ、なんですかそれ?」

「さて? 吾輩は飽くまで、悪魔ですから? あ、契約します? 吾輩、お腹が空きました。好物な色をしたマリア様なら、お安く致しますが? 吾輩、結構人気な――』

「――結構です、この悪魔」

「そうで御座いますか」


 悪魔は言葉を区切る、そして思い付く。思い出した一言を、マリアの耳元で囁くのだ。ぞわりとする冷気が首筋に這って、産毛が逆立った。生理的に込み上がる嫌悪に顔が歪み、白雪の髪がざわっと神気で靡く。


 なんと口にしたか。そう、悪魔は優しい声で、否、カレイル辺境伯の声を複写し、模倣してこう告げた。


『では? ごきげんよう?』


 同時に鐘が鳴る。身体の奥底を震わせ、するりと抜けた。三度の鐘の音。それは、昼時の合図であった。


――。


――――。


 怒り心頭のマリアが扉を突き破る勢いで退出し、エイジス教授が慌てながらに後を追う。そうして、開かれた扉はゆったりと軋みを上げて閉じるのだ。


 暗闇の奥底で、悪魔は笑う。自由に足を組んで、横暴に魔導書に凭れて、手をやんわりと後頭部に回し、悪辣に(何時も通り)笑うのだ。


『いやはや、なにかの嫌がらせですか、ラプラス?』


 闇に語れば、ずっと三人を眺めて(・・・・・・・・・)いた病人染みた男は、首の痛みを堪えるように顔を上げた。枯れ木を高価な衣服で繋ぎ、辛うじて折れない指には魔導書一つ。真っ黒な目玉は悪魔を見据えず、手元の文字列を楽しんでいた。


「古き友人から差し向けられた変数、であるが……中々どうして愉快ではないか? フォルカロル、あれはやはり聖人であるだろう? 逃げれば良いものを、無為に抗うのは矜持かね?」


 フォルカロルは破壊された疑似霊体(・・・・・・・・・)を確認して、大事ではないと判断する。


『趣味で御座います。直撃、致しましたからね、痛いよー、苦しいよー、明日には消えてしまうやもー。と、申せば赤で吾輩を満たしてくれるのですか? 如何せん、誰かの悪意と悪行によって被った損害……ああいえ? 損壊ですので?』


 疑似霊体の残骸を黒い霧が覆えば、闇の中で弧を描く目玉が浮いて、黒に溶ける。本達の合間を縫って、何時の間にか現れた黒猫が背を伸ばした。がりがり、と表紙に爪を立て、欠伸をする。


「しかし君は、彼女を気に入ったと見受けるが?」


 黒猫は自らの揺れる尾を猫パンチして、飽きたのか肉球を舐める。ラプラス学園長の膝上に乗っかって、我が物顔で丸まった。


『吾輩は、イイネを付けます。ゆえに、嫌われるようなお節介をしますがね。それはそれ、これはこれ、で御座いますれば? 試金石に用いるには些か生ものの自覚が御座いますし』


 学園長は、凍える美貌を少しだけ歪ませた(ひず)。黒猫の姿になった悪魔は愛らしく、丸まって喉を鳴らしていたからだ。


「そうかね?――では、好きにし給え。約定のままに」

『ええとも?――吾輩、悪魔ですから。約定のままに』


 枯れ木の、皺だらけの手に撫でられた黒猫は肉球を舐めて、それから。こうすべきだから仕方なし、とばかりに鳴く。


 にゃぁーご。


――。


――――。


 マリアは怒っていた。一々、悪魔に腹を立てるのもどうかとは思うが、それでもカレイルの真似をされては不安より先に憤慨が勝る。


 最早語り合う必要なし、礼儀を尽くさず、非礼を尽くし、指を指して転けた人々を嘲笑うのが悪魔だ。


 後ろを追うエイジス教授は、マリアのすばしっこい早歩きに追い付けなかった。階段の隅、壁際に背を預けたが最後。白い髪をはためかせて、小さな少女はぐんぐん階段を進む。尋常ではない優れた肺活力を発揮し、運動不足のエイジス教授を完全に振り切ったマリアはそれでも歩みを止めない。


 時は早くも過ぎて、階段や扉を潜り登り、辺りは明るくなっていた。下層から中層に移ったのだ。足早のマリアに呼応するように、一気に生徒達が空間を彩っていた。丁度昼時だからである。


 マリアの視界は階段ばかりでも、周囲を行き交う生徒達の談笑や香りは幾重にも広がっていた。不意に、小さなマリアの歩は止まる。


「……む」


 無意識に歩き出したが、エイジス教授を思い出したのだ。背後を見やれば、其処に彼はいなかった。


 しまった、と気付いた時には遅い。今度顔を合わせたら謝りの一つはしなければなと、考えて。悪魔がチラついた。


「……ぜったいに主の御言葉を伝えて……あと、必ず、ぐーで正さねば……!」


 取り敢えず悪魔は一発殴って、それから話し合おう。小さな握り拳に信仰を添え、マリアは決意する。


 先輩修道女達なら親指を立て、満面の笑みで同意するだろうし、俄然マリアの闘志は高まるのだ。


 悪魔の甘言に惑わされるより、堅実だからだ。日々積み重ねた善行を拳に宿し、顎を狙ってぐーを叩き込む。そうすれば逆徒も悪漢も呆け、主の言葉がするする入るもの。迷ったら殴ってみよう、之はマリアの支柱の一つである。


 マリアの実体験でもあった。そうこう一人で納得していると、背後からにゅっと影が伸びた。小さなマリアを覆う大きさで、熱を感じてマリアが首を傾げれば、頭上から声が降る。


「なーにしてんだ、お前?」


 振り向けば、見知った顔だ。


「あ、アホウデ・バカさん、ごきげんよう、です?」

「……グエル・ホーキンスな?」

「え」

「は?」

「え?」

「……なんだよ、怒ってんのか? しゃあねえな――」


 グエルが赤いローブをもぞもぞして、之を見よとばかりに取り出したるわ蜂蜜菓子。甘く、そして華やかでいて丸い風味の一品だ。戸惑うマリアの手に握らせ、なにとも言わずに何回か頷いた。グエルは受け取った姿に納得したのか、咳払い一つ。


「で、なにしてんだ? ここらは一年生こないだろ? 迷子か?」


 マリアは咄嗟に否定しようとしたが、口から出そうな音を息に留めた。周囲を見渡すが、現在地が分からないからだ。空を飛ぶ学生達のローブに草色はなく、赤や黒、灰色ばかり。どうやら上級生の区画らしかった。


「あれ……あれ……? 何処でしょう……迷子ですかね?」

「おう、迷子だなそりゃ」


 活発な赤髪を掻いて、グエルは途端にきょろきょろして顔色が七変化する少女を観察していた。そんな風にしていれば、グエルの傍らで丸眼鏡を光らせ、心から辟易した瞳でグエルを縦貫(串刺しに)する女学生が一人、歩みを止めた。


 同じ教科を履修していて、詮方ないが(嫌ではあるが)付き合いを共にするドロシーである。几帳面に眼鏡の縁を押し上げ、小脇にした教材を抱え直すと。


「ついに、拉致すらも……?」

「んー、箒もなしにか? このオレでも無理難題だなぁ。流石に走って誘拐するにゃあ時間足んないって、わかんだろ?」

「誘拐を、否定、しない……? グエルさんなら空を飛べそうですから、わたくし、評価しています。なので……風紀査問に突き出しますね」

「まあ、このオレは偉大だが流石に空は……ってさっきまで一緒だったろ! まじで止めろ! 今月で三回目になっちまうだろうがっ!」


 ドロシーはくいっと眼鏡を上げ、おろおろするマリアを見やって。


「迷子ですか? この馬鹿は阿呆ですから、わたくしが案内致しますわ」


 優美に手を差し出した。グエルの野次が飛ぶ。


「それオレがしてたんだぜ、ドロシー!」


 グエルを一瞥し、ドロシーは綺麗な茶髪を手の甲で払った。困惑するマリアの手前、少しだけ迷っていたが、無視して流そうとしても赤髪の阿呆は苛烈(極めて甚大)直向き(顧みない)なので適当にあしらって済ませようと考えたのだ。


「因みに、二回の内容を尋ねても?」

「うご……それはだな……」


 グエルの勢いは収まって、目を横に逃がした。ドロシーのじとりとした矢鱈に湿気が籠った瞳に、彼は耐え兼ねて両手を挙げた。


「箒を奪ったのと、あと……ほら、ソドム教授に生卵投げたやつ」


 ドロシーは盛大に溜息を落とした、抱えた教材が更に重さが増した気がして肩を回して解したくなる。ぐっと我慢し、鋭く睨むのだ。


「グエルさん、いっつもソドム教授に嫌がらせをしてませんか? 僻みは、滑稽ですよ? 人は外見ではありません」


 グエルは、強く鼻を鳴らすだけ。珍しく反論せず、意外にもマリアに顎をしゃくった。


「それよか、マリアちゃんだろ。どーせ昼飯なんだろ? じゃ、一緒にいこーぜ、マリアちゃん」

「話は終わってませんよ、グエルさん。毎回、わたくしも呼ばれて躾けるように釘を刺されていますから」

「へいへい、そうで御座いますなー。え、躾けるように? オレは使い魔じゃねえよ?」


 グエルは雑に返しながら、戸惑うマリアの背をぐんぐん押した。


 昼飯を求めて歩み出した。わいわいする三人の間を、不意に一匹の黒猫がスタスタ過ぎた。それは日常的な風景で、誰も黒猫には気付かない。


 黒猫こう鳴く。


『にゃー』


 置き去りにされ、寂しくも教員区画へと歩を向ける。そうしたエイジス教授へと送るものであったのかは、誰も知りようはない。

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