ゆえあって?
リィナとヨシュアの対立が深まる中、発端となったマリアはエイジスに手を引かれるままであった。数々の摩訶不思議な部屋と廊下と階段を越え、気付けば一層に深く暗い場所へ。辺りを見渡せばランタンも減って足元が良く見えず、危ないもので、エイジス教授の周りを浮かぶ青の球体がじんわりと行く先を照らしている。
「エイジス教授さま、どちらに向かっているのでしょう……?」
「あ、ああ。教授でいいよ? なんかごめんね、説明がなかったよね……。えっと、きみは【黒】を知ってるかな?」
「……あまり、いい噂は耳にしませんけど……」
マリアは素直に答えた。嬉しいか嬉しくないかと言われれば嬉しくはない。教典での扱いは褒められたものではないし、少なからず金以外が身から出た事実に傷付いてもいた。知らず知らずの内に穢れ、主への背徳を重ねているのだ。本来ならば金を放つべきであるのに、杖に込めた力は寒気のする暗黒であった。
エイジス教授はマリアの小さな声に頬を掻き、ウィッチハットを直した。彼女を案内しつつ、彼はなるだけ明るく声を掛ける。
「きみは確か……教会の子だったね。びっくりしているかも知れないけど、先ずは落ち着いて受け入れちゃおう。ほんとうは【黒】って悪いものでもないんだよ」
「それは、どう言う意味でしょう……?」
教典の扱いは決して『悪』ではない、確かに、避けるべき色として慎重ではある。大概は悪しき者が用いた【色】であり、世界を賑わせた厄災達は『魔王』だとか『邪神』だとか、そうした話と関わるものである。故に素直な喜びはなく、不満と不安が混ざって琥珀は揺れる。
「もう少しだよ。どうやら彼は謁見する気みたいだね」
エイジスはマリアが募らせる不安に負けじと陽気に、そして不思議な事を喋りながら手を引いて、深い闇に閉ざした階段を登った。複雑で奇妙な道を辿り、行き着くは最下層の一角、古い扉の前。
エイジスが三回、ドアノッカーを叩いた。家主の返事はなかったが、彼は気に留めず軽快に扉を開けて潜った。マリアも続けば、廊下より一段と暗い室内だった。
天井はマリアを幾人も並べても手は届きはしないだろう、寧ろ別の方法で手を伸ばすなら、視界を埋め尽くす古書の束を登山すれば吊るされたシャンデリアにも触れられそうであるか。
積み重なるのは本ばかりで、身丈もある巨大な魔導書も無造作に転がっていた。埃っぽくて足の踏み場もない此処で、マリアはきょろきょろとしていた。緑のローブの端を摘み、内側に引き込んでいる姿は迷子のようである。
エイジス教授はウィッチハットを揺らし、本の山脈、その中心部に目を向けていた。
「いるんだろう? いじわるしないでおくれ、きみが望んでいたんだろうに」
「エイジス教授……?」
誰も存在しない虚空に語り掛ける彼に、マリアは訝しそうに眉を顰めた。エイジスの纏うウィッカローブの揺らめきが古書に被る埃を舞い上がらせ、宙で灯る【青】がきらきらと照らしていた。エーテルの量子のようで、その小さな輝きに奇妙な揺らぎが走った。
『吾輩は特段、汝らを呼び立てた覚えはないのですが、ね?』
珍妙な声がした。尊大なのに丁寧な語り口である。声質は綺麗で、地方の訛りは伺えない。違和感はあっても納得させるだけの、得体の知れぬ声であった。マリアはぎょっとして、声を探る。しかし、やはり声の主は見付かりはしなかった。
あるのは暗がりに積まれた堆い本の城、光源はエイジスが操作する四つの球体のみである。埃が積もるとは、即ち人の出入りが極端にないのだろう。マリアは近場の本の表紙をなぞり、指先に付いた埃を観察していた。【青】に照らされた琥珀が、ついっと部屋の中心に戻る。
其処にはエイジス教授だけ。
「フォルカロル、ぼくたちはこうして辿り着けたんだ。それはね、事実として、きみが会いたかったからだよね? なら、姿は見せないと駄目じゃないかな?」
本の山をくり抜いたような、大きく陥没する中心に声を投げる。そうすればエイジス教授の周りを浮遊する球体が再びブレて、色が滲み空間に残った。ふわふわするエーテルにマリアが連れ、その琥珀は覚束ない。
はた、とマリアは目を開いた。腰に手を当て項垂れるエイジス教授にぱたぱた近付いて、教授のローブの端を引っ張った。身長に差がない教授は、背にする生徒の行動に困ったような顔を向け。
「フォルカロルはね、ちょっといじわるなんだ。ぼくにだけこうなんだよ」
「待ってください、フォルカロルと言いませんでしたか……?」
「……あ」
エイジスも気付く。彼は教員としての暦は短く、新任に部類されるだろう。だがどうして、帝都にて学徒を謳歌し、教授となった彼は当たり前を見落としていた。フォルカロルは異質であり異常であり、特筆して教会とは相容れぬ存在に他ならない。一般教養でも関わり合うなと親に釘を刺され、髪を引っ張られるようなものだ。
それを踏まえて、教会はフォルカロルのような者達と争った経緯がある。仲が悪い、一言で済ますならば之に尽きよう。更に言葉を選って、再三言い直すならば――親の敵と面したか如く。
『クハハッ、神の下僕は変わらず吠えますね? そこに正義とやらは本当に御座いますかね?』
ゴエティアに記された七十二の魔導の徒、その一柱がフォルカロルだ。そうは言っても世の中は移り変わり、千年も続いた魔導戦争を経て彼等の立場は変化しつつある。それでも人類と魔徒の諍いは絶えず、諸悪の根源とさえ述べれよう存在は看過出来るものではないのだ。
要するに、教会は魔導の徒――悪魔――を赦してはいない。七十二の堕落した星達は、滅殺せねばならぬ対象だ。
ゆえあって、マリアの表情はガチリと切り替わる。不安そうな色はなく、冷徹に琥珀から金が滲む。目玉に浮かび上がる荘厳な文言は神の言葉だ。拳を固め、身構えるマリアにエイジスはどうしたものかと杖を迷わせる。
辺りを照らす金色は、マリアの放つ光に悪魔は嗤い、こう告げる。
『神の下僕ですか? 久方振りです、ざっと……相まみえるのは三百年前でしょうかね。それに……こうも如実な【金】は珍しい……』
声は四方八方から押し寄せていた。マリアの無機質な瞳は注意深く鋭利になった。まるで床に落とした糸屑を探るように、積まれた本達の表紙を貫いている。幼い姿に似合わぬ気迫にエイジスは唾を呑み込み、重くなった空気を打ち破らんと厳戒態勢のマリアに。
「えっとね、マリアくん。落ち着いて、ね? わかる、わかるよ? うん、わかる。紛れもなく……悪魔だけど……心配しないで欲しいかなって……?」
宥めるが、悪魔の単語にマリアの放つ光は強まった。マリアの羽織る草色のローブを突き抜けて、背中にも目玉のような文様が刻まれて。次第に光量が増せば、そのけたたましいまでの金色に網膜を焼かれ、エイジスは反射的に半歩下がってしまう。
「おわっ! マリアくんっ! まってまって、まって!」
思わず、ウィッチハットを手で押さえ光を遮る。
熱量さえ肌に感じさせそうな光に慣れないまま、小さな少女から放たれる常識と常軌をあんまりに逸したエーテルにエイジスは困惑を露わにした。当然だ、この質量は、尋常にしてこの世有らざるものだ。
その姿は敬虔なる信徒、神の代理人――逆徒を一切の揺るぎなぞなしに、確実にして完全に討ち滅ぼさねばならぬと決意した事を語っている。
「……私は、神罰の地上代理人……」
固めた拳を徐に解いて、手を結れば周囲は暗闇に誕生した太陽に白日の下に追い出され、浮き彫りになっていた。聖四文字が渦巻く背に、エイジス教授はなんとか口を開こうとした。
【青】が【金】に圧され、一時の安らぎもなく消し飛んだ。叶わない、瞬時に敵わないと悟った。エイジスの眼前を猛烈な光が闇を払っていく、暗闇を赦さないとばかりにだ。見通せぬ先はないとばかりにだ。
神の威光が小さく幼い身体から溢れ出でて、止め処なく、淀みなく、果てのない濁流となって全てを掻き消さんとしている。結った手に震えなし、開かれた琥珀は閉ざしはせぬ。
見て、視て、観て、満て。
御手を幻視する。蜂蜜の溶かし流れた濃密な気配は、魔導とは源流を違えていた。神気とも呼ばれる力は、正色教会の者ならば少なからず宿すものだ。
エイジスは腕とウィッチハットで光から目を保護して、杖を握る手に力を込めた。指の湿りで杖を取り落としてしまいそうだったからだ。
「マリアくんっ! まって、敵じゃないんだって! 学長と約定を! だから!」
教会の人間だと事前に耳にはしていた、が、之は。
「あゝ、主よ――」
祈りを捧げ、主を仰ぐ。遥か先、天井を越えた天上を見詰める目玉。淡い唇は歪み、狂信に歪む。結っていた手が再び鋼鉄と化して、鉄拳による制裁をせんとする。
「わかっててやらせました学園長……?! ぼく、これ、いや! 止められそうにないですよこれぇえ……!」
黄金は止め処なし。瓦解する、景色の強弱も濃淡も。陰陽を苛烈にして熾烈な光が劈く。
エイジス・ノクターンは優れた魔導師である。なんの因果か、帝都が誇るこの学園、ラプラス校では頻発する修羅場に慣れるまでには巡り合っている。必ず目の前の事態には落とし所があって、その着地場所を探り当てる経験は積んでいた。
今必要なのは、マリアを物理的に止める『力』である。
エイジスの杖先に滲む【青】は、浸透する隙間のない【金】に咎められていた。神の眼差しを前に、色が滲むだけでも光栄であり偉大であろうか。そうやって前向きに納得しても、之は。
「マリアくん、まって……! 落ち着いてッ……!」
之は、有り得ざる事だ。【青】が出てはいるのだ、出ていても須臾もなくば造次もなく、陣形を刻む隙もなく崩壊する。空間に魔法陣を刻まんとしても、空間を満たす唯一が刎ね退かせるのだ――之こそ、問答無用に。
他のエーテル干渉を鎧袖一触に消し飛ばすなぞ、学徒に教える基本原理に真っ向から反する偉業でありながらに異行である。
――あゝ、主よ――。
少女が口にする主を讃える言葉が、空間を波打たせて広がっていく。
――悔い改めよ。そは、所を移すにあらざるゆえ。心によりて、過去の過ちを繰り返さぬ誓いなり――。
耳を疑いたくなる程に透き通った賛歌が彩り、火照る頬を持ち上げ無邪気な笑みを花開かせるのだ。
――故に、主の慈悲を求めよ。されど、慈悲を待つまに、汝が足元にある善き行いは、決して、怠るべからず――。
主を讃える歌は、焦るエイジスにしても美しく。
「ッ……!」
――故に、信仰とは『己が身を捧ぐ献身』なり。主は、汝の足元を見ず。汝がその足で、なにを為し、歩み進め給うたか、問わん――。
同じくして、とても静かであった。微笑みは道端に生える一輪のように無垢で、構えられた鉄拳は畏怖される威光を纏うのだ。
逆徒滅ぶべし、と。
多忙につき、ゆえあって遅れます。じんわり更新致します。面白かったら気楽に評価お願いしますっ




