お好きに
「ルルノア。エルドウィス伯爵邸から出て行ってくれないか?」
書斎で、明日に行われるストレウシス王国の第一殿下であるジョシュア様の視察のための書類をまとめていた。そんな時に、婚約者であるエドガー様が恋人を伴ってやって来た。
エドガー様は、エルドウィス伯爵家の遠縁。茶髪に同じ茶色の瞳の24歳だった。男しか爵位の継げないストレウシス王国では、私に爵位はない。そのために、遠縁の中でも一番近い血筋のエドガー様に爵位が回ってきたのだ。
エルドウィス伯爵家には、私しか子供はいない。だから、早逝したお父様は生前早くから、私とエドガー様との婚約を結び付けていた。
それが……病弱だったお父様が他界して、たった三ヶ月で恋人を連れ込むとは……。しかも、私よりも年上そうな女性。艶のある長いサラサラの黒髪。派手な真っ赤なドレスに突き出たお胸。彼女は色気たっぷりだった。
「……エドガー様。今はどんな時期かご存じですよね? 第一殿下が視察でエルドウィス伯爵領へと来られるのですよ」
「知っている。その準備も滞りなくやっている」
やっているのは、私です。あなたは、毎日毎晩と遊び歩いて……。
頭が痛くなります。
「とにかく、発注ミスで椅子がまだ届いていませんのよ。今夜に届く予定なのですから、それまでに人を集めておいてください。夜は雨の予定ですから、テントや雨避けの対策も今のうちにしないと……」
「それなら、明日の朝一番に椅子は並べればいいだろう。雨の中置いておくなど、殿下にも私にも失礼だぞ。濡れた椅子にシアンを座らせるつもりか?」
「誰ですか、シアンって……」
「こちらの美しい女性だ。しっかり見なさい」
エドガー様が、自慢するように傍らに抱き寄せているシアンを見せつけるように言う。妖艶な笑みで、シアンは私を見下ろしている。
「お名前を名乗られないので、存じませんでしたわ。それと、先ほどから見えてますわ」
どうでもいい。明日が忙しくなると言うのに、こんな日まで遊び呆けるとは……。最後の仕事になるかもしれないのに、エドガー様は何をやっているのでしょうか。
「……そもそも、発注ミスはエドガー様のせいですわ」
「私のせいではない。急ぎのものなら、なぜ至急だと言わない。そういうところが、ルルノアはお嬢様でダメだな」
発注ミスに至った経緯は、エドガー様が隣街に行くと言うから、特別仕様の椅子の発注書を一緒に持って行ってもらったのだ。まさか、発注書を出す前に遊び惚けて帰って来るとは予想外でした。
急いで早馬を出して何とか間に合うように手配をしたけれど……余計なお金もかかっていたのです。
そこは、私のミスでした。そこは、認めましょう。
「で、私と婚約破棄をして、そちらの美しい女性と結婚なさると?」
「そうだ。よくわかったな」
「先ほど、出ていけと言いましたからね。どうぞお好きになさったらいかがですか?」
「なんだ? ずいぶんとあっさりしているな」
「ええ、エドガー様が結婚する気がないのでしたら、私は身を引きますわ」
むしろ、こんな浮気者はごめんですわ。
私のあっさりした返事にエドガー様は、面白くないようでムッとした表情になる。だけど、私が引き留める理由などない。
「では、明日は殿下も来るし、明日の準備も怠るなよ。それまでは、エルドウィス伯爵邸での滞在を認める」
「まさか、こちらにそこの女性と住むつもりですの?」
「当たり前だ。明日は、殿下の視察と爵位の引継ぎが正式に認められるからな。終われば、ルルノアは、このエルドウィス伯爵邸に住む理由は無くなるな」
「まぁ、面白い冗談ですね」
アハハとエドガー様も笑うけど、笑えない。シアンもくすくすと笑っているけど、こちらも笑えない。
「で、婚約を破棄する私に殿下を迎える準備をしろと?」
「当たり前だ。仕事を放棄する気か?」
「放棄するのは、私ではありませんのよ」
ストレウシス王国では、爵位の引継ぎには陛下もしくは殿下からの承認が必要になる。
先代が他界しても、正式には爵位が名乗れないのだ。
そして、爵位を継ぐ者が、邸や領地……にと、財産の分散を避けるためにすべてを継ぐことになるのだ。
だから、爵位の継げない私も、未だにこのエルドウィス伯爵邸で過ごせているのだけど……。
「シアンは、お前と違って美人だからな。ルルノアは、その童顔では結婚も難しいかもしれないが、どうしても仕事がなければ秘書にでもしてやってもいいぞ」
「なぜ、私が?」
確かに、私はもうすぐで20才になるのに童顔だとは思う。でも、17才、いや18才ぐらいに見られるなら、そんな童顔ではないはず。
薄い水色に水色の瞳。エドガー様の大好きな色気は、ないのだろうけど……。
「明日の席も、私の隣はシアンだ。先代の伯爵の娘だからと言って、でしゃばるなよ。私の隣に座ろうとすれば、すぐに追い出すからな」
「まぁ、お好きなところに座ればいいじゃないですか……」
その時に、書斎に執事がやって来た。執事のローガンは30歳過ぎ。彼の祖父が長年執事で、ローガンもそのツテでやって来たのだ。
「お嬢様。椅子が到着しました」
「そう。やっと来たのですね。すぐに準備しましょう。エドガー様もお暇なら、そこのシアン様とお手伝いください」
「今から晩餐だぞ。そんな暇はない。そういう仕事は使用人がするものだ。ローガン。晩餐はまだなのか?」
「すぐに召し上がれますが……」
「では、すぐに晩餐だ」
ローガンが、いいのですか? と言いたげにちらりと私を見る。
「いいのよ。エドガー様はお腹がお空きのようですから、お先にどうぞ」
「畏まりました」
エドガー様は楽しそうにしている。シアン様は、私からエドガー様を奪えたことに勝ち誇っているようで、うきうきで寄り添って二人は書斎を後にした。
「先日、殿下からの手紙を読んでください、と言ったのに、読んでないのね……」
一人残った書斎でそう呟きながら書斎机の引き出しを開ければ、一通の手紙があった。




