死者と語る
その夜、ミラの寝息を確認したルシアは、自室に戻り、静かに引き出しを開けた。そこには、一つの古びた指輪がしまわれている。銀細工のシンプルな指輪だが、その石座には何も嵌められていない。それは、かつてルシアにとって兄のような存在だった男――グレイの形見だった。彼は、ルシアの両親と共に冒険に出て、そして、迷宮の奥深くへと消えた。その真相は、未だ謎に包まれている。
ルシアは、そっと指輪を薬指にはめた。ひんやりとした金属が肌に触れる。その瞬間、指輪が淡い、青白い光を放ち始めた。光は次第に強くなり、ルシアの視界を包み込む。霧が立ち込めるように空間が歪み、やがて、その光の中に、一人の男の姿が浮かび上がった。
それは、グレイだった。 かつての優しい笑顔はそのままに、しかし、その瞳の奥には、深い悲しみと、何かに囚われたような虚ろさが宿っていた。幻影のグレイは、ルシアに手を伸ばす。その指先は、光の粒子のように儚く揺らめいていた。 「ルシア…逃げろ…」 唇が、かたちだけ動く。声は、微かな風の音として、ルシアの耳に届くか届かないかのようだった。彼の周囲には、まるで彼を絡め取るかのように、黒い靄が蠢いている。それは、迷宮の奥から漂う魔力と酷似していた。 「グレイ…どうして…」 ルシアが手を伸ばそうとした瞬間、彼の幻影は、まるで夢の残滓のように、ふっと消え去った。残されたのは、指先に残る微かな冷たさと、心臓を抉るような喪失感だけだった。
「迷宮の呪い…」 ルシアは、指輪を見つめ、静かに呟いた。グレイが消えた真相には、この迷宮そのものが持つ、根源的な「呪い」が絡んでいると、噂されていた。それは、命あるものを囚え、魂を蝕む、深い闇。両親も、そしてグレイも、その呪いに囚われてしまったのだろうか。
「静かに暮らしたい、静かに、ただ静かに。」その願いは、遠い地平線に霞む幻のように、ルシアの心を揺さぶった。だが、その根は、血と泥にまみれた「責任」の土壌に深く食い込んでいる。この「責任」がある限り、真の「静けさ」は訪れないのかもしれない。彼女は、剣から伝わる持ち主の「未練」を握りしめ、冷たい床に座り込んだまま、ただ、息を潜めていた。ルシアのこの体験が、カイルとの関係性や彼女自身の内面的な変化にどう影響していくかは、今後の物語で丁寧に描かれていくことになるだろう。