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光の先へ

 迷宮の最下層から、ゆっくりと、しかし確実に、光が立ち上っていくのが見えた。それは、朝日のような温かさを持つ光で、これまでの迷宮を覆っていた澱んだ瘴気を、内側から、静かに、そして完全に浄化していく。壁の脈動は止まり、粘性の霧は、まるで薄い靄のように空気に溶けて消え失せた。魂の叫びにも似た響きは、もはや聞こえない。ただ、清らかな水の滴る音と、遠くで風が囁くような、心地よい音が響くだけだった。迷宮は、その呪縛から解き放たれ、本来の姿へと回帰していく。それは、ただの洞窟ではなく、世界の魔力の流れを調整する、巨大な「脈動器官」の一部として、静かにその役割を終えようとしていた。

「…終わったんだな」 カイルの声が、安堵に満ちていた。彼の顔には、これまでの激しい戦いの痕跡が残っていたが、その瞳は、迷宮を浄化した光を映し、深い輝きを宿していた。 ルシアは、グレイとの別れからくる感傷に浸る間もなく、立ち上がっていた。彼女の身体は、疲労で鉛のように重かったが、心は、これまでにないほど軽やかだった。足元には、もう粘つく液体はなく、代わりに、清らかな水が、さざ波のように流れていた。彼女は、深呼吸をした。肺いっぱいに吸い込まれる空気は、澄み切っていて、微かに土と、そして、新しい生命の匂いがした。

 迷宮の出口にたどり着いた時、フェルナレアの街は、これまで見たことのないほど鮮やかな光に包まれていた。夜光花は、街路樹の枝という枝に、まるで星屑を散りばめたかのように、青白い光を放ち、街全体を幻想的に照らし出している。その光は、以前の弱々しいものではなく、生命力に満ちた、力強い輝きだった。街の魔力時計は、もう不規則な音を立てることはなく、正確なリズムで、カチカチ、と心地よい時を刻んでいる。公園には、夕暮れ時にもかかわらず、子供たちの楽しそうな笑い声が響き渡り、錆びついていた遊具も、どこか誇らしげに輝いているように見えた。人々は、夕闇が迫っても家路を急ぐことなく、通りを行き交い、笑顔で言葉を交わしている。街を覆っていた得体の知れない不安が、完全に払拭されたかのようだった。

「…なんて、ことだ…」 カイルが、呆然とした声で呟いた。彼の故郷であるこの街が、こんなにも生き生きとした姿を取り戻していることに、彼は深く感動しているようだった。 ルシアの視線は、夜空へと向けられていた。空には、これまで見たことのない、鮮やかなオーロラが揺らめいている。それは、迷宮の呪いが解けたことで、世界の魔力流動が正常に戻り、大気中で輝く魔力の光景なのだろう。世界の「歪み」が、確かに修正され始めているのだと、ルシアは確信した。

 数週間後、フェルナレアの街の一角に、新しい店がオープンした。 『繋がり屋ルシア』。 そう書かれた、温かい色合いの木製の看板が、柔らかな光を放っている。遺品屋の看板とは異なり、そこには死の陰はなく、希望と、そして、人と人との繋がりを象徴するような、温かい筆致が用いられていた。 この店は、遺品を回収するだけではない。迷宮の深淵で「未練」を癒やした経験から、ルシアは、人々が抱える心の「未練」や、失われた大切なものの「記憶」を辿り、それを癒やしたり、適切な場所へ繋ぐ手助けをしていた。遺品に残された微かな魔力の残滓から、持ち主の生前の記憶を辿り、家族にメッセージを伝えたり、あるいは、失われた品を求めて彷徨う魂の言葉を、生きている人々に届けることもあった。それは、死者と生者の間を取り持つ、新たな形の「遺品屋」であり、より深く「魂」と関わる、彼女にしかできない仕事だった。

 店の奥からは、カイルの威勢の良い声が響く。 「いらっしゃいませ! 今日は、どちらの『繋がり』をお求めで?」 彼は、店の護衛兼、ルシアの助手を務めていた。迷宮での出来事以来、二人の間には、言葉以上の深い信頼が築かれていた。以前のような、互いを試すような駆け引きはなく、ただ、静かに、互いの存在を認め、支え合っている。 「カイル、そちらの調合は、まだですか?」 ルシアの声が、穏やかに響く。彼女は、店先に並べられた、記憶を鎮める効能を持つハーブティーの調合に勤しんでいた。 「今、やってますって! そういえば、この前のお客さん、あんたが辿った記憶のおかげで、長年行方不明だった兄貴の消息が掴めたって、泣いてたぜ!」 カイルが、嬉しそうに報告する。ルシアは、口元に微かな笑みを浮かべた。その笑顔は、かつての、感情を押し殺したような「静けさ」とは全く異なる、内側から溢れ出るような、温かい光を宿していた。

 夕暮れ時、店を閉めると、ミラとレオンが、駆け足でルシアの元へとやってきた。 「お姉ちゃん、今日もお疲れ様!」 ミラが、ルシアの腰に抱きつく。レオンもまた、ルシアの手を握りしめ、目を輝かせている。 「お姉ちゃん、今日はどんな『繋がり』を助けたの?」 レオンの問いに、ルシアは微笑む。 「今日はね…遠い街で亡くなった旅人さんが、故郷に残してきた恋人さんへの手紙を見つけられたんだ」 「わぁ!」 ミラとレオンの瞳が、きらきらと輝く。彼らの笑顔は、ルシアにとって、何よりも大切な「光」だった。

 ルシアは、二人の温かい手に包まれながら、静かに、しかし確かな幸福感に満たされていた。かつて、「静かに暮らしたい」という願いは、孤独な檻の中で、過去の重荷に耐えるためのものだった。しかし、今は違う。その「静けさ」は、愛する家族や、カイル、そして街の人々と分かち合う、温かい繋がりの中で見つけた、真の安らぎだった。彼女の視線の先には、夜光花が優しく光る街並みが広がり、遠く、時計台の魔力時計が、カチ、カチ、と規則正しい音を刻んでいた。

 その日、ルシアは、弟と妹に囲まれて、心からの笑顔を浮かべた。その笑顔は、過去の影から完全に解放され、希望に満ちた未来へと踏み出した、彼女自身の「光」そのものだった。



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