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倭国伝  作者: Genn
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予兆の記憶。(後編)

長すぎたので分割した後編です。


「トヨさま、失礼します」


 夕に襲撃を受けていた集落はウタという名の邑だった。

 いまは使われていない民家を借りて、ヤマトからの一行は分宿している。

 膝丈ほども掘り下げられた床には、薪がくべられた囲炉裏があり、炎に照らされながらトヨは敷皮の上に座っていた。


「夜遅くに申し訳ありません。トシゴリさま」

「いえ、お気になさらずに」


 トシゴリはゆっくりと、トヨと囲炉裏をはさんで向き合うように腰を下ろした。


「集落の様子はどうでしょうか」

「怪我人は多いですが、思ったより被害は少なかったようです」

「それはなによりです」


 思ったより……。その言葉に含みがあることを感じつつ、余計な気を使わせまいというトシゴリの配慮を察して、トヨはそれ以上追求しなかった。


「それで、どのようなご用件でしょう」


 目が見えないトヨのためにと世話を任された邑の女性が帰るとき、トシゴリへの言伝を頼んでいた。手が空けば、あとで顔を見せてほしいと。


「はい……」


 この邑に入って安堵の気持ちを覚えつつ、トヨはずっと悩んでいた。

 みなに話さなくてはならないことがある。けれど怒りや反感が怖くて、本心ではわざわざ口にしたくはなかった。けれどこのまま黙っていては、ずっと心に重荷が積み重なっていく。


「今日、わたしは、この邑を救っていただくようお願いするときに託宣という言葉を使いました」


 意を決したトヨの言葉に、トシゴリは無言で耳を傾ける。


「けれどあれは偽りなのです。まことに申し訳ありません」


 不意に手をつき、額を床に擦り付けるほど頭を下げるトヨ。

 華奢な身体がさらに小さく見えるほど屈み、その肩は細かく震えていた。


 (この方は、やはり、巫女なのだ)


 突然のことに、トシゴリはひどく驚かされた。

 トヨの謝罪の言葉にではなく、その深く頭を下げるほど真摯な想いに。


 あの場にいた者はみな「民をお救いください」という彼女の言葉に救われた。

 彼らが心から従ったのは、託宣という権威にではない。

 自分たちの抱いていた罪悪感を肩代わりし、その幼い一身に受けとめようとした決意に跪いたのだ。


 しかし眼の前の少女は、そんな自らの行為を虚偽として断罪しようとしている。

 自らを正しく律しようとするあり方は、ヤマトの民にとっての巫女そのものだった。


「頭を……、どうか頭をお上げください」


 震えそうになる声を抑えながら、トシゴリは嘆願する。

 しかし、トヨはその姿勢を崩そうとはしない。


「託宣とは……」


 慎重に言葉を選びながら、トシゴリはトヨに語りかける。


「われらのような者にとって、巫女の言葉が神の意思であるかどうかなど知る由もありません」

「……だからこそ」

「ええ、だからこそ、です」


 これ以上、彼女の想いが迷子にならぬようにと、力強く言葉を重ねる。


「われらは武人です。この力を向けるべき道を示してくれるのなら。悔いることのないよう奮い立たせてくれるのなら。それは偽りなどではなく真実の言葉なのです」


 思い切ってトシゴリは席を立ち、トヨの傍らに跪いてゆっくりと、その小さな肩に手を添える。ぴくりと震える彼女の反応を制止するように、少しだけ力をこめる。


「われらにとって、あのとき、あの言葉は、まごうことなき託宣だったのです。だからお願いします。頭をお上げください」


 やがて、ようやく頭を上げたトヨの顔は、あきらかに涙で濡れていた。その表情は、いまだ憂鬱な陰をたたえたままだ。


「……けれど、わたしは知っていたのです。みなさまがどのような危険にあうのかを」

「知っていたとは、いったい?」


 トヨはぽつりぽつりと、前日の夜に起きたことを説明した。

 夢とも幻ともつかない光景を、そのまま信じることはできなかったこと。

 けれど、それが現実となっとき、そこから逃れるすべなど、なにひとつ持たなかったこと。


「昔、わたしは父や母と小さな集落に暮らしていました」


「その集落が襲われたとき、父と母は稲藁のなかにわたしを隠してくれました。隙間から覗いていたわたしが最後に覚えているのは、母をかばった父の背中に剣が振り下ろされる瞬間です。あまりに見たくないと思ったからでしょうか。それから、わたしは目が見えなくなってしまったんです」


 トヨの身体がかたく強張るのを感じて、トシゴリはその肩から手を放す。


「はじめは邑の人々を救いたいという想いだけでした。けれど、後で気づいたのです。わたしの言葉で、みなさまを動かしてしまえば、あの闇の中で見た光景の先を、かつて目を背けたような、耐えきれない結末を招き寄せてしまうのではないかと」


(そういうことか)


 トシゴリは、彼女があれほど後悔していたのはたんに託宣という言葉を使っただけではなく、自分たちの身をあえて危険に晒したからだったのだと知る。しかもそこに、かつて父母を失った惨状の記憶を結びつけてしまったのだと。


「大丈夫です」


 トシゴリは、いちど放したその手を、今度はトヨの手に添え、軽く握る。


「トヨさきの見た光景というものが、どういった力によるものかはわかりません。けれど、それがヒミコさまから託された鏡を伝ってのものならば、悪しき力などではないはずです」

「……ヒミコさまの」

「そうです。きっと目の見えぬトヨさまに代わって、起こりうる先のことを予見させてくれたのでしょう」


 なんの根拠もない断定だが、ヒミコへの深い敬愛がトヨの気持ちを少しだけ動かした。彼女の顔からわずかに曇りがはれる。


「おかげで、われらはヤマトの兵として恥じぬ行動を取ることができました。あのまま邑を見捨てていれば、この先どれほどの後悔を抱いて生きねばならないか」

「けれど、わたしはずっと守られるばかりなのです。父にも母にも、みなさまにもなにひとつ……」


 それを聞きトシゴリは、少しだけ力を込める。


「よろしいですか、トヨさま。わたしとて子をもつ親です。子の危機であればいくらでも身命をかけます。ただ、それを枷にはして欲しくありません。重荷となってゆく道の判断を誤るようなことになってほしくない。わたしも一人の親として、トヨさまにお願いいたします」


 先程までとは逆に、深々と頭を下げるトシゴリ。

 その動きが気配で伝わり、トヨは思わず振り返る。

 頭を上げてくれるよう頼みたくても言葉は出ず、いつしか小さな嗚咽とともにまた涙があふれだす。


 そのまま二人はただ押し黙り、時は静かに流れていく。

 ようやく落ち着いたトヨは、なにかきっかけを探すようにトシゴリに尋ねた。


「……トシゴリさまのご家族は、いまは」

「妻はあいにく産後の肥立ちが悪く亡くなりました。しかし生まれた息子、エキヤクはすでに成人し、いまはイト国に出向いております」

「すいません」


 迂闊な質問だったかと動じるトヨを、トシゴリはあえて明るい声で制する。


「お気になさらず。息子の成長こそがかけがえのないもの。まだまだ未熟な若造ですが、大陸への使者の護衛という重大な務めも無事に果たしたようで、妻もよろこんでおりましょう」


 その後もしばらく話し込んでから、落ち着きを取り戻したトヨの姿に安堵しつつトシゴリは席を立つ。


「トシゴリさま」

「はい」

「鏡が見せた光景について、じつは良いこともあるとわかりました」

「それは?」

「みなさまのお顔を知ることができました。これからは、それぞれのお顔を思い浮かべながらお話することができる。それだけは嬉しく思います」


 またも頭を下げるトヨ。しかしトシゴリは、もうなにも言わずに戸口に向かった。

 そこに見て取れたのが、ただ年相応らしい恥じらいだったから。



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