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倭国伝  作者: Genn
2/7

女王、死す。(後編)

後編になります。

(われらが女王を貶めようというのか!)


 剣を構えたまま姿勢を崩さなかったナシメが、もはや我慢がならないとばかりに敵陣との距離を詰める。激情がそのまま形になったといわんばかりの突撃だった。

 敵兵の構える矛はたしかに間合いが長く、集団戦において確かな優位性を持つ。しかし、広間のように限定された場所では直線的な動きが主体のため、彼我の距離さえ詰めてしまえばむしろ剣が勝る。


(狙うはただ一人)


 円陣を敷くことで死角をなくした相手に、ナシメは姿勢を低くして斬り込んだ。咄嗟に突き出された正面の矛を上半身だけで躱し、そのまま相手の懐へと入り込む。

 向かい右の兵士が矛を横薙ぎにしてくるが、同士討ちを恐れるかのように躊躇した刃先を剣の柄で落とす。そのうえで相対した敵兵を左への盾のようにしながら円陣の内側へとまわり込んだ。

 初動の踏み込みからまさに一瞬でおこなわれた攻防は、鍛錬されたナシメの剣技と、これまで幾多の戦場に身をおいてきた経験による見事なまでの流れだった。

 円陣に守られていたはずの王弟を目前にとらえ、そのまま勢いを殺すことなく、素早く剣を振り下ろす。


(……手負いにして身柄を確保できれば)


 そんなナシメの意図を秘めた一撃は、しかし鋭い金属音とともに止められた。

 背後から現れた一人の兵士が、王弟と入れ替わるように立ちふさがり、拳十個ほどもあろうかという長剣で受け止めたのだ。

 女王の身内を傷つけることへの躊躇いがあったのかもしれないが、それでも速度十分なナシメの剣を受け止めた相手の膂力は驚異的だった。

 千載一遇の機を逃した。

 そのことを理解したナシメは、すぐさま身を翻す。


(何者か?)


 転がるようにして後方へ下りながら先程の位置へ目をやると、やけに手足の長い兵士が、剣の切っ先をこちらに向けたまま構えている。その兵装は、明らかにヤマトのものだった。


「すまない、トミヒコ」


 さすがに肝を冷やしながら、それでも冷静な声で王弟は背後から身を挺した者を労う。

 ヒコと呼ぶからには何処かの部族の長なのだろうと考えつつ、ナシメは警戒すべき相手から視線を逸らさぬよう姿勢を立て直す。

 一方でトミヒコは、それ以上の行動には移らず重い声で王弟に語りかけた。


「すでに宮殿の重囲は完了しております。まずは急いで目的を」

「ああ、わかっている」


 その毅然とした返事が合図となったかのように、兵たちはさきほど崩れかけた円陣をあらためて組み直す。


「女王をお守りしろ!」


 いよいよ相手が力押しにくると察したナシメは、広間の護衛たちに号令をかけつつ剣を握りなおした。

 まさに一触即発の双方。


 そんなときだった。


 宮殿を取り囲んでいるだろう外の兵たちの気配が徐々に大きくなり、騒がしいざわめきとして広間まで聞こえはじめたのは。


──見ろ、空を!

──なんなんだ、あれは!

──た、助けてくれ。神の祟りだ!


 不穏な様子を確認するために扉の外を確認した兵士たちが、さらに絶叫した。


「うわああああ!」

「日が、日が、欠けていく!」


 彼らが見たのは、厚い雲に隠れていた太陽が、ようやく顔をのぞかせた空だった。

 しかし、なんということか。いつもなら眩しく輝く日輪が、その半分以上を闇に侵食されている。すでに山辺に傾きつつあるため天中よりも誇張されて見え、その凶々しい様子を際立たせていた。

 日蝕。この現象を正しく把握できる者は、そこにいなかった。忍び寄りつつある暗がりのなか、宮殿の外で待機する兵士たちの動揺は時につれて大きくなる。叫び声だけでなく、慌てて駆け出す物音なども混じりはじめる。

 もちろん広間の兵士たちも冷静ではない。あからさまに声を上げたり走り出したりする者こそいないが、すでに隊列も、体勢も大きく崩れつつある。

 だれも経験したことのない怪異。この世の終わりとも思える事態に遭遇し、恐怖どころか恐慌の一歩手前に陥っていた。


 そんな渦中でも冷静に行動したのはナシメだった。

 危地から脱する好機と見た彼は、無言のままで壇上に駆け上り、小さく「失礼」とささやきながら帷幕を留めている紐を一太刀のもと斬り捨てた。混乱に乗じて女王をここから逃げ延びさせようとの判断だった。

 床几の上にただ腰掛ける一人の女性。

 しかしその姿が、新たな驚愕をもたらす。


 前袷の衣と襞をとった裳の上下はいずれも白絹で、それを朱色の腰帯でとめた姿。襟元や袖口には模様を編み込んだ色布がつかわれ、勾玉と管玉を組みあわせた装飾具とあわせて華美ではないが貴人にふさわしい装束だといえる。


 ところがその背後を、広間に浸透しつつあった暗がりよりもさらに深い闇が取り囲んでいた。まるで彼女の周囲をぽっかりと切り取るかのように。それは、いま天空で起こっている異変がそのまま壇上で再現されているかのようだ。


 しかし、ナシメと王弟をさらに驚愕させたのは、現れた女王の容姿そのものだった。

 家族あるいは家臣として彼女に出会ってから、いかほどの年月が過ぎ去っただろう。もはや10年、20年では足りるまい。

 なのに彼女の姿形は、出会った頃のままだった。

 いまだ少女の面影を残した若々しさで壇上に腰掛けていた。

 たしかに、女王はある時期から人目につくことを極端に避けはじめた。宮殿奥の居間から滅多に出ず、広間でも帷幕越しでしか謁見されることはなくなった。

 そんな彼女の行動は、あえて政務から遠ざかり、国の運営や外交を他者に任せようとする意志の表れにも思えた。また、じかに接する機会の減少は、むしろ託宣者としての神秘性を高めていく。ゆえに、だれも不平にも不満にも思わなかった。もたらされる言葉がつねに正しい結果を導いてくれる限り、彼女はヤマトの象徴として自分たちを見守ってくれていると信じていられたのだ。

 とはいえナシメや王弟ならば、折に触れて女王の素顔に触れる機会はあったはず。あったはずなのに、なぜか二人とも、そのときの容貌を思い出すことができなかった。


──偽者ではないか。


 一瞬そう考えたナシメだったが、彼女の美しい目鼻立ちは、かつてまだ若くして出会い、ともに過ごした頃の容貌そのものだった。その記憶だけは鮮やかで間違えようがなかった。


「そうか……」


 一瞬の驚愕の後に、王弟から感嘆とも納得ともとれるつぶやきがこぼれた。


「大陸の古き末裔と言われるクマノが姉上を欲したのも、それが理由なのか」


 闇はさらに色を濃くしていく。

 ますます混沌としていく広間で、ただ呆然としている二人に向け女王が言葉をつむいだ。


「驚かせてしまったようですね。けれどこの姿も、この闇も、ただ時がきただけのこと。かつて鬼道などと呼ばれている力を求めた代償なのです。……少なくとも、かつてクマノを興した者たちが求めた不老などとは無縁ですよ」


 不老という言葉にトミヒコがぴくりと反応するが、彼もまた周囲とは隔絶するかのように不動の姿勢をとり続けている。


「ホアカ。これまで国に尽くしてくれたこと、だからこそ行く末を憂いてくれる気持ち、嬉しく思います。この襲撃も、国を割らぬようにと苦しんだ決断だったのでしょう」

「……ならば!より良き選択のために、力をお貸しください。誓って、姉上を犠牲になどさせません。むしろクマノを利用して呉の闘船さえ手に入れられれば」


 女王は静かに首を横に振る。そして視線を膝下のナシメにうつす。


「そしてナシメ。ほんとうに長いあいだ仕えてくれました。大陸への危険な使者をはじめ幾度もの困難にあわせてしまい申し訳なく思います」

「なにをおっしゃるか!わたしのような者を、これまで、これほどまでに……」

「けれどこれが最後の願いになるでしょう。あなたは、まだ生きてください。そして『あの娘』をよろしく頼みます」


 その最後の言葉を呑み込むように、彼女をつつむ闇は急速に濃度を増した。

 宮殿の外で松明が灯されはじめたのだろう。わずかに射し込む明かりのなか、ナシメは必死に手を伸ばそうとするが、闇そのものが障壁であるかのように届かない。

 何処の彼方に溶け込むように、女王は消え去った。

 山々と重なりつつある太陽が、完全なる漆黒の洞穴となるのとまさに同時に。


(ヒミコさま!!)


 心のなかで絶叫するナシメ。しかし、いちど大きく呼吸すると、彼は広間の扉に向けて突進した。

 いま目前で起こったすべてのことが、いったいなんなのか。なぜなのか。その謎への答えは、いっさい思い浮かばない。けれど最後に残された彼女からの願い。それだけは必ず守ってみせる。

 いまだ動くこともできない王弟や従者を顧みることもなく、その決意だけがナシメの身体を突き動かした。動揺した兵の持つ松明が建物に引火したのか、どこからともなく煙が漂ってくる。ますます混乱する敵の重囲を突破するため、もはや手当たり次第に斬り伏せる覚悟で剣を構えて彼は駆けぬける。


 そうして、この日、ヤマトからヒミコという柱が喪われた。


パソコンでの作成画面とWEBでの閲覧画面の印象って、かなり違うものだと実感。なので前編と合わせて改行ルールを変更しました。

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