表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

エピローグ:残響

雨が降っていた。


冷たい雨音が、夜の闇に沈むビルの窓を叩く。

その音は、静寂の中に鈍く響いていた。


ユイは、事務所のデスクに座り、薄い紙の束を見つめていた。


──御影俊彦、懲役14年。


裁判の終結を記した報告書は、どこか痛々しいほど無機質だった。


ユイは、その紙に手を伸ばし、指でなぞる。

まるで、そこに刻まれた名前の持つ“重さ”を感じ取ろうとしているかのように。


「……声なき声に、耳を傾けるナリ」


そう言った自分の言葉が、ふと脳裏をよぎる。


(声なき声……)


御影俊彦は、最後まで「殺していない」と訴えていた。

彼が何を守ろうとしたのか、何に縋りたかったのか。


──それはもう、わからない。


正義は勝ったのか。

それとも、狂気が勝ったのか。


その問いに、ユイは答えを見出せないまま、息を吐いた。


「……結局、何が正しかったナリか」


重苦しい空気が、ユイの胸にのしかかる。


「ねえ、ユイ様」


背後から、静かな声が響いた。


「またそんな顔をしてる」


ルカだった。


いつの間にか傘も差さずに入ってきたのか、肩に濡れた髪が張りついていた。

それでも、ルカの表情は穏やかで、どこか満ち足りてさえ見えた。


「……なんの用ナリ」


「“声なき声”が、まだ耳に残ってるんでしょう?」


ユイは答えなかった。


「ワタクシね、思うんです」


ルカは窓際に歩み寄り、雨の降る夜を見つめながら言った。


「人って、壊れかける瞬間が一番正直……。

でも、壊れきったあとに残るものは、もっと深い“何か”があるのかもしれないって」


「……“何か”とは?」


ユイの問いに、ルカはゆっくりと振り返る。


「……後悔、かもしれない」


ユイは目を細めた。


「貴様が、“後悔”なんて言葉を口にするとは思わなかったナリ」


ルカは笑った。

その笑顔は、どこか儚かった。


「ワタクシはね、ユイ様」


ルカは、ユイの隣に座り、静かに声を落とした。


「本当は……ワタクシが壊れた人間なのかもしれない」


ユイは、ルカの顔を見た。


その目は、まるで“何か”を失い続けた人間のように、空虚に揺れていた。


「ルカ……」


「ねえ、ユイ様」


ルカはふと、笑った。


「ユイ様は壊れないでくださいね。……誰かみたいに」


ユイは、その“誰か”の正体を尋ねなかった。


──ルカが語るべき相手が、きっと存在していたのだろう。


「……貴様こそ、壊れるなナリ」


「ふふ……」


ルカの笑みは、かすかに震えていた。


「ユイ様がいるなら、壊れなくて済むかもしれません」


そう呟くルカの声は、どこか少女のように脆かった。


「……ルカ」


ユイは、黙ってルカの肩に手を置いた。


その肩は、小刻みに震えていた。




翌朝、雨は止んでいた。


御影俊彦が遺した“声なき声”は、もう誰にも届かない。

けれど、ユイの耳には、今もその“何か”が静かに響いていた。


「……人は、静かに狂う」


それでも、その狂気の先にある“何か”に、耳を澄ませるべきなのかもしれない。


ユイはそう思いながら、ルカの背中を見つめた。


その背は、どこか脆く、痛々しく、今にも崩れそうだった。


けれど──


それでも、その背中は、ユイにとってたった一つの「人間らしさ」だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ