ep4: 静寂の余燼
法廷は、重苦しい沈黙に包まれていた。
御影俊彦は、膝に顔を埋め、かすれた声で泣いていた。
「……俺は、ただ……止めたかっただけなんだ……」
ユイは、その姿を冷たく見下ろした。
「“止めたかっただけ”……?」
御影は顔を上げる。
「違う……違うんだ……俺は……あいつが……」
「嘘をつくのも、もう終わりにしましょう」
ルカの声が響いた。
ユイが振り向くと、ルカの唇は不気味に歪んでいた。
「ねえ、御影さん」
ルカがゆっくりと御影に近づく。
「……あなたは、妻を殺したかったの? それとも、“自分の正しさ”を証明したかったの?」
「やめろ……」御影は震えた声を漏らした。
「それとも……」ルカは、まるで恋人に語りかけるように優しく微笑んだ。
「自分が、どれだけ傷ついたかを見せつけたかったの?」
御影の顔が歪み、喉の奥からかすれた声が漏れた。
「違う……違う……」
「誰のせいでもない。あなたが、あなた自身の正しさに飲み込まれただけよ」
「やめろ……」
「“止めたかっただけ”なんて、随分と都合のいい言葉ね」
ルカの瞳が細められた。
「だって、人は“正しさ”で人を殺すんだから」
「ルカ、やめろ!」
ユイの声が鋭く響いた。
ルカの足が止まる。
「……そのくらいにしておけ」
ルカが静かに笑った。
「何を怯えてるの?」
「ワガハイは……」
ユイは唇を噛んだ。
「……ワガハイは、もう十分に彼を追い詰めたナリ」
「いいえ」
ルカは目を細めた。
「彼は、もう壊れてるわ」
法廷の外。
人気のない廊下で、ユイは無言のままルカを睨んでいた。
「……御影は、狂ったんじゃないナリ」
「じゃあ、何だったの?」
「彼は……」
ユイは口をつぐむ。
「彼は、孤独だったナリ」
「……孤独?」
ルカが眉をひそめた。
「疑い続け、傷つき、追い詰められて……それでも妻のことを信じたかったナリ。だから、あの日の彼は、必死に“止めよう”としたナリ……」
「でも、結果は?」
「……結果は変わらないナリ」
ユイの声は掠れていた。
「正義も狂気も、彼には関係がなかったナリ。ただ、あの人は……壊れたナリ」
「ふふ……」
ルカが肩をすくめる。
「そんなものよ。人はね、狂うときが一番正直なの」
ユイは眉をひそめた。
「……人の狂気に、貴様は何を感じているナリ?」
ルカの顔が、一瞬だけ曇った。
「……ねえ、ユイ様」
ルカはふと、柔らかく笑った。
「ワタクシね、時々思うんです」
「……何ナリ?」
「“壊れた人間”って、ほんの一瞬だけ……すごく綺麗に見えるの」
「……」
「だって、そのときの人は、仮面を外して本当の自分をさらけ出してるでしょう?
嘘も、偽りも、飾りもなくて……ただ、自分の醜さや弱さが溢れ出してる」
「……それが、綺麗に見えるナリか」
「ええ」ルカはうっとりとした声で言った。
「……でもね」
「……?」
「ワタクシは、その“綺麗さ”が……怖いの」
ユイが目を見開く。
「……ルカ」
「だから、ユイ様」
ルカはふと、笑みを消した。
「ユイ様は壊れないでくださいね」
ユイは、ルカの瞳の奥にほんの一瞬だけ、深く沈んだ痛みを見た。
「……貴様こそ、壊れるなナリ」
「……ふふ」
ルカの笑みは、どこか幼い子供のようだった。
法廷は静まり返り、御影俊彦はその後、懲役14年の判決を受けた。
裁判が終わったあと、ユイは一人、法廷の席に残っていた。
「人は、静かに狂う……」
ユイは呟いた。
「……それでも、誰かがその狂気を止めなければならないナリ」
廊下の先で、ルカが静かにユイの姿を見つめていた。
「……人は、いつか壊れる。誰かに愛されたくて」
そう呟いたルカの目に、ほんの一瞬だけ、涙が滲んでいた。