ep3:崩壊の音色
「……冗談だったんだ」
御影俊彦の声は震えていた。
「“死ねばいいのに”……あんなの、ただの口喧嘩の延長で……本気じゃない……」
「本気じゃなかった……?」
ユイが静かに言葉を投げた。
「ならば問うナリ。何故、事件当夜、被告人は妻のスマートフォンを故意に破壊しようとしたナリ?」
御影が肩を震わせる。
「そ、それは……」
「さらに問うナリ」
ユイの声は淡々としていたが、その視線は冷たく射抜くように鋭かった。
「遺体の首筋に残された絞扼痕──その傷は、人の手では不可能なほど均一に圧力がかかっていたナリ。これは、“ロープで絞められた”痕跡に他ならないナリ」
「違う……俺は、そんな……」
「では、これならどうナリ?」
今度はルカが立ち上がる。
「……事件当夜、御影俊彦は、犯行後にタオルで妻の首を拭っていた。近隣住民の証言です」
御影の目が見開かれる。
「お前は、血痕や指紋が残らないよう、傷口を覆い隠そうとした……違いますか?」
「違う! 俺は……俺は……!」
「何を隠していたのですか?」
ルカの目が、狂気に濡れていた。
「御影俊彦……貴様は、妻の不貞を疑っていたナリ」
ユイが淡々と畳みかける。
「事件の2週間前、貴様は探偵事務所に浮気調査を依頼していたナリ。事実、妻の行動を執拗に記録したメモが、被告人の部屋から発見されたナリ」
「俺は……ただ、確かめたかっただけだ……!」
御影は顔を覆った。
「“確かめたかっただけ”の人間が、妻のスマートフォンを破壊するかナリ?」
ユイの声が低く響いた。
「違う……違うんだ……」
御影は自らの髪を掻きむしる。
「貴様が不貞の証拠を見つけ、感情を抑えきれずに妻を手にかけた──それが、ワガハイの結論ナリ」
ユイの声は、無慈悲なまでに冷たかった。
「違う……違う……」
御影が呟く。
「貴様は、妻の部屋に残されていた離婚届を見つけていたナリ」
「……っ!!」
御影の顔色が蒼白に変わった。
「証拠として提出します」
ルカが封筒を持ち上げる。
「その離婚届には、奥様の署名がありました。そして……被告人の署名は、血で滲んでいた」
「血……?」
弁護人の声が震える。
「そうナリ」
ユイは証拠書類を手に取り、裁判官に差し出した。
「司法解剖の結果、妻の指には皮下出血が認められていたナリ。何者かが、彼女の指を無理やり引きずり、印鑑を押させた痕跡ナリ」
「その“何者か”とは──」
「御影俊彦ナリ」
ユイの声が静かに法廷に響いた。
「違う……違う、違うんだ……」
御影の声は涙に濡れ、掠れていた。
「ルカ、やりすぎナリ」
ユイが声を低く抑えた。
「ワガハイは、事実だけを積み上げたいナリ。感情や演出で揺さぶるのは、検察官の本分ではないナリ」
「……ユイ様」
ルカの声が甘く滲んだ。
「ユイ様は、甘いですね」
「……」
「彼は、今も何かを隠しています。嘘をつく人間の目を、ユイ様が見逃すはずがない」
ルカの声は、異様な高揚感に満ちていた。
「……人の闇はね、引きずり出してやると、綺麗に暴れ出すんです」
御影の震えが止まらない。
「やめろ……」
「さあ、御影さん」
ルカがゆっくりと笑った。
「……もう隠すものなんて、ないでしょう?」
「やめろ……やめてくれ……」
「なにが“違う”んです?」
「やめろ!!」
御影が絶叫した。
「俺は……俺は、殺してないんだ!!」
法廷が一瞬、静まり返った。
御影は、肩を震わせながら泣いていた。
「じゃあ、何をしたナリ……?」
ユイの声が低く響く。
「俺は……俺は……」
御影は、顔を覆った手の隙間から、掠れた声を漏らした。
「俺は……止めたかっただけだ……」
「“止めたかった”とは、どういう意味ですか?」
ユイが静かに尋ねる。
御影は震えながら、言葉を搾り出した。
「……あいつ、誰かと電話してたんだ……知らない男と……。『もうすぐ終わるからね』って……あいつ、笑ってた……」
御影の肩が震えた。
「……それで、俺は……あいつに“どういうことだ”って詰め寄ったんだ……。そしたら、笑いながら……『好きにすれば?』って……」
御影は顔を覆ったまま、泣きじゃくるように言った。
「それで、俺は……ロープを掴んで……でも、殺すつもりなんかなかった……ただ、止めたかっただけなんだ……」
「……狂気に堕ちたのは、妻のほうだと?」
ルカが笑った。
「お前が狂っていたナリ」
ユイの声が鋭く響いた。
「……誰が狂っていたかなんて、もうわからないナリ」
ユイの声は、冷え切った氷のように響いた。
法廷の空気は、どこまでも重苦しく沈んでいた。
人の正義も、狂気も、曖昧な影の中に溶け合っていた。
「……この裁判が、“真実”になるナリか?」
ユイは小さく呟いた。
その言葉は、誰にも聞こえなかった。
だが、隣のルカだけが、薄く笑った。
ルカは、ユイの横顔をじっと見つめ、ふっと微笑んだ。
「……正義なんて、誰かの“都合”で形を変えるものよ」
ユイは、わずかに目を細めた。
「正義が勝つんじゃない。勝ったほうが正義になるの」
ルカの声は、まるで甘い毒のように法廷の空気に溶け込んだ。
「人ってね、善人のふりをしてるときが一番醜いの。
その仮面が剥がれて、必死に正義にすがる姿……あれが一番、綺麗なのよ」
ユイは、わずかに顔を背けた。
「人はね、狂うときが一番正直なの。だから……」
ルカはユイの耳元で、囁くように言った。
「ワタクシは、人が“壊れる音”が好きなの」