第94話 夏祭り①
8月20日。
今日はとても大切な日だ。凄く大切な日だ。死ぬほど大切な日だ。
なんと言っても今日! 僕は! 月上さんと夏祭りデートをする!
(頑張ろう! シミュレーションはいっぱいした。恋愛シミュレーションゲームも徹夜でクリアした。何1つ問題なし! いける!)
洗面所の鑑の前で櫛を髪に通す。寝ぐせとか、絶対無いようにしないと。
スマホにメッセージが届く。月上さんからだ。
『16時00分に虎福寺の石階段の前に集合(‘ω’)ノ 楽しみで昨日は眠れなかった( ˘ω˘ )zzz...』
「あはは……寝てるじゃないですか」
僕はリアルに眠れていない。けれど頭に疲労は無い。
不安で緊張するけど、それ以上に楽しみだ。12時間後の僕はどういう気持ちになっているんだろう。
『失敗したぁ』って落ち込んでいるかな。それとも『楽しかったぁ』って満足してるかな。
(服は半そでに短パンでいいかな……それとももっと可愛い恰好しようか。で、でも、僕なんかがスカートとか、ましてや浴衣とか着ていったらお笑い草だよね)
うん。シンプルに半そで短パンでいいや。
「出る前に口臭ケアして、梓羽ちゃんから借りた香水を全身に振りかけて……それからそれから……」
昨日用意した71個のチェック項目にチェックしていく。
全てのチェック項目をクリアした所で、僕はマンションを出る。
(まだ待ち合わせまで2時間あるけど、途中で何があるかわからないし! 早めに出て損はないよね)
早く着いて、心の準備もしたいし。
外に出ると、少し湿っぽい熱気が顔に当たった。カラッとした空気よりこっちの方が夏って感じがする。湿気交じりの熱気は誰もが嫌いと言うけれど、僕はそんなに嫌いじゃなかったり。なんとなく僕の肌に合うんだよね。
寺の前の石階段。100段以上あるであろう石階段の3段目に腰を落ち着ける。
スマホを弄るも落ち着かず、かと言って風景を見ていると他人と目が合ってしまうため、足元で一生懸命餌を運ぶ蟻を見つめる。
「あれ? お姉ちゃん?」
知った声が聞こえた。
私服の梓羽ちゃんだ。梓羽ちゃん――だけなら良かったのだけど、隣に知らない人がいた。
「うわっ、えっとっ……その……!」
「へぇ。この人がお前の姉ちゃんなのか。こんにちは。梓羽の友人の金剛火針です」
「ウチの生徒会副会長でもある」
帽子を被ったロングヘアーの女の子。凄く綺麗な金髪だ……スタイルもモデルみたいで、中学生なのにカッコいい美人さん。丁寧に僕なんかに頭も下げて、礼儀正しい。
「あ、えっと、ああ姉のレイです……い、妹がお世話になってます」
「世話になってるのはこちらの方です。お姉さんはこんなとこでなにしてんスか?」
「えぇっと、人を待っていて……」
なんでかわからないけど、この子……ずっと値踏みするような目線を向けてきてる……。
「……なぁ梓羽。お前って姉が2人居たりしてないか?」
「古式家の姉妹は2人だけだよ」
「そうか……いや、なんか聞いてたイメージと違ったもんでさ」
が、ガッカリさせちゃったかな……そうだよね。この完璧人間の妹にこの姉はおかしいもんね……。
「――ちょっと梓羽! そこでなにしてんのよ!」
石階段の上から、物凄く大きな声が飛んできた。
なぜだろう。どこか聞き馴染みのある声だ。
「ちっ。二叶のやつ、こんな暑いのに元気だな」
「上がろうか。じゃあねお姉ちゃん」
「失礼します」
「う、うん。バイバイ、2人とも……」
上手く喋れなかった……梓羽ちゃんに申し訳ない。
いや、今はそれどころじゃない。切り替えろ僕!
(あと20分で約束の時間だ。やばい……落ち着け。心臓が痛い……深呼吸、深呼吸……)
ざわ。と空気が変わった。
ここはお祭りの通りへ繋がる道の1つ。人通りはそれなりで、おかげで彼女の接近にいち早く気づけた。
男性も女性も戸惑いと歓喜の入り混じった声を上げた。まだ夜になっていないのに、月は出ていないのに、その人だけは月下にいるような輝きを放っていた。
自然と人々は道を開け、彼女を僕の前へと通す。
「お待たせ。レイ」
「月上……さん」
銀色の長い髪は結ってあって、ポニーテールになっている。いつもは髪で隠れて見えない、滑らかで白い首筋が上品な色気を醸し出す。
冷たくも、奥行きのあるブルーの瞳が僕を捉えて離さない。まるで深海の蒼。ただひたすらに沈んでいく。
制服でも私服でも無く、浴衣だ。白くて、椿柄の浴衣。浴衣に全然詳しくない僕でも、生地の良さが見てわかる。上等な浴衣だ。普通の高校生が着れば浴衣の魅力に負けてしまうけど、月上さんの場合は釣り合っている。
羞花閉月。
美人。という言葉は、きっと、この人を表現するために生まれた言葉だ。
「なんで浴衣じゃないの?」
首を傾げて月上さんは問う。
「え。だって、普通は……私服じゃないですかね?」
浴衣を着るなら、予め言うものだと思っていた。特に打ち合わせていないならみんな私服でくるものだと思ってた……。
「……そうなんだ。祭りには浴衣で行くものだと思ってた」
お互い、多分友達と祭りに行った経験が無いから、どっちの認識が間違っているのかもわからない。
「浴衣、着ないの?」
「い、いまからですか? 家に浴衣ありませんし、僕に浴衣は似合いませんし……」
「……なにあの美人! すっげーな、声掛けちゃおうっかな……」
ボソボソ声が聞こえる。
「……やめとけって。お前じゃアレだ。月とすっぽんってやつだ」
「……ああ! ふざけんなよ! すっぽんはあの前髪なげぇ女の方だろ」
「……ねぇ、あの子……なんか可哀想じゃない?」
「……こんなの公開処刑じゃんね。あんな美人の横を歩くなんて、誰だって無理なのに……あんな地味な子じゃもっとねぇ……」
はは……乾いた笑いが零れる。
そうだよ。そうだよね……こうなることは予測できてたじゃないか。
ゲームの世界でも全然追いつけてないのに、現実じゃもっと――僕と月上さんとの距離は遠い。わかっていたことじゃないか。
「……どうする? ナンパしたら隣のやつもついてきちゃうかな」
「……まぁまぁ、そこは適当にさ……」
体が震える。
(馬鹿だな僕……やっぱり、断るべきだったんだ。僕は、月上さんの横を歩けるような人間じゃない……)
なんて惨めな女だ。
ダメだ。泣くのだけはダメだ……。
「まだ時間はある」
「え?」
月上さんが、僕の右手を掴む。
「私の家に来て」
「な、なんでです!?」
「浴衣に着替えてもらう」
「え、えぇ!?」
月上さんは1度手を放しスマホで誰かに連絡すると、再び僕の手を握った。
「つ、月上さん。気持ちは嬉しいですけど……む、無駄ですよ」
やばい。ダメだ。声が震える……。
「僕じゃ……浴衣を着たところで、月上さんとは」
「うるさい」
月上さんは僕の頬を掴み、左右に引っ張る。
「ふ、ふひはみはん!?」
「あなたは、私の横を歩ける女だよ。それを証明する」
月上さんは僅かに頬を緩ませ、
「――私を信じて」
【読者の皆様へ】
6/14日からスピンオフ『シスター・イズ・バーサーカー』がスタート!
妹の梓羽が主人公です。不定期更新になりますが、よろしくお願いします!




