第8話 明日、私と一緒にやってほしいことがあるの
「ここまでくれば何とかなりそうね」
「そうかも……なんだったんだろ、あの子」
宮原千楓は息を切らしながら立ち止まり、来た道を振り返っていた。
「……知らない方がいいわ」
「もしかして、望月さんは知ってるの?」
「……」
「え? なんで無言になったの?」
「別に、いいでしょ……知らない方が幸せなことだってあるわ」
望月彩羽はその場から歩き出す。
「どこに行くの?」
千楓は彼女の元へ近づく。
「あんたの家だけど」
「なんでだよ」
「いいでしょ。明日は休みなんだし」
「それと何の関係が」
「明日、私と一緒にやってほしい事があるの」
「どんなこと?」
「それについて話したいから、あんたの家に行くってこと」
「わざわざ、俺の家じゃなくてもいいのに」
「いいでしょ。それに、あんたの家には堀江さんがいるでしょ?」
「なんで知ってるの?」
「それは以前から関わりがある人だからよ」
「知り合いだったのか? 意外だな」
彩羽はあっさりとした話し方で事を済ませると、千楓を気にする事無く、さっさと歩いていく。
「ちょっと、俺の家知ってるのか?」
「知ってるわ」
「なんで? 逆に怖いんだけど」
「昔、あんたが案内したじゃない」
「は、はあ……? 意味わかんないけどさ。あの子といい、望月さんも俺の家を知ってるとか、どうなってんだよ」
千楓はモヤモヤとした感情を抱きながらも、彼女と歩幅を合わせながら歩き続けるのだった。
「お邪魔します」
彩羽は宮原家のインターホンを押してから扉を開けた。
「なんで、望月さんが俺の家の鍵を?」
「だって、堀江さんから貸してもらったから」
「いや、あの人、なんで渡すんだよ……」
千楓は頭を抱えていた。
堀江夏海は人柄がよく、なんでもそつなくこなしてくれるいい人ではあるが、もう少しセキュリティ管理をどうにかしてほしいと思う。
千楓はため息をはき、彩羽が開けてくれた自宅の扉から入る。
自宅玄関に足を踏み入れるなり、彩羽は遠慮する素振りもなくリビングの方へと向かう。
「そう言えば、堀江さんは?」
「今は病院にいるよ。あと少ししたら帰ってくるだろうけどね」
「そうなの。わかったわ。じゃあ、ここで待つわ」
リビングに踏み入った二人。
彩羽はソファのところまで向かって行く。
「え、なぜ? いつまでいるつもり?」
「そうね。今日の夜……いや、明日までかも」
「いや、帰ってほしいんだけど」
「嫌よ」
「は? 望月さんは俺の事が嫌いなんだよな」
千楓はリビングの扉付近に立ち、ソファ近くに佇む彼女に問う。
「……そうよ、嫌いね。私の気持ちも全然理解しようよしないし、むしろ、大嫌いかもね」
「じゃあ、なおさら、帰った方がよくないか?」
「私は、堀江さんと話があるからいるだけ、勘違いしないでほしいんだけど」
「はあ……わかったよ、好きにすればいいさ」
彼女の態度には呆れてしまい、千楓は面倒くさそうに頭を抱え、リビングから立ち去ろうとする。
「どこに行く気?」
「自室に」
「もう少しいたら?」
「は? ここに? 望月さんだって嫌いな奴と一緒にいたくないだろ」
「でも、今後の事について話したいから」
「意味が分からないな」
「私、あんたが元のあなたに戻ってくれるなら、別に嫌いになる事はないから」
「元の俺? 俺は俺なんだけど」
「そういう事を含めて……あんたとは話したいことがあるの」
「まあ……いいけどさ」
千楓は首を傾げ、しょうがないといった感じにソファへ向かい、そこに座る事にした。
二人が隣同士で座ると、数秒の間、そこには沈黙が訪れるのだ。
なに?
望月さんは、何か会話したい事があるんじゃないのか?
千楓は隣にいる彩羽の思考が読めず、それが今の悩みのタネになっていた。
「あのさ、明日って時間ある?」
ようやく彼女が重い口を開く。
「一応、あるけど」
「なら、ちょっと私の家に来ない?」
「なぜ?」
「やっぱり、私……もう少し可能性にかけてみようと思って」
「可能性?」
「……今のあんたには信じてもらえないかもしれないけど……本当は私たち付き合っていたの」
「は、え? どういうこと? さっきから望月さんは変じゃないか? まさか、俺らが付き合ってるわけなんて」
「そうよね。信じてもらえないよね」
隣にいる彼女は悲し気に小さくため息をはいていた。
「まあ、今の私じゃ、あんたをサポートするしかできないし。私の考えを理解できないのも無理ないわね」
「なんかの冗談かよ。望月さんと俺が付き合うとか」
「んッ」
「⁉」
刹那、千楓は彼女から頬を軽く叩かれた。
「い、いてッ、何すんだよ」
「あんたが……そういう発言をするから」
「なんなんだよ」
やっぱ、俺、こいつとは上手くやっていけないって。
千楓は彼女と同じ空間にはいたくなかった。
だから、ソファから立ち上がる。
「ちょっと……待って」
「なに?」
千楓はソファにいる彼女へと鋭い視線を向けた。
「……ごめん、私、そこまでするつもりもなくて」
「もういいよ。俺を一人にさせてくれ」
「私も悪かったわ」
いつも当たりの強い言動の多い彼女が、なぜか大人しくなっている。
別人かと思うほどに、雰囲気が変わって見えたのだ。
ソファに座って千楓を見上げる彩羽。
その近くに佇んでいる千楓。
互いに視線を逸らし始め、そこには妙な時間が生み出されていたのだ。
沈黙が続く中、玄関先からチャイムが鳴る。
「ただいまー」
その声は堀江夏海だった。
比較的明るい声質が玄関先から聞こえてきて、その数秒後には彼女がリビングに入って来たのである。
「あれ? 望月さんもいたのね」
「はい……お邪魔してます」
彩羽はソファに座ったまま後ろを振り向き、リビングに入って来た夏海に対して挨拶をしていた。
「千楓もいるのに、静かだったのね。二人で何も話していなかったの?」
「それは……私が悪いんです」
「え?」
彩羽は急にその場に立ち上がり、事の経緯を話し始める。
「そういう事ね。まあ、しょうがないわ。千楓もまだわからないことがあるわけだし」
夏海は帰宅前にスーパーで何かを購入してきたのか。両手で持っている大きな袋を食事用のダイニングテーブルの上に置いていたのだ。
「まあ、千楓も、もう少し大きな心で受け止めた方がいいと思うわ。じゃないと、今後大変になってくるかもしれないしね」
「……意味わからないけど、そういう事にしておくよ」
千楓は肩から力を抜くようにため息をはいていた。
「二人もいる事ですし、今日は三人で食事をしましょうか」
「はい……私も夕食の準備を手伝います」
その場に佇んでいた彩羽は千楓の方を見ることなく、夏海がいる場所へ向かって行く。
二人はダイニングテーブル前で今日の夕食について話し始めていた。
千楓は孤独になった気分に陥り、気分を切り替えるために、二人がいるリビングから離脱する事にしたのだ。