7-7. 目論見
「さて、すべてには、はじまりがあるように終わりがあります。
名残惜しいですが、これにて『縁談』の場を終えます。
これからのみなさまには『平安がある』ことをお祈り致します」
──随分と過ぎたパフォーマンスだ。
あたかも聖職者であるかのよう祈りで締めるとはな。
閉幕のなか、今更ではあるが彼らの言及する『縁談』に載せた真なる意味合いを知らされる。
単なる祝勝を前にした懇談会程度に思っていたが、どうも違っていたらしい。
進行している閉幕の場に、私の隣に居合わせた妙齢の女性は耳打ちしていう──。
歓談時にそれぞれが思いの丈を告げ、両者の事情を知り、少なくない繋がりを持たせることは単なる蜂起に参加した程度の、軽い繋がりではなく『意識させる』ための思惑があったらしい。
曰く、この蜂起で知り得た『情報』が仮に公になれば、互いが互いの足を引っ張るようになり事態の収拾が難しくなる。
……すべてがすべて揉み消すことも出来ない。
情報社会と言われて久しい昨今に外に露出された情報を『なかった』ことにすることは不可能といっていい。
だからこそ、炎上が起こってしまう。
縁談は謂わば、横の繋がりを強固なものとし、一連托生である今生を今後も連携していこうという趣旨であったそうな。
──言い得て妙だな。
場を仕切る女性スタッフらに促され、武装された兵士たちの案内に従い会場をあとにする。
団体の足音が響く廊下のなか、先を行く者たちのなかでは、いまも『縁談』の場ですべてを話し尽くせず口寂しそうに話す者たちが目に映る。
主催者の思惑通り、仲間意識が芽生えた彼らには情報漏洩の可能性は低いのだろう。
……懸念すべきは私のような黙して進む者たちへの扱い、か。
もっとも、私が思う限りは『縁談』という定まった時間外にも話し込む彼らにこそ信用を寄せるなど到底出来ないが。
思案を深めていくなか、ふと何気なく全体に対し投げ掛けられた言葉が脳内を過ぎり、引っ掛かった。
──『平安』か。
司会者からのあの言葉はいったい、どういう意味合いで告げられた言葉なのかが気になった。
純粋にこの場に参加した者たちへの身を案じての言葉か──。
それとも、この場を仕切る者たちから視ての言葉か──。
……前者でいう単純に気にかけての言葉であれば問題はない。
が、それはないだろう。
──情報管理ほど煩わしいものはない。後顧の憂いたる、自身へと繋がるネガティブな情報は絶つのが好ましい。
差し詰め『平安』は首領・限られた幹部=蜂起主催者にとっては安らぎであり、それ以外は『旅立つ者への手向け』といったところか。
そして本来の『縁談』の位置づけは、これまで働いた者たちに対しての下賜であり『最後の晩餐』と捉えるのが妥当か。
名ばかりの幹部である私自身の処遇もこの先どうなるかは知らされていない。
──まぁ、いい。
もとよりそれ相応の覚悟をもって私もここに臨んでいる。
……受け入れよう。
流れ行く時間に別れを惜しんで連れていかれるなかでも、いまもなお言葉を交わし続けようとする彼らには、どうしても目についてしまう。
彼らもまた、この蜂起に参加し同じ時間を過ごした者同士ではあるものの、緊張感の無い会話を続ける彼らに対しては気に障って仕方がなかった。
改めて彼らがどういった心境で『これ』に臨んだのかが気になるところだ。
我々と同じ──偽善含め国、政治、経済、もしくは環境保全のために参加したのか──。
もしくは単純明快に、世間に対し自身が注目されたい、認められたい、承認欲に駆り立てさせられての行動か──。
どちらにせよ、自身の立ち位置を理解せずにして過ごす、彼らの軽はずみな発言・振舞いはじつに不愉快だった。
──もはや気にする必要もないか。
彼ら含め我々に未来有る無いは、まさしく神のみぞ知る。
歩く廊下先の扉が開かれた際には、吉と出るかないか──。
どのようなものであれ、晩節を汚さずして今生の最後を飾れるよう、いまは自らを律し歩を進めることとしよう。