7-2. 目論見
「「「「「乾杯」」」」」
式典を進行する司会者からの号令を合図に、『カチン』とグラスとグラスとを鳴らし、いまの出来過ぎた時に互いが互いに感謝する。
手に持つ、薄い赤色に染められたグラスからはカシスを扱った芳しい香りが漂う。
それが鼻腔を擽っては心地よく感じ気分を高揚させてくれる。
それを口に含むと、前面的に押し出された甘さの中には、それを控えさせるかのよう程よい白ワインの風味も活きていて、場の品位を損なわせていない。
カクテルには一般的に花言葉のようにメッセージ性のある言葉を内包している。
当然いま振る舞われているこのカクテルにおいても──。
よくも洒落たものを振舞うものだ。
『キール=最高の巡り逢わせ』──とはな。
勝利への出会い、それへと漕ぎつくことが出来たこの場にいる面々に対しての出会い、二つを掛けたか。
この宴を主催──いや、任せられているであろう司会者、配膳する女性スタッフたちを一瞥して思う。
周りを見渡せば、彼らもまた『巡り逢わせ』に浸ってか既に出来上がっていた。
……陰ながら思う。
よくも様々な思惑が『巡る』中で、ここまで形にすることが出来たものだ。
偶然の重なりか、それともそれらを総括する者の手腕によるか──。
どちらにせよ、私の目的もまた達せられた訳ではある。
「じつにめでたいものだ。
蜂起を通して、全世界のメディアが動き、国内における廃炉までの道のりは整いつつもある。
これで、長年待ち焦がれた悲願がようやく為されるというものだ」
私に語りかけ、グラスを鳴らす中高年の男性。
後ろには複数の女性たちが控えていて、既に自身の世界に浸っているようであった。
今回の蜂起に参加している者たちには数多くの『出身者』がいる。
なかには、環境保護団体の過激派に属している者たちも当然いたりする。
目の前に立つ彼らはまさしくそうであり、いま胸中に抱く思いとしては、もはや大願叶ったものとしてすでに極まっているのだろう。
そのなかには涙流す者もいたりした。
……彼らの主張も一定の理解は出来る。
原子力発電は火力発電に比べ、生み出すエネルギー量は大きく、質量単位で言えば二、三〇〇万倍になる。
だが、それに伴う代償は大きく、いくらセーフティー機能を設けたとて、それを扱うのは人間である。
加えて維持管理、廃炉にかかるコスト、もっと厄介なのは現代の技術ではどうしても処理できない核廃棄物が発生する。
それは人が即死するほどの危険物であり、現状それは仮置き、地中深くに埋設しているような状況下にある。
それらを幾重にも密閉させた容器に閉じ込めるというが、果たして人が作り出した容器=モノが半永久的に形状を留められるのだろうか。
そして、地震大国と銘打っていいほどの我が国でもある──。
もっとも、個人の思いとしては、原子力発電の継続運転は必要と考えるがな。
エネルギー資源の乏しい国であるということはもちろんのこと、原子炉を扱う技術力を廃れさせていけないと考えるからだ。
……現時点で事業を売却なりすれば、その方面においては今後太刀打ち出来なくなることは容易に想像出来、それが仮に隣国に渡ったとなればますます国益は萎む。国内のエネルギー事情は隣国依存から抜け出せなくなってしまい、ひいては国防にも関わる。
なにより国民目線で物事を考えれば、廃炉は電気代高騰に繋がることからも納得は得にくいことだろう。
いずれにしても、いまの我々には『関係のない』ことではあるが。
彼らの嬉々と語る言葉には目を伏せ聞き流し、適当に相槌を打つ──。