序章1 蘇る前世の記憶
――八時。
鏡の前で、またため息をついた。
「……やっぱり、慣れないわね」
オリーブグレーの髪。ブラウンの瞳。見慣れない少女の顔が、そこに映っている。
それは、私自身の顔だった。
この世界に生まれて十数年。ずっと違和感はあった。
けれど確信に変わったのは、ほんの1週間前。
彼の名前を聞いた瞬間だった。
リオン・ハイランド。
その響きが、私の記憶を呼び覚ました。
――乙女ゲーム『ニルヴァーナ』。
前世の私は、彼に心を寄せていた。
どのルートでも報われない、悲劇の悪役令息。
ヒロインに恋し、追放され、流刑されて時には命を落とす。
それでも彼は、私の『推し』だった。
そして今、私はその彼の婚約者になっている。
ゲームの中では、顔も名前も登場しない『モブ』の婚約者。
けれど現実の彼は、確かに私の目の前にいる。
彼の未来を、私は知っている。
このままでは、また彼は破滅する。
ヒロインに恋し、報われず、断罪される。
だから私は決めた。
彼の恋が叶うなら、何だってする。
たとえ、自分を犠牲にしても――
****
私の名前はユニス・ウェルナー。
伯爵家の長女として、穏やかな日々を過ごしてきた。
家族は両親と、五歳年上の兄。
兄は全寮制の学院に通っているため、屋敷には私と両親だけが暮らしている。
この世界には「魔法」が存在する。
炎を操る者、水を呼ぶ者、傷を癒す神聖魔法を持つ者――
魔法は人々の日常生活の中で当たり前のように使われていた。
けれど、私には魔力がなかった。
誰もが使える初歩的な魔法すら、私は使えなかったのだ。
それでも私は悲観することなく日々を過ごしていた。
優しい両親に囲まれ、何不自由ない暮らし。
魔法が使えないことも当然のように感じていた。
――前世の記憶が蘇るまでは……。
****
――14時。
この日は学校が休みで、私は屋敷の図書室でお気に入りの本を読んでいた。
「ユニス、今日もここにいたんだね」
父が現れた。
「はい、お父様、ちょうどお気に入りの本を読んでいたところです」
「ハハハハハ。本当にユニスは読書が好きだな」
父が読書中に声をかけてくるのは珍しい。何か用事でもあるのだろうか。
「ところで、お父様。何か私に御用でしょうか?」
「さすがはユニス、勘がいいな。今日はユニスに会わせたい子がいるんだ。私の知り合いの子供だよ」
父が背後を振り返り、声をかける。
「入っておいで」
遠慮がちに、ひとりの少年が図書室に入ってきた。
私と同年代くらい。アイスシルバーの髪に、アンバーの瞳。どこかで見たような――
「はじめまして、リオン・ハイランドです」
その名前を聞いた瞬間、記憶が蘇った。
そうだ……思い出した。
彼は『ニルヴァーナ』のリオン・ハイランド。
どのルートでも報われない、私の最推しだった。
「どうしたんだ? ユニス。挨拶をしなさい」
父の声で我に返る。
「は、はじめまして……ユニス・ウェルナーです……」
混乱しながらも挨拶をすると、父の言葉でさらに衝撃を受ける。
「リオン君は、ユニスの婚約者になる人だからね。二人共仲良くするのだよ」
「ええっ!? こ、婚約者!?」
驚いてリオンを見ると、彼はすでに知っているのか、驚いた様子もなく私を見つめていた。
そのとき、私は自分の置かれている立場をようやく理解した。
私は、推しの恋路に巻き込まれる『モブ婚約』だったのだと――