第9話
セミの鳴いている声だけがしている。
君の家、と言われた場所に、翔子はまだ慣れない。
先週和登と来た時に最初に入った部屋は、ゲストハウスのダイニングルームだった。ホームパーティをするときに使う場所で、実際はそこから渡り廊下を通った先にある重厚な日本家屋が母屋だった。中は半分洋間になっていて、最初はそこの二階に翔子の部屋が用意されていた。十畳と六畳に押し入れがついている部屋で、広すぎて居心地が悪かったので和登にそう言うと、
「他に気に入った部屋があれば、そこを使ってもいいよ。」
和登にそう言われたので、いくつか見せてもらって、今は使っていないという一階の茶室を自分の部屋にしてもらった。四畳半に床の間が付いている。押し入れはないが、隣の部屋に小さなお勝手と勝手口が付いていて、家の一部なのに独立した感じがある。
祖父母に挨拶したら、抱きしめられた。
「よく頑張ったわね。これからは思う存分好きなことをしていいのよ。」
「ありがとうございます。」
とはいったものの、好きなことってなんだろう、と思う。
母の小さい頃のアルバムやビデオを見せてもらったり、母が使っていたという道具類を見たりして、ああなるほど、母は本当にここの娘だったんだ、と実感するが、そこと自分とのつながりがいまいち見えない。そもそも最初に用意されていた部屋が、母が昔使っていた部屋だと聞いて、なんとなく裏切られた感がある。前住んでいたアパートは押し入れ付きの六畳と、三畳しかない台所。よくそんな落差を我慢できたな、とも思う。
次の日には、引っ越し屋が翔子の荷物を運んできた。
そんなに大した量じゃないと思ったのに、それでも段ボールに10箱近くあった。
布団も捨てたし、前の学校の物も全部捨てた。食器は少し残して、鍋なんかは全部捨てた。残ったのは翔子の服と亜希子の服、アルバム、本、細かな雑貨類。
お勝手の床に積み上げたら、
「必要なものだけ出して、他はこっちの納戸に置いておいたら? 落ち着いてからゆっくり片付けたらいいよ。」
引っ越しの手伝いに来ていた誠司が、そう言った。
この前見た時はオールバックだったのに、今日はサラサラ髪を真ん中分けにしている。
諒輔もサラサラのマッシュなのに、なんで和登だけゆるいウェーブなんだろうと思ったら、パーマかけてるんだよ、と笑われた。
「天パは峻兄ぃだよ。放っておくと爆発したみたいになる。」
エアコンの効いた部屋から、腰高窓の障子を開けて、外の竹藪をぼうっと見ている。
従兄たちも、祖父母も優しい。過度に世話を焼くわけでもなく、好きなようにさせてくれる。通いの家政婦さんが二人いて、交代で料理と掃除をやってくれる。
ほんとうにただぼうっとしているだけで、時間が過ぎていく。することがなくて間が持たない。
みんなどうしてるんだろう、と思う。
いつも全力で家事してバイトして宿題していた。
二学期から通う新しい学校から宿題が出ているが、あまり難しくないので、たぶんあと数日で片が付いてしまうだろう。
平日の昼間、祖父母は仕事に出ている。本業は娘婿に任せているが、趣味の園芸から法人を起こして、そちらの方に忙しいらしい。
伯母たちはそれぞれに家を持っていてここには住んでいないので、本当に昼間は一人きりだ。
なるほど、そりゃ意味もなくショッピングモールとかに出かけたりするわけだ。
「翔子さん、おやつをお持ちしましたよ。」
「はあい。」
家政婦さんが、毎日おやつを出してくれる。昨日はシュークリームで、今日はロールケーキだ。おとといの栗羊羹も絶品だった。
もちろんご飯もおいしい。
ほんの数日で翔子は太ってきた。
「このままだと、服が入らなくなっちゃうかも。」
そう言うと、家政婦さんはころころ笑った。
「今が瘦せすぎなんですよ。もうちょっとお肉がついた方が、お綺麗ですよ。」
おやつを食べながら、引っ越しで持ってきた小物を広げてみる。
前の家から持ってきた文机を部屋に置いて、その引き出しに必要なものは全部収まった。部屋の隅に新しい布団が畳んでおいてある。服はプラスチックの収納ケースに入れて、書院棚の一番下に押し込んである。
「翔子ちゃん?」
お勝手に通じる引き戸の向こうから声がした。
「はーい。」
引き戸を開けると、ライオンのたてがみみたいな髪の青年が立っていた。
「えーと。」
誰だっけ。
「あー。俺、峻。」
髪を両手で抑えると、なるほど見覚えがある。
「あ、スミマセン。」
「いいって。丸越デパートの外商来たから、あっちの座敷の方に来てくれる?」
ガイショーってなんだろう。
と思いながら、峻の後に続くと、座敷いっぱいにいろんな服の布地が広げてあった。
なにこれ。
愛想のいいおばちゃんが、ささっと寄ってきて
「じゃあ、とりあえずサイズをお測りしますね。」
メジャーであちこち測られて、アシスタントみたいな人がそれを書き留める。
「まずは礼服ですね~。ワンピースにボレロでお仕立てしますが、お袖のレースはどうなさいますか?」
立ち尽くしていると、峻が見本帳を指して
「これで。全体に少しゆったり目に。」
「かしこまりました。そちらにお鞄ありますから、お好みのものがありましたら、お教え下さいね。」
フォーマルバッグがずらりと並んでいる。
お好みのものと言われても、全部黒いから同じに見える。
困っていると、峻がいくつか翔子に持たせて
「これが似合う。」
と一つ選ばせた。
その間にも、どんどん人が入ってきて、次々と畳にいろいろなものが広げられていく。
礼装用の帽子を選んだあと、振袖用の生地を見て、柄を見て、帯を見て、着物用のバッグを見て草履を見て、さらにお出かけ用の夏服を数点選んだ。そのころにはもう、礼装用のバッグはあとかたもない。
夏物のワンピースを試着してでてきたら、振袖用の生地もバッグももう座敷を出て行くところだった。
「申し訳ございませんね、さすがにお盆休みにはお仕立てが間に合いませんので、既成の物をお直しする形になってしまいまして。」
背の高い翔子に合うサイズを探したが、どうしてもウエストが余るので、そこを直すのだという。
「この間の服は、直さなくても大丈夫だったけど。」
「・・・あれ、そもそもマキシ丈のスカートなんだよ。」
「マキシ丈?」
「くるぶしまで長さがある・・はずなんだけど。」
そう言えば、けっこうふくらはぎまで見えていた。ウエストで合わせると、そうなる。
「あのー。そんなに服を買ってもらっても、置くところが。」
「ああ。まあ、一応二階の部屋に置いておくよ。亜希子おばさまの服もまだおいてあるんじゃないかな。見て気に入ったのがあれば、使うといいよ。」




