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第22話

あのカッコウ時計を見た時、急にそれまで忘れていた父の思い出がよみがえってきて、しばらく動けなかった。

ああ、これだ。

どう聞いたって、ポッポ、ポッポと鳴いているのに、あれはカッコウだよ、と父は言ったのだった。

壮太は、あのサイダーを出してくれたおじさんの子供だったんだ。

そう思うと、急に壮太との距離が近く感じられた。


「真鍋・・せん・・ぱい。」

そう呼ぶと、マスターと壮太の両方が、

「おう。」

と返事した。

そして二人で笑い出す。

「俺の事は『マスター』って呼んでくれ。」

「俺の方は名前で。『壮太』って呼んでくれりゃいいよ。」


しかし喫茶店の手伝いを始めたら、むしろほとんど壮太に会えなくなった。

まあ心配する必要がなくなったから、会う必要がなくなったんだろう。部活も忙しいだろうし。

毎日、具材たっぷりのサンドイッチを食べて、たっぷりホットミルクを飲んで、ますます翔子は背が伸びた。

「モデル事務所からスカウトされるかもよ。」

マスターは笑った。

「そんなわけないよ~。」

ガリガリに細いまま、クラスで一番背が高くて、それがちょっとコンプレックスの翔子は、見た目に自信が持てない。もやしとかごぼうとか白アスパラとかいろいろあだ名で呼ばれたが、最近では割り箸、と呼ばれたのを聞いた。


壮太に久しぶりに会ったのは、高二の夏。冷房の効きすぎた店内でマスターがぎっくり腰をやって、びっくりした翔子が慌てて2ブロック先のマスターの自宅まで、助けを呼びに行った時だった。

壮太はかっこよくなっていた。

もともとカッコよかったけど、なんかもっと男っぽくなってすごくいい感じになっていた。

「あの、マスターが、ぎっくり腰みたい。動けなくって。」

そう言うと、壮太は急いで助けに来てくれた。

「うわ、冷蔵庫みたいだな!」

エアコンを止めて、壮太は、カウンターの中で呻いているマスターを背中に担いだ。

「ちょっと店、頼める?すぐ来るから。」

翔子が頷くと、壮太はマスターをおんぶしたまま出て行き、しばらくして戻ってきた。


「翔、親父が言うには、お前コーヒー淹れられるんだって?」

翔子が頷く。

そんなに忙しくもない喫茶店で、時間があるたび、マスターは翔子にコーヒーの淹れ方を手ほどきしてくれた。今では、マスターと同じ味が出せると、常連さんからもお墨付きをもらっている。

「本当ならしばらく店を閉めないとなんだけど、俺も夏休みだろ、せっかくだから店やってみろってさ。」

何がせっかくなんだかさ、とぶつぶつ言いながらも、壮太は楽しそうだった。


店の中に一人掛けソファを持ち込み、マスターはそこに座ったままあれこれ指示する。

しばらくして夏休みに入った翔子も、朝からバイトに入る。

「まずい。」

コーヒーの淹れ方をマスターに指南されている壮太は、まず第一声そう言われて落ち込んでいた。

「適当に淹れりゃいいってもんじゃないだろ。ここはコーヒー専門店だぞ。」

「昔な。過去形。文句ばっかりいいやがって。」

そう言いながらも、壮太は前向きだ。

やっぱり壮太は壮太だ。かっこいい。


夏休みの間にマスターはなんとか腰を治し、一方で翔子は壮太とぐっと仲良くなった。「壮太さん」と呼んでいたのが、「そーちゃん」になった。

翔子としてはただただ楽しかった。

しかし、夏休み以降、遊びに行くのを全部断られた壮太の友達が、店までやってきた時の事。

「なんだよ。俺ら放っておいて、家の手伝いかよ。つまんねぇ奴だな!」

「関係ねぇだろ。」

「いやいや、俺らはいいけどさー。カノジョ放っておいていいのかよ?」

「そーそー。親父さんの腰も治ったんだろ。頭下げてさ、デートに誘ってやれよ。」


あ、大学に彼女いるんだ。

漏れ聞いた会話に、翔子はなーんだ、と思った。

そりゃそうだ。かっこいい人だもん。カノジョだっているよね。

そう思った途端、なんだか辛くなってきた。

おかしいな。別に今までだって、そんなガールフレンドなんて立場じゃなかったのに。

ただのバイトでしょ。

そうだ、ただのバイトだった。


何で辛いのか分からない。

でも辛さを忘れるのは得意だった。

忘れる。

忘れよう。

これ以上近付かなければ、大丈夫。

痛む部分だけ切り取って、ぎゅっと鍵のかかるカバンに押し込んで、オールOK。


それに今は壮太の事なんか構っていられない。

亜希子の様子が悪い。

食べる量が減って、ずっと胃薬を飲んでいる。時々は熱もあるようだ。

だけど、健康保険に入っていないから、病院に行けない。


マスターに相談したら、直接亜希子に、病院代は立て替えるから一度医者に診てもらいなさい、と言ってくれたが、亜希子はうんと言わなかった。

しかし年が替わって二度目に勧められたとき、亜希子は「分かりました。」とタクシーで出かけていき、そしてそのまま入院して、二度とアパートには戻ってこなかった。


寂しくて心細くて、茫然としている翔子に、壮太が言った。

「俺がついてるから、大丈夫。」

なんだよ、と思う。

俺がついてるから大丈夫って何。


動きそうになる感情をぐいぐい踏みつぶす。

忘れちゃえ。

心にふたをしてしまおう。

辛いことも、心細いことも。全部、なかった事に。


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